4話 お父さん、本物のバケモンを見たよ。
昼過ぎのギルドは、人の波も落ち着きを見せていた。
とはいえ、ペンの走る音、職員の忙しない足音は変わらない。
相変わらず忙しそうだな。
そして、眼前には目を丸くして固まっているリズ。
俺の顔と机上の金貨を交互に見ている。
「陽介さん!一体、このお金はどうしたんですか!?泥棒はダメですよ!?」
子どもを学校に送った後、家をこの世界仕様にしてもらおうと話してたんです。
ポケットから金貨を出したら、こうなっちゃいました。
「そんなことしてねぇよ、貰ったんだ」
「大金ですよ!?この金貨は“ヴェルディア金貨”といって、一枚で家が一軒建ちます!」
あらあら、やっちゃってるね。
まったく、あの王、そんな大金ぽんと出すなよ。
まぁでも、王だし、金銭感覚とかないか。
お金を稼ぐ大変さ、知らないだろうな。
「くれたの、王様」
「王様に…?貰った?」
「うん、なんか家に来た」
「王様にもお会いしてるんですか!?なんで家に!?」
もう、めちゃめちゃ困惑してるじゃん。
これ以上のやっちゃいました展開もめんどくさいし、話を戻そう。
「それで、増築お願いできる?」
「そ、それは手配しておきますけど…びっくりさせないでくださいよ、規格外ですね、無職なのに…」
無職なのに…は余計だろ。
なんで一回、傷つけるの。
メンタルにデバフかけてくるの止めよ?
リズはこほんと咳払いして、引き出しから書類を取り出す。
さっきまで慌てていたのが嘘みたいに、ペンを持った瞬間、目つきが変わった。
少し抜けていそうなのに、仕事モードになると、表情が変わるんだな。
姿勢も数ミリだけシャキッとしている。
ギャップというやつか。
後輩にも一人こういう子いたっけ。
「…水回りと料理器具と灯りですねー、ここにサインを」
「これで良いか?」
「はい、大丈夫です!手続き進めますね」
「ごめん、あとさ、ギルドスクールの準備する物ってどこで買えるの?」
「街で買えますけど、職業開発学校は行かなくていいんですか?」
「いいんだ、子どもが先だからな」
「お父さんですね〜」
リズは感心したように、そっと口元をほころばせていた。
「当たり前だろ、それで、お店はどこ?」
「一緒に行きましょうか?」
「良いのか?」
「これも仕事です!」
「悪いな、助かる」
「良いんですよー」
入学準備か…。
葵の時、ランドセルは買いに行ったけど、他に買う物ってあったんだろうか。
それすら、知らないなんて父親失格かもしれない。
入学説明会も仕事だったし、入学式も仕事のせいで開始ギリギリだった。
その割に号泣して、理沙が引いてたなぁ。
今思うと、仕事を理由にして理沙に任せっきりだったな。
だったら、せめて今回は…。
手伝ってもらっているけど…。
「ここに書いてある、マジックコンパスとかエレメントフェザーとか、シェルオーブって何?」
「全部必需品です!マジックコンパスは、強い魔力を感知してくれたり、家とかに帰る時に使いますね」
「用途じゃなくて…そもそも、どんな見た目かわからないのよ」
「では、オススメのお店があるので行きましょう!」
リズは勢いよく、ギルドの扉を指差す。
「ちょっと歩きますけど、赤ちゃん、大丈夫ですか?」
「大丈夫だけど、明日からベビーカーにする」
「べびーかー…が分かりませんが、大丈夫ならOKです」
俺たちはギルドを後にして、街へ出た。
◇ ◇ ◇
昼過ぎの異世界の街。
温かい陽が心地よくて、歩いてるだけで気持ちいい。
パンと香辛料の香りも魅力的だ。
腹、減ったなぁ。
馬車も走ってるし、店先はどこも賑わってる。
まさに異国情緒あふれる、だな。
「希〜、おひさま、気持ちいいね〜」
背中の希も気持ちよさそうに、手を伸ばしている。
「気持ち良いですよね〜」
リズは軽やかにくるりと一回転する。
嬉しさを隠せていない、動きにそのまま出ている。
「なんか、楽しそうだな」
「えっ?そうですか?やだなー」
「もしかして、サボりたかっただけか?」
「そ、そんなわけないじゃないですか」
図星だったのか、すごい慌てている。
まぁ、気持ちは分かる。
仕事中に外出てると楽しいもんな、サボれるし。
「い、いいですか、これも立派な──」
リズは弁明を続けていたが、その足が石畳の段差に引っかかった。
「あっ」
小さい悲鳴とともに体が傾く。
「危ないっ」
咄嗟に腕を伸ばした。
思ったより軽くて、柔らかい衝撃が腕に収まる。
ふわりと甘い香りがした。
「す、すみません……ありがとうございます」
リズの声は妙に上擦っていて、耳まで真っ赤だ。
「大丈夫か?」
小さく頷いて、歩き出す。
俺に追いつかれないように少し早足だった。
そのまま後をついて歩く。
武器屋、防具屋、鍛冶屋──異世界らしいお店が軒を連ねる。
やがて、一角でリズが立ち止まり、指差した。
木の看板に『ライム魔術堂』と書いてある。
小さな風鈴が軽やかな音を響かせていた。
「ここは、魔道具を買うのに最適なお店です」
店に一歩踏み入れると、思った以上に異世界のお店していた。
杖に瓶、お札やら水晶やら、わけの分からないものがぎっしり。
天井から吊るされた草の匂いか、ちょっと苦い匂いがする。
たくさんの壺を見ると、不思議と割ってしまいたい衝動に駆られる。
クローゼットも開けてしまいたい。
なんだこの感覚は。
「おや、リズ、どうしたんだい?」
「ライムさん、こんにちは」
「男と一緒なんて、デートかい?」
「違いますよ!」
店主の女が俺を品定めするように、じろりと見る。
「リズ、所帯持ちに手を出しちゃダメじゃないか」
「だから、違いますって!」
「あんたの好きそうな顔だね」
えっ、まじ?俺の顔がタイプ?
