13.レイダレットの二の姫様と初恋のお話
二の姫様が滞在して、一週間ほど。マリ姉様の奮闘も虚しく、二人の仲は進展しないどころか、レイ兄様に二の姫様の存在を印象づけることも出来ていない雰囲気で、一進一退どころか、常に凪ぎ状態のよう。
このまま、こんな状態のままで、二の姫様を帰さなければならないというのは、大変心苦しい限りです。あれだけ、レイ兄様を好きだと、全身全霊でもってアピールしているのを私は気付いてますけど、レイ兄様では難しいですね。
スー兄様も聞かなければ分からなかったかもしれないと言ったほどでしたから。
でも、そこが二の姫様の可愛らしい所じゃないかと、私は思うんですけれど。理解されなければ意味はないですね。この辺りの感情は、どうやら男性には理解が難しいのか、それとも、好きなものには全身全霊でもって、好きだと伝えるのが当たり前となっている、私の家族の所為なのかは、微妙ですけれど。
そんな折、城の庭を眺め、溜息を吐かれている二の姫様をうっかりと見付けてしまいました。一瞬思案はしてみたものの、流石にこのまま見て見ぬふりで通り過ぎるわけにもいかず、私は諦めて声を掛けることにしました。
「どうかされましたか?」
二の姫様にしては珍しく、周りに全く気を配っていらっしゃらなかったようで、私に声を掛けられて、酷く驚いた顔をしていて、それがとても愛らしい。思わず笑みを深くすると、何を考えているか分かってしまったようで、少し頬を染めて、二の姫様は俯いてしまった。
「貴女には、どうも妙なところで出くわすようだ」
少し泣きそうな笑みを浮かべる二の姫様をみて、思わず溜息が漏れる。こんな可愛らしいのに、なんでレイ兄様は気が付かないんだろう。確かに、武の腕の立つ方ではあるけれど、二の姫様は女性なのだ。こんな風に繊細に傷付いて、一人で物思いに耽って、泣きそうになったりしているのに、その涙一つ拭えないなんて、なんて情けない。
「そんなことはないです。妙ではないですよ」
そっとその目許を拭うように触れると、くすりと、二の姫様は笑った。
「泣いてはいないよ。リィリア姫」
三の姫様のような柔らかで守りたいと思わせる全面に見える弱さじゃない。でも、やっぱり、二の姫様のほうが、三の姫様より脆そうに私には見える。ああ見えて、三の姫様は図太い性格であるし。
助けられたと言われたあの時も、助けてくれてありがとうと本当に感謝されたが、もし私が助けなかったらどうしていたのかと問えば、愛らしく微笑んでこう言ったのだ。
「本当に嫌なことをされたら、その時は、戦えますから」
それほど心配は要らないのだと、そう言った三の姫様は、むしろ天然で全てを隠した大変図太い人なのだと知った。まあ、そこも見習いたい愛らしさの一つなんですけどね。まあ、私には無理だって分かってますよ。だからこそ、二の姫様の気持ちの方が分かるというのもあるんですけど。
「涙を流してないだけですよね」
二の姫様の言葉にそう言うと、少し驚いた顔をして、困ったように微笑んだ。
「三の姫が貴女が男だったら良かったのにといった意味が分かったよ。なんとも、天然な女たらしのようだ」
クスクスと笑う二の姫様に、私は実に心外だという顔をする。
「別に女たらしなわけでは」
そう言うと、二の姫様は、笑ったまま、こちらを見た。とても柔らかな無防備な笑み。こんな風に、レイ兄様の前でも笑えることが出来たら、多少は、レイ兄様も二の姫様を見る目が変わりそうなんですけどね。それが出来ないから、現状が出来上がっていると言っても過言ではないわけですけど。
「こう言うことを素でやっている辺り、女たらしの素質十分だ。三の姫に話したら、じたんだを踏んで悔しがりそうだな」
本当に楽しそうに、二の姫様は笑っている。ここに来て、こんな風に心を許したように笑っていらっしゃるのは初めてかもしれない。マリ姉様のおかげで、何時も、レイ兄様と一緒にいて、緊張続きだったのだろうな。もう少し、息を吐く間を上げなければ、呼吸困難を起こしてしまうんじゃないだろうか。
