15.獣人の少年と一悶着したところ
医師からの連絡を携えて、コーディが戻ってきた。
「命に別状はないって。ただ、お腹がすいて、疲れて寝ちゃったみたいって言ってた」
コーディの説明ではよく分からなかったんですけど、後ろで精霊たちが補足で説明をしてくれた。
『精霊種の多くは、命が危険になったとき、仮死状態に近いものになるんだ』
要は、疲労と空腹で、あの子供は、自分の命が危険だと思ってしまったと言うことですか。空腹はどうしようもないですが、疲労なら、もうしばらくすれば、目を覚ますでしょうね。
「食べ物を用意した方が良いみたいですね」
目を覚ましたときに、何か食べられるように、用意をしておくようにと、指示を出し、私は椅子に深く腰掛ける。スー兄様も大丈夫とは言っていたから、最悪だけは考えなくて良いとは思っていたけれど、本当に何事もないようで良かった。
「やっとほっと出来たみたいね」
そう言って苦笑すると、マリ姉様がいつの間にかお茶を入れ直して私に差し出してくれる。それを両手で受け取ると、私は少しだけぎこちない笑みを浮かべた。ほっとしすぎて、なんだか表情が上手く作れない。
「ほっとしたところ悪いけど、あの子供には色々と聞かなくちゃならない」
何をしにここまで獣人の子供が降りてきたのかと言うことは、確かに聞かなければならない。ここまで逃げてこなければならないような事態に陥ったのであれば、このままにはしておけない。
しばらくは身柄を拘束すると、暗に含めるスー兄様の言葉に、私は静かに頷いた。
あんな小さな子供が刺客や何かとは考えたくはないが、獣人である以上、可能性が全くないというわけではない。親からはぐれたり、赤ん坊の時に盗まれてしまった獣人の子供を仕込むというのは、ある話なのだ。
「分かっています。でも、あまり酷いことはしないでください。何があったとしても、やはり、子供は子供ですから」
もしもと言うことになったとしたら、こんなことを言っていられないというのも分かっているのだけれど、やはり、出来ることなら穏便に済ませたい。
もっとも、そんなことになるはずがないだろうなと言う、確信はある。もしも、あの子供が刺客などと言うことになっているのであれば、精霊が分からないはずがないのだ。それでも、何も言ってこないところを見れば、多分、別の思惑があるのだろうと、予測が付く。
ただ、ろくでもないのだろうなと言うことは、否めない。
「なんだか、別の意味で嫌な予感がしてならないんですけど」
二人に気づかれないように、私はぽつりとそうつぶやいた。
その後は、四人で、お茶を飲みながら、今後のことなどをゆっくりと話をしていた。
目を覚ました子供は、それはそれは飢えていたらしく、ものすごい勢いで食事をしていたらしい。あの小さな体のどこにあれだけの量が収まったのか分からないと、少しばかり青ざめた顔をして、スー兄様が教えてくれた。
食べたら安心したようで、また眠ってしまったらしく、事情を聞くのは、明日の朝目を覚ましてからだと言うと、スー兄様は苦笑を浮かべる。
「でも、あれだけ警戒心がないのなら、心配するようなことはないと思うよ。リィリ」
私を安心させるように、スー兄様はそう言って笑ってくれました。話を聞いていないため、決まった人間以外、獣人の子供には接触しないようにしているので、未だ私も目を開けたあの子供を見てないんですけど。
まあ、よく食べて、よく寝ているのであれば、少なくとも、体のことは心配しなくても良さそうですね。
「では、明日、スー兄様の許可が下りたら、あの子に会っても良いですか?」
無理矢理どうこうする気はないので、私は、スー兄様に許可を求めると、少しだけほっとした顔をして。
「いいよ」
と言ってくれた。
なんだか態度がとても気になりますけど、私、そんな無茶はしてないはずですよ。何かをするときは、きちんと話はしますし。
もっとも、こうすると決めたことは意地でも貫き通しはしますが。
「リィリ。自分は悪いことはしたこと無いような顔しない。だいたい、いつだって無茶ばかりして、その度に、皆がどれだけ心配してるか分かってるか?」
じっと睨まれ、私は視線を外して知らん振りを決め込んだ。だって、スー兄様。私でなければならない場面だったじゃないですか。全て。だから、私、これからも、しないなんて言いませんよ。私に出来ること、私にしか出来ないことがあるのなら、私は、これからだって、無茶でもなんでもしますので。
そう心の中で返事をすると、スー兄様は私が何を考えているのか分かったらしく、とても渋い顔をした。
けれども、言葉にしていない言葉に、文句は言えないらしく、結局の所、スー兄様は溜息を吐くに留めた。
翌日、お昼を回った頃、スー兄様がやってきた。
「リィリ。いいかい?」
遠慮がちにノックされ、響いたスー兄様の声に、私は違和感を感じて小さく首を傾げる。なにやら、思わぬ事態が起こった感じですが、緊急という感じでもないようですね。
