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第2話「有相ちゃん、いい子にお留守番してたのに……ご主人様、知らない女の匂いがしますっ!」

 ラボに直接行こうと思ったのは、ただの気まぐれだった。


「博士、ずっとメッセージばかりだったからさ。たまには顔を見て話そうかと」


 靴を履く俺の後ろで、有相ちゃんが腕を振りながらぴょんぴょん跳ねている。


「ご主人様、道に迷ったら有相ちゃんが GPS で追跡しますからねっ」


「……徒歩五秒の距離です。迷うような構造にはなっておりません」


「ありがとう。ちょっとだけ行ってくる」


 ふたりに手を振って玄関を出る。扉を閉め、鍵をかける前──並んで立っていた姿が印象に残った。


 ──やっぱり、いいな。こういうの。


 


 隣にある博士のラボまでは、本当に数秒だ。


 外に出る必要もなく、家とラボを繋ぐ専用の小道を進むと、無機質な白壁がすぐ目の前に現れる。


 建物自体は大きいが、入り口には黒い認証パネルがひとつだけ。俺は立ち止まり、パネルに顔を向けた。


『顔認証完了。ようこそ、烏有様』


 乾いた機械音とともに、ドアが横に開く。中からはひんやりした空気と、金属と電気の匂いが流れてくる。


「さてと……」

 

 室内に一歩踏み込んだ俺の目に飛び込んできたのは──見覚えのある、白くまるいお尻だった。


「尻……」


 金髪のポニーテール。作業着の上半身を腰に巻き、下は白いビキニ一枚という無防備すぎる格好。


 そして、機械の中に上半身を突っ込んでごそごそ作業している姿──あれは、間違いなく神代まゆ博士だった。

 

「んむ……ここの数値だけおかしいな……んー、圧力の差かな……?」


 ご機嫌に作業中のまゆ姉。──油断しすぎだろ。


 俺はそっと近づき、そのまま指先で、ぺちんと尻を軽く叩いた。


「きゃんっ!?」


 反射的に跳ね上がる身体。慌てて機械から顔を出した博士が、こちらを見て目をぱちくり。


「な、なにをするんだい、急にっ。痛いじゃないか」


「挨拶だよ」


「んむぅ……でも、そろそろ顔を見せに来るだろうと予測はしてた」


「それなら、尻を出す前に準備しておいて」


「それは盲点だった。」


 博士は作業着の上半身を羽織り、ボタンを適当に留めてから、手をひらひらと振る。


「ちょうどいいタイミングだった。少し話そう。……無常ちゃん、案内を頼むよ」

 

 奥のドアが静かに開き、柔らかな足音とともに姿を現す。


「こちらへ、どうぞ」


 落ち着いた声と、丁寧なお辞儀。まるで老舗旅館の仲居のような所作だった。


 


 無常ちゃんに先導され、ラボ内の無機質な廊下を進む。


 足元は静かで、天井からはかすかな電子音。左右の壁にはガラス越しに無数のモニターが並んでいた。

 

 やがて、扉の前で無常ちゃんが足を止める。


「ご案内は、以上となります」


「ありがとう」


 無常ちゃんは一礼して、音もなく廊下の奥へと去っていった。

 

 扉を開けると、応接用の空間。テーブルの上にはカップが二つ。すでに用意されている。


 コーヒーの香りが、静かな部屋に広がっていた。


「今日はブラックでいいかな? お砂糖も用意してあるけど」


「そのままで。ありがとう、まゆ姉」


「ふふ、ちゃんと“姉”ってつけてくれるの、うれしいなぁ」


 博士──まゆ姉は、自分のカップを軽く揺らしながら、向かいのソファに腰を下ろす。


「で、どう? うちのふたりは。ちゃんと働いているかい?」


「うん。生活はすごく楽になった。特に無相ちゃんは、こっちが何も言わなくても先回りしてくれるし」


「ふむふむ」


「有相ちゃんは……まあ、元気だよ」


「あははっ。あの子はね、元気すぎるのが仕様だから」


 まゆ姉はクスクスと笑いながら、指でソーサーの縁をなぞった。


「データ、毎日届いてるんだよ。全部、私のとこに。生活ログ、思考傾向、学習結果……ぜーんぶ見てる」


「……え、見られてるの?」


「そりゃあ見てるさ。私の娘だからね。でも個人情報の扱いには配慮してるよ。変なこと、してないよね?」


「……普通に、家族として接してるだけのはず」


「そっかそっか。なら安心だ」


 まゆ姉は悪戯っぽく笑ってカップを傾ける。飲む音ひとつ立てず、涼しげに目を細めた。


「──あ、そうだ。ちょっと気になってたんだけど」


「ん?」


「最近ね、夜のログで有相の感情値が、すごく揺れ動いてる時間帯があるんだよ」


「……」


「特に、寝る直前あたり。ドキドキ、幸福感、羞恥心、あと……快楽系の数値もちょっと跳ねてるかな。気のせいかなって思ったんだけど……何か、心当たりある?」


「……さあ……有相ちゃん、たまに妄想癖あるから。こっちが寝たあとに勝手に盛り上がってるのかも」


「へえええ〜〜? なるほどね〜〜?」


 まゆ姉はにやにやしながら頷いた。コーヒーを口に運びつつ、完全に“わかってるけど言わない”という顔だ。


「そっかそっか。じゃあ、そういうことにしておこう」


「……なんか今、テストに不正解した感じがするんだけど」


「気のせいだよ、ゆーくん。だけどね──」


 まゆ姉はゆっくりカップを置き、真面目な表情に戻った。


「有相と無相。あのふたりは──単なる支援人形じゃない。あの構造、設計思想……全部、私の“共生”って理想を詰め込んだ」


「……共生」


「人と人形が、対等に、感情を交わして生きられるか。その仮説を証明できるのは、たぶん、あの子たちだけなんだ」


 その声には、いつもの研究者としての硬さはなかった。ただ静かに、言葉の重さを量るような響き。


「……俺も、そうなってほしいと思ってる。“家族”として」


「うん。そう言ってくれて、うれしいよ」


 そしてもう一度、くすっと笑う。


「ふふ、ゆーくん」


「これからも、ちゃんと“向き合って”あげてね」

 

