第28話 とある双子の笑み
『―― 一年八組、綾小路美咲』
そう聴こえた瞬間、空気が凍りついた。辺りはしんと静まりかえっていた。
「は、はい!」
呼ばれた本人すらも固まっていた様子で、遅れて返事をしていた。それから少しずつ、拍手の音が響き始めた。あまり盛大な感じではなかったが、ある意味それは仕方がないだろう。
おそらく生徒の大半が思っていたことだろう。『美術部枠は姫宮兄弟が独占』だと。
それほどまでに、俺たちのことは学校中の生徒たちに知れ渡っていた。
それなのに、俺たち姫宮兄弟が負けた――と生徒たちは驚きを隠せないでいる。
――馬鹿みてえ。
俺は心の中でそう毒づきながら、ゆっくりと歩いて壇上に上がろうとしている綾小路(姉)を見ていた。
「……おい、姫宮弟。お前の兄貴、大丈夫なのか?」
俺のすぐ後ろに座っていたクラスの男子……確か藤野だったか? そいつが心配そうに、横目で兄貴を見ながら小声でそう聞いてきた。
俺は応える代わりに隣の兄貴に視線を移した。兄貴はうつむいて膝を抱えたまま、¨震えて¨いた。
兄貴の周りにいる奴らは、同情の目で兄貴を見ている。たまに兄貴に励ましの言葉をかけている奴もいたが、兄貴はそのまま黙って、全く応えようとしなかった。
「やっぱ悔しいんだろうな……分かるぜその気持ち」
人のいいスポーツマンの藤野は、そう言って俺の肩をぽんっと叩いた。全く表情を変えない俺にすら、励ましの言葉をかけてくれるこのクラスメイトに、俺は真剣に¨謝罪¨をしたかった。そして――
「俺たちを嘗めるな」
俺は藤野にそう言った。藤野が驚いて目を見開いているが、そんなことはどうでもいい。
よく見るんだお前ら。兄貴は確かにうつむいて膝を抱えながら震えている。だが、¨泣く以外¨でも肩を震わせることはあるだろうが。
「……ふっ、クスクス……」
ほれ見ろ。兄貴は決して泣いてなどいない。むしろ¨笑ってる¨んだよ! 笑いを堪えようとして震えてるんだよ!
どうやら、藤野を初めとした周りの奴らも、兄貴の異変に気がついたらしい。皆表情がひきつっている。
「……一夜、次が楽しみだね」
「……」
兄貴がとうとう顔を見せた。かなり人の悪い笑みを浮かべている。それを見た藤野の呟きが笑えた。
「うわ、悪魔だ……」
まったくもってその通り。
俺の兄貴は普段天使(?)の笑みを浮かべておいて、実は腹黒な悪魔だったりする。
ただし、いつでも悪魔になるわけではない。兄貴が悪魔になるのは、¨怒った¨時だけだ。
『――続きまして、最優秀賞――』
再びしんと静まりかえった。綾小路(姉)はすでに壇上に上がっている。きっと妹の名が呼ばれることを願っているのだろう。
だが、残念だったな。それは¨俺たち¨のものだ。
『―― 一年一組、姫宮千夜と姫宮一夜』
またしても、空気が凍りついた。しかし、そんなことは俺たちは気にしていない。
「はい!」
「……はい」
兄貴は元気のいい声を出したが、俺はそれに紛れて小声で返事した。
すると、徐々に大きな拍手が始まった。泣けてくるぐらいに、先程の綾小路(姉)よりも盛大な。
俺たちは生徒たちの間をすり抜けて壇上に上がった。
「な、な、何で!?」
綾小路は驚き過ぎてどもりまくっていた。俺たちが隣に立ったところで、やっと授賞式が始まった。
『えー、綾小路美咲殿、貴女は今年度の芸術コンクールにおいて、素晴らしい成績を修めましたので――』
綾小路は校長の間延びした賛辞の言葉など、全く頭に入っていない様子だった。兄貴がその隣で、鼻唄を歌いだしそうなぐらい上機嫌でいるからか?
