17.天敵と激突したところ
ぼんやりと目を開けて、一番最初にしたのは、溜息を吐くこと。ああ本当に面倒くさいと言ったら。しかも怒りの矛先がないというのがとても精神衛生上悪いんですが、どう発散すればいいんでしょうかね。
「こんなところで、ぶつぶつと文句を言ったところで、仕方ありませんか」
文句を言ったところで、現状が変わるわけでなし。それよりも、これからどうなっても良いように、心構えだけはしておきますか。
「だいたい、一体何人候補者が来るのか」
少なくとも、ムディランの神殿関係者は来そうな気がする。後は、お母様の実家の方は、情報を何か仕入れていそうな気がしてならないし。精霊種の代表として、テュカが来たというなら、魔人と魔種からも一人ずつ来るんでしょうね。
魔人は、魔力の強い人が集まった突然変異系の種族だ。魔と言うけれど、この世界には、基本的に魔法という物はない。魔力という概念がどういう物なのかは、分からないけれど、精霊とはまた違う方面の力らしいと言った雰囲気だ。魔人は、魔種に近いが、精霊種が精霊でないのと同じくらいの隔たりはある。
たいして魔種は、精霊に非常に近い者と言うことらしい。精霊と魔種の決定的に違う点は、人と交わることがあると言うことだろうか。ただ、魔種は、その性質上、婚姻を結べば、他種族であっても、魔種に変化をすると言うことだろうか。当たり前で、子供は混血であっても、魔種しか生まれない。
「とりあえず、そう考えると、魔種は有り得ませんよね」
最悪、逃れられなくて婚姻となったとしても、人であることは、止めたくないと漠然と思う。
「考えてみれば、この所為だったのかも知れませんね」
駆け込み寺があれば、私は一も二もなく逃げ出していただろう。それこそ、その存在を知った瞬間に逃げ込んでいたと思う。だからこそ、そう言う逃げ場がここにはないんだろう。
何らかの答えを示すしかないというのもまた、酷い話ではあるけれど。
いつまでもベッドの上でぶつぶつと考えていても仕方ないですし、いい加減起きましょうか。テュカの様子も気になりますし。
そうしてやっとベッドから抜け出した私は、身支度を済ますと、まずはテュカの様子を見に行くことにした。
「リィリアっ」
姿を見かけた瞬間、テュカが突進してきた。待って。待ってください。テュカ。その勢いで突っ込まれると私、確実に吹っ飛びますよ。でも避けたら今度はテュカが壁に激突コースで。
どうしようか考えて、避けてテュカだけが壁に激突するなんて言うのは、論外だと、私は潔く覚悟を決めた。
「テュカ。リィリ姉様、殺す気?」
不意に響いた声に、私がきょとんとしていると、そこには、テュカの首根っこを掴んで無表情で立っているコーディがいる。どうやら激突は免れたみたいですね。良かった。
「離せっ。離してっ」
少しばかりその体は宙に浮いているようで、テュカはじたじたと足をばたつかせている。
「ありがとう。コーディ。でも、そろそろテュカを下ろしてあげてね」
苦笑を浮かべつつそう言えば、渋々と言った様子でコーディはテュカを下ろしてくれた。しかし、コーディ、暗部に入り浸りすぎなんではないか思いますよ。女の子らしくなく、力強くなってしまって。
「リィリ姉様」
愛らしくコーディは笑うと、私の腕を取って歩き出す。
「お腹が空きました。朝食を食べに行きましょう」
せかすように手を引かれ、私は、テュカを振り返りつつも、立ち止まることは許されず、半ば引きずられるようにして、食堂に連れて行かれることになった。マリ姉様と良い、みんな少し私に過保護すぎですよ。
食堂に行けば、既に皆食事を始めているようで、じっとこちらに視線が集中した。なんだかとってもいたたまれないんですが、一体今、私の状況ってどうなっているんでしょうか。それと、この視線とはかなり親密な関係がある気がして、私は落ち着かなく視線を彷徨わせた。
「おはようございます。遅れてごめんなさい」
私の言葉に、お父様がにっこりと笑って、「おはよう。リィリア。気にしなくて良いから座りなさい」と促され、私は自分の席へと向かう。椅子を引かれ、座ると、一瞬いやな沈黙が流れる。
ああ、なんだかとっても嫌な予感がするんですが、気のせいでしょうか。
「どうやら、テュカだけでは済みそうにもないようなんだ」
私が席に着き、食事が運ばれてくるまでの間に、スー兄様はそう言った。普段であれば、こんな込み入った話は食後にするのだけれど、どうやら、ゆっくりとしていられない事情が出来たようだ。
十中八九間違いなく、求婚の話なんでしょうね。私、南の塔に籠もっちゃダメですかね。
「今朝、ムディランの神殿から使者が来た」
「やっぱりですか」
まさか、精霊種の後すぐに神殿からとは思いませんでしたが。順番的には妥当ですか。とりあえず、約束をしてしまった手前、全員を追い返すことだけは出来ない。本当に面倒ばかりを。
