6話 お父さん、久しぶりに学校へ行く。
今日はいよいよ、職業開発学校へ行く。
俺にとって、唯一の希望。
リズから場所は聞いたものの…。
朝の理沙はいつもと変わらない笑顔で、子どもたちと接していた。
だけど、そのいつも通りが逆に怖かった。
あの笑顔の裏に、どれだけの不安が隠れていたのか、俺にはもう分からない。
ほんと、情けない。
守りたい人がいるのに、俺は何も持ってない。
だからこそ、今日からだ。
俺が職業を手に入れさえすれば、全部、変えられる。
「中央広場から城に向かう途中にある…っと」
ベビーカーを押しながら歩いていると、白い建物が視界に入った。
…これか?
石造りの落ち着いた街並みの中で、そこだけが異質な白だった。
光を跳ね返すのでなく、拒むような白。
きれいなはずなのに、妙な威圧感があった。
「ファラデール研究所……学校じゃないのか」
外壁は窓が少なく、屋根は球体。
巨大な目を閉じたような静けさだ。
見るからに怪しいけど、気のせいか?
不穏な研究とかしてないよね?
人体実験とか、賢者の石とか…。
「そんなことあるわけないでしょ」
突然、背後から声が飛んできた。
反射的に振り返る。
「誰っ!?」
腕を組んでこちらを見下す少女。
赤紫色の長い髪と白衣に似たローブが風に揺れ、やたらと目立つ。
年齢は十代後半くらいだろうが、態度は完全に上から。
「アンタ、研究所の前でなに妄想拗らせてんの?」
彼女は眉を細め、呆れたように口を開く。
「いや、つい…」
「人体実験とか発想が古い、何百年前よ。もっと効率のいい方法あるから」
「そうですか…って、なんで考えてたこと分かるんだよ」
「普通にしゃべってたし」
「まじで?」
「自覚ないの?バカなの?」
こいつ、明らかな年上に対して、よくそんな事言えるな。
いつか痛い目見るぞ。
てか、今日見ろ。
「うるせぇな、あんた誰なんだよ」
「マリィ・ガルバーニ。この研究所の天才」
うわ、出た、自称天才。
いるよね、大した実績もないのに、自己評価が高いやつ。
会社にもいましたよ。
エクセルの関数組んだことを偉業のように語る人。
「アンタ、今“自称天才”とか思ったでしょ?」
「は…?今度は口に出してないぞ」
「ほら、図星」
「なんで分かんだよ!?」
「その間抜けそうな顔に、ぜーんぶ書いてあるから」
また顔を馬鹿にされた。
何なの?この世界の人たち。
本当に人の気持ち、考えないの?
くそ、なんとか一矢報いたい。
「じゃ、天才様の圧倒的な研究成果、聞きましょうか」
「めんどくさ……庶民にも分かりそうなので良い?」
「どうぞどうぞ、庶民代表なんで」
「家の中、灯り点くでしょ?あれ、アタシの研究」
「……まじ?」
あれ作ったの?
嘘だろ?
「家で火、水が使えるとか」
「天才やん」
シンプルに即答しちゃった。
悔しいけどこいつは、本物だ。
マリィが深いため息をついた。
これだから庶民は…と思ってるに違いない。
「どれも未完成だけどね、でも一般人には十分でしょ」
「ちょっと鼻につくけど、すげぇわ」
「簡単な魔法の応用。で、アンタはここに何の用?」
「いや、俺は職業開発学校に行くんだけど」
「こっち」
マリィは白いローブを翻しながら歩き始める。
歩き方まで、天才のそれに見えてきた。
「案内してくれるのか?」
「そのかわり、その押してるやつ、見せてね」
少し恥ずかしそうに、ベビーカーを指差す。
「……それ、少しだけ興味ある」
「これか?えーどうしよっかな~」
「ちょっと、見せないよ──」
研究所の影から一人の男が現れた。
「またサボりですか?マリィさん」
「げっ、ノーマン」
マリィが露骨に嫌な顔をした。
切れ長の目を細め、銀色の長い髪を背中に流している。
絶対に本気出す時だけ目を開けるタイプの男。
「ここで何を?」
「べ、別に、これも研究。アンタにはわからないでしょうけど」
強気な声が震えていた。
さっきまで、人を馬鹿にしまくってたやつと同一人物とは思えない。
「所長には私から伝えておきますね」