 からかうような、でもどこかやさしい声だった。




 話が一段落し、まゆ姉がコーヒーを飲み干したそのとき──


 自動ドアがスッと開いた。


「おじゃま。博士、今日も変な改造してる?」


 制服姿の少女が、足取り軽く部屋へと入ってきた。赤髪のウルフカットに、シャキッとした姿勢。目つきは相変わらず鋭い。


「九重くん。今日はどうしたんだい?」


「数学のレポート、完全に詰んだ。諸行ちゃん、貸して。今日逃したら単位が死ぬ」


 まるで備品を借りに来たかのようなノリで、九重は部屋の中央まで進み、コーヒーテーブルの上のクッキーを迷いなくつまむ。


「で、そこの人は?」


 こちらへ顎を向けてくる。まゆ姉が答えるより先に、俺が名乗った。


「烏有です。……博士の、いとこです」


「ふーん……あー、もしかして。有相と無相の、今の“所有者”ってやつ?」


「……そういう立場にはなってる、けど」


「へえ。へぇー……なるほどね」


 九重の視線が、観察するように鋭くなる。


「悪いけど、“家族”とか思い込んでるなら──ちょっと痛いよ」


「……」


「支援人形って、“支援”が仕事でしょ? 感情持たせて家族ごっこするの、傍から見ると……なんかね」


 口調はきつめだったが、感情的ではない。ただ、まっすぐで、冷静な拒否だった。

 

「でも、博士は共生を目指して設計してる」


「知ってるよ。それも、あたしが出資してるんだもの。だからって、肯定できるとは限らないでしょ」

 

 火花が散る一歩手前──空気がやや緊張しかけた、その瞬間。


 また自動ドアが開いた。


「失礼します」


 静かに入ってきたのは、メイド服姿の小柄な人形。

 

「しょぎょーっ……! 来てくれた! やばい、今日ほんとにギリで!」


 九重は勢いよく諸行ちゃんの手をつかむと、そのままズルズルと引っ張っていく。

 体重の軽い諸行ちゃんは、わずかにバランスを崩しながらも抵抗せず、されるがままに連れて行かれた。

 

「じゃ、行くから! 借りてくね、博士。……壊したりしないから安心してよ」


「よろしく頼むよ。無理はさせないように」


「……あ、それと」


 ドアの前で、九重は振り返った。


「──別に、アンタのこと嫌いってわけじゃないけど。人形にベタベタする男は、苦手」


 軽く手を振って、諸行とともに去っていった。

 

 ドアが閉まり、室内が静けさを取り戻す。


「いやぁ、相変わらずだね。口は悪いけど、真面目ないい子だよ」


「……うん、まぁ」


「そう。九重くんは、“理屈”で動くタイプだからね。理屈で納得できないものには、徹底的に反発する。……だから、観察対象としては最適なんだよ」


 まゆ姉が、にやりと笑う。




 玄関の扉を開けた瞬間、ふわりと漂ってきたのは、甘くやさしい匂いだった。


「おかえりなさいませ、ご主人様」


 無相がまっすぐ立って出迎え、有相ちゃんがその隣で、ぱあっと笑顔を弾けさせた。


「おかえりなさーいっ! ちゃんとお留守番してたんですよー!」


「そっか。ふたりとも、ありがとうな」


「えへへ……がんばったの、褒めてほしいなーって……」


「当然のことをしたまでです。でも……無事に帰ってきてくれて、何よりです」

 

 リビングに入ると、いつの間にか部屋が軽く整えられていて、コーヒーの香りとともに、温かい空気が流れていた。


 ここが、俺の帰る場所だ。


 ふたりがいて、食事ができて、会話があって、安心がある。

 

 たったそれだけのことが、どれほど幸せなことか──今日一日を通して、あらためて思い知る。


 きっとこれは、家族だ。

 人と人形とか、所有者と支援対象とか、そんな言葉では足りない。




 ──そして、夜。


 ベッドの上で、俺はぼんやりと天井を見上げていた。


 まゆ姉のラボ。いろはとのやり取り。諸行ちゃんの静かなまなざし。

 いろんな出来事が、脈絡なく頭に浮かんでは消えていく。


 そんなとき──


「……こんこんっ、ですっ」


 くぐもった声が、ドアの向こうから聞こえた。


「ご主人様、起きてますかぁ……?」


 ノックはない。代わりに、そっと扉が開き、短パン型のパジャマを着た有相ちゃんが、ちょこんと顔をのぞかせる。


「……よかった。寝ちゃってるかと思いました」


 恥ずかしげに笑いながら、そろそろと部屋に入ってくる。

 スリッパの音が優しく響き、髪がほんの少し、いつもより丁寧に整えられていた。


 「……ご主人様に、優しくされるのも嬉しいですけど──」


 ベッドの縁に腰を下ろした有相ちゃんは、すっと視線を上げる。

 その瞳は、少し潤んでいて、でもしっかりと俺を見つめていた。


 その表情に、言葉はいらなかった。甘えたいだけじゃない。

 伝えたいことがあって、そばにいたい──そのすべてが、目に出ていた。


「……今夜は、有相ちゃんから……いっぱい、好きって伝えたいんです♡」

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