19話 お父さん、帰る場所へ。
「また……また逃した」
ミーティアが片膝をつく。
息は荒く、肩が小刻みに震えている。
「大丈夫か?」
「……大丈夫」
本当に大丈夫なのかよ。
ボロボロじゃねぇか。
あの野郎の魔法を受けたところ、黒ずんでるし。
「少し、時間欲しい」
「時間?」
ミーティアは頷くと、杖先を天へ向けた。
「──自己治癒」
杖先から優しい光が降り注ぎ、ミーティアを包み込む。
黒ずみがゆっくり剥がれ落ち、傷が閉じていく。
「これで、大丈夫」
「もう動けるのか?」
「うん」
「……じゃあ、湊、探しに行こう」
「待って、魔力探る」
ミーティアは瞳を閉じて、神経を澄ませる。
静寂の中、瓦礫の軋む音だけが響く。
どこいるんだよ……湊。
「……こっち」
ミーティアが瞳を開いた瞬間。
空が暗くなった。
雲じゃない。
巨大な影。
俺が顔を上げた直後、建物の崩れる音が耳を刺す。
空気が震え、全身に衝撃が叩きつけられる。
目の前の建物が、吹き飛んだ。
青い眼の黒龍。
片眼が潰れ、翼は無数に貫かれている。
血に濡れた鱗は、割れ、欠け、鈍い光を放っていた。
息が荒い。
限界が近い。
だけど、その威圧感は圧倒的だった。
そして、空から二つの影が降り立つ。
「もう少しよ、理沙」
リシテアの声に、理沙が頷く。
「最大限をぶち込みなさい!」
「待て!」
「……邪魔よ」
炎がリシテアの杖に巻きつく。
空気が歪むほどの熱。
「陽介!? なんでいるの!?」
「こいつ、たぶん操られてる」
「関係ないわ」
リシテアの瞳は一切揺れなかった。
「街をこんなにして……それだけで十分よ」
「こいつの意思じゃねぇかもしれねぇ!」
黒龍がうめく。
喉の奥で震える低い音。
その巨大な身体から、漆黒の霞がうっすら立ち上がっている。
「……闇、残ってる」
リシテアがミーティアを見て、舌打ちをした。
「あんたも来てたの」
ミーティアは目を伏せる。
「まぁ、いいわ。手、貸しなさい」
リシテアの纏う炎が、さらに熱を帯びる。
「操られてるなら、闇ごと焼き尽くすだけよ」
「だから、待てって!」
「この国を守るのが私の使命よ」
その言葉に何も言い返せなかった。
そうだ、リシテアにも守るもの、守りたいものがある。
止める資格は、俺にはない。
黒龍が苦しそうに、長い首を地につける。
片目が俺を向いた。
これは、暴走した殺意の眼じゃない。
怯えてる。
「助けを求めてる眼だ」
「だから何? 倒さないと、みんな納得しないわ」
黒龍の胸元が、漆黒に脈打った。
咆哮。
地鳴り。
家屋が吹き飛ぶ。
耳がいかれるっ──。
「来るわよ!」
黒龍の口から、黒い炎が放たれた。
空気が焼ける。
石畳が溶け、瓦礫が蒸発する。
「──水核」
水流と黒い炎がぶつかる。
衝突点で白い蒸気が膨れ上がる。
衝撃波が広がる。
「決めるわよ! あんたも手、貸しなさい」
ミーティアは頷いた。
「理沙! 今度こそ、全力よ!」
「わかった」
三人が杖を構える。
「おい! 待てっ──」
「──煉獄」
「──海嘯」
「──雷鳴の」
三つの衝撃が交錯した瞬間、世界が白く弾けた。
熱風が強く吹き、轟音が街を揺らし、雨が降る。
黒龍の胸元にあった核が、砕けた。
漆黒の塊に走る無数の亀裂。
その隙間から、黒い霧が断末魔のように噴き出す。
闇は形を保てず、引き裂かれ、空に霧散した。
それと同時に、黒龍の巨体から力が抜けた。
長い糸で操られていた人形が、その糸を一本も残らず、断ち切られたようだった。
巨体が傾く。
地面が軋む。
ゆっくりと黒龍は崩れ落ちた。
瓦礫は跳ね上がり、粉塵が舞う。
振動が足元から全身へ伝わり、骨から震わせる。
でも──。
もう、あの威圧感はない。
さっきまで空間を満たしていた、殺気と闇の密度は、すっかり薄れている。
残っているのは、焼け焦げた匂いと、破壊の痕跡だけだ。
足を踏み出す。
黒龍の方へ。
青い眼がこっちを見た。
濁りはない。
そこにあるのは、澄んだ色。
深い湖の底のような、静かな蒼だ。
