7.仕掛けも必要と言われたところ
ジュダンとグラッパリエが着いたその日のうちに、全てのものを用意し、早朝にジュダンには出発して貰うことにした。この後の話し合いは、グラッパリエと詰めればいいので、ジュダンは城下に帰るため、テラスに出る。帰りもやっぱりそこからなのかと、苦笑していると、「うわっ」と小さな悲鳴が上がった。
まさかと、慌てて、ジュダンの後を追ってテラスに出ると、その頭の上にいつもの小鳥がちょこんと乗っかっていた。
「え?」
なにが起こっているのか分からなくて、呆然としていると、小鳥は、何も言わずに、ジュダンの肩に移動する。これは、ジュダンとあの子が一緒に行動するって事なのかな? 確かにその方が楽ではあるけれど。良いのかなと見つめていると。
「なんか、小鳥連れてるとか良い感じだな」
ジュダンが非常に喜んでいた。いや、何も考えてませんね。あなた。しかも、何か考えているとは思ってないですけど。そう言う行動全て。そのわりに、押さえるところはきちんと押さえてくるから、この男の頭の中身がどうなっているのか、気になるところだ。
「姫さん。じっと見たってなんもでないよー」
クスクスと、ジュダンが笑う。少しだけぞっとするような深い笑み。あまり見たことのないその顔に、ああ、そう言うことかと、私が笑み返すと、ジュダンは何時ものように笑った。無血の英雄ジュダンの顔で。
「んじゃあ、行ってくる。姫さんもびっくりするような情報仕入れてきてやるよ」
そう言って、飛び出そうとするジュダンを私は呼び止めた。
「待って。もう一種類出すわ。通行証。だから、後、一時間ほど待って」
そうだ。この男を存分に使うつもりであるのなら、通行証は、二種類必要だ。もう一種類は、堂々と王家のお墨付きでも良いが、やはり、ここはグラッパリエに頼もう。
「グラッパリエ」
「ああ。そう言うことか。良いよ」
私が何を考えているのかをすぐに察したグラッパリエがにっこりと笑った。
通行証を作るのに必要な準備と通達、抜け道はどうしたものだろうかと、考えていたところに、小鳥が私の目の前にやってきた。
『あ。もしかして、見付からないルート、ある?』
その仕種に、私は小鳥に訪ねた。すると、小鳥は、可愛らしく小首を傾げながら、『うん。ジュダンなら通れるよ』と、言ってくれた。その言い方からして、ジュダンでなければ通れないような気もするが、ジュダンが通れればいいのだから、気にすることはない。
『それなら助かる。道案内お願い出来る?』
『うん』
そう言ってくれたので、ジュダンが二重にムディランに潜入することは出来る。なんだか、妙にとんとん拍子に進むのが、逆に不安になったりとか、そんなことをちらりと考えて小鳥を見る。けれど、小鳥は、すぐにジュダンのところに戻ってしまった。
気にはなるが、でも、私の不利益になることはしないという、妙な安心感があるので、気にしないことにした。小鳥に裏切られたら、本当、しばらく立ち直れない。
「ジュダン。通り道は小鳥が教えてくれるみたいだから、頼むわね」
ジュダンにそう言うと、やっぱりなにをさせるつもりが分かっているらしいようで、げんなりとした顔をして、「へいへい」と、大変やる気のない返事を返してくれた。
全ての準備を終えた頃には、夕食の時間になっていた。
ジュダンにここに運ばせるから食べるかと聞いたが、やはり、既に捕まって、宿屋で宴会が決まっているとのことで、ジュダンは小鳥を肩に載せたまま入ってきたテラスから戻っていった。
とりあえず、後で警邏に廻っているものにジュダンを通したのかを聞いた後、警備体制の見直しをさせよう。まあ、ジュダンだからと思いたいが、こうも簡単に侵入されてしまうのでは、警備に問題があるのは確かだろう。
ジュダンにどうやって警備を抜けたのか聞き出したいところではあるが、それはそれでジュダンにとっては話したくない類かもしれない。それを無理矢理聞き出すのもどうかと思い、その件に関しては保留にする。
「リィリア。ジュダンに警備を突破されたのを気にしておるのか?」
「ええ。さすがに、ちょっとね」
あまりにもあっけなく警備の隙を突いている気がして、気になってしまうのだ。
「あれは、私のところもふらりとやってくるゆえ、警備だけの問題でもないかもしれぬよ」
そう言ってグラッパリエは笑った。グラッパリエのところにふらりと。それは、確かに、警備だけの問題ではないのかもしれない。何よりグラッパリエのところは、城塞都市と言われており、都市に入ること自体も難しいのだ。さらに、グラッパリエの居住場所は、掘りのある場所から垂直に延びた壁があるその上になるのだから。
