第8話 彷徨える炎、焔が裂く
到着は、警報のような無音の中だった。
車両が停止し、ハッチが開く。
外は夜の名残が張りついた空気で、瓦礫に埋もれた旧駅構内が広がっていた。
足を踏み入れた瞬間、空気の密度が変わる。
「……感じる?」
「……ああ、確かに何か、熱い。空気が揺れてる」
「これが異能反応。誰かが異能を使った、余波」
空木が一歩前に出て、手をかざす。
その指先に、うっすらと青い光が灯る。
「方向は……東通路、旧ホーム側。構造物が一部、溶けてる。
灰戸くん、後ろ、カバーお願い」
「了解」
そして、数分の探索の後だった。
最奥の柱の影。
一人の少年が、地面に蹲っていた。年齢は十代後半。
身体の周囲に、揺らめく熱波のような歪み。
──その中心に、確かに《火》がいた。
「……異能反応、クラス3.7。予測より上。
空木は対象の説得を試みろ。灰戸は待機だ」
「……でも、あれ……」
俺は言葉を詰まらせた。
少年の手が、微かに震えている。
何かを拒むように、何かに縋るように、彼の炎は……暴れてはいなかった。
それは、まるで――助けを求める手のひらのようだった。
「……ねえ、君。大丈夫? 名前、言える?」
空木が慎重に、声をかけた。
数メートルの距離。だが、その僅かな間に、熱は確実に圧となって全身にのしかかってくる。
柱の影にうずくまる少年は、反応を見せなかった。
頭を抱え、膝を抱えたまま、ただ肩だけが震えている。
汗まみれの首筋。焦げた制服。
精神崩壊ではない──が、明らかに危うい。
「……機械の測定値がさらに上昇してる。3.7から、4.1になってる」
「予測以上の出力上昇だ。空木、退け。強制鎮圧も選択肢に入れる」
「待って。まだ──」
その時だった。
「やめてっ……!」
少年が顔を上げた。
泣き叫ぶような声と同時に、爆風のような熱気が弾け飛ぶ。
俺は思わず後退し、目を細める。
視界が揺れる。立ち上る蒸気。溶けゆく床材。
少年の目が、赤く光っていた。
理性も、論理も、そこにはなかった。
「──下がれ!これはもう、暴走だ!」
桐嶋の叫びと同時に、閃光のような炎弾が放たれる。
空木が身を投げてそれを逸らし、床を転がった。
空木のスーツが、熱で一部焦げている。
「くっ……思ったより熱いな、これ……!」
「対象、暴走状態へ移行。制圧フェーズに移行する。空木、灰戸──」
「待ってください!」
思わず、俺は叫んでいた。
「……何をしている、青山!」
「彼は、“助けて”って叫んでた! さっき、ちゃんと……聞こえてた!」
俺は前に出た。蒸気と熱が肌を切り裂くようだ。
だが、その奥に――確かに人の気配がある。
「……俺、俺たちは、君を傷つけに来たんじゃない。
ただ、君自身がその異能に壊されそうになってるなら……止めたい。助けたい」
その言葉が、どれほど届いたのかはわからない。
だが少年の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
そして次の瞬間、彼の周囲の熱が、暴発した。
視界が、赤に染まる。
全身を押しつぶすような火の奔流。
逃げられない。避けきれない。
「──防げるかじゃない、防がなきゃいけないだけだろ」
俺は、自分でも驚くほど自然に、手を前に出していた。
そして、世界が変わった。
──感覚が収束する。
燃え盛る熱波の芯が見えた。
空間の歪みの中に、微かな収束点が存在する。
意識を集中し、異能を走らせる。
脳内に走る音。高周波のような脈動。
視界が歪む。その先で、火の奔流が軌道を逸らされていく。
俺の能力── 《焔》
まだ未完成な、不安定な力。
だが、この瞬間だけは、届いていた。
「……止まった……?」
空木の声が、かすかに届く。
周囲の空気が冷え始める。
そして、熱源の中心で、少年が崩れ落ちた。
「…………」
桐嶋が慎重に近づき、少年の状態を確認する。
「……意識低下。生命反応安定。制圧完了だ」
言葉の一つ一つが、耳に届くたびに、力が抜けていく。
任務、完了。
俺たちは、生きて帰ってきた。
───
搬送が終わる頃、空はうっすらと白み始めていた。
仮設拠点に戻った俺は、誰にも見られないところで膝をつく。
足が震えていた。まだ、止まっていなかった。
「……よくやったよ、灰戸くん」
空木が、ふと隣に座った。
「不測の事態でも、ちゃんと動けてた。それだけじゃない。本来、失われてたはずの命を、救えたんだ。
……最初の任務で、それができたなら、もう十分だよ」
「……怖かった」
正直に言葉がこぼれた。
「当然だよ。私も最初は震えが止まらなかった。今でも少し怖い」
「でも、君は前に出て、助けようとした。
……私たちが諦めてた中、君だけが動いてた」
空木は微笑んで立ち上がった。
「行こっか、零室に。まだ、やることはたくさんあるよ」