18話 お父さん、次は本気。
城門前は、ドラゴン討伐の準備をする兵士たちで騒がしかった。
隊列を組む声、鎧の擦れる音が響く。
皆、緊張した表情で、浮き足だっている。
やっぱり、衛兵だってドラゴンは怖いよな。
それだけの脅威ということか。
否応なく、これから起こることの大きさが分かった。
「お母さん、いってらっしゃーい!」
その中で、湊の場違いな明るい声。
「行ってきます」
理沙はしゃがんで、湊を抱きしめる。
強く、短く。
でも、名残惜しそうに。
「ほら、早くしなさい」
リシテアの声に、理沙が頷く。
「陽介、葵と希、迎えに行ってね」
「任せろ! 理沙も気をつけてな」
理沙は小さく微笑み、リシテアの元へ行ってしまった。
「理沙、移動魔法は使える?」
「い、一応」
「じゃあ、行くわよ」
次の瞬間、二人の姿は魔力の奔流を残して消えた。
「すっげぇ!」
湊が目を輝かせる。
……これは見せちゃいけなかった気がする。
「湊、城に戻ろうか」
「オレもやりたい!」
うわ、やっぱり。
「湊は戻るの」
「いやだ!」
頼む、面倒なことを増やさないでくれ。
「ほら、行くぞ」
湊の腕を掴み、引き寄せる。
……あれ?
「できた!」
その声と同時に、腕の感触が消えた。
「待て! 湊!」
返事はない。
その直後、街の方角から重低音が響いた。
地鳴り。
空気そのものが揺れる。
まさか、街に行ってないよな。
「おい! 湊! いたら返事しろ!」
遠くから嫌な音が響くだけだった。
「くそ……!」
もう足が動いていた。
勝手すんな。
どこ行ったんだよ。
人々の悲鳴が風に乗って流れてくる。
何か焼けた匂いが強くなった。
……無事でいてくれよ、湊。
息が切れる。
気管が焼かれたみたいだ。
それでも、足を止めるわけにはいかない。
「パパ、どこ行ってたの」
「葵……無事で良かった」
「無事って? ママと湊は?」
「色々あってな。街の方」
「あっそ」
「葵、悪いけど、希を連れて、城に行ってくれ」
「なんで」
「説明する時間がない、お願いな」
葵は返事もせず、ベビーカーを押して、城へ向かっていった。
「街には行くなよー!」
頼んだぞ、葵。
……よし。
「湊ーーー!」
◇◇◇
街が視界に入った瞬間、言葉を失った。
建物が無惨に吹き飛んでいる。
瓦礫が転がり、煙が上がる。
「……嘘だろ」
空を覆う、巨大な影。
漆黒の鎧のような鱗。
殺意を宿した青い眼。
翼を一度羽ばたかせるだけで、突風が街を裂く。
尾が振られ、家屋がなぎ倒される。
ここに、湊が……?
「湊……湊っ!」
叫びながら、瓦礫の間を縫って走る。
冒険者たちが、人々を必死に誘導している。
やべぇよ、街の人巻き込まれてるじゃねぇか。
泣き声。
怒号。
完全に戦場だ。
「湊! いたら返事しろ!」
その時、空が白く裂けた。
一筋の雷。
理沙だ。
必死に戦ってる。
街を、みんなを、守るために。
それなら──湊は俺が守らねぇと。
鋭い雷撃がドラゴンの足を貫く。
間髪入れず、火球がドラゴンの頭を捉えた。
リシテアと理沙。
二人は完璧に連携していた。
だけど、ドラゴンは止まらない。
尾が薙ぎ払われ、瓦礫が空を舞う。
次の瞬間。
視界が塞がれた。
瓦礫。
──あ、終わった。
「──水閃」
透明な水流で瓦礫が散る。
砕けた破片が雨のように降る。
水は弾け、霧となって視界を白く染めた。
この魔法は……。
「早く避難して」
澄んだ声。
霧が薄れ、その向こうに人影が浮かぶ。
淡く青い髪。
風もないのに、波打つように揺れている。
「また助けられちまったな、ミーティア」
「何してるの」
「いや、子ども探してて」
「子ども?」
「五歳の男の子なんだけど、見失っちまって……」
「この状況じゃ、難しい」
「でも、見つけないと」
「特徴は?」
「元気で、やんちゃで……」
「抽象的……」
「ごめん」
「でも、一つだけ」
ミーティアが空を指差す。
「意味不明な動きをしてる魔力がある」
「きっと、それだ!」
良かった。
生きてる。
「で、それはどっちにいる!?」
「着いてきて、追いかける」
◇◇◇
瓦礫を踏み越えながら、街を駆ける。
待ってろよ、湊。
てか、できれば、こっち来て。
焦りで呼吸が乱れる。
その時だった。
ミーティアがわずかに足を止めた。
「……嫌な魔力」
「どうした?」
「何か歪んでる」
「それでも行くしかない。湊がそっちにいるなら」
──この判断が間違いだと分かっていても。
焼き焦げた通りの奥。
半壊した噴水の前に、黒いローブ。
ただ、空を仰いでいる。
「お前……何しに来た?」
「ただの見物だ」
フードの奥から、首元の蛇のタトゥーが怪しく光る。
「なら、早く消えろ」
「後ろの彼女は──」