ああ。グラッパリエに会いたい。もしくは三の姫様が遊びに来てくだされば、癒されるのに。マリ姉様とコーディは好きですけど、癒しではないんですよね。
「でも、おかげで、何が起こっているのかは分かったよ」
スー兄様は、なんだか恨みがましい目をお母様とお父様に向けているけれど、お母様とお父様は涼しい顔をしてお茶を飲んでいる。
「リィリが生まれた年に、神託があったらしいんだ。とある娘を娶った者が、この世の覇権も全て手にするだろうと。今までその娘の条件は告げられていなかったらしいんだけどね。それが先頃、公表されたらしい」
もしも、それを知っていたら、ムディランのあの騒動は、あんな風には決着は付かなかったのだろうなと、溜息を零す。
「その条件というのが」
「精霊の言葉を聞く娘ですか」
スー兄様の言葉を遮って私がそう言うと、スー兄様は、何か言いたげにしたが、静かに頷いた。
精霊の声を聞くというのであれば、神殿の巫女が健在だったとしても、私しかいない。神殿の巫女が聞くのは精霊樹の声だけだ。精霊樹も精霊と分類できなくもないとは思うが、精霊と言われれば、その言葉が指し示すのは、火、水、土、風の精霊だ。それと言葉を交わすのは私しかいない。少なくとも、今まで生きてきて、どれか一つの精霊でも、会話を交わすことが出来るのだと言う話を聞いたことがないのだ。
「そうだよ。これからもっとリィリに求婚する男は増えるだろうね」
食事前に聞きたい話ではなかったですね。なんだか食欲が失せる話題ですけど、これを避けて通るわけにも行かないのは確かですしね。
「では、食事が終わり次第、神殿の使者に会いに行った方が良いですね」
「あー。うん、そうだね」
どうにも曖昧な、スー兄様には珍しい歯切れの悪い返答に私は小さく首を傾げた。けれども、あの、神殿の使者だ。何が起こるか分からない。ここはしっかりと食事だけはしていった方が良い。お腹が空いて、気も漫ろでうっかりと失敗をするのむだけは避けなければ。
そう思っていたのだが、さすがはニーイル様と言うべきなのか。私は食事が終わって、使者という男に会って、ぐったりと疲れるのだった。
「久しぶりだな」
にいっと意地悪く笑ったのは、あの時、ガルエル王子付きの騎士として城に来ていた。
「リュク。でしたっけ?」
なんだか取り繕うのが大変ばからしくなって、私は思わず素の声を出していた。
「良く覚えてたな」
そりゃあ、あれだけガルエル王子を足蹴にしてましたしね。けれども、神殿からの人間であったのであれば、何となくあの態度も分からなくもない。
「まあ、確かに俺は神殿側だけどな。でも、だからガルエルにああいう態度を取れるって訳じゃないんだぜ。俺とあいつは乳兄弟なんだよ」
ああ。それで格下のはずのリュクにガルエル王子はいつも下手だったのか。確かに、兄弟同然で育ってきて、しかもずっとあの性格に付き合っていたのなら、ああならざるを得ないだろうなと、何となく納得できた。
「まあ、あらかた予想は付いてるんだろう」
確かに、予想は付いている。この男、リュクが来たのなら、それは使者ではない。
「俺が神殿からの求婚者だ」
不敵に笑うリュクに、本当にこの男は心底自分が優れていると言うことを理解している。ただ、それが万人に向くわけではないというのを完全には理解していないようだけど。
ニーイル様は、私がリュクみたいなタイプが苦手なのを知っているのだろう。だからわざとリュクにしたのだ。いざとなったとき、利用できるように。そして、気兼ねなく断れる相手として。
「安心しろ。ニーイル様から、世話になった、シュロスティアの姫を困らせるなと言われてるんでな」
その口ぶりからして、困らない程度のことはするという言葉にしか聞こえないんですが、本当にこの男、平気なんでしょうかね。
胡乱そうな瞳を向けていると、リュクは威嚇するように微笑んだ。
「ここに来たという時点でかなり迷惑ではあるんですけれどね」
それでも、約束を考えれば、無碍には出来ない。良いところを必死に一個見つける間に、嫌なところを百は見つけられそうな男なのだが。
「まあ、そう言うなって。恋なんてうっかりと落ちることだってあるわけだしな」
ああ。本当に、このご自慢の鼻っ柱をぽっきりと折ってしまってあげたいんですけれど、まだダメですかね。
「それを言うなら、アナタの方がうっかり私に入れあげてしまうと言うこともあるわけですね」
にっこりと笑ってそう切り返せば、一瞬リュクは目を見開く。
「ああ。さすが一筋縄でいかなかったお姫様だな」
面白くなりそうだと楽しげに笑うリュクを見て、私も同じように笑ってみせる。
元々合わないことは分かっていましたけど、私、今はっきりと理解しましたよ。この男は、私の天敵です。敵認定ですよ。
もうこうなったら、ニーイル様の思惑通り、上手く使って見せますよ。