第三話 雷山は太りたい
その大男は昼下がりにやってきた。大男と言うものの身長は百七十五センチほどと思われる。それでも大男と表現したくなるのは肉の圧がすごいからだ。肩と胸の筋肉は隆起し、首は殆ど見えない。少なく見積もっても百二十キロは超えているであろう。それでもその肉体にさほど違和感を覚えないのはその男の頭が髷を結っており、もう十二月にもかかわらず薄い浴衣一枚で入ってきたからだ。つまり相撲取りなのだ。
からんからん♪ と入口のベルが鳴る。
「すみません、いいですか?」
軽く頭を下げて入ってくる巨体の割に腰の低い男の名前は雷山と言う。このお店から徒歩15分ほどのところにある相撲部屋に所属している力士である。
「こんにちは。お好きな席へどうぞ。窓際のテーブル席が空いてますよ。」
体の大きな雷山に気を使ってあかりは広いテーブル席を勧める。
「ごっつあんです」
雷山はまた軽く頭を下げ四人掛けのテーブル席に座る。この喫茶店の椅子は比較的広めだがそれでも雷山のお尻は椅子からはみ出ている。
「今日もネコロンチーノのダブルでいいですか?」
あかりが声をかけると雷山は「お願いします」と返事を返す。この雷山は幕下の力士で相撲取りとしては体は小さいが抜群の身体能力と技の切れでわずかニ年で幕下上位まで出世を重ねてきた若者で現在まだ21歳である。力士の世界では十両以上は関取と呼ばれ、初めて固定給がもらえるようになる。ある意味十両以上になって初めてプロと呼べるのだ。
そんな十両に手が届くところまでスピード出世しながらこの一年足踏みが続いている。本人曰く原因は自分の体重不足ということなのだ。身長は今さらどうにもならないが、体重は食べることとトレーニングで増やすことが出来る。しかし、雷山はなかなか太ることが出来なかった。元々筋肉量が多く基礎代謝が高いこともあって食べても食べても体重が思うように増えないことが悩みの種なのだ。
そういったこともあって雷山は稽古後の食事の後も体重を増やすべく、この店でネコロンチーノのダブル。つまり二倍盛りをおやつに食べている。また特別に鳥の胸肉も一枚添えるようにしている。
「やあ、ずっちー久しぶりにゃ。調子はどうにゃ?」
厨房で作業していた、三太が声をかける。
「どうもマスターご無沙汰してます。巡業から昨日戻ってきました。巡業中もなるべく食べるようにしていたのですが、なんせ雑用が多くて逆にちょっと痩せちゃって、またマスターのところで毎日食べさせてもらいます」
「太れなくて悩んでるなんて羨ましい限りだわ。でも雷山さんのことずっちーとか言うの店長ぐらいだよ。もうすぐ関取って呼ばないといけなくなるんだから、今のうちに直してきなさいよ」
「十両になろうが横綱になろうがずっちーはずっちーにゃ」
「もう!」
言い合う二人に困惑しながら雷山が間に入る。
「いやいや僕は応援していただいているだけでうれしいですから、呼び方なんてなんでもいいですよ。ずっちーでもいかちゃんでもいいです」
「「いかちゃんは無い」」
二人同時に突っ込まれ、雷山は頬を赤くする。
雷山は北海道の出身できわめて素朴で純粋な少年だった。最初に三太が彼を見たのは相撲部屋に稽古を見に行ったときのこと。といっても部屋の外から勝手に覗いているだけだったが、小柄な少年が大男に真正面からぶつかっていく姿を見て感心したものだ。最もぶつかり稽古なわけだから避けていい訳はないのだが。
三太が特に感心したのは転がされてから立ち上がるまでのスピードである。何度でもすぐ立ち上がるので胸を貸している兄弟子の方が息切れしていたほどだ。
そして雷山はデビューしてから投げ技を武器に快進撃を続ける。前相撲から序の口、序二段、三段目と優勝こそ無いものの全て勝ち越して幕下まで上がってきた。その後の状況は本人の説明のとおりである。
「はい、特製ネコロンチーノダブルあがったよ。消化不良にならないようにサラダもキャベツ山盛りにしておいたから」
特製のネコロンチーノダブルは重たいので三太が自分で運んできて雷山の前にドン! と置いた。
「ごっつあんです」
