第23話 とある双子の真相
俺たちは隣の山下さん宅のみに聞き込みをして帰宅した。
兄貴は不安げな表情をしているが、俺自身には全く不安などない。俺の推測は当たっていると、確信しているからだ。
俺たちが早々と帰宅すると、父さんは驚き過ぎて椅子から転げ落ちそうになっていた。
……間抜けだな。
「お、お前ら、もう帰ってきたのか!?」
「うん。一夜は持ち主分かったらしいよ」
「本当に!?」
父さんは疑わしげな目で俺を見た。そんな父さんに、俺は無言で頷いた。
「……そうか。じゃあ信じるよ。俺の息子なんだから、俺が信じてやらなきゃな」
――親の鑑だな。
俺は何となくそう思った。
「あ、そうそう、これだけは聞いておこうと思ってたんだが……」
父さんはふと思い出したかのように、そう切り出した。妙にそわそわして落ち着きがないところが目に余るな。
「結局、そのぬいぐるみは、俺が拾ってきたのか?」
父さんはどこか緊張した面持ちでそう聞いた。確かに、それは父さんにとっては死活問題だろうな。
「そういえば、確かにそれは気になるよねー」
兄貴も緊張感ゼロではあるが、父さんに同意した。その目は好奇心で輝いている。
「……家の中に持ち込んだのは、父さんだ」
俺は簡潔に答えた。すると、兄貴と父さんは同時にうなだれた。父さんなんか、悲壮感がヤバい。
「そっか……そうなのか……後で持ち主に謝りに行かなきゃな……」
「父さん、ドンマイ。謝りに行く時は僕も一緒に行ってあげるから!」
「千夜ー! お前はいい子だなー!」
――馬鹿か。
馬鹿らしいやり取りを始めた馬鹿親子に、俺は正直勘弁してくれ、とでも言いたくなった。そもそも、俺の回答はまだ終わっていない。
「――父さんは拾ってはいねえよ」
父「え」
千夜「はあ?」
兄貴と父さんは、馬鹿なやり取りをやめて、驚き過ぎて固まった顔を俺に向けた。
「ちょっと待ってよ。それって矛盾してるんじゃないの?」
「どこがだ」
「いやだって……。父さんは拾ってないけど持ち込んだって、矛盾してるじゃないか」
「どこも矛盾なんかしてねえよ」
兄貴は俺の説明に頭がこんがらがったのか、訳が分からないとでも言いたげな表情で考え込み始めた。父さんはというと、思考が追いつかないのか、呆然としていた。
「父さんはそのぬいぐるみを拾ってはいない。だが、家の中には持ち込んだ。それだけだ」
「いやいや、意味分かんないから!」
兄貴は若干キレ気味にそう言ったが、無視した。
「真相が知りたければ、夕方まで待つことだ」
俺は最後にそう言って、二階の自室に戻った。後ろから兄貴がうるさく色々言っていたが、それも無視した。
――とりあえず、¨来週¨の対策プランを練るとするか……。
夕方までの俺のすべきことは決まった。
***
とうとう夕方になった。時刻は五時半過ぎ。夕日が沈み始める頃合いだ。
俺が¨来週¨の対策プランを練り終わって、一階のリビングに下りて行くと、悲壮感を漂わせながらテーブルを挟んで向かい合う、兄貴と父さんの姿があった。
……そこまで緊張するのかよ。
俺は呆れながらも、いつもの場所に無言で座った。兄貴と父さんはチラッと俺を見たが、結局何も言わなかった。
