11.レイダレットの二の姫様のうわさ話
レイダレットの二の姫様がやってくると言う話を聞いたのは、私がムディランから帰って一ヶ月ほどした頃。
ちなみにムディランは、なんとか、状況は良くはなったものの、植え付けの時期に間に合わなかったとのことで、今年はやはりそれなりに大変なようだ。もっとも、その後のものでまかなえはするだろうとのことで飢饉や飢餓に見舞われることはないようだ。
そんなわけで、それは、ぼんやりとお茶を飲みながら穏やかに話しをしていた時に、唐突に出た話題だった。ちなみに今回のお茶会は、男子禁制とマリ姉様が言ったため、お母様とマリ姉様とコーディと私の四人しかいない。
「何故、レイダレットの二の姫様が来るんですか?」
小首を傾げて私は、楽しげにその話しをしだしたマリ姉様に問いかけた。これだけ楽しそうにしているという事は、絶対何か裏があるというか、多分少なくとも、マリ姉様にとっては楽しいことがあるという事だ。
「それがね。二の姫様。レイ兄様が好きなんですって」
コロコロと楽しそうに笑いながらマリ姉様が言った言葉は、瞬時に理解が出来なかった。二の姫様がレイ兄様のことを好き? いや、確かにレイ兄様は見た目は悪くない。頭も悪くない。ただ、色々と残念なのは、家族に対する溺愛ぶりなだけだ。しかし、それをまったく隠す気のないレイ兄様を見て、好きだと思える強者がいたとは思わなかった。
いやでもお父様がお母様と結婚できたのだから、そう言う人は必ずどこかにいるという事か。なかなかに興味深くはあるけれど、残念なことに、私は、二の姫様とはあまり面識がない。
いえ、別に私が三の姫様が好きなせいではないですよ。二の姫様は、どちらかというと武に長けた方で、女性の身ながらレイ兄様も、正攻法であれば苦戦するほどの腕前。その為に、二の姫様は、警備などに回っていて、パーティーに参加することがほとんどない方なのだ。だから私とはあまり接点がないのだが、何時だったか、珍しくレイ兄様がとても楽しそうに褒めていたというのを何となく思い出した。
「事情は分かりましたが、上手く行くとは限らないのでは?」
そう言うと、マリ姉様は大変良い笑顔になった。これはなにやら悪巧みの予感。その為の男子禁制ですか。お母様、知ってらっしゃいましたね。
「それを上手くいかすのよっ」
拳を握りしめ、何か決意の固い表情をしているマリ姉様。いえ、まあ、レイ兄様とクー兄様の数々の所行を考えれば、分からなくもないんですけれどね。上手く行かないものを上手くいかせようとするのは中々に大変なことかと。
それでも、それを楽しみにしているマリ姉様の考えに水を差すのもどうかとも思い、そのまま曖昧に頷いておくことにした。いえ、別に思考放棄というわけではないんですよ。長いものには巻かれろと言いますか。ねぇ。
そんな裏事情などを孕みながら、レイダレットの二の姫様が、やってくることとなり、現在城の中は上を下への大騒ぎ。 警備体制の見直しから、その他諸々見られて困るもの。その隠蔽工作がまずは大変なようだった。
「リィリア姫様。これはどちらに持って行けばよいでしょうか?」
なにやら物騒なものを抱えた侍女達に、私は一つ溜息を吐いた。絶対に誰も近づかない場所。そこに一時的に置いておけば良いだけのことだろう。だいたいこう言う指示はスー兄様がされているはずなのに、どうしたんだろう。
「大きくて嵩張るものなどは、南の塔に収納すればよいでしょう」
今までは少なくともそうしていたはずだし、私の所に聞きに来ることなどなかったはずなのだけれど、いったいどうしたんでしょうかね。
「それが。南の塔が使用不可になっておりまして」
しどろもどろで言訳をする侍女を見て、私は全てに合点がいった。スー兄様の悪い癖が出て、現在南の塔はスー兄様に占拠されているということのようだ。そしてスー兄様がそこに立てこもっているために、スー兄様からの指示も貰えず、今こんな状態になっていると言う事らしい。スー兄様にも困ったものですね。
「分かりました。スー兄様は私に任せてください。南の塔に移動せずとも良いものから処理を」
