第三話 三太が立った日
今回は過去編です。
これは今からおよそ十年ほど前の話。まだ喫茶ミケは存在せず、あかりは父親と猫の三太と暮らしている高校生だったときのこと。
ある日あかりは飼い猫の三太以外誰もいないはずの自分の部屋で背中から声をかけられた。それも聞きなれない人間の言葉で。
「よう! あかり、こっちこっち。やっと人間の言葉をちゃんと喋れるようになったにゃ」
「え……」
戸惑いながら、振り向いたその先には二本足ですっと立った三毛猫の三太がいた。背筋はピンと伸び、猫背ですらない。
「ええええええ~っつ‼」
腰を抜かしたあかりに動じることもなく、仁王立ちの三太は自分が人間の言葉をしゃべれるようになるまでのいきさつを話そうとしたので、あかりは慌てて制止した。
「いやいや! まってまって! 話進めないでよ!」
「まあ、いいから一旦、話を聞くにゃ。質問タイムはちゃんと設けるから」
三太が言うには昨年から尻尾がムズムズしてきて、人間の言葉が少しずつ分かるようになってきたそうだ。同時に少しづつ人間の言葉を真似して短い単語を喋れるようになってきたが、まだコミュニケーションをとれるレベルではないため、人前では喋らないようにしていたという。
あかりは思い出す。そういえば半年くらい前に三太がちょっと喋ったのを聞いたことがある。正確には喋ったように聞こえる鳴き声だと思っていた。
夕方に突然「ぎょはんまだ~」と三太の口から発せられたように聞こえた。当時は喋る猫の動画をよく見ていたため、うちの子もついに喋りだしたかと爆笑したものだが、あれは空腹のあまり三太がうっかり喋ってしまったんだろう。その後三太は気まずそうに外を見ていたし、その日以降三太は今日まで二度と言葉を発していなかった。
まだあかり自身も現実を受け止め切れてはいないが、とにかく目の前の猫が流暢な日本語で自分のことを説明していることは確かなのでいったん事実として受け入れざるを得ない。よく見ると尻尾も二本になっている。これは本で見た“猫叉”という奴なのか?
あかりの鼓動はいつもよりも早くビートを刻んでいる。まずこの事実をどう処理したものか考えていた。こんなことをお父さんに言ったらそうでなくても病弱な父の心臓が止まってしまうかもしれない。あかりはひとまず息を整え、三太に提案する。
「いろいろ聞きたいことはあるけれど、とりあえず人間の言葉で話しかけるのは私だけにしてくれる? 三太も知ってるだろうけど、ウチのお父さんはお化けとか妖怪とか苦手だし、心臓も弱いからこんな姿の三太を見たらどうなるか心配で」
「お化けと一緒にされるのは心外だけど、お父さんが喋る猫を現実として受け止めきれないのは同感なのでわかったにゃ」
「言っとくけど、私もまだ心の底からは受け止められてないからね。うーんと、私の何となくの知識では長生きした猫が猫叉とか化け猫になるって聞いたことあるけどアンタもそういう感じ?」
「自分が生物学的になんなのかまだ判断つかないから、まあ一旦猫叉でいいにゃ」
そんな訳でこのことは二人の秘密とし、家族である父親にも内緒にすることになった。そんな中、三太は暇があればあかりの部屋の本を読んだり、三丁目に住む物知りの先生に日本語や人間界の一般常識を習いに行ったりしていた。
「なあ、あかり。料理の本持ってないかにゃ?」
三太があかりの部屋を覗きながら聞く。
「お父さんの部屋にはいっぱいあるけど、そんなの見てなにするの?」
「だんだん手先も器用に使えるようになってきたから、料理もしてみたいと思ってにゃ」
三太は右手……いや右前足を前にだして器用にグーチョキパーをして見せる。
「アンタねえ、家の商売なんだと思ってるの? お客さんの料理に猫の毛入っちゃったらどうするのよ」
「店じゃなくて家の台所使うから大丈夫にゃ。それに最近人間の体に化ける練習もしてるから、完全に化けられるようになったら肌もつるつるにゃ」
「人間に化けるって、そんなのどうやって練習すんのよ」