「そうだ。マリルリイには話したけれど、貴女には話していなかったな。なんで私がレイガウス様を好きになったのかを」
そう言って笑った二の姫様は、本当に恋をしている乙女だった。なんか、私、だんだんと、レイ兄様に殺意が湧いてきましたよ。
「レイガウス様は、まだお小さい頃から、レイダレットにいらしていたんだ」
その頃はまだ、レイ兄様とクー兄様しかいなかったから、余程情勢が悪い場所でなければ、家族で行くのが通例だったようだ。実にお父様らしい。
私は、そんなことを思いながら、二の姫様の話しを聞いていた。
「比較的年も近かったこともあってね。何度か一緒に遊んだこともあったんだ」
その頃から既に二の姫様は、武の才があったらしく、男の子に混ざって、剣を振り回していたとのことだった。
「まだ小さかったから、男も女も大差なかった」
混じってしまえば紛れてしまう。男も女もほとんど分からず、あの時一緒に遊んでいた人間のほとんどが、あの中に二の姫様がいたという事に気が付いている者はいないらしい。
いたら今頃、首を括りかねないと笑っていたから、余程なことをされていたんだろう。まあ、元より、剣などを振り回せばケガなど当たり前だ。本気になってしまって、骨を折ったこともあったと笑っていたので、本当に首を括りかねないなと、ひっそりと思う。
「そんな中で、レイガウス様だけが言ったんだ。埃まみれ、泥まみれで薄汚れた格好をしていた私に。『女の子なんだから、せめて顔にだけは傷を付けないように気を付けなきゃ』そう言って、私のすす汚れた顔を綺麗に拭ってくれた。後から顔を見たら、うっすらと擦り傷が出来ていてね。このことを言ったのかと、そう思った」
そっと懐かしむように微笑みながら、多分無意識なんだろう。二の姫様の手が自分の頬をそっと撫でた。
本当に恋をしていらっしゃるんだなと、微笑ましいのと同時に切なくなる。なんでレイ兄様はここまで鈍感なのか。こんなに一途に思っているのは、もっと早く気付いてしかるべきだ。
思いに応えるとか応えないとかではなくて。こんな思いをずっとさせておくなんて、絶対に良くない。でも、言って気付かせるのはここまで来ると、何となく二の姫様に悪い気もする。
「二の姫様。もし、後一週間、何も進展がないようでしたら、私、少し考えがあります。上手く行かなかったら申し訳ないので、どんな内容かは、今は言いません。ですから、諦めないでください」
好きでいることを。好きだと分かって欲しいのだと思っていることを。身分的に、二の姫様から思いを告げるわけにもいかないのも分かってますしね。
二の姫様は、現状、まだ王位継承権を持っているのだ。一の姫様は、大変頭も切れる方だが、何が起るかは分からない。位置的には、グラッパリエに似ているだろうか。意味合いは全く違うが。
「リィリア姫。一体何を」
「これは私が勝手にやることですから、二の姫様が気に病む必要はないです」
私は、安心をさせるように、二の姫様に笑って見せた。まあ、これを提案して、誰も却下しないことくらい分かってますけれどね。
お父様も反対しないでしょうし、お母様は、きっと二つ返事で了承してくれるでしょうしね。
上手く行かないはずはないんですけれど、これで、もしも、私の知らない城を離れることの出来ない理由とかが発覚するとも限らないので、あまり期待をさせてしまうのも気が引けたのだ。
「ありがとう。その気持ちだけで嬉しい」
はにかむように笑う二の姫様は本当に可愛らしくて、ひっそりと、レイ兄様に対する殺意が上がっていたのは、秘密だ。
さて。まずはもっともらしい理由探しからはじめなければならないと、私は、早速スー兄様とお母様に声を掛けた。
お母様の執務室で、何時ものように腰掛けて、自分で淹れたお茶を飲みながら、私は、スー兄様とお母様を見た。
「私、レイ兄様には、きっちり自力で二の姫様の気持ちに気付いていただきたいと思っているんです」
二の姫様がレイ兄様のことを好きだと思っているという事を告げるのは簡単だ。けれど、そうではなく、これはもう、自力で気付けと、そう思う。別に、レイ兄様に殺意が湧いたせいではないですよ。多分。