「はい」
あからさまにほっとした顔をして小走りに走っていく侍女を見送り、私は溜息を一つ吐くと、南の塔に向かうことにした。
多分、スー兄様が立てこもっている理由は、ムディランの干ばつ後の異常回復の所為だと思う。首謀者の一人なだけに大変胸が痛むけれど、一応事情は説明してあるので、今更こんな事になるなんて思ってもいなかった。
城の裏庭に出て、真っ直ぐに南の塔に向かえば、南の塔の見張りをしているものが、大変困った顔をしてその扉を守っていた。
「スー兄様は私がなんとかしますので、もうしばらく待っていてください」
そう言うと、あからさまにほっとした顔をされて、大変複雑な気分になった。王族が立てこもっている以上警備は必要だ。現状の大変さを考えれば、ここに人員をさくのすら惜しいのだろう。何より、マリ姉様が乗り気なのが分かっているから、みな、長期の滞在を視野に入れて動いているし。
本当に、時と場合を選んで欲しいものです。溜息を吐きつつ、中に入っていけば、案の定、本の山に埋もれているらしく、その姿は見えなかった。諦めて、乱立して塔のように立ち並ぶ本の隙間をかいくぐって、なんとかスー兄様の所までやってきたものの、没頭しすぎているようで私に全く気付いた様子はない。
「スー兄様」
声を掛けると、やっとその顔を上げる。そこで初めて私だと言うことに気が付いたような顔をして、スー兄様は笑った。その顔を見れば、まさしく寝食忘れていたという言葉がよく似合う。いったいどれだけ立て籠もっていたのか、色々ありすぎて気を配っていなかったものだから、今の今まで気が付いていなかった。
そんな私に対して、精霊達が、十日は確実にここにいたと、囁いてくる。これはもう確実にしょっ引いていくしかないですね。
「リィリ。どうかした?」
どこかふわふわとした顔をしているスー兄様を見て、私は思わず笑みを浮かべた。精霊達が、なにやら言っているようだがまあいい。そんな私の表情を見て、スー兄様はすっかりと青ざめた顔をしている。
ええ。ええ。私、久しぶりに腹に据えかねましたよ。周りに迷惑を掛け、その上不摂生。ここで怒らずにどこで怒るって言うんでしょう。
「スー兄様。私が何を言いたいか、分かっていらっしゃいますよね」
にっこりと笑ってそう言えば、スー兄様は壊れたように頷いていた。こんな風になるのは分かっているんですから、そうなる前に止める勇気を持っていただきたいものです。そろいもそろって、どこか抜けてるんですから。
「いや、でも、あと少し」
「レイダレットの二の姫様がいらっしゃるんですよ。スー兄様が監督しない上に南の塔を占拠しているから、皆困っているんですよ」
「あっ」
すっかりとレイダレットの姫がやって来るというのを忘れていたらしい。いや、聞き流していたというのが正しいんだろう。スー兄様は目先の気になることがあると、他を放置する傾向にある。今回はそれが顕著に出過ぎたのだ。
「まったく。これが知れたら、マリ姉様にどんな目に遭わされることか」
「悪い。リィリ。遅かったみたいだよ」
「スウリウス」
それはそれは地の底からでも響いてきそうな声。紛れもなくご機嫌急直下のマリ姉様だ。どうやら、今一歩遅かった模様。ご愁傷様です。スー兄様。
「そんなに寝食忘れたいのでしたら、私が存分にこき使って差し上げますわ」
高笑いが聞こえてきそうな死刑宣告を、にこやかにマリ姉様は下した。これでスー兄様は、レイダレットの二の姫様が来るまでの間、マリ姉様に下僕のごとくこき使われることは決定した。自主的に動いていれば、少なくともマリ姉様の地獄のような仕打ちはなかったでしょうけれど、自業自得ですよね。
「さあ、まずはこの散乱している本を早急に片付けなさいっ。スウリウス」
一人で? とは問い質さなかったスー兄様は、マリ姉様の性格を熟知している。一人で無理なことなど分かっているが、まずはスー兄様一人でやらせる気なのだ。罰というわけではなく、スー兄様のこの本を片付けるための人員を選出するまでの繋ぎの時間、一人で頑張らせるだけなのだが、今回ばかりはそう言うわけにはいかない。