「まあ、だからこそ、あやつはジュダンなのだよ」
ふらりと本当に根無し草のよう。そう考えたら、シャルトアの従者をやっている男がたいそう憐れな気がした。けれども、言い換えれば、あのシャルトアがそばに置いている従者であるとも言えるのか。
「気にはなるので、レイ兄様とクー兄様に侵入者役をやって貰います」
にっこり笑って私がそう言うと、グラッパリエは苦笑していた。
「それは、早くこの件を片付けてしまわないとならんの」
「ええ。とっとと暴いてしまいましょう。ガルエル様の秘密を」
グラッパリエが滞在出来るのは、三日ほどだ。食事を取ったら、すぐにでも、グラッパリエと話をはじめよう。
夕食を取れば結構な時間になってしまった。すぐにでも話し合いたいと思っていたけれど、さすがにグラッパリエも長旅で疲れているだろうし、今日のところは、諦めよう。
「さて、リィリア。話をしようかの」
気を回して断わろうと思っていた私を気にせず、グラッパリエはまったく疲れた様子もなく、そう言った。
「えっ。でも、疲れているだろうし」
私が言葉を濁していると、グラッパリエは優しく笑う。
「小細工を考えるのは明日にしよう。ただ、眠るまでの間に一人で考えるのも良いと思っての」
確かに、一人で情報を整理する時間は欲しいか。そう考えて、私は、グラッパリエに椅子を勧めると、お茶を淹れる。お茶菓子には、軽いものを置くと、グラッパリエに今まで私が仕入れたガルエル王子の情報を羅列していく。
「レイ兄様の話だと、大人しい感じの方らしいのよね」
あまり高圧的な態度をとるタイプではなかったというのが、レイ兄様の印象らしい。もっとも、レイ兄様は、スー兄様と違って、自分の興味のないことと、必要のないことは、記憶しない質であるので、あまり信用は出来ない。
「偽物であるという可能性は?」
グラッパリエは、影武者なりを連れてきているのではと言う指摘をしたが、それは簡単に覆せる事柄だ。
「理由がないわ」
別に、命を狙われているわけではない。確かに、ムディランには、まだ王子がいるから、クーデターを企てるという可能性はなくはない。けれども、兄弟仲が悪かったという話しは聞いたことがない。となれば、その可能性は低いだろう。ムディランはうちのように臣下に後れを取るような王ではない。
「そうなると、何か目的があって、そう言う演技をしておるというわけになるかの」
「それこそ何のため?」
あんなつんけんした態度をとる理由が分からない。ガルエル王子には、最初からあまりいい印象を持てなくなっているのは、あの態度のせいなんだけれど、それで、メリットが果たしてあるんだろうか。
「まあ、たとえばの話。リィリアの気を引くため。とかの」
「逆効果ですね。思い切り」
私の性格を読み間違っている選択肢だ。それとも、その方が何かと好都合であるのだろうか。分からない。
「他にも気になっていることがあるのだろ」
意味深に笑うグラッパリエに、私は思わず苦笑を返した。さて、何処まで話した物か。話しにくい事柄であるし、出来れば話したくない事柄である。さて、話すことによるメリットとデメリット、どちらが高くつくか。
「グラッパリエは、自然物に声があると思う?」
いや、一番気になっているのは、それをグラッパリエが知ることによって起こりうる偏見だな。グラッパリエはどう思うだろう。鳥の声が聞こえるとか、樹木の声が分かるとか聞いたら。それが私は怖いんだ。
「のう、リィリア。聞こえぬもの、理解出来ぬものをないというのは愚かなことだと思っておるよ。それでは答えにならぬかの」
私の表情を読んで、グラッパリエはこれ以上はないと言うほどに慎重に言葉を選んで私に答えてくれた。やはり、グラッパリエには負ける。色々とあって、二重に記憶を持っているのだと言った時にも、驚くことはなかった。
「一つだけ、仮説があるの」
あの時思いついた、たった一つだけ思い当たるもの。私のこの要らない力のせいだと考えると、妙にしっくりと嵌るのだ。樹木信仰という一点に関してだけは。
私が言葉を選びながら話をすれば、グラッパリエは、静かに頷きながら話を聞いてくれていた。
「私は、木々の声が聞こえるの。それをどうやって、ムディランが知ったのかは分からないけれど、もし、それを知っているのだとすれば、目的は、その、巨木の声を聞くためなんだと思う」