男の視線がミーティアに絡みつく。
「帰す気はないようだが」
ミーティアは即座に杖を向けた。
足元で水流が渦巻く。
「……今度こそ、終わらせる」
「おい、今は奴に構ってる場合じゃ──」
「黙って」
低く、鋭い声。
視線は男から逸れない。
男は興味深そうに、また空を仰いだ。
「蒼き眼の黒龍よ、なんと素晴らしい」
陶酔した声。
「しかし」
男が少し首を傾げた。
「悲鳴が足りない」
何言ってんだ、こいつ。
「あぁ……この景色を、あのお方に捧げたい」
「まさか、これはお前の仕業か?」
黒いフードの奥で口元だけが歪む。
答えはない。
だけど、それだけで十分だ。
「──水閃」
圧縮された水流が無数の刃となって、男を襲う。
「何をする」
男は、雨粒を払うように杖を振った。
刃は弾かれ、砕け、霧になる。
それでも、ミーティアの追撃は止まらない。
無数の奔流。
しかし、水は霧散し、勢いを失って地面に落ちた。
……嘘だろ。
こいつ、この前より明らかに強くねぇか。
「邪魔するな」
男の杖先が、漆黒に染まる。
空気が歪む。
光が沈む。
音が遠のく。
「──堕ちよ」
漆黒が奔流となって放たれた。
「っ……」
ミーティアは即座に杖を振る。
「──水核!」
水の障壁が展開される。
だが、闇は止まらない。
溶けるように水を侵食していく。
「……嘘」
水の壁が内側から崩れた。
「ミーティア!」
叫んだ瞬間だった。
漆黒の闇がミーティアを飲み込む。
「……うっ」
短い悲鳴。
ミーティアの体が宙に浮き、そのまま地面に叩きつけられた。
「おい! 大丈夫か!?」
地面に水が広がる。
だが、それは魔法の形を成していない。
「返事しろ!」
「……問題、ない」
ミーティアは立ち上がろうとして、膝をついた。
肩が小刻みに震えている。
魔法を受けた箇所。
黒い残渣が残り、そこだけ色が沈んでいる。
「……完全には、まだ遠い」
男は左手を空に透かして、呟いた。
なんだよ、完全って。
ふざけんな。
これで完全じゃないなら、完成形はどんだけ地獄なんだよ。
「だが……まあいい」
その瞬間、空が裂けた。
遠くで雷鳴が轟く。
距離はある。
それでも、雷鳴は空気を震わせる。
地面を揺らすほどの一撃。
男はその音を聞いた瞬間、動きを止めた。
「……ほう」
また、男の口元が歪んだ。
「……素晴らしい」
男は遠くの空を見つめている。
理沙の雷の方角だ。
「……欲しい」
は?
その一言で、頭が真っ白になった。
わからない。
呼吸をしているのかも。
何かが、触れてはいけない場所に、触れた。
「やめろよ」
ふざけるな。
それに触るな。
それ以上見るな。
理沙に手を出すな。
「何だと?」
男の杖先が、こちらに向く。
再び漆黒に染まった。
こいつはここで……。
封魔の護符を力任せに叩きつけた。
「っ……」
淡い光。
闇の軌道が一瞬、逸れた。
──今だ。
踏み込む。
地面を蹴り出す。
全ての力を拳に込める。
自分でも、どう動いているかわからない。
ただ、腕が前に出た。
思いきり拳を振り抜いた。
──当たる。
鈍い衝撃。
骨に伝わる、確かな感触。
次の瞬間、男のフードが飛び、男の顔が露わになる。
金髪。
やまぶき色の瞳。
口元から赤い血が一筋、零れ落ちた。
男は倒れない。
ふらつきもしない。
ただ、血を指で拭い、その指先を見つめた。
「……久しい、な」
男は、ぽつりとこぼした。
「痛み、か」
拳はまだ痺れている。
「あの雷に手を出したら、許さねぇ」
「この手が砕けても、必ず止める」
男が笑った。
「……面白い」
「まだ、やるべきことがある」
やるべきことって……。
やっぱ、この男は止めないとダメだ。
「では、また」
「待て!」
男が黒い霧に包まれる。
次の瞬間には、その姿は消えていた。
「くそっ……」
逃した。
あいつ、絶対、理沙に手出すだろ。
止められたかもしれない。
殴って、縛って、引きずってでも。
そう思うたび、拳に力が入る。
骨に残った感触は、まだ生々しく残っていた。
「必ず止めてみせる」
視線が無意識のうちに空に向いていた。
遠くで雷が落ちる。
理沙の魔法。
さっきまで、あの男も見ていた。
あの視線が頭から離れない。
「……欲しい」
あの一言。
欲しいのは、なんだ?
力か?
雷か?
きっと“理沙そのもの”を見ていた。
あいつは、きっと逃げたんじゃない。
“次の手”を選んだだけだ。
また来る。
そして次は──理沙を狙ってくる。
空では、まだ雷が落ちている。
炎が舞っている。
戦いは終わってない。
けど、この戦いが終わった後こそが本番だ。
父親の前に、夫としての俺を敵に回すとどうなるか。
あいつは、自分が何に触れようとしたのか分かっていない。