「マリ姉様。本の片付けは私がしますから、スー兄様は、指揮に回してください。すでに侍女達が混乱して、私に聞きに来る始末です」
もう既にあらかた隠せるものは隠して、本当に見られて困るものを何処に隠すかの決定を待っている。城の者達は、伊達にお父様の下にはいません。自主的に動かないと国が滅びかねないことを熟知してますからね。手をこまねいているだけのはずがありません。
「そこまで切羽詰まってきてたの。それでリィリが来たのね」
「はい」
短く返事を返すと、やっと、状況を把握したマリ姉様は、心底呆れた顔をした。本当にスー兄様がお仕事放棄をしていたことも同時に気が付いた訳なんですが。とりあえず、レイダレットの二の姫様が来るまでは、我慢してくれますでしょう。
ほんの少し思案するようにしてから、マリ姉様はスー兄様をじっと見て、恐ろしいほどの笑みを浮かべた。
「馬車馬のごとく働く覚悟は出来ているわね。スウリウス」
ああ、マリ姉様が本気だ。これは、ほとんど寝かせないでスー兄様を扱使うに違いない。まあ、ついでに、レイ兄様とクー兄様も巻き込まれるんでしょうけど。
とりあえず、マリ姉様が、本命がレイ兄様であることを二の姫様が来るまでに思い出せることを祈っておくことにして、二人のいなくなった南の塔に散乱している大量の本を片付けるべく最初の山に手を伸ばした。
「スー兄様。ちょっと恨みますよ。これは」
あの後、必死に本をかたしたところで、一向に減ったと思えない本の山。寧ろこの量は本当に棚に収っていたのかという疑問が湧き上がってくる。もしかして、スー兄様、独自ルートで増やしてないですよね。
あり得そうで笑えない気がしてきましたよ。収りきらなかった場合の本の処遇も考えておきましょう。捨てるわけにもいかないですしね。表に出せる類のものは、表に移動させるべきかも知れませんね。もう、スー兄様が幽閉されているわけでもないですし。
「ああ。そう言えば」
スー兄様が既に幽閉されていないことを思い出したところで、ふっと、ジュダンが使ったために塞いでしまった通路があったことを思い出した。確かあの通路は、この南の塔からも繋がっていたはずでしたよね。どうせ使えない通路なら、そのまま書庫として使うのもありですか。ちょっとお母様に相談してみましょう。
ふっと視線を巡らせれば、小鳥の姿をした風と、水がにこにこと笑っていた。そりゃあ地下は湿気っていたりして本には大敵なんですけど、だからといって安易に力を借りる気はないんですよ。
そんなわけで、さらりと無視をして、私は地下を書庫に改造する許可を貰うために一度お母様の所に向かうことにした。
お母様に、とうとう南の塔のキャパシティーを超え始めつつあるスー兄様の蔵書の話しをしたところ、お母様も気にはなっていたようで溜息を吐いた。溜息で済んでいるうちは良いですけど、あの速度で集められると、確実にキャパシティー越えが目に見えてますよ。お母様。
「スーにも困ったものね」
暢気にそう言っているところを見ると、お母様はスー兄様が独自に蔵書を増やしていたことは把握済みのようだ。気が付いていたならやんわりと釘を刺してくださいお母様。スー兄様は、夢中になると際限なくなる方なんですから。
「もしかして、スー兄様が今集めているものって、ムディランと精霊関係のものですか?」
お母様が敢えて止めていなかったと考えると、そう言うことになる。けれども私の質問にお母様はただにっこりと笑っただけで、答えを返してはくれなかった。
「秘密、ですか?」
珍しくいじけたような声になり、思わず口元を抑えると、お母様は、ぎゅっと私の体を抱きしめる。少し痛いくらいの包容は、一体どう言う意味なんだろうと、その腕の中に収りながら、私はぼんやりと考えた。どうやら私の知らないことが、色々とあるようだ。
「秘密と言うよりは、言いたくないの。ごめんなさいね。リィリ」
珍しいお母様の言葉に、私はそれ以上を問うことは止めた。困らせてまで聞き出したいことではないからだ。しばらく抱きしめられ、解放されると、私はお母様に微笑んだ。
「それは良いです。それよりも、地下の使用は平気ですか?」
