8話 お父さん、本当に死んだと思ったよ。
木剣が唸りをあげて振り下ろされる。
「…っ!」
反射的に剣を上げる。
受け止めた……はずだった。
衝撃が腕から肩、足まで突き抜ける。
手が痺れ、言うことを聞かない。
なんとか、剣を握り直す。
次の一撃が、飛んでくる。
速い。
重い。
容赦ない。
「くっ…」
辛うじて弾き返した瞬間、膝が折れる。
視界の端でアッシュの動きだけが鮮明で、止まって見えた。
次は上から。
見切った──。
「いったぁぁぁぁ」
強烈な衝撃が頭を貫き、倒れ込んだ。
俺弱えぇぇぇぇぇぇぇ。
てか、木剣痛すぎない?
頭かち割れるぞ。
「おっさん、大丈夫か?」
「アッシュ、陽介さん強くないんだから、手加減しないと」
ピート君、ナチュラルな追い打ちやめよ?
俺、戦いのセンスも皆無かも。
相手してくれたアッシュは、めっちゃ強い。
てか、模擬戦、みんな普通に強い。
体が全然動かねぇよ。
はぁ、悲しい気分でも空はこんなに澄んでいる。
流れていく雲の形も“ヨワイ”に見えてきた。
「私たちは、五歳から訓練してますし、これからですよ」
セーナさん、その励ましは逆につらいよ。
確かに初めてだからと言えば、そうだけど、俺には時間がない。
俺もう三十六よ?
ここから伸びしろある?
俺はもう無理かもしれない。
魔力の訓練もしたけど、俺には魔力がカケラもないらしい。
普通の人は、ほんの少しでも魔力があるそうだよ。
みんな魔力操作の訓練してる中、俺だけランニング。
バスケの試合中にやらかして、一人だけ外を走っていた、あの時と同じ感覚でした。
あのクソ女教師、見捨てるの早すぎだろ。
はぁ……。
何で?
何で俺には、こんなに何もないの?
「──おい!おっさん、聞いてんのか?」
「アッシュ、お前強えぇな」
「まったく、しっかりしろよ」
「今日はもう終わりですし、着替えて帰りましょうか」
「そうするかぁ」
はぁ……。
◇◇◇
ため息しか出ないし、身体中が傷だらけだ。
校舎を出ると、生徒たちはそれぞれの帰り道へ散っていく。
俺だけ取り残されたみたいに、足取りは重い。
「陽介さん、私の買い物に付き合ってくれませんか?」
セーナさん、居てくれてありがとう。
一人だったら、たぶん泣いてる。
「…いいよ、何買いに行く?」
「魔法石です!キーストーン作りたくて」
あれね。
素敵なアクセサリー。
売れてほしい。
「そういえばさ、学校のみんなってギルドスクールには行ってたの?」
「行ってましたよ!ニートゥーでも五歳から十五歳までは通えますね」
向こうの義務教育的な感じなのかな?
「肩身は狭そうだな」
「はい、すごく」
即答だった。
やっぱり、そうだよね。
パーティーも組むみたいだし、そこに無職は入っていけないな。
「ここ、よく来るんです」
店の看板には“ベルークの店”と書かれている。
店内には様々な道具が丁寧に並べられ、カウンターでは、小太りのおっちゃんが硬貨を数えていた。
「すいません、魔法石ありますか?」
「おっ、セーナちゃん。悪い、さっき、全部売れちまった」
「そんなぁ…一気にですか?」
「あぁ、俺も長いこと店やってるけど、こんなの初めてだ」
ここも魔法石が売り切れなのか。
俺も買えなかったしな。
「そうですか…また来ます」
二人で店を後にして、次の店へ向かう。
「魔法石ってそんなに人気商品なの?」
「いえ、普段はたくさん置いてるんですが……」
この前、リズも売り切れで驚いてたし、珍しいことなんだろうな。
「ちょっと、このお店見てきますね」
しばらくして、セーナさんが戻ってきた。
表情は暗く、買えなかったことがすぐに分かった。
セーナさんは肩を落として、小さく首を振る。
「…売り切れでした」
「そうか、こんな事もあるんだな」
「でも、最近よくあるんですよね」
「最近?そうなの?」
「えぇ、理由は分からないんですけど…」
理由は分からない、か。
ん?
なんだ?
誰かに見られてる気がする。
一体、どこから?
あたりを見渡す。
この通りは、昨日と変わらない喧騒に包まれている。
行き交う人々、馬車の車輪が地面とこすれる音。
どこにも異変はない。
──だけど。
その視線だけが、そこから浮いている。
狭くて陽の当たらない路地。
黒い影が溶け込むように立っている。
布の奥に沈んだ、顔までは見えない。
目が合ったわけじゃないけど、確かにこちらを見ている。
一歩踏み出そうとした瞬間、影は路地の奥へ引いた。
…待て。
今、追いかける必要あるか?
頭では分かってる。
この状況で怪しいやつを追うなんて、正気じゃない。
それでも、見なかったことにしたら、後悔する気がした。
「セーナさん、悪い」
声を潜める。
「希、見ててくれるか?」
「陽介さん?どうしたんです──」
「おい!待て!」
路地へ飛び込むと、街の喧騒が断ち切られた。
湿った空気と石壁の冷たさ。
曲がり角を一つ、二つと抜けるたび、音が逃げ場を失っていく。
気づけば、自分の呼吸と足音だけが、やけに大きく響いていた。
そして、視界が開ける。
袋小路。
朽ちた壁と崩れた木箱だけ。
逃げ場は、ない。
「おい、行き止まりだぞ」
怪しいやつが振り返った。
深く被った黒いフードの奥から、背筋が凍るような視線。
首元に見え隠れする蛇のタトゥー。
その赤い瞳が怪しく光った。
「……やはり、気づいたか」
「誰だ、俺に何か用か?」
「異世界人よ、お前、元の世界に帰りたくないか?」
……え?帰れる?