そう。今まで誰にも言ったことはない。誰も知らないはずの私の秘密。何かあるだろうことは皆知っていても、まさかそれがこんな荒唐無稽なものだったとは、思いも寄らないだろう。むしろそんなものだと思う方が頭がどうかしていると言わざるを得ない。
「確かに、話の筋としては、通っておるの」
けれども、グラッパリエは、私のその言葉にまったく動じた様子もなく、ただ、現状と照らし合わせただけの言葉を告げた。
「グラッパリエ」
そう言って椅子から立ち上がると、ぎゅうっと彼女を抱き締める。
「苦しいよ。リィリア」
抱きつく私に、グラッパリエは苦笑を浮かべながらそう言った。だって、嬉しいとか感謝とか、もうごちゃごちゃになってしまったこの感情を伝えるには、こうするくらいしか思いつかないんだからしょうがない。
「グラッパリエが男だったら、迷わずお嫁に行ったのに」
「レイガウス様とクウレウス様に殺されたくはないのう」
確かに、グラッパリエは家臣だし、うっかりと装ってやりかねない。
「そうなったら、私が兄様方にそんなことさせるわけがないわ」
自信たっぷりにそう言うと、グラッパリエが笑った。
「相変らず、リィリアは頼もしいの」
「そりゃあ、生まれてからずっと兄様方とは付き合ってますから」
したり顔でそう言えば、とうとうグラッパリエは声を上げて笑い出す。私も、つられて一緒に笑って、今日のところはこの辺でと、グラッパリエは、用意してある部屋へと戻っていく。
ここに来て、事態はどんどんと動いてきている気がする。私が動いただけでこれほど転がっていくというのも、どうにも妙な運命じみたものを感じてしまって嫌な感じだ。何を考えているのか分からないガルエル王子。ムディランの巨木。
ガルエル王子に関しては、明日グラッパリエと話をして、対処法を考えよう。巨木に関しては、ジュダンの報告待ちになるだろう。
「なるべく平穏に事が終わりますように」
誰にともなくそう祈るが、私の祈りは悲しいかな、何処に届くこともなかった。
翌日は、午前中いっぱい、ガルエル王子と他愛のないおしゃべりなどして、昼になったところで、すぐに自室に引っ込んだ。
ここまでくると、私はどうして自分に病弱設定を付けておかなかったのだろうかと、後悔しきりだ。目眩が、などと言って、簡単に引っ込んでこれる病弱設定ほど現在の私に必要な物はないだろう。
ただ、その設定を駆使するには、十年前くらいまで遡らないと無理だという事だ。もしくは、今から大病を患うか。どちらも非現実的すぎて、却下どころか、論議の議題に挙げるのもばかばかしい。
「どうしよう」
いつもの癖でテラスに行くが、今はいつもの小鳥はいない。愚痴を聞いてくれていたあの存在はとても貴重だったと、今更ながらに思い知る。
恋愛ごとは苦手だ。彼女がいれば、彼女のことだけ見て、それら全てに蓋をすることが出来た。けれど、今はもう、彼女はいない。
「こう考えると、その存在に助けられていたって、結構大きいわね」
大きな溜息を吐くと、私はグラッパリエを向かえるために、お茶の用意をし始めることにした。
程なくして、グラッパリエが部屋に訊ねてくると、何時ものようにお茶菓子を並べ、お茶を注ぎ、しばらくは他愛のない会話をする。
いくら、企み事のために呼んだとは言えだ、数少ない友達との会話くらい楽しみたいと思っても罰は当らないだろう。
そうしてしばらくして、グラッパリエは話題を変えた。
「あの後考えてみたのだけれどのう」
どうにも言い辛そうなグラッパリエの言葉に、私はだいたいの言葉を予想する。
「やはり、リィリアに好かれようとしているのではないかと思うのだよ」
完全完璧に裏目に出てはいるが、性格を変えてまでなんとかしたいと思うほどに、私に好かれた上でムディランに帰りたいと考えているという方が状況に説明が付くのだと、グラッパリエは言う。
確かに、もしも、巨木の声を聞けとか言うのであれば、そこそこの友好的な関係を作るのが正解ではある。その上で、男女間であれば、恋人同士、とくに自分に惚れさせた状態であるならば、もっとも望ましい。
なぜなら、私が聞いた言葉を正しく伝えないという可能性があるからだ。
そう考えると、私を陥落させるというのは、一つの手段となってくる。すると、あの思わせぶりな態度や何かは、私が二重生活をしているのを知っているのではなく、ただ単に、もっと親密な仲になりたいというストレートなお誘いだったという事か。
秘密がありすぎて勘ぐりすぎたという可能性を見出し、私は大きく溜息を吐いた。
「確かにグラッパリエの言う事の方が正しいかも」
やはり、冷静な第三者の目は必要だ。私一人であったなら、絶対にこの答えには結びつかなかった。