そうして三人で無言でいると、外から車のエンジン音が近づいてきて、うちの駐車場にとまった。
母さんが帰ってきた――
すると兄貴は半ば諦めモードで溜め息をつき、父さんはがっくりと肩を落としてテーブルに突っ伏した。
外からは車のドアを開け閉めする音が聴こえる。あと一分もせずに、母さんは玄関にたどり着き、カギを開けて静かに家に入るだろう。
俺たちの間に、緊張が走った。母さんがガチャッとドアのカギを開ける音が、いやに響いたからだ。
次いでドアが開き、閉められ、靴を脱ぐ音が聴こえる。母さんがこのリビングに顔を出すまで、あと十秒足らず――
「――ただいま帰りました」
家族に対する口調とはかけ離れた、無駄に丁寧な挨拶が聴こえた。
リビングのドアを開けて、そこに立っているのは、俺たちの母親であり、俺たち三人がある意味最も恐れる存在――姫宮かぐやである。
母さんは一般的に見て、かなりの美人だ。腰まである真っ黒のサラサラストレートヘアに、真っ黒な黒曜石のような瞳。色白だが、決して不健康ではない程度に頬に赤みがある。身長は160cmあるかないかで華奢ではあるが、見た目に反して空手・柔道五段のとんでもない猛者。
特筆すべき特徴は、その表情と性格だ。俺が言うのはなんだが、母さんは常に鉄壁のポーカーフェイスを貫いている。全く表情が変わらない。母さんの笑顔など、数えるほどしか見たことがない。
それに加えて、その超絶クールで冷静沈着な性格。母さんが取り乱したところなど、俺も兄貴も見たことがない。常に敬語で、抑揚のない、まるで人形のような女性――それが俺たちの母親姫宮かぐやなのだ。
母さんはリビングに入るなり、いつもの丁寧過ぎる挨拶をしたのだが、俺たち三人(特に父さん)が顔をひきつらせているのを見ると、途端に深い溜め息をついた。
「今度は、何をしでかしたんですか。冬夜さん」
「い、いや、その……何て言えばいいんだろうな……あはは……」
なんとも情けない父親である。どれだけ妻に尻にひかれているのかが、ありありと分かる。
母さんは父さんから話を聞くことを諦めたのか、今度は兄貴に視線を移した。そして簡潔にこう言った。
「千夜、分かるように説明して下さい」
「……はい」
兄貴は珍しいぐらいに真剣な表情で、若干怯えの含んだ声でそう返事した。
「えっと……実は朝起きたら、父さんが寝てたソファーの傍に、このよく分からないぬいぐるみが落ちてて……父さんが持ち込んだみたいなんだけど、肝心の持ち主が分からないんだよね……」
兄貴例の謎のぬいぐるみを母さんに見せながら説明した。最後には乾いた笑いをこぼしている。そこまで怯えることないだろうに……。
母さんはというと、兄貴の説明を聞いて、二回目の深い溜め息をこぼした。その表情は、呆れてものが言えない、と語っていた。
「……馬鹿ですね」
ボソッと、母さんはそう呟いた。その呟きに反応して、兄貴と父さんはビクッと肩を震わせた。
母さんはそんな二人に目もくれず、兄貴の方に……正確に言えば、兄貴の手にあるぬいぐるみに歩み寄ってきた。そして、兄貴から優しく(?)ぬいぐるみを奪いとると、ぬいぐるみを抱き締めた。
――抱き締めた?