雷山はフォークを使わず箸を使って焼きそばを食べるように、ネコロンチーノをどんどん口に運んでいく」
「よく噛んで食べるにゃ」
「ふぁい」
三太に注意されて、慌てて口をもぐもぐする雷山。
雷山の両親は二人ともアマチュアながら元アスリートであり、父親は重量挙げでインターハイ、母親は陸上の中距離で国体にも出場していた選手だ。その両親の能力を引き継いだ雷山の運動能力は傑出しており、相撲取りでなくても優秀なアスリートになっていたことは間違いなかった。実際、中学校時代は陸上短距離で全国大会に出場し、高校時代は柔道部に所属し敢えて一つ上の階級で試合に出場し、全国3位になったこともあった。
それでも、角界入りを選んだのは、北海道出身のある名横綱の存在であった。その力士はウルフとも呼ばれ小柄ながら自分の倍近い体重の力士をなぎ倒し、角界の頂点に君臨した北斗富士である。もちろん、現役時代はまだ生まれていないが、小学生の頃相撲好きの父親が見ていた昔の映像を見て、その姿のとりこになったのだ。中学時代陸上をやっていたのも、北斗富士が中学時代陸上で活躍していたのを真似てのことだった。
中学卒業後に入門する選択肢もあったが、昔気質というか頑固で石頭の父親は雷山を自分と同じ教師にしたいと思っており、強硬に反対したため、地元の高校に進学することとなった。高校には相撲部がなかったため、柔道部に在籍していたというわけだ。
そして高校卒業後に相撲部屋に入門したいという希望を改めて両親に語ったときにはまた石頭の父親を説得するのに時間がかかったが、母親は以前から、息子の決意を感じ取っていたため、心配しながらも父親を一緒に説得してくれた。
ネコロンチーノダブルを三分で平らげた雷山は大きなマグカップでカフェオレを飲みながら両親への感謝を三太に語っていた。マグカップの取っ手に指が入らないため、本体をもって飲んでいる。
「どっちもずっちーのことをすごく心配してくれる、いいご両親だにゃ」
「はい。本当に」
その日食後のカフェオレを二杯お替りして雷山は帰って行った。
そして迎えた初場所。現在幕下三枚目の雷山にとっては十両に上がる絶好のチャンスである。しかし幕下上位ともなると当たる相手も強敵ぞろい。初日の相手は体重百八十キロキロを誇る大井川であった。
二人が土俵上で向き合うと対格差は歴然だ。熊と子熊の戦いのようにも見える。
雷山は立ち合いでいつものようにぶつかると同時に上手を取りに行くが、大きな体の大井川まわしに手が届かない。その後も大井川の押しの圧力に耐えて粘るがまわしが取れないまま、最後は土俵の外へ押し出されてしまった。
「あ~あ、負けちゃった」
TVの前であかりがため息をつく。時間はもう午後二時近くになっておりランチタイムのお客は皆店からいなくなっていた。
「なんで勝てないんだろうね。やっぱり体重が軽いからなのかなあ」
あかりは、鍋を洗う三太に問いかける。
「無差別級の相撲にとって体重のハンデはそりゃ大きいにゃ。でもそのハンデをもろともせず昇進する人もいる。ていうかTVばっか見てないでテーブルの片付けするにゃ」
「ふぁーい」
あかりはけだるそうにTVを消して片付けを始める。そこに電話が鳴った。
「ああ、僕がとるにゃ」
「はい、喫茶ミケですにゃ」
三太が受話器を取ると相手は雷山だった。
「すみません、今日なんですがまた夜食をお願いしてもいいですか?」
喫茶ミケの営業は朝八時から夕方六時までなのだが、希望があれば予約のみ夜もお客を入れることがある。
雷山は本場所が東京で行われる際は部屋での食事の後にさらにネコロンチーノのダブルを食べにくるのを日課としているのだ。
元々予測して準備している三太はもちろんOKした。
「じゃあ、また七時半くらいに伺います」
と言って雷山は電話を切った。
幕下力士は一日おきの取り組みのため、今日の取り組みはないのだが、先輩関取のお世話など色々と雑用があり、自由になる時間は自然と遅くなる。これでも親方が特別に計らって、早く切り上げさせてもらっているのだ。それだけ親方も雷山に期待していると言える。
「夕食お腹いっぱい食べてるでしょうに、よくまた食べられるわね」