「話しが唐突ね」
くすりとお母様が笑う。それでも、何かを咎める風ではなく、酷く楽しげなのは、だいたいの事情は分かっているからだろう。
「まあ、確かに、レイ兄さんが自力で気が付くのが一番いい方法だとは思うけど」
上手く行くはずがないと、スー兄様は思っているようだ。確かに、レイ兄様、酷く鈍感なところがありますから、その心配は確かにあるんですけれどね。
「まあ、本当に気付くことが出来るかは確かに賭ではあるんですけれど。それでも、少なくとも思い出を作ることくらいは出来ても良いのではと」
そう言うと、お母様が、にっこりと怖いくらい笑った。どうやら私が考えていることが分かったらしい。
「思い出ねぇ」
スー兄様も気が付いたようで、こちらは少し渋い顔になる。
まあ、スー兄様は、色々とやっていることがありますから、それを考えると、大手を振って賛同はしかねますよね。
「ええ。レイ兄様には、レイダレットの二の姫様を送り届ける護衛をしつつ、そのまま留学をしていただこうかと。少し見聞を広げるべきだと、お父様もおっしゃっていましたし、ついでにクー兄様も一緒に、レイダレットで二年くらい、見聞を広げに行っていただけばよいかと」
期限は一年か二年くらいと思っていたので、長い方で、二年と言っておいてみる。期間的にはギリギリだろう。それ以上は、流石にレイ兄様を外に出すことは出来ないだろうし。
「あら、いい考えね」
クー兄様の名前を出した所為で、お母様は、俄然やる気になったようだ。一人一人でも煩いのだ。ここは一つ、まとめて放り出すのが良いだろう。
「クー兄さんも一緒なら、ありかな」
スー兄様もそう言って、賛同してくれた。けれども、どうして、クー兄様が一緒だと、賛同するんだろうと思っていると。
「どちらがいても、マリ姉さんの婚約話や結婚話は出来ないからね。結構話しだけは来てるんだよ」
トラウマが出来るほどの過保護っぷりを発揮するレイ兄様とクー兄様はこんな所でも弊害を出していたらしい。本当に、マリ姉様は、恋の一つもあの二人のせいで出来ていなかったんじゃないだろうか。
「まあ、マリ姉さん自体が、あまり興味なかったみたいだから良いんだけど」
それでも、そろそろマリ姉様も自分の身のふりを考えなければならない年頃ではある。そう言う意味で、二年というのは実に妥当な線だったみたいだ。
どれだけ、周りに被害を出せば気が済むのか。愛情であるのは分かっているから、無碍にも出来ないというのが質が悪いところですけどね。まあ、マリ姉様は、かなり無碍にしてますが。
「では、この話は、実行可能と言うことで大丈夫でしょうか?」
私がそう言って笑うと、スー兄様とお母様は、賛同の意を表わし、挙手をしてくれた。
結局のところ、マリ姉様の奮闘虚しく、レイ兄様と二の姫様の間は全く変わることはなかった。まあ、私はというと、その愚痴を毎日聞かされていたわけなんですけれど。
下手なことをマリ姉様に言ってしまうと、何が起るか分からないと言うことで、実は、マリ姉様とコーディにだけは、内緒にしていたのだ。
まあ、当事者の二人には何一つ話さないというのは、当たり前の事実なので、この場合割愛されている。
そんなわけで、スー兄様とお母様、私の三人で、必要書類をかき集め、レイダレット側に話しをし、あっという間に、状況の準備は整ってしまった。
その最大の理由は、その辺りの決定権を持てる程の地位の高いものが、護衛の一人にいたというのが大きい。
もっとも、そう言う意味合いでいたわけではないことは確かだ。上手く行けば、婚約と言うことになるかもしれないと言うことで、そう言う話しを速やかに締結できるように同行していたのだが、これが、こんな方向で、功を奏すとは、レイダレット側も考えては居なかっただろう。
「しかし、第一王位継承者を留学とは」
国内ならある話しではあるが、国外となれば実に珍しい。自国でないだけに、何があるか分からないからだ。その辺りを全く気にしていないのは、こちら側の特殊な事情のせいではあるのだけれど。
「二の姫様もお喜びになられますでしょう」