「三丁目の先生にやり方を教えてもらってるにゃ。先生が言うには猫叉はキツネやタヌキほどではないけど、練習次第で出来るようになるって。でも時間がかかるから毎日練習するように言われてるにゃ」
「物知りにも限度があるでしょ。あの先生」
「まあ、あの先生は特別だからにゃ」
三丁目の先生のなにが特別なのかは説明すると長くなるので、また別のお話で触れるとして、この猫叉の三太はオス猫なのだが三毛猫でオスというのは極めて珍しいことである。諸説あるが、ある研究機関の研究では三千分の一とも三万分の一ともいわれている。原因は染色体の仕組みによるもので、オスとメスでは保持できる染色体が違うので茶色とオレンジと両方の色が出ることは通常ないそうだ。そんな希少性が影響したのかどうかは不明だが三太が猫叉になったことにも影響していたのかもしれない。たぶん。
「まあいいわ、お父さんに言って何冊か借りてきてあげる。でも読むときは必ず私の部屋で。お父さんが仕事中の時に読んでよね」
「わかってるにゃ」
三太がまた右前足でOKサインを作る。それをあかりは微妙な顔で見ていたとき一階の店からお父さんの声が聞こえる。
「おーい、あかり~! 手伝いお願い!」
「はーい!」
あかりは店の手伝いをしに一階に下りて行った。
あかりの父はイタリアンの料理人であった。自宅の一階で店を開いており多くの常連が通う人気店であったが、あいにく父は若いころから心臓が弱くペースメーカーを付けて生活していた。そのため、お店は週四日しか開けることが出来なかったが、それでも普通に生活できるくらいに収入があったのだから、逆に大したものだとあかりは思っている。
グルメ系雑誌の取材も何度か来たが、お客が増えたら逆に困るという理由で全て断っていた。一日働いたら一日休みくらいでなんとか体調を維持していたので、行列が出来る程流行ってしまったら身が持たないというのが本当の所だろう。。
そんな父親もやがて持病の心臓の病気が悪化し帰らぬ人となってしまった。三太が人間の言葉をしゃべるようになってから六年程の月日が経った頃だった。
病状は医者からもあかりに伝えられており、あかりもそれなりの覚悟はしていたが、いつまでも来てほしくないと思っていたその日はかくもあっけなく訪れてしまった。
父親には年老いた両親、つまりあかりにとって父方の祖父母が大阪におり、訃報を聞いて駆け付けたが、こちらもこれまた病弱で体力的に葬儀を取り仕切るのは難しかった。「家族全員病弱って何の呪いだろう」とあかりは愚痴ったが仕方がない。葬儀はあかりが喪主と務め、お店の常連でもあった和尚さんの町内にある小さなお寺でしめやかに行われることになった。
「和尚さんが引き受けてくれてよかったにゃ。それにしても常連さん達に葬儀について案内しなくてよかったのかにゃ?」
この頃、既に人間の姿にも化けられるようになっていた三太は、葬儀当日の受付をすることになっていた。
「あまり大げさにしたくないしね。お父さんが亡くなったことは、町内会で伝わってるだろうから、何人かでも来てくれればお父さんも喜ぶとは思うけど」
しかし当日、父別れを惜しんだ常連客でお寺のお堂はあふれかえっていた。和尚さんから口コミで広がったらしい。当日の朝もひどく落ち込んでいたあかりであったが、こんなにも多くの人に愛された父親を誇らしく思い、喪主として凛とした態度で父を見送り、集まってくれた弔問客一人一人に丁寧に応対した。
「やっぱりうちのお父さんはすごいな」
安らかな顔で眠りについている父の傍らに父が愛用していたコック帽を置きながら、あかりは誇らしげにつぶやいた。
その後、あかりは父親のいない家で一人で住むことになったが、三太がいたことで気持ちがずいぶん救われていた。もちろん最愛の主人を失った三太もまた心に深い傷を負いながらも、あかりが生まれたときから兄弟のように接してきたこともあり、兄貴分として、努めて明るく振舞っていた。
「ちょっと、あかり起きるにゃ」
自分の部屋のベットで二度寝しているあかりに三太が声をかける。
「なによお。こっちは三週間ぶりの休みでクタクタなんだからもうちょっと寝かせてよ」