脳裏をよぎったのは、元の世界の景色。
忙しいけど、安定した生活。
約束された将来。
帰りたい、みんなで。
今すぐにでも。
「本当に帰れる…のか?」
「あぁ、我々に手を貸すのなら、教えてやろう」
心が強く引かれる。
道が開かれたようにさえ思えた。
……だけど、浮かぶのは、みんなの顔。
楽しそうに、はしゃぐ葵と湊。
理沙の無理に作った笑顔も。
「俺一人じゃ決められねぇ」
「なに?」
「俺は辛い……けど、子どもたちは生き生きしてんだ」
「理沙はきつそうだけど…前を向き始めてる」
なぜか、涙がこぼれた。
「だから、みんながこっちにいることを望むなら、俺はここで生きていく」
「愚かだな」
「なんだと?」
「しかし、だからこそ──その執着と未練が我らに必要なのだ」
「どういうことだ?」
「お前は知らなくていい……では、職業は欲しくないか?」
「……職業が、手に入るのか?」
「与えよう、我らの仲間になるのならば、な」
職業もらえる?
欲しい。
欲しすぎて、喉から上半身まで出てる。
でも。
「悪いが、真っ当な手段で手に入れるさ」
「なぜだ、力が手に入るのだぞ?」
「だって、お前、明らかに悪い奴なんだもん」
「なに?」
「悪人のテンプレみたいな格好してる」
「ひ、人を見かけで判断するな!」
「悪いな。まぁ、帰れるって教えてくれたのは感謝するよ」
「お前だけで見つけられると思うか?」
「なんとかしてみせるさ」
沈黙。
聞こえるのは、路地を吹き抜ける風の音。
「じゃ」
「……待て、逃すわけないだろう」
低い声が路地に滲んだ。
「え?」
「仲間にならぬのならば、ここで死んでもらう」
やっぱり、そうですよね。
この状況、逃げるしかない。
地面を蹴り出した、その瞬間──。
目の前に黒い霧が降ってきた。
霧の中から黒いローブが三人。
振り返ると、やつの周りにも影が三つ増えていた。
やべぇ、やっぱ出過ぎた真似するんじゃなかった。
全員が懐から杖を取り出す。
木の乾いた音が重なって響いた。
杖の表面には血管のように歪んだ紋様が刻まれ、何かが蠢いている。
俺に向けられた杖先。
囲まれた。
逃げ場が、ない。
喉が詰まり、うまく息ができない。
頬を汗が伝う。
あ、これ、完全に詰んでね?
かくなる上は…。
「お願いします!見逃してください!」
いつもの全力土下座で、なんとかするしかない。
額が無くなったっていい。
「家族が…妻と子どもたちが待ってるんです」
「ここで、命乞いとは…」
「絶対誰にも言いません!助けてください!」
あぁ、もう、ほんとに終わり。
無視して帰っておけばよかった。
杖先に黒い魔力が集まっていく。
魔力が凝縮されるにつれて、息苦しさは増していった。
ここにいるだけで、命が削られていく感覚。
「残念だ、異分子よ」
──あぁ、本当に終わりか。
死ぬ時は、理沙に『ありがとう』って言うつもりだったのに。
理沙、みんな、ごめん。
その時、誰かのうめき声。
轟音とともに黒いローブの一人が吹き飛んだ。
冷たっ。
…水?
空気を叩き潰すような水圧が、黒いローブを貫く。
一人、また一人と、水の奔流に呑み込まれ、壁に叩きつけられていく。
石壁に水がぶつかり、砕け、弾ける。
「誰だ!?」
「ここで何してんの?」
濡れた石を踏む音がした。
現れたのは、杖を構えたミーティアだった。
肩で息をしながらも、その視線は黒いローブから逸れることはない。
「我らの気配に気づいたのか?」
「その魔力、知ってる」
彼女の指先が杖を強く握りしめる。
ほんの一瞬、表情が歪んだ。
「……なんで生きてるの」
黒いローブが不敵に笑う。
「我らでは荷が重い、退かせてもらう」
「逃すわけない」
周囲に魔力が渦巻く。
ミーティアの横顔に迷いはない。
「水──」
「常闇の霧中」
黒いローブが、杖先の魔力を地面に叩きつける。
視界を喰い潰すように、黒い霧が一気に広がった。
「くそ、何も見えない」
しばらくして、霧がゆっくり晴れていく。
そこには、もう何も残っていなかった。
……いない。
消えた?逃げた?
黒いローブも気配もなにも。
本当にいなくなったのか?
「大丈夫?」
声もようやく耳に届く。
「ねぇ、聞こえて──」
「ありがとう!」
「うわっ、ちょっと」
思わず、彼女のお腹に顔を埋める。
この温もり、嘘じゃない。
「死ぬかと思ったよぉぉぉ」
よかった、生きてる。
生きてるよぉぉ。
はぁ、いい匂い。
「気持ち悪い、離れて」
「取り乱しました、ごめんなさい」
「…帰ろ」
「悪い、助けて」
「あいつら、もういない」
ミーティアの声は、まだ戸惑いが残っているように聞こえた。
「いや、腰抜けた、肩貸して」
ミーティアは小さく溜め息をついて、それでも黙って肩を差し出してくれた。
路地の奥。
まだ濡れた石壁に、黒い魔力の残渣が鼓動のように微かに脈打っていた。




