悪役令嬢の乳母は原作をぶっ壊す
「ねぇ、マリーア。つぎにおうのおじさまがくるのはいつ?」
「お嬢様は本当に陛下がお好きですね」
「そうよ! だって、おうのおじさまもフーのことが大好きだもの!」
にこにこと笑う四歳のフラレイシアはとても愛らしい。乳母であるマリーアが優しく頭を撫でると嬉しそうに笑った。
こんなにも愛らしいお嬢様が残虐非道の限りを尽くして、闇落ちして魔王にねぇ……なるに決まっているじゃない! まだ四歳なのに、ご両親は双方の浮気相手の家に入り浸り滅多に帰ってこない。両親が唯一帰ってくる、国王が姪であるお嬢様に会いにくるイベントは、国王念願の実子である王子殿下が生まれてから0回よ!? それでも国王陛下を慕って、お忙しいから仕方ないわと聞き分けのいいことを言ってるお嬢様。国王陛下が来なくなった原因が王子が産まれたせいと分かれば、王子に恨みを抱くのも当然じゃない!?
マリーアはフラレイシアの乱れた髪を直しながら、先日公爵夫妻と話したことを思い出していた。
「当主様!」
「……なんだ。あぁ、乳母か。なんでこんなところまで来た?」
「寂しさのせいか、最近お嬢様が荒れていらっしゃいます。どうかご帰宅ください」
「はぁぁぁ。そんなことか。あいつがいるだろう? それでもダメなら、機嫌をとれ。やりたいことを許したら、私にまで報告が来るようなことはないだろう」
「しかし、奥様も!」
「あれの話は聞きたくない」
「当主様!」
マリーアの話の続きを聞かずに去っていった公爵を思い出し、次に思い浮かべたのは国王の妹で元王女である奥様だ。
「奥様」
「あら、乳母じゃない。こんなところまで来て、何?」
「もう少し、お嬢様と過ごす時間をお作りください」
「なぜ? お兄様も来ないのに、あの子に会う理由なんてないわ。今忙しいの。お兄様そっくりの王子が生まれたのよ? 早くお祝いに行かないと」
「あなたは、お嬢様の母親ですよ?」
「……あの子が少しでもお兄様に似ていたらもっと愛せるかと思ったけど、父親似じゃない。せっかくなら、あいつじゃなくて、この人に似ればよかったのに。でも、清々するわね。姪というだけでお兄様に愛されていたあの子が、今は放置されているなんて。あの子ももう必要ないわね」
そうくすくすと笑って、若き日の国王そっくりの情夫の頭を撫で、マリーアの呼びかけも聞かずに去っていった。
「ねぇ、マリーア。もしかして、フーがわるいことばっかりするから、おうのおじさまはあいにきてくれなくなったの?」
不安げに瞳を揺らすフラレイシアをみて、マリーアは決意した。
「お嬢様……今から話すお話は、お嬢様にとってお辛いかもしれませんが、わたくしの言う通りにしてくれれば、また陛下と頻繁に会えるようになると誓います……」
⭐︎⭐︎⭐︎
「おめでとうございます。王子殿下の生誕をお祝いいたします」
王子が生まれてから一歳になるまで、国王は一度もフラレイシアに会いに来なかった。王子の一歳の生誕祝いのための茶会。ゲーム内ではフラレイシアは参加できなかった。五歳の幼女が両親の案内もなく、王宮に行けるはずがないからだ。しかし、マリーアは自身の伝手を使って両親宛に送られたフラレイシア宛の招待状を拝借し、友人の王宮メイドや執務官に声をかけ、両親に連れられない幼児が王宮に行くために必要な用意を整えた。国王に愛されていないと疑ってしまっているフラレイシアを説得し、マリーアはゲームの知識を使って国王がいかにフラレイシアを愛しているのかを語って聞かせた。実際、産後、精神状態が悪くなった王妃のために、姪と会うことを我慢していただけで、フラレイシア宛の贈り物は国王から贈られていたのだ。フラレイシアは贈り物よりも国王の愛情を求めていたのだが。
「……おめでとうごじゃいます、おーじでんかのせーたんをおいわいします」
特例として、自身の登城許可を得たマリーアの後ろに隠れながら、フラレイシアは王妃殿下と王子殿下に挨拶をした。ゲームでは、王子の婚約者として今日内定し、その結果、両親がそれぞれ手配した家庭教師によって、幼女には負担の大きすぎる教育を施され、完璧な所作だと評されていたフラレイシア。まだ婚約者として決められていないため、今のところの教育は放置状態だ。不敬になる行動、絶対にやってはいけない行動等は、一年かけて教え込んできたが、見様見真似でマリーアの礼———使用人としての礼であって、公爵令嬢のするものではない———を辿々しい所作でやってのけたフラレイシアの様子に、王妃を含めて怪訝な表情で見ている。幸いにも、両親はまだ会場に着いていない。今のうちに種まきを終えておかないといけない、とマリーアは気を引き締めた……たとえ、フラレイシアが淑女として失敗したと言われようとも、社交界デビュー前の今なら、そこまで汚点にならない。それよりも、フラレイシアの健全な成長のために必要なことはやるべきだ。
「フラレイシア……ご両親は?」
乳母と二人、異例のその様子に、王妃殿下も思わずフラレイシアに声をかけた。フラレイシアは小首を傾げて返答した。
「ご…りょーし?」
「ごめんなさい。まだ難しかったかしら? フラレイシアのお父様とお母様は?」