そう言って、笑った騎士の一人の笑みは、心底嬉しそうで、それだけ二の姫様が愛されているのだと言うことが分かった。
決して、レイ兄様は、悪い人ではないですしね。少々暑苦しいというか、はっきり言ってしまえば、鬱陶しいくらいですけれど、それを知ることが出来るのは、家族だけですから、わざわざ言う必要もない。
「本当に、喜んでいただければいいのですけれど」
お節介じゃないかなとも思っては居るんですよ。私は。
「二の姫様は、少し奥ゆかしすぎる所がありますので」
だから少々強引と感じる手でも大丈夫なのだと、言外に含ませ騎士の一人が言った。それに対して、皆頷いているところを見ると、どうやら、レイダレットでは、二の姫様がレイ兄様のことを好いているというのは、周知のことらしい。
そこまで考えて、何処が情報発信源か分かってしまった。絶対に、無邪気に、三の姫様が語ったに違いない。二の姫様もかなり、三の姫様には甘い様子だったし。
「上手く行くと良いですわね」
おっとりとお母様が笑った。レイダレット側の人間は何も気付いていない様子ですけど、目が剣呑ですよ。お母様。
互いの思惑が良い方向で、上手く絡み合ったらしい。これで、本当に上手く行けば、言うことはないんですけれどね。こればかりは、流石に、私がどうにか出来るものではないですし。
けれども、極々個人的なことを言えば、上手くは行って欲しいと思う。せめて、レイ兄様が二の姫様の気持ちにきちんと気付いて欲しいとは思うんですけど。
それに気付かないで、レイ兄様が二の姫様に勝手に恋をしてもいいとは思います。それに、その可能性、無くもないんですよね。だって、私も、マリ姉様も、コーディもいないんですから。
有り余った愛情を向ける先なんて、限られていますしね。
何も知らずに護衛として着いていった、レイ兄様とクー兄様を見送って、実に優雅なお茶会が始まった。
「二人が居ないだけで随分と時間がゆっくりと進むわね」
そんなことを一番最初に言ったのはお母様だ。
「レイガウスも、これで少しは、外に目を向けられるようになると良いんだけどねぇ」
そう言うのは、お父様。かなり自分のことは棚に上げていらっしゃいますね。あれはどう考えても、お父様の血ですよ。
「当分帰ってこなければ良いのに」
ぽつりと、マリ姉様の声が響いて、私と、スー兄様は顔を合わせて、笑ってしまった。
「当分帰ってきませんよ」
「かなり長いかな」
くすりと私たちが笑うと、マリ姉様は、きょとんとした顔をする。その隣では、コーディもきょとんとしたまま固まっていた。
「レイとクーは、二年ほどレイダレットで、留学をさせることにしました」
優雅にお茶を飲んで、お母様がそう言うと、コーディは目をぱちぱちと瞬かせた。お母様の言葉を必死に自分の中で砕いて理解しているようだ。
「兄様達、二年間、レイダレットにいるってことですか?」
やっと、理解と感情が追いついてきたようで、そう言いながら、コーディの顔が笑みに変わっていく。それを見たら、レイ兄様と、クー兄様、本当に死にそうなほど悲しそうな顔をするので、気を付けてくださいね。コーディ。
「そうですか」
一番喜ぶかと思ったマリ姉様は、やけに静かにそう言った。
「私もそろそろ年貢の納め時ですか。お母様」
そう言うと、意地の悪い笑みをお母様は浮かべた。こと情報戦でお母様に勝ったことは、私は一度たりともない。私自身が黙り続けている極々個人的な情報以外であるのなら、多分、お母様が知らないことはないのではないかとすら思う。
「あら。気になっている人はいるのでしょう。二年間で頑張ってご覧なさい」
お母様の言葉に、マリ姉様が紅茶に咽せた。
ああ、そう言うことでしたか。レイ兄様とクー兄様がいたらそれは、進ませたくとも進みませんよね。だから、お母様は反対しなかったわけですね。
「そうなのかい。上手く行くと良いね。マリルリイ」
お父様もそう言って笑った。
レイ兄様とクー兄様が居ない方が一家団欒らしいと言うのも寂しいんですけどね。まあ、しばらくは羽を伸ばさせていただきましょう。
後は、二の姫様次第ですしね。