第2話 零と炎の境界線
「ここが……『零室』?」
あの日以来、世界が変わった。
学校は封鎖され、事件の詳細は公にはされず。
俺は「保護対象」として、家に戻されることもなく――気づけばここにいた。
地下。
それも、何層も地層を潜った先にあるような、そんな場所だった。
重たい金属の扉。無機質な廊下。警備ドローンが天井を巡回し、監視カメラが視線を送ってくる。
まるで映画の中の軍事施設みたいだ、と思った。
枕元に置かれた端末のニュースは、「特殊災害」と報じていた。
犯人は不明。被害総数も未定。
だが、あの時、目の前に現れた異形の存在と、俺の手から放たれた炎。
何もかもが現実離れしていた。
そして、再び彼女が現れた。
「調子はどう? まだ、身体が重いかな?」
銀色の髪に蒼い瞳――柊 空木。
あの混乱の中で俺を助けてくれた女が、病室にふらりと現れた。
「……もう大丈夫。火傷もないってさ」
「うん。君の体質が……異能に適応してたんだと思う。強いね、君は」
その声は相変わらず柔らかいのに、核心を突くような言葉ばかりだった。
「それで。君はどうする? このまま元の生活に戻ることもできるよ。記憶の処理も含めて、全部こっちで引き取る。
でも……」
「……でも?」
空木は椅子に腰を下ろし、まっすぐ俺を見た。
「このままじゃ、また君と同じように巻き込まれる人が増える。
誰かが止めなきゃいけない。
……それが、私たち《零室》の仕事だよ」
耳慣れないその言葉――「零室」。
「教えてくれ、空木。零室って……なんなんだ?」
彼女は少し微笑んで、端末を取り出すと、数枚の画像を俺の前に表示した。
そこには、いくつもの施設、シミュレーションルーム、並ぶ武器、対策班らしき人々――そして、
異能を使う訓練風景が映っていた。
「私たち《零室》は、国直属の異能対策部門。
正式名称は『異能力者対策局 特別処理班・零室』」
「……異能ってのは、そんなにやばいもんなのか?」
「うん。
異能者は今、増えてる。そして、その全員がコントロールできるわけじゃないし、それを犯罪に使う人たちもいる」
彼女は言葉を選びながら、ゆっくりと話し始めた。
無表情なのに、どこか気にしてくれている感じがするのが不思議だった。
「異能者の存在が公になってから、政府は対応を迫られた。普通の警察や軍では制御できない力を持つ連中に、対抗できる力を持った存在が必要だった。
それが、私たちの仕事。」
「対抗……って、つまり異能者を倒すための部隊?」
「だけじゃない」
空木は立ち止まり、俺の目を見た。
「保護、監視、収容、交渉、そして時には――処理。
零室は、あらゆる異能に対して最終判断を下す部隊。
……世界のバランスを保つための、最後の秤」
「……それって、正義とかそういうのとは、違うんだな」
「うん。私たちは選ばれた人間の監視役。
誰かのヒーローじゃなくて、歯車。巨大な体制の中で、軋みを起こさないための」
俺は言葉に詰まった。
けれど、空木はあくまで冷静だった。
感情を込めすぎない語り口。慣れてるのだ。
きっと、何度もこの言葉を誰かに言ってきたんだろう。
「君みたいに、事件に巻き込まれて異能に目覚めた人間は少なくない。けど、制御できずに暴走するケースが大半。最悪……自分自身を焼き尽くす」
「……そう、ならなかったのは、たまたま?」
「たまたま、じゃないと思う。君の『焔』は、最初から君を選んでいた」
俺は返事をしなかった。
自分が「選ばれた」なんて言葉に、まだ納得がいくほどの何かは持っていなかったから。
「君が目覚めた力。まだ未熟だけど、確かに強い。
炎を扱う異能は、戦闘部隊向きだと思う。
ただ、それだけじゃなくて……君は自分を失ってない。自制できる。だから、私は君に声をかけた」
空木はそう言って、また俺の目を見た。
「零室では、異能力事件に対し、1から10までの脅威度、スレッド・クラスを設定してる。
10なら、国家の存亡に関わるレベル。
そして……さっきのは、レベル6。都市機能を麻痺させる寸前の災害だった」
「脅威度……そんな分類まであるのか」
「うん。
そして、君が自力で抵抗できたってことは、それだけの力があるってことでもある。
今はまだ不安定だけど、訓練を積めば、きっと追いつける」
「追いつけるって……何に?」
「自分の力に、だよ」
それは――まるで、俺の内側にまだ見ぬ「何か」が眠っていると言われているようだった。
「……俺に、できることなんてあるのか?」
自分の手のひらを見つめる。
あの時、確かに炎が生まれた。
だがそれは、怒りに任せた無意識の一撃だった。制御もできなかった。
「……きっと、ある。
私たちも、そうやって集められてきた。
それぞれが何もできないと思ってた。でも、力を持ったからこそ、誰かのために戦えるようになった。
君も、もし……まだ、誰かの隣にいたいって思うなら」
空木の声がふと優しくなる。
「……一緒に来てよ。零室へ」
俺は――答えを迷っていなかった。
たぶん、初めから決まっていたんだ。
「ああ。わかった。
……俺も、行くよ。君たちの“零室”へ」
空木が笑った。微かに、けれど心の底からの、安心したような笑みだった。
そして俺は、制服を脱ぎ捨てるように、
あの日焼け落ちた空の続きを知るために――この戦いに身を投じることを決めた。