校長が賞状を綾小路に渡すと、同時に拍手があがり、彼女の作品が公開された。校長の隣に白い布を被せたキャンバスが明るみに出た。後ろのほうにいる生徒たちにも見えるように、大きなスクリーンに映しだして見せている。
すると大きな感嘆の声が四方八方からあがった。
まあ、性格はあれでも、一応才能はあるからな。
タイトルはシンプルに『紅葉』。キャンバスにはでかでかと大きな紅葉の木が描かれていた。油絵ならでは力強いタッチと、濃くも繊細な色使いで、幹の逞しさと紅葉の色鮮やかな美しい様がよく表現できていた。
「うわあ、すごいなあ」
兄貴は本当に感心した様子でそう呟いた。
続いて、今度は俺たちの表彰だった。
『えー、姫宮千夜殿、姫宮一夜殿。貴方方は、今「待って下さい」』
突如、綾小路が校長の言葉を遮り、そう制止した。俺たちが隣を窺うと、綾小路は悔しそうに表情を歪めて拳を握りしめていた。
校長は驚いた様子で目を見開いていたが、すぐに気を取り直して言った。
「綾小路さん、何かいけないことがあったのかね?」
心優しい校長は、そう穏やかに尋ねた。すると綾小路は驚いたことに、怒りの形相で校長を睨みつけた。
「なぜ、姫宮兄弟は同時入賞なのでしょうか。賞は二つだと決まっているはずです。どちらかが入賞したのであれば納得できますが、どちらもというのは納得できませんわ」
それは、至極真っ当な意見であったと言えるだろう。
しかし、審査委員の教師陣からして見れば、それは到底許せることではなかった。
『……確かに、綾小路さんの言う通り、この美術部枠は二つだけです。……だからこそ、姫宮兄弟の賞状は一枚だけなのです』
校長はこの場の全員に聴こえるように、マイクを通してそう言った。それでも綾小路は納得できなかったようだ。
「ですが、姫宮兄弟の作品は全く別ものではありませんか! いくら同じ風景を描いたからと言っても、同じ作品扱いになるはずがありませんわ!」
流石は綾小路(姉)。冷静さを欠いていてもここまで正論が言えるのであれば、もう少し場をわきまえてほしいものだ。
「……綾小路さん。そんなに納得いかないなら、見せてあげるよ。僕たちの最高傑作を!」
兄貴はショック療法という名の暴挙(?)に出た。
本来は表彰された後に作品は公開されるのだが、兄貴は綾小路を納得させるために、早々に布を取り去った。同時にスクリーンに俺たちの作品が映しだされる。するとすぐに、
「な、何ですかそれは!?」
綾小路はそう驚きの声をあげた。流石は腐っても芸術家の卵。一目見ただけで気づけたのは見事だな。
ところが他の生徒たちは全く理解できてないでいた。
俺は改めて、俺たちの作品の¨完成形¨をじっくりと眺めた。
この作品のタイトルは『上から見た小さな世界』だ。兄貴が命名した。タイトル通りこの作品は、俺たちがいつも屋上から眺めている小さな世界、つまり中庭を描いたものだ。
俺たちは何も特別なものを描く気はなかった。ただ、¨俺たちの日常¨を客観的に描いた。それだけのことだった。
屋上のフェンス越しに見える中庭には、生徒たちは各々のグループを作って談笑し、時には鬼ごっこをして走り回っていたりする生徒たちがたくさんいた。俺たちは、上から見てもありありと分かるその様子を、色鉛筆ならではの細かく繊細な線と色使いで表現している。
もちろんど真ん中にたたずむ立派な紅葉の木も忘れてはいない。だが当然ながら、生い茂る赤い紅葉の葉しか描いていない。空もない。ついでと言ってはなんだが、真剣に絵を描く綾小路姉妹も小さく描かれていたりもする。
……だが、これだけなら、綾小路は大して驚くことはなかっただろう。この絵にどんな驚くべき要素があったのか。この絵がなぜ合作として認定されたのか。
それは俺たちの、ある¨秘策¨が関係していた。
「何でそんなに大きいんですか!? まさか繋ぎ合わせたんじゃ……」
「大正解。僕たちは、二人でこの絵を描いたんだよ」
「う、嘘ですわ! だって、貴方たちは別々に描いていたではありませんか!?」
なんだ、ちゃんと見てたんだな。
俺は心の中で、ほんの少しだけ綾小路に感心した。
「確かに、僕たちは別々にこの絵を描いたわけなんだけど……。ねえ、一夜」
「……」
俺にふるな俺に。
兄貴は今さら何をためらったのか、俺に助け(?)を求めるように呼びかけてきた。俺は仕方がなく、大きな溜め息をついて口を開いた。
「……正面から見て左側が兄貴、右側が俺の描いた絵だ。俺たちは別々にそれらの絵を完成させ、それから繋ぎ合わせて合作とした。……それだけだ」
「そうそう! そう言いたかったんだよ僕は!」