「どうぞ」
入室を促すと、スー兄様が中に入ってきた。それから、言葉を探すようにして、溜息が漏れる。
なんだか、余程のことが起こったようですけど、一体何があったんでしょう。このタイミングから見て、獣人の子供がらみだというのは間違いないようですが。けれども、あんな子供が何かを出来るとはとうてい思えない。
結局、何があったかと言うことには、思い至ることが出来ず、私は、スー兄様に椅子を勧め、お茶を淹れた。
お茶を差し出すと、スー兄様は難しい顔をしたままお茶を無言で飲んでいる。普通なら、「ありがとう」くらいは言ってくれるスー兄様が、何も言わずにお茶を飲むなんて、本当に余程なことがあったのだろう。私になんと言えばいいかを考えて、珍しくスー兄様は、周りに意識が向いていないらしい。
「あの。スー兄様?」
黙ってお茶を飲んでいるスー兄様に、私はおそるおそる声を掛ける。
出来うることなら聞きたくないとは思うけれど、どうにも話を聞かなければこの状況は打破できそうにない。
「あっ。ああ」
私が声を掛けたことで、自分がずっと黙り込んでいたことに気がついたスー兄様が困ったような顔をする。
「ずっとどう説明すればいいのかを考えていたけれど、直接話を聞いた方が早いかも知れないな」
「はい?」
激しく嫌な予感しかしないんですけれど。スー兄様。
「一緒に行こう」
なんだか自分の中で決着が付いたらしく、スー兄様はすっくと席から立ち上がると、私に着いてくるように促した。
いえいえ。あの、とっても嫌な予感がですね。スー兄様。と、私は必死に心の中で叫んでみたけれど、残念なことに、スー兄様には全く持って伝わっていないようだった。
来客用の一室を獣人の子供には与えたらしく、スー兄様は迷わず園中の一部屋に入っていった。今からでも逃げられないだろうかと考えたけれど、今ここで逃げ出したところで、状況は何一つ変わりはしないと言うことに気が付いて、私はこっそりと溜息を吐いた。
毒を食らわば皿までですか。でも、なんだか今回は本当に逃げ出したいよかんしかしないんですけど。
「りぃりあっ」
獣人の子供は、私の顔を見るなり、満面の笑みを浮かべて突進してきた。
「え?」
どう考えてもこの勢い、私には受け止められないと思うんですけど。よけたら子供が怪我をしてしまいそうだし。何とか打開策はないかと、部屋を見回すけれど、何も良いものは見あたらない。
こうなったら覚悟を決めるかと、両足を踏ん張って衝撃に備えた。
「止まれっ。そんな勢いで抱きついたらリィリが怪我をする」
静かなスー兄様の言葉が響いた瞬間、子供の動きがぴたりと止まり、ばつが悪そうな顔をして、とことこと私に近づいてきた。
「リィリア。俺ね。リィリアに会いに来たの」
まあ、なんというか、実は、ちょっとだけ予想はしてはいたんですよ。本来だったら、この世界は、彼女が来るはずだった世界で、彼女が選ばれた以上、彼女好みの展開が起こるってことくらい予想はしていなくもなかったんですよ。
ただ、私が最初に出会ったのは、グラッパリエだったり、ジュダンだったりしたものだから、うっかり、そう言うことはないのかな、なんて、ちょっと気を抜いてしまっていたのが災いしたとしか言いようがない。
「俺ね。リィリアをお嫁さんにするのっ」
ああ。これ絶対一人じゃ済まないですよね。上限何人ですか? 私は後一体何人こんな目に遭わなくちゃならないんでしょうね。
「とりあえず、そうですね。名前を教えてください。それから、何であなたがここに来るのに選ばれたのかと言うところから説明してください」
私は、獣人の子供に、静かにそう問いかけた。
とりあえず、嫁にこいなどと言うくらいだから、それなりの理由があるはずだ。子供がどこまで理解をしているのかは甚だ疑問ではあるが、それなりのことは教えられてきているのは確かだろう。
会えるのであれば、あの説明不足の白い人たちに文句の一つも言ってやりたい。問答無用で転生させて、説明なしで、この状況とか、本当、アフターケアが悪すぎですよ。
けれど、転生でこれは織り込み済みだったのだろうと言うことも分かる。さて、私はどう立ち回るべきなんでしょうね。全てのフラグをへし折って良いんだったら良いんですけど。
もっとも、この、目の前で目をきらきらとさせている獣人の子供を黙らせるのは、どうにも大変そうですけど。そう考えると、この後に控えているのも、一筋縄ではいかない、癖の強そうな方々でしょうかね。
全く、面倒な。
だから私は、あれほど何平凡が良いと言ったのに。
などと今ここで文句を言ったところですでに事態は動いてしまったのだから、どうしようもないことは分かってますけどね。恨み言言うくらいは良いと思うんですよ。
でも、本当に困った事態だ。幸いなのは、今ここにレイ兄様とクー兄様が居ないと言うことだ。居たらどんなことが起こっていたか。考えるだけで恐ろしい。