「だからの。むしろ、リィリアが誘ってみたらどうかと思うのだがのう」
ニコニコと、実に楽しそうにグラッパリエは言う。
「はい?」
一瞬何を言われているのか、脳が処理を拒否した。いやちょっと待って。今までの話の流れでどうして私が誘うという結論に達することになる。そもそも、私が色仕掛けとかあり得ない。いや、その前にやりたくない。
「リィリア。犠牲を払わずして得られるモノもないゆえのう」
相変らずグラッパリエは痛いところを突いてくる。分かっている。受け身で得られる情報など少ないことくらい。けれど、それとこれとはまた別なんじゃないかなと、思いたい。
「相手は、表向き、打算にしろ、リィリアの心を欲しておるのだろう。なら、相手の心を奪いに行く方が面白いと思うのだけれどのう」
実に。本当に悔しいけれど、忌々しいほどに実に嬉しそうにグラッパリエは笑った。
そして、なにゆえそこまで忌々しいのかと言えば。ちょっと面白そうかもと思った自分であった。
「でも、役者不足だと思う」
だいたい、誰かを陥れようと思ったり、色仕掛けをしてみたりしたことはない。罠を張って、暴くことはするけれど、それは別に相手を貶めるためではないし。
「なに。たいしたことをする必要などないよ。リィリアがマリルリイ様にするような態度を取ればよいだけのこと」
微笑んでグラッパリエはそう言った。
「マリ姉様にするような?」
けれど、意識して誰かに対する態度をとるというのは、実に難しい。思い返しても、マリ姉様にどういう風に接しているのか思い出せない。
「気が付いておらなんだか? マリルリイ様と話す時は、リィリアはかなり甘えているように見受けられるのだがのう」
甘えているというか、かなり気を抜いてはいるかもしれない。マリ姉様は、たった一人の姉だし。兄様方よりは気易く話は出来る。時折兄様方より怖いけれど。けれど、甘えていると自覚しているのなら、むしろスー兄様の方だと思う。
「それなら、スー兄様に対しての方が甘えている気が」
「あれは、甘やかせてくれるから甘えられるのだろう」
グラッパリエの言葉に、思わず私は頷いてしまった。確かに、レイ兄様やクー兄様には、甘やかされすぎていて甘えられないが、スー兄様は、甘えても大丈夫と、密かに思っている節がある。
「ああ。確かに」
無意識で行っている行動というのは、他者に指摘されないと、往々にして気が付かないものだなあと、久々に思い知らされた。
「まあ、無理に、とは言えぬがの」
クスクスと笑うグラッパリエは、実に意地が悪い。やるやらないは確かに自由意志だけれど、やった方がよいだろう事をグラッパリエは分かっている。
「前向きに善処します」
私が諦めたようにそう言うと、グラッパリエは、コロコロと楽しそうに笑い声を上げた。
グラッパリエが帰り、その二日後、ジュダンがムディランに入ったという知らせを送ってきてくれた。これから王都に入るとのことで、早ければ、一週間ほどでとんぼ返りをしてくると言う。
「どういう身体能力してるのかしら」
脅威の進みの早さだ。何かずるでもしているのかと思えるが、多分それはないだろう。暗部に言ったら欲しがられるだろう。次期領主なので絶対にばらせないけれど。
「しかし」
小鳥の伝書の異常な早さはいったいどう説明が付くんだろう。いや、なんか、考えると嫌なところに落ちそうな気がするので気にしないことにしよう。そうしよう。
『ありがとう』
小鳥にお礼を言うと、私は、ジュダンにグラッパリエとともに思いついた仮説を軽く綴って渡す。詳しい話は省いてしまったので、小鳥でも十分に運べるものだ。手紙を足に括り付けると、小鳥はなにやらもの言いたげにこちらを見ている。
『どうしたの?』
『なんでもない』
けれども何かを含んだようなそのもの言いに、私は妙に不安をかき立てられた。
『でも、ムディランには行って欲しいって思うよ』
小鳥はそう言うと、あっという間に空へと羽ばたいて行ってしまう。
どうやら、ムディランには、王族とかそう言うものは関係なく、私自身に関わるものがあるようだ。
「面倒くさい」
思わず本音が突いて出て、私ははっと口元を手で覆う。平々凡々で良い。波瀾万丈なのも要らない。常々そう思い続けているのだけれど、どうやら世間は放って置いてはくれないらしく、私に持っている力を存分に行使しろと言いたいらしい。
まったくもって、忌々しいプレゼントだ。
溜息を一つ吐き、私は、仕方がないので、グラッパリエが残してくれた策をどうするかを考えるべく、部屋に戻ることにした。