この頃、あかりはとある会社の営業職に就いていた。中々休みが取れない会社のようで、有給休暇もあってないようなものであった。
「もう昼過ぎにゃ。そんな全然休ませてもくれない会社辞めちゃえばいいのに。でもまあ、クタクタだからこそ食べて欲しいものがあるにゃ」
あかりはブツブツ言いながらも、もぞもぞとベットから起きてくる。昨日は上下スエットの部屋着のまま寝ていた。
「ナポリ風ピザを猫の好きな鰹節でアレンジしたニャポリ風ピザにゃ! カツオに合うようソースもお好み焼きソースにゃ」
「じゃあ、お好み焼きじゃない」
「いやいや、チーズのってるし」
「じゃあ、チーズ入りのお好み焼きじゃない。それに毎回ダジャレを絡めてくるのはなんなの?」
「お父さんがよくダジャレを言ってたから僕にもうつったにゃ」
「えー嘘だあ。真面目なお父さんがそんなこと言う? 私一度も聞いたことないよ。おじいちゃんとおばあちゃんならいざ知らず」
「ほんとにゃ。僕と二人きりのときはよくダジャレを言ってたにゃ」
「えー、ほんとかなあ? 例えばどんなの?」
「まあ……細かいことはいいんじゃないかにゃ」
「なーんだ、やっぱ嘘じゃん」
とまあこんな感じで軽口を言いあうのが日常であった。ある意味カラ元気ともいえるがそれでもカラ元気の効果はあり、二人は徐々に前向きに過ごすようになっていた。
そんなある日のこと、三太がお店を再開したいとあかりに言ってきた。
「ねえ、あかり。お父さんのお店だけど、またなにかお店をやろうにゃ」
三太はこのころには人間の知識をかなり身に着けており、猫叉のことも勉強して自分が猫叉であるということも自認していた。
また、お父さんがなくなった後は気を使わなくなったのか、しょっちゅう人間の姿になっており、生きていたころのお父さんの真似をして一階のお店の厨房を使って料理も作るようになっていた。そして今も人間の姿で喋っている。
「お店をやるって言っても三太も本格的なイタリアンまでは作れないじゃない。それに私も、もう就職してるし」
「もちろん、本格的なイタリアンは無理だけど軽食くらいは作れるから喫茶店なんていいんじゃないかにゃ。今でも僕が家でパスタやサンドイッチはよく作ってるし、あかりも『すごい美味しい』って言ってくれてるにゃ」
「うーん、確かに三太の料理は美味しいとは思うけど、お客さんに出す以上は味も安定させないといけないし、原価率の計算や保健所の許可とか後、衛生管理の資格とかもも要るんだよ」
飲食店で料理を提供する際は食品生成管理者の講習を受けて証明書をもらう必要があるし、保健所の営業許可もいる。いくら人間に化けられるといっても戸籍のない三太にそれらの手続きを行うことは無理な話だった。
「もちろん資格とか手続きとかそうゆうのはあかりにやってもらうにゃ。料理に関してはちゃんとレシピを作ってカロリー計算もするし原価計算も僕がやるにゃ。栄養士の本は読み漁ってすでに知識は習得済み。資格試験を受けられないのは残念にゃけど」
「まじかよ~」
あかりはおもわず頭を抱えたが、亡くなった父の店を引き継ぐということにはちょっと心が動いていた。また自分が就職した会社でも問題を抱えていたこともあり、“ナシ”よりの“アリ”のような気もしてきていた。
「でもさ~それだったらいい加減言葉の語尾に『にゃ』ってつけるのやめなよ。人間の姿でそんな喋り方するのはかなりイタいよ。猫の姿で喋るのはもっとイタいけど」
「好きで付けているわけじゃないけど、どうしてもついてしまうにゃ~、猫叉の習性なんじゃないかにゃ~」
三太は困ったように首をひねるが、三十代の人間の姿なのでやっぱりイタい奴にしか見えない。
「ほかに猫叉知らないから否定も肯定も出来ないわ。でも、こんな人(猫)がシェフやってる店なんて大丈夫かな~」
あかりも首をひねりながら三太を見るが、何やら根拠のない期待のようなものが心に中に芽生えるのを感じていた。
かくして猫又と人間の凸凹コンビは喫茶店の開店に向けて動き出すことになり、いろいろ苦労しながらも約一年の月日を経て喫茶ミケは誕生したのだった。
続く