問題は現状あの本だ。今回は、比較的安価でまだ手に入る物を地下に押しやり、改装が終われば、禁書の類を地下に置けるようにするのが良いだろう。いったん地下に入れたものは、そのまま城の書庫に移動させて、なんとしても、南の塔を本の飽和の危険から守らなければ、今後、こう言うときに大変だ。
「あの時ばれてしまった侵入する経路は全て塞いでありますね。南の塔からの脱出経路は、」
「塞いだものを除いて、3つと繋がっています。南の塔独自の脱出経路は、一本ですね」私がそう答えると、お母様はにっこりと笑った。
「良いでしょう。今回は間に合いませんが、二の姫様がお帰りになられたら、改装しましょう」
即断即決のお母様の言葉に、私はにこりと微笑んだ。さすがはお母様。分かっていらっしゃる。もし、本当に城を逃げるとなれば、スー兄様が一番愚図る。大量に抱え込んだ本をなんとしても持ち運びたいと、本気で三日三晩悩むだろう。どう考えても無理なんですけどね。その時に、地下通路に禁書系の入手の難しいものを固めておけば、それ以外はもう一度手に入れればいいと唆せますし、禁書の類は高値で取引もされますから、売る時期と売り手さえ間違えなければ結構な財になるはずですから、一石二鳥なんですよ。
「ありがとうございます」
お母様の許可も頂いたので、手の空き始めているであろう場所から数人借りて、あの本をどうにかしましょう。
屍が一つ出来上がり、なんとか、体裁を取り繕え終わった城は、今度はレイダレットの二の姫様を迎えるための宴会の準備が始まっていた。まさに息つく暇もないと言ったところだ。
ほとんど身動きも取れなくなっている、と言うか、疲れすぎてぐったりと寝込んでしまっているスー兄様の看病をしつつ、私は、未だ精力的に動き回っているマリ姉様を眺めていた。
私が生まれるまで、レイ兄様とクー兄様にストレスを感じ続けていたマリ姉様の執念の賜物と言いますか。自分達姉妹以外に構う対象者をとっとと見付けてストレスを軽減したいと切に願っているのだろうことは、私にも良く分かっている。
本当に悪気がないのは分かるんですけれど、愛情表現が他の誰よりも暑苦しいんですよね。レイ兄様とクー兄様は。そして、それを自覚していないというのが、一番の問題なんですけれどもね。二人が気付くとは、残念ながら思えないので、新しい対象者を見付けるというのが、一番手っ取り早い逃げ道ではありますよね。
まあ、レイダレットの二の姫様なら、確かにレイ兄様の気を引けるかも知れませんし。レイ兄様とクー兄様は、少々気の強いくらいの女性が好きみたいですから、候補にはなり得るのではないかという気がするんですけれど。
こればかりは、二の姫様に会ってみないことには、私には何とも言えないことですからね。
看病のためにスー兄様の部屋にいた私は、ベッドでぐったりとしているスー兄様に声を掛ける。
「スー兄様」
うつ伏せに寝て、全く動く気配はないけれど、きちんと起きて話しは聞いているはずなので、私はそのままスー兄様に話しかけた。
「レイダレットの二の姫様とレイ兄様って上手く行きますかね?」
マリ姉様のようになにがなんでもという気はないけれど、互いの気持ちが向く可能性はどうなのだろうと思う。それと、レイ兄様には悪いけれど、レイダレットの二の姫様の思いが成就すればいいと、やはり同性であるから応援してしまう。
「こればっかりは、他人にはどうしようもないよ」
確かにその通りで、私は苦笑を浮かべた。レイ兄様が本当にレイダレットの二の姫様のことをどう思っているのか、私は知らない。それでも多分。
「でも、私、今回は、マリ姉様の味方です」
レイ兄様のことも気にはなるし、本人の意志も尊重したい。けれども、失敗をしたときのマリ姉様の悲しみようを思うと、多分、レイ兄様が泥を被った方が丸く収るのだ。
「まあ、そうだよね」
分かっていると、そう言うスー兄様の言葉に、私はにっこりと微笑んだ。そろそろレイダレットの二の姫様がやってくる。どんな方なのか、会うのが楽しみだ。
何より、もしかすると、私の未来の姉になる方かもしれないですしね。