理沙以外に言われたことない。
「いやいや!こんな平凡でどこにでもいそうな、つまらない顔は全然好みじゃないですよ」
そんなに言わなくて良くない?
顔がつまらないって何?
なんでこんな言われてんだ、ひどいもらい事故。
「ライムー、あれ、ちょうだい」
背後で突然、声がした。
思わずびくっとしてしまった。
いつから、そこに…?
隣に立っていたのは、十代後半ほどの女性の魔導師。
青い髪に淡い水色のローブ。
腰元に差した短い杖だけが、静かに“魔導師”の存在感を示していた。
パンをかじりながら立っている姿は無防備なのに、気配を全く感じなかった。
「まったく、店で食べるんじゃないよ、ミーティア」
ライムがぼやいても、気にせずパンをかじる。
「お腹すいてるし、別にいいじゃん」
「ミーティアさん、こんにちは!」
「リズ、今日はデート…?結婚してる人に手出したらダメだよ?」
「違いますよ!ミーティアさんも、ライムさんも何なんですか?もーっ」
リズの抗議が虚しく響く中、ミーティアはパンを食べ続けている。
「あっ、陽介さん、これがマジックコンパスです。こうやって手をかざして、魔力を込めると…」
コンパスの指針が震え、青い強い光とともにある方向を示した。
「有り得ない、こんな反応…」
言い終えるより先に、店の外から悲鳴が響いた。
外が騒々しい、何が起きている?
「どうしたんでしょうか…行ってみましょう」
店の外に飛び出すと、人々が悲鳴と怒号が耳を刺した。
石畳が地響きでひび割れ、土埃が舞い上がっている。
黒い影。
いや、そんな生易しいものじゃない。
全身が装甲のように硬い毛で覆われた巨体が、石畳を蹴って、こっちに迫ってくる。
空気が揺れるたびに、地面が陥没した。
「イビルボア…どうしてこんなところに」
今朝、倒したイノシシの親か?
だけど、あの比じゃない、桁違いの大きさだ。
牙が風を裂く。
その一振りで、逃げ遅れた男性が宙を舞った。
赤い目に射抜かれた瞬間、背筋が凍りついた。
やべぇ。
足が勝手に震える。
これは逃げないとまずい。
怖えよ、くそ…緊急回避とかそんな次元じゃない。
でも、何とか、どうにかしないと。
このままじゃ、誰かが死ぬ。
原因不明の使命感が体を動かす。
「リズ、希を頼む。俺が注意を──」
しかし、踏み出した目の前にはパンの袋。
ミーティアがそれを押しつけ、呟いた。
「持ってて。すぐ終わらせる」
腰元から杖を抜いて、そっと構える。
周囲の喧騒が急に遠ざかる。
ただ彼女だけが、戦場の中心にいる。
「──水閃」
風にも消えるほど短い詠唱。
青い光が走った。
目で追えない。
時間差で空気が破裂し、頬に冷たい風が当たる。
次の瞬間、巨体が斜めに裂けた。
重い衝撃音が遅れて到達する。
地鳴りとともに巨体が崩れ落ちた。
あまりに急すぎて、何の抵抗も、断末魔もない。
突然、存在そのものが消されたみたいだ。
土埃が晴れ、人々が振り返る。
誰も声を出せない。
マジかよ…なんか、助かった…。
「おしまい」
ミーティアは俺から袋を取り上げ、すました顔でパンをかじっている。
呼吸すら乱れていない。
彼女にとって、これは戦いではない。
ただ、処理しただけだ。
「流石、“海嘯の魔導師”さんですね…」
リズが息を漏らす。
ミーティアはパンをもう一口かじりながら、俺とリズをちらりと見た。
「それじゃ、デート、楽しんで」
それだけ言い残して、人混みの向こうへ消えていく。
あの化物を一瞬で倒したとは思えないほど、力の抜けた後ろ姿だった。
「だから、デートじゃないですって!」
リズの叫びだけが、緊張の余韻を追い払うみたいに空に弾けた。