「――このぬいぐるみは、私のものです。小学校に上がるぐらいの時に、祖母が作ってくれました」
父「へっ?」
千夜「え、嘘!?」
兄貴と父さんは驚きの声をあげた。それに対して俺は、自分の推測は間違っていなかったということを確信した。
「……一夜! 君は分かってたの? このぬいぐるみが母さんのものだって」
「ああ」
「何で!? 何で分かったの!?」
兄貴は俺に掴みかからんばかりに聞いた。その目は、飽くなき好奇心に支配されていた。
「最初に疑ったのは、洗剤の匂いと、何十年も前に作られたと分かった時だ。洗剤の匂いは母さんの実家と同じだった」
「それだけ!?」
「もう一つ、母さんの婆ちゃん……つまり俺たちにとっての曾婆ちゃんだな。曾婆ちゃんの遺品を俺は一度だけ見たことがある。似たようなパッチワークのぬいぐるみがたくさん残ってたよ」
俺がそこまで言うと、兄貴は唖然として、目を見開いていた。父さんも同じ反応だったが、母さんだけは表情を変えずに黙って聞いていた。
「じゃ、じゃあ、父さんに近づいてた黒い影は!?」
「それはどう考えても母さんだ。今の母さんの服装をよく見ろよ」
俺に促されて、兄貴と父さんは改めて母さんをよく見た。
母さんは、全身真っ黒のスーツ姿だった。黒以外の部分は素肌以外にない。
兄貴は母さんの服装を確認したところで、また視線を俺に戻した。
「じゃあ、母さんは帰って来てたってこと? 何で?」
「さあな。俺の推測じゃ、婆ちゃんに呼ばれて実家に一旦帰ってたんじゃないのか? 出張先は確か実家の近くだっただろ? その時にたまたまこいつ(ぬいぐるみ)を見つけて、持って帰って来たんだろ」
「……その通りです。よく分かりましたね。偉いです」
母さんは抑揚のない声で肯定すると、なぜか俺の頭を撫でた。
――ガキじゃねえんだからやめろよ。
俺は顔をしかめて、軽く母さんの手を振り払った。しかし、母さんは特に気にもとめていない様子だった。
「一夜の言う通り、私はたまたま出張先が実家に近かったので、少しだけ寄ってみたんです。そしたら母がちょうど、このぬいぐるみを洗濯していたんです。私が見つけた時にはすでに乾いていたので、思い出の品として持ち帰らせていただきました」
「なら、何でそいつがソファーの傍に落ちてたんだよ」
父さんがそう聞くと、母さんはそんなことは大したことではない、とでも言いたげな表情をした。
「実家から帰る途中に、私は家に忘れ物をしたことに気付きました。仕方がなく家に帰ると、酔いつぶれてフラフラな冬夜さんが門前にいたんです。それで、私は冬夜に肩を貸して家に入りました」
母さんがそこまで言うと、兄貴は心底呆れた表情で父さんを睨んだ。母さんはまだ話を続けた。
「その際に、私はぬいぐるみが邪魔になって、冬夜さんのパーカーのフードに入れたんです」
父「え」
「私は結局そのままにして、冬夜さんをソファーに寝かせ、忘れ物を取ってまた家を出ていきました」
「……なあ、かぐや……それってつまり、俺は何にも悪くないんだよな?」
ことの真相が分かると、父さんはひきつった笑いを浮かべながら、そう確認した。母さんはそんな父さんを見て、呆れた表情でそれに答えた。
「……私は一度も貴方が悪いとは申し上げていません。……ですが強いて申し上げるなら、貴方が家の前で酔いつぶれていたことは、非常に恥ずかしいことだというのはお分かりいただけますよね?」
「……はい……申し訳ありませんでした」
母さんの容赦ない毒舌に、父さんはうなだれて謝った。母さんは三度目の溜め息をついた。
「あ、そうだ。父さん、僕たちとの約束、忘れてないよね?」
「げっ」
突然兄貴は、落ち込む父さんにとどめの一言を口にした。ある意味流石だな、兄貴。これで来週の¨アレ¨は何とかなるだろう。
「約束とは、何ですか?」
俺たちが父さんと交わした約束を知らない母さんは、若干不思議そうに首を傾げた。すると兄貴は、嬉しそうな満面の笑みを浮かべて答えた。
「実はね、そのぬいぐるみの持ち主を見つけたら、僕たちに新しい水彩色鉛筆を買ってくれるって父さんが約束してくれたんだよ!」
「まあ、そうでしたか。それは良かったですね」
母さんは父さんが逃げられないように、釘を刺すようにそう言った。父さんはますますうなだれた。
「ねえねえ、母さん、聞き忘れてたんだけどさ……」
「何ですか?」
「そのぬいぐるみって、一体何の動物なの? ネズミ?」
兄貴の質問に、父さんははっとして勢いよく顔を上げた。きっと相当気になっていたのだろう。父さんの目は、兄貴と同じくらい好奇心で輝いている。
母さんは兄貴の言葉に、少し気分を害した様子でムッとした。が、すぐに答えた。
「キツネです」
第5章終わり