「……お前の意思じゃなかったんだ、よな」
黒龍の喉が弱々しく鳴る。
巨大な身体はもう動かない。
だけど、その眼だけは、確かに“生きて”俺を見ている。
「人間がごめんな、もう戦わなくていい」
青い眼がゆっくりと細くなる。
その瞬間、黒龍の身体が淡い光に包まれる。
鱗の一枚一枚が細かい粒子となり、風に溶けていく。
最後に残ったのは、小さな蒼い鱗。
この戦いが幻じゃなかったと証明するように、瓦礫の上で微かに夕陽を反射していた。
ひんやりとした感触。
その奥に温もりが残っている気がした。
◇◇◇
崩壊した街を夕焼けが照らしていた。
立ちこめた煙が晴れ、焼け焦げた匂いだけが残っていた。
「陽介──」
振り返ると、理沙が駆けてきた。
乱れた髪も気にせず、必死な顔で。
「ちょっと、陽介……」
その声を聞いた瞬間、張り詰めていたものが切れた。
何も言わずに、理沙を抱きしめた。
「無事で良かった」
腕の中の温もりは確かに生きてる証だ。
「いや、湊は? 葵と希は?」
「そうなんだよ、湊がどっかに行っちまって……」
「えぇ!? どっかって!?」
理沙の焦った声が、夕焼けの静けさを裂いた。
その時。
「おーい! お父さーん!」
場違いな明るい声が聞こえた。
瓦礫の向こうから、小さな影が駆けてくる。
その後ろを葵がベビーカーを押して歩いていた。
全身から一気に力が抜ける。
湊を抱き上げた。
「心配かけやがって」
「くるしいよー」
「もう勝手にいなくなるんじゃないぞ」
「ごめんなさい」
「葵、ありがとな」
「別に、湊が変なことしてるのわかったし」
「ありがとう、葵。希を見てくれて」
理沙もベビーカーを覗き込み、小さく息をついた。
「いいよ、ママ。おつかれさま」
良かった。
家族が、みんなが、ここにいる。
それだけで十分だ。
リシテアが腕を組んで、崩れた街を見渡している。
少し寂しげな表情で。
だけど、その肩からは緊張がわずかに抜けていた。
「まったく、報告書が面倒ね」
「……お姉ちゃん」
ミーティアが静かに呼ぶ。
「お姉ちゃん!?」
まじ?
姉妹なの?
「なによ、文句ある?」
「いや、姉妹なんだと思って」
「そうよ、似てないけどね」
「……お姉ちゃん、おつかれさま」
「あんたも相変わらずね」
ミーティアは俯いたまま、黙っている。
「……まぁ、助かったわ」
夕陽が二人の頬を染める。
「じゃあ、わたしは城に戻るわね」
「おう、気をつけてな」
「あんたもね」
「ありがとな」
リシテアは振り返り、歩き始めた。
「ほら、行くわよ。ミーティア」
「私も?」
「どうせ、一人でしょ」
素っ気ない言い方だが、置いていくつもりは最初からない。
夕陽のせいか、リシテアの頬が赤く染まっている。
「……ごはん、行くわよ」
ミーティアは嬉しそうに頷き、小走りでリシテアの隣に並んだ。
二人の背中は、長く伸びた影に溶けていった。
それぞれが、それぞれの帰る場所へ向かう。
「俺たちも家に帰るか」
「そうだね」
理沙が微笑む。
「お父さん、お腹空いたー」
「おう、何食いたい?」
「カレー!」
「カレーかぁ、ルーあったかなぁ」
他愛もない会話がこんなにも愛おしいなんて。
こっちに来る前には、思わなかった。
壊れた街に、夜が降りてくる。
守れたもの。
救えなかったもの。
そして、まだ終わっていない脅威。
心配ごとは山積みだ。
それでも。
俺は家族の手を取る。
この温もりを守るためなら、何度でも立ち上がる。
明日も、明後日も。
夕焼けが沈み、最初の星が瞬いた。
あの星のように、小さくてもいい。
揺るがない光でありたい。
静かに、そう願った。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
第一章はこれにて完結です。
無力でも必死に奔走する父を描いてみました。
回収していない伏線や構想はまだありますが、ここで一区切りにしたいと思います。
ここまで読んでくれた皆さんに感謝を。
(続き読みたいなって感想くれてもええんやで)