あかりがあきれたように言った。
「力士は食べるのも仕事にゃ。それにネコロンチーノは不思議とお腹いっぱいでも食べられるって言ってるにゃ」
そして、その日の夜几帳面な雷山はきっちり夜七時半に喫茶ミケに来た。もちろん看板は仕舞っているが予約した客だけは入ってよいシステムになっている。
「じゃあいつものでお願いします」
雷山はいつも通り腰の低い態度で注文する。
「元々いつものしか用意してないにゃ。時間ぴったりに来るのもいつも通りだから、すぐに出せるにゃ。あかり、お皿だすにゃ」
「はいはい」
「『はい』は一回」
まるで親子のような会話を雷山は微笑みながら聞いている。
そしていつものように五分でネコロンチーノダブルを平らげた。寝る前なので、付け合わせのサラダは大根と青じその和風サラダであったが、さすがにこの量のパスタを寝る前に食べて、「大根は消化にいいから」いいって言われても大根も荷が重かろうと三太は思う。
そんな心配をよそに今日は二分三十秒でネコロンチーノとサラダを平らげた。「昔カレーは飲み物」という格言を残した有名人がいたが、大食漢にとってはパスタも同様なんだろうか。と思いながら三太は雷山の食べっぷりを見ていた。
「ふう、今日もうまかったです。しそって子供のときは香りが嫌いだったけど、大人になると不思議と美味しく感じますね、実家では大葉って言ってましたけど」
「ずっちーはまだ。大人って程の年でもないけどにゃ。しそって言うのは赤とか青とか種類があるけど、そのうちの青じその葉っぱのことを大葉っていうにゃ」
「へー、さすがマスター物知りですね」
そんな話をしているとあかりがカフェオレを持ってくる。
「はいどうぞ。いつも通り砂糖とミルクたっぷりで」
「ごっつあんです」
「そうそう、カフェオレは本当は“カフェ・オ・レ”で言うのにゃ。“オ・レ”って言うのは……」
「もういいって、雑学おじさんはちょっと落ち着いてよ、聞いてもいない雑学いいだすの悪い癖だよ」
「ああ、ごめんにゃ。つい」
「ごめんね。雷山さん。そういえば昨日の取り組みTVで見ましたよ」
「ああ、情けない結果に終わって申し訳ないです」
「いや全然私なんかに謝る必要なんかないんだけど、どうしていつも上手を取るのにこだわってるの?」
「僕が尊敬する北斗富士関の得意技が上手投げだったものですから、師匠にも注意されるんですけどどうしても尊敬する人の技を使いたいんですが中々上手くいかなくて、情けないです。もう少し体重があれば当たり負けせずにまわしが取れるのに……」
ピキッツ‼
力を込めた雷山の右手のマグカップから亀裂音が聞こえた。
「おおう!」
思わず声を上げ、両手でカップを支える雷山。
あかりも慌ててカップを支えようとするが当然あまり意味はない。すると三太が一目散にキッチンに戻り、大きめの片手鍋をもってきてカップの下にセットした。
「ずっちー、ゆっくり鍋の中にカップを置くにゃ」
「はい」
雷山は言われた通り少し手が震えながらもゆっくりと鍋の中にカップを入れてさっと手を放す。するとカップは真っ二つに割れ、中のカフェオレがざあっとがこぼれだした。
「ふう、危なかったにゃ」
「すみません。お店の大事なカップを」
雷山は立ち上がって深々と頭を下げる。
「いや、そんなことよりも怪我してないかにゃ」
「大丈夫です。本当にすみませんでした」
「いや、カップのことは気にしなくていいけど、ずっちー用に買ったデカくて丈夫なマグカップだったんにゃけど、それを片手で割るなんていったいどんな握力にゃ」
「はあ、一応百キロ以上はあるみたいです。それ以上針が行かなかったので正確にはわかりませんが」
「「百キロ‼」」
あかりと三太は声を揃えると。雷山は照れくさそうに、もじもじしている。
「素人の僕がこんなこと言うのは差し出がましいんにゃけど、そんなにすごい握力なら体重が軽くてもやりようはあるんじゃないの?」
「と、いいますと?」
「最初から上手を取りに行くんじゃなくて、先に前みつをまずとって相手をその握力で動けなくしてから、上手を取りに行くとか。相手が大きくても前みつなら手が届くにゃ」
