15話 お父さん、と空白の男。
目を開くと、視界が白で埋めつくされた。
は?
いや、なんだこれ。
天井も壁も床も分からない。
どこに来た?
というか、そもそも俺、今どこ向いてる?
距離感が掴めねぇ。
至近距離なのか、果てしなく遠いのかさえ、判断できない。
目の前の一センチが無限かもしれないし、無限が一センチかもしれない。
ゆっくりと体を起こす。
起き上がったはずなのに、ベッドの感触もない。
体がやけに軽い。
というか、重さの概念すらなくなっている気がする。
視界に入るのは、ただの白だけ。
影もなく、境界も見当たらない。
ここ、どこなんだよ。
天国?
それとも、精神と時の部屋、なのか?
それにしては、何も無さすぎる。
「やぁ、空っぽなお父さん」
背後から声がした。
うわ、出たよ。
こういう時に、一番いらないイベント。
振り返ると、一人の男が立っていた。
冒険者のような格好をして、腰には一本のつるぎ。
年齢は二十代前半くらいだろうか。
若く見えるが、どこか古い。
古本屋の奥から出てきた新品、みたいな雰囲気。
嫌な予感しかしない。
「誰?てか、どこなんだ?ここ」
「僕にも分からない」
男は当然のように答える。
戸惑いも焦りもない。
分からないことを、もう受け入れている顔だ。
「あんた、名前は?」
「……分からない」
記憶喪失系男子か。
めんどくさ。
「ったく、じゃあ覚えてることは?」
男は少し考え、剣に手を添えた。
「必死に、この剣を振るってたことくらいかな」
「誰かと戦ってたのか?」
「うん。敵だったのかどうかも、正直分からないけど」
そんな状態で、剣を振るってはいけません。
バーサーカーですか。
「ただ、大切な何かを守るためだった。それだけは確かだと思う」
「大切な何か?」
「それも思い出せないんだけど……」
何照れてんだよ。
大切なもの、忘れんな。
「そうか、大変だな」
適当に返して、周囲を見回す。
えーっと、見えるものは……。
白に。
白に。
白と。
「痛っ!どうして急に叩くんだい」
「悪い、腹立ってな」
「だからって、人にあたらないでくれよ」
とりあえず、出口を探すか……。
「ちょっと、どこ行くんだい?」
「出口」
「ないよ」
即答された。
希望を即遮断するの、やめてもらっていいですか。
「僕も、ずっと探してる」
「早く出ないと、まずいんだよ」
「どうして?」
「ここに滞在できる時間は、四十八時間しかない」
「そうなのかい?それは急がないと」
それから、しばらく歩き回った。
だけど、出てくるのは白い空間ばかり。
白、白、白。
白すぎて嫌になる。
バグったRPGかよ。
入っちゃいけないところに、入ってるのか。
歩いても歩いても、何もねぇ。
疲れないのが救いだけど、精神は削れる。
早く出てぇ。
こいつとずっと一緒にいるなんて御免だぞ。
「どうなってんだ、何もねぇじゃねぇか」
「そんな、僕に怒られても」
「だったら、ここには何があるんだよ?」
「うーん、そうだなぁ」
男は考え込むと、何か思い出したように言った。
「たまに、魔力が降ってくるよ」
「降ってくる?魔力が?」
彼は小さく頷いた。
「空から、ぽつぽつ降ってくるんだ。雨みたいに」
見上げても何も見えない。
だけど、空間が揺れているようにも見える。
「それで?」
「僕はただ、受け止めてるだけ」
彼は両手を広げて、天を仰ぐ。
何も落ちてないはずなのに、そこに何かが触れているのが分かる。
「冷たくないし、温かくもない。ただ……重いんだ」
「その魔力はどこに行くんだ?」
「さぁ」
彼は首を傾げる。
「すぐ無くなっちゃうんだ」
「消えるのか?」
「ううん」
少し考えてから、男は言った。
「留まらない、が近いかな」
「留まらない、ねぇ」
沈黙の中、歩き続ける。
白い世界の中で、男だけが、どこか薄く見えた。
「ねぇ」
男がこちらを見る。
「なんだよ」
「僕たち、どこか似てるね」
「似てねえ」
こいつを見てると、嫌な想像が浮かぶ。
もし、ここに居続けたら、俺もこんな風になってしまうのかもしれない。
「君には、何もない」
「急になんだよ」
「僕にも、何もない」
「いや、たぶん、お前は持ってたよ」
「そう、なのかな?」
「見た目的にな」
「じゃあ、残ってないんだ」
その言葉が妙に重かった。
その瞬間。
どこか遠くから声がした。
──さん。
たぶん、呼ばれてる。
「なんだ、君には帰る場所があるのか」
男が言う。
「ほら、誰かが君を呼んでるよ」
──お父さん。
聞き覚えのある声。
目の前に白い扉が現れた。
輪郭だけの、頼りない扉。
「良かった、帰れる」
「また会えるといいな」
「やだよ、めんどくさい」
「またね」
「だから、またはないって、じゃあな」
扉に手をかけた、その時。
「君は、空っぽじゃないよ」
男の声が少しだけ低くなる。
「空っぽになる、その一歩手前だ」
返事をする前に、視界が白に溶けた。
「お父さん!朝だよ!」
重っ。
湊が腹にダイブしてきた。
夢にはなかった、現実的な重さだ。
「湊、早起きだな」
湊の脇腹、あったかい。
この感触も本物だ。
やっぱり、あれは、夢か……。
ああいう夢を見ると、現実と夢の境界が分からなくなるんだよな。
「うりゃりゃりゃりゃ」
「くすぐらないでよ!」
「ごめんごめん……って、手真っ黒じゃん」
湊は真っ黒な手を誇らしげに見せてくる。
「どうしたの?」
「絵書いてた」
「一人で?」
湊は小さく頷く。
「お母さんは?」
「寝てる」
理沙もこっちに来て、疲れてるだろう。
寝せておこう。
「お父さん、今日は何して遊ぶ?」
「学校は?」
「休み!明日も」
「休みぃ!?」
異世界の学校も週休二日制なのか。
嬉しいような、拍子抜けしたような。
「おはよう、陽介、湊」
「おはよ、寝ててもいいぞ」
「ん、起きる」
「理沙は、今日休み?」
「私も休みだよ」
冒険者も休みがあるなんて、なんて素晴らしい世界だ。
家族で過ごすのは、すごい久しぶりな感じがするな。
何しよ。
「湊は何かしたいことあるのか?」
「サッカー」
「よし、朝飯食って、公園にでも行くか!」
「私、良い場所知ってるよ」
「じゃあ、そこに行こうか」
「あと、服も買いたいなー」
わざとらしく語尾を伸ばして、分かりやすい。
そんなに可愛く言っても、財布の紐は緩みませんよ?
「ほどほどにな」
「ほどほどは、私が決めます」
「はいはい」
空っぽになる一歩手前?
上等だ。
少なくとも、今の俺には、朝から家族に振り回されて、財布の中身が空っぽになる未来だけは、はっきり見えてる。
そして、残るのは筋肉痛だけだ。
でも、それだけで十分じゃないか。
だって、世界はこんなにも黒ずんでいる。