その一言で、マリィの表情が一段階暗くなった。
「そ、それはやめて」
焦りすぎて語尾が裏返っている。
余程、所長が怖いらしい。
……弱点、見つけたぞ。
「では、仕事に戻りましょうか」
「じゃあ、それ今度見せなさいよ」
そう言い残して、マリィは逃げるように去っていった。
「まったく、あの人は」
ノーマンと呼ばれた男は、ため息をつき、切れ長の目を細めた。
いや、元から細いけど、さらに鋭くなった気がする。
というか、もはや閉じてる。
そして、その刃物みたいな視線を俺に向けた。
職質の時に感じた圧、いや、それ以上だ。
「…それで、あなたは?」
「陽介です。職業開発学校に行きたくて」
「そうでしたか、丁度良かったですね」
「というと?というか、あなたは?」
「私はノーマン・ハートウェルと申します。ある研究と職業開発学校の統括をしています。ご案内しますよ」
淡々としているけど、不思議と嫌な感じはしない。
「ありがとうございます」
ノーマンの後をついていくと、重厚な石造りの建物が姿を現した。
ギルドスクールよりは小規模だけど、門にある紋章が魔力を帯びて輝き、可能性の匂いがした。
職業開発学校──ここか。
ここが俺の、家族の未来を変えるかもしれない場所。
──頼む。俺にも何か職業をください。
正門をくぐると空気が変わった。
自分の覚悟を試されているような緊張感。
「ここでは、職業を発現させるために色々な訓練を受けることができます」
「訓練?」
「はい。戦士、魔法使いといった様々な職業に必要な基礎能力を高めます」
校内を歩きながら、説明を受ける。
木造の床がベビーカーを受け止めるたびに、柔らかく軋んだ。
開け放たれた訓練場には、木剣が整然と並ぶ。
使い込まれた床は生徒たちの汗が刻まれ、この学校の歴史を物語っていた。
隣の教室には水晶や魔法石が飾られ、淡い光を反射して俺の影を移す。
これまた、異世界の学校という感じだ。
ノーマンに聞くと、ここは才能を伸ばすというより、潜在能力を引き出すようなカリキュラムになっているそうだ。
…ここに入れば、俺の潜在能力も芽を出す、きっと。
そんな予感がした。
「最後に、学校を休む時はご自由にどうぞ」
「結構、緩いんだな」
「良いんですよ、人それぞれ事情がありますから」
緩い雰囲気の割に、この人に見られると何故か背筋が伸びてしまう。
「では、こちらの入学願にサインを」
「これで大丈夫か?」
ノーマンは申請書を一瞥すると、眉をわずかに動かした。
「陽介さんは三十六歳なのですね」
「そうですけど、ダメですか?」
「いえ、その年齢で職業が欲しい理由を、聞かせてもらえませんか?」
「家族を守るために、力が欲しいんだ」
ノーマンのまぶたが少し開いた気がした。
「そうですか…幸運を祈ります」
「あと、子どもって連れてきても大丈夫ですか?」
「特に決まりはないので大丈夫ですが…連れて来る方はいないですね、十代ばかりですし」
ノーマンがベビーカーの希に優しく微笑みかける。
「才能あふれる素敵な瞳だ」
何考えてるか読めないけど、意外と悪い人じゃないな。
これは心優しい人の目だ。
「すみません、お湯もらっていいですか?」
「お湯ですか?いいですよ。職員室でもらってください」
そろそろ、お腹すくよね~希ちゃん~。
お父さん、そんな予感がするよ~。
そんなことを考えながら、教室に案内される。
深呼吸して扉を開けると、二十人くらいの生徒たちが一斉にこちらを向いた。
ぱっと見、十代後半ばかりで、若さが教室を明るくしている。
なんか懐かしいな、高校生に戻ったみたいだ。
…まぁ、当時はベビーカー押してなかったけど。
流石に三十代はいないか…。
やっぱり浮くなぁ。
「……ぁ、う……」
希が泣き出した。
その瞬間、教室の空気が止まる。
クラス中の視線が俺と希に突き刺さる。
あ、この感覚、身に覚えがある。
『私服でお越しください』って言われて、俺以外全員スーツだった、あの日──。
今日はベビーカーもついてる。
もう誤魔化しようがないレベルで、俺だけ別世界。