「おお、なるほど」
あかりはやれやれという顔であきれていたが、思いの外、雷山も三太の言葉に耳を傾けている。
「そして前みつを取るためにはなるべく体制を低くして頭から突っ込んで潜り込むにゃ」
雷山は三太の言葉をかみしめるように聞き、深くうなずいている。
そばで見ていたあかりが三太の耳元でささやく。
「ちょっと、あんたみたいな素人が適当なこと言って、大丈夫?」
三太も小声で返す。
「大丈夫にゃ。昨日読んだ相撲漫画で主人公の師匠がそういってたにゃ」
「ちょっと、漫画って……あの~雷山さん?」
「さすが三太さんです。それには気が付きませんでした!」
興奮気味の雷山にあかりの声は届かない。
「とにかく、ガッと取ってギュッと引いて、グリンと投げるにゃ」
「ガッ! ジュッ! グリン! ですね」
「ジュッ! は違うにゃ、いつ僕が肉焼いたにゃ! ガッ、ギュッ、グリンにゃ」
「すみません、ガッ! ギュッ! クリン! ですね」
「今度は最後にパーマがかかってるにゃ! グリルにゃ! あれ? グニャリだったか?」
恐ろしく不毛な会話をする二人をあかりは冷たい目で眺めていたが、十分にも及ぶ問答の末、
「ガッ! ギュッ! グリン! ですね。完全に理解しました」
「そうにゃ、それにゃ!」
「これで勝てそうです。ありがとうございました!」
雷山は深々と頭を下げる。
あかりはこわばった顔で雷山におそるおろる話しかけようとしたが、
「ごっつあんです! 早速明日から試してみます!」
雷山は勢いよく立ち上がり代金をおいて、疾風のようにお店を飛び出していった。
「ちょっと! あたし知らないからね」
そしてまた翌日、雷山の取り組みが始まろうとしている。
三太とあかりはランチタイムのお客が帰った後の店内で相撲のTV中継を見ている。今日の雷山の相手は昨日よりもさらに重い、体重二百キロの浪花海である。しかも、雷山はこの浪花海とこれまで三回対戦しているがまだ勝ったことがない。
仕切りをする雷山の顔も緊張気味だ。仕切りをする雷山の額から汗がにじみ出て土俵に雫がぽとりぽとりと落ちる。
相手の浪花海は雷山と相性がいいせいか少し余裕を感じさせる。
そして何度かの仕切りのあと、時間いっぱいになり、立ち合いの瞬間を迎える。ゆっくりと右手をつき相手の目を見ながら左手をつくと同時に軍配が返り、二人の体が土俵の中央に弾けだす。三太の助言を真に受けた雷山は地面すれすれの低い姿勢で相手を目掛け頭から突っ込んでいった。
ゴツッッッツ!!!
TV画面から通してみてもわかるほど雷山の頭と浪花海の頭が激しくぶつかり、大きな衝撃音が会場中に響き渡った。
お互いの頭が弾け反り返るような体制になったが、雷山は右足を後ろに弾いて踏ん張ることで直ぐに体制を整え、右手を伸ばして浪花海の前みつを取ろうとした。しかし、その手が浪花海の前みつにに届くことはなかった。
雷山の突進をもろに頭で受けた浪花海は、白目をむいてその場に膝から崩れ落ちていたからである。
目標を失った雷山の手はしばらく手もちぶさたに宙をさまよっていたが、やがて状況を把握し雷山は戸惑いながら勝ち名乗りを受けていた。相手の浪花海も一瞬気を失って心配されたが、しばらくして目を覚ましドクターが確認した結果、脳震盪の疑いはなく無事支度部屋に帰って行った。
二人は雷山の勝利を喜ぶのも忘れ、TVの前でしばらく無言で画面を見ていたが、しばらくして、
「えーと……、まわし取る前に終っちゃったね」
あかりが半笑いで三太に言うと、
「んん? まあ、結果オーライにゃ」
三太はあかりとは目を合わさず厨房の奥に行き、例の相撲漫画の続きを読み始めた。
次の日より、雷山はこの頭からのぶちかましを武器に残りの取り組みを全勝して来場所の十両昇格を確実なものとした。もっとも当の本人は前みつを取ろうとしているだけなのだが、その前に相手が倒れてしまうのでいつも勝った後、不服そうに首をひねっていた。本当は上手投げて決めたいのであろう。
どうやら雷山の最大の武器は握力ではなく親父さん譲りの石頭だったようだ。
おあとがよろしいようで。
続く