簡潔にそう説明した俺に、兄貴は嬉しそうに何度も頷きながら同意した。
一方の綾小路は唖然としていたが、すぐに気を取り直してまた俺たち……なぜか特に俺を強く睨んだ。
……最近気づいたんだが、綾小路(姉)は兄貴よりも俺に対して強い敵対心を持っているようだ。……理由は心当たりがあり過ぎて何とも言えない。
「……そ、そんなことができるわけありませんわ!! 仮に、本当にその絵を貴方たちが別々に描いたのだとしても、まるでパズルのピースを組み合わせるかのように、寸分の狂いもなく合わせることなど「できる」」
早口でまくし立てる綾小路の言葉を遮り、兄貴は真剣な表情で言った。
「君たちの常識だと、確かにありえないことかもしれない。でも、現実にそれが存在している以上、これはありえないことじゃないよ」
「……っ!」
兄貴の言葉に、綾小路は黙りこんだ。それは実質上の、敗北宣言だった。
『……えー、少々揉め事がありましたが、とりあえず、式を再開したいと思います』
校長は丸々とした顔に汗を滲ませながら、気を取り直すようにそう言った。すると突然、
「……あ」
兄貴が何か重大なことを思い出したかのように、焦りを含んだ声を小さくあげた。それに気づいた綾小路と校長、そして俺も、一斉に兄貴を見た。
兄貴は慌てた様子で、情けない表情を浮かべながら、こう言った。
「ここって、ステージの上だったんだっけ……」
どうやら兄貴は、人前であんな馬鹿なことをしてしまったことに今さら気づいたらしい。
「……一夜。僕、恥ずかし過ぎて死にそう」
「知るか馬鹿」
兄貴はやっぱり馬鹿だった。
***
「――どうして貴方たちは、あんなことができたのですか?」
翌朝。教室前で俺たちを待ち伏せしていた綾小路(姉)は、開口一番にそう聞いた。
見た感じ、かなり立ち直っているように見えるが、その隣にいる妹のほうは殺気立って俺たち(特に俺)を睨んでいた。
……なぜ姉妹揃って俺を目の敵にするんだ。
「どうしてって……双子だからじゃないかな?」
兄貴は困ったように頭を掻きながら、苦笑して答えた。
「双子って、元々は一人だったのが、二人に分かれただけなんだよね。だから、僕たちは二人だけど、一心同体なんだよ。魂が繋がってるって感じ。君たちも、双子なんだから、そういうふうに思うことがあるんじゃないの?」
兄貴の返しに、綾小路姉妹は互いに顔を見合わせた。
「昨日のあの絵は、僕たち兄弟が一心同体であるということを暗に示していたんだ。僕たちは外見も性格も、全く違うように見られて、ちゃんと双子だって認識してもらえないから、ね」
兄貴のその寂しげな表情を見て、綾小路(姉)は溜め息をついてこう言った。
「……そんなことはないと思いますわ」
「……え?」
綾小路の言葉に、兄貴は驚いた様子で目を見開いた。
「貴方たちは正真正銘、双子の兄弟ですわ。きっと、誰から見ても、そう思うと思います。わたくしたち姉妹とは少し違いますが、それでも、貴方たちは双子です」
「……!」
その言葉を聞いて、兄貴は表情を輝かせた。
「綾小路さん!!」
「な、なんですか」
突然、兄貴は何を思ったか、綾小路(姉)に歩み寄って、その両手を掴んだ。
その瞬間、俺たちに注目していた外野が一斉にどよめいた。兄貴のファン(?)とおぼしき女子たちからは、小さく悲鳴があがった。
綾小路は驚きすぎて顔を真っ赤にし、そのまま固まってしまった。ところが兄貴は、全くそんなことに気づいていない様子でこう言った。
「僕、綾小路さんのこと誤解してた! 本当はすっごく優しい女の子だったんだね!」
「え、ちょ、あの……」
「僕、綾小路さんたちの絵が好きだよ。だって、僕たちの色鉛筆画じゃ難しい、力強い色彩が凄くきれいなんだもん! これからも、僕たちのいいライバルでいてね!!」
「……」
兄貴はそこまで言うと、手を離して輝くばかりの笑顔を浮かべた。
「それじゃ、また放課後にね!」
「……っ!」
そう言ってニコニコと手を振る兄貴を見て、綾小路(姉)は卒倒した。それを慌てて妹が支えた。
するとなぜか、妹の美波は俺を睨んで……というか、呆れたような目で俺にこう言った。
「貴方の兄さん、天然タラシ?」
「……父親が王子だからな」
「なるほど」
訳が分からない様子の兄貴。顔を真っ赤にしてショートしている綾小路(姉)。そして呆れかえる俺と綾小路(妹)。この面子を前にして、最後に声を発したのは、意外な人物だった。
「え、これで一件落着なのか?」
クラスメイトの藤野のこの一言で、この場はしんと静まり返った――
第6章終わり