ご両親という単語を知らない、それだけだったらフラレイシアの勉強不足が指摘されたかもしれない。お父様とお母様と言われたフラレイシアはさらに首を傾げた。
「おとーさまとお、かーさま?」
初めて聞く単語を聞いた幼児の反応に、さすがに違和感を覚えた王妃殿下は国王を呼ぶように侍従に指示し、さらに続けた。
「いつもフラレイシアと一緒にいる方よ……ねぇ、違う呼び方で呼ばせているのかしら?」
フラレイシアに聞いても埒が開かないと思って、マリーアに声をかけた王妃殿下に、フラレイシアは目を輝かせて返答した。
「フーといつも一緒にいるのは、マリーアだけよ? メイドさんとしつじさんともたまにあうかな? 四さいまではおうのおじさまがきてくれて、そのときにはたくさんのひとがいたわ」
その返答を受け、マリーアも恐る恐ると言った様子で口を開いた。マリーアよりも身分の高い王妃殿下に問われたのだ。嘘は吐けない。
「恐れ多くも王妃殿下。フラレイシアお嬢様はご自身のご両親とあまり会ったことがありません。呼び名を知らなくても当然かと存じます」
マリーアの返答に王妃殿下が息を呑んだ瞬間、呼ばれていた国王が現れた。国王の姿を見て、フラレイシアは目を輝かせ、声を上げた。
「おうのおじさま! ……そのこはだあれ? そのこがいるから、もうフーのことがいらなくなったの? それで、あいにきてくれなくなったの?」
国王の腕に抱かれた王子の姿を見て、喜びに輝いていたフラレイシアの瞳は暗く曇り、ポロポロと涙が落ちた。
「フラレイシア!? 王子は私の子なのだよ。フラレイシアにもお父様とお母様がいるだろう? 王のおじさまは、この子のお父様なんだよ」
王妃が止める間もなく、国王はフラレイシアに優しくそう言った。
「みんな、みんな、おとーさまとお、かーさまっていうけど、それはなに? フーにはマリーアだけよ。なのに、おーじにはたくさんの人がいてずるいわ! フーは、フーは、おうのおじさまだけでいいから、フーにかえして!」
「……どういうことだ」
フラレイシアの反応を見て、国王はその優しげな双眼を細めた。言いにくそうに王妃が耳打ちし、国王の瞳は驚愕に染まった。
「フラレイシア……私が君に会いに行った時にいつもいた、金色の髪の女性と黒い髪の男性はわかるかい?」
「……じゅーしゃさん?」
「従者にしてはひらひらの服を着ていただろう?」
「そういわれると、そうだわ。あのひとたちはだぁれ? おうのおじさまのしっているひと?」
ざわりとした周囲を静まらせ、国王はマリーアに指示した。
「あとで詳しいことを聞きたい。必要ならば、フラレイシアは私が保護する。離宮の準備をさせるから、君はフラレイシアと一緒に好みの家具を相談してきてくれるか? 来客室の準備が整っているはずだ。メイド長、ここに。今言った通りに準備せよ。この場は任せられる者に指示しろ。皆の者、まもなく公爵夫妻が到着する。王命だ。何事もなかったように振る舞い、彼らにフラレイシア達がここにきていることは知らせるな」
フラレイシアとマリーアはメイド長の先導で来客室へと向かった。その後、何も知らずに仲のいい夫婦を装って現れた二人は、国王にフラレイシアの所在を聞かれて、家で留守番していると回答した。次いで、最近のフラレイシアの様子を問われ、双方の意見が食い違い、要領を得ない回答を続けたことで育児放棄の実態が明らかになった。お互いを罵り合った公爵夫妻は離縁することになり、元王女である母は、途中から実兄である国王への劣情を語り、王妃への嫌がらせを行ったことを自白した。そのため、遠方の国の第二十六妃———精神的におかしくなっているということは知らせた上で、それでも尚、むしろその方が都合がいいと言った好色な国王のいる国の名ばかりの側妃だが———として嫁ぐこととなり、公爵は精神的な病になったとして、公爵の座を遠方の親戚に譲り、子を授けられない身体にした上で、療養のための施設———施設の費用を稼ぐために、さまざまな方法で患者を労働させるという噂の流れる———に送られた。王位継承権のある者の健全な育成を放棄したのだ。フラレイシアの幼い所作やたまに問題行動を起こす様子から、二人に問題があったのは明らかだとされた。
「あのね、あのね、おうのおじさま。このちずをみてて、おもったんだけど……」
無事国王の養女となったフラレイシアは、原作で王子とフラレイシアが婚約することとなった原因の隣国との関係を、前世知識を持ったマリーアによって改善し、国王が敵国の姫を側妃として娶るイベントを阻止した。そんなフラレイシアに感謝した王妃とフラレイシアの関係は良好となり、お養母様と慕うようになった。
「マリーアの言うとおり、幼い所作をしてお父様とお母様を知らないと言って癇癪を起こしたら、わたくし、幸せになれたわ」
「お嬢様がお幸せでマリーアも嬉しゅうございます」
ふふふ、と笑い合うフラレイシアに魔王の片鱗が見えた気がしたが、ここまで愛されたフラレイシアが魔王に落ちることはないだろうとマリーアも安堵した。
マリーアはフラレイシアが王子と婚約する必要がなくなって喜んだのだが……。
「フーねえさま! ぼくといっしょにあそびましょう?」
初恋をフラレイシアに捧げた第一王子に、フラレイシアが追い回される姿を見て、マリーアは頭を抱えるのだった。




