生きる屍
笑顔を失った響子
気丈に振る舞いながら、響子と子ども達を気遣う承一
響子もまた気丈に自分を奮い立たせていた
いつも通り夜が開ける前に土間に立つ響子
朝が来ると仕事へ出ればならず、悲しんでる間もなく懸命に日常をやり過ごす承一
幼子の夜泣きで眠れない日も多々あった
子どもの頃から苦労を重ねてきた響子の身体は華奢で、食も細かった
だが、今回の一件で、更に響子は痩せ細っていった
見るに耐えかねて、承一は毎日のように食材を手にし帰宅した
近所の人も、職場の人達も、承一の家族のことを知る人達も皆、肩を落として帰路につく承一を見かけては声を掛け、果物や野菜、ちょっとしたお菓子を手土産に持って帰るよう気遣ってくれた
そんな折
響子の様子が変だと教えてくれる婦人が居た
聞けば、毎日大量の洗濯物を洗っていると言う
子ども達が居るからだろうと思っていたら、大きなタライで布団を毎日洗っている姿をよく見かけるのだが、どうやら子ども達の布団では無いように思う。響子ちゃんの目も虚ろだし、元気もなくて心配だと…
余計な話だったらごめんね、と言いながら美味しいかどうかわからないけどウチの庭で採れた物なので良かったら食べてね。と袋いっぱいのビワを手渡し去っていった
承一には気がかりな事があった
悲しみのあまり、忘れかけていたことを呼び覚ますきっかけになった
響子だけでなく、マキまでもがどんどん痩せていってることだ
まだ幼い子だが、死と言うものを理解出来て食事もままならないのか?等と考えながら家に向かった
響子は憔悴しきっている
それでも食事の支度は怠らず、洗濯も掃除も手抜かりなくやっていた
疲れた様子で土間に座り込んでいる響子のその傍らにはマキが居た
よく見ると、響子だけでなく異様にマキの顔色が悪く覇気が無い
響子にベッタリとくっついて、お互いを支え合うかのように力無く座っている
承一が帰ってきたことに気づいた響子が重い腰を上げ、ご飯の支度に取り掛かった
マキは瞬時に承一にベッタリとくっつき、調達した食材や、お裾分けで頂いたものを土間に広げ置いていくのを目を輝かせて嬉しそうに見ていた
「職場の人達が皆に!とあれこれ持たせてくれた。サツマイモがあるからふかして皆で食べよう」
マキは大きく頷き、満面の笑みで応えた
響子にも声をかけたが、声を出す気力も無いのか頷くだけだった
毎日の大量の洗濯物のことも気になったが、立っているのもやっとで心ここに在らずの状態の響子に何と言葉をかけて良いのか解らず、火を起こしサツマイモをふかす準備をした
イモをふかす間に、頂いたビワを洗いその場で頬張った
甘くて美味しいとマキは喜んで食べた
母親の分のビワの皮を剥き、イサムの分は食べやすい大きさに切った
夕飯時
マキの様子を注視する承一
響子に差し出された物を美味しそうによく食べている
マキが食べ物を喉に詰まらせぬように細心の注意をはらいながら、響子は丁寧にひとさじ又ひとさじと口に運んでいく
肝心の響子は一口も食べる気配が無い
やはり見かねた承一が
「私が食べさせるから響子もしっかり食べなさい」
と、マキを膝の上に乗せて食べさせたのだが違和感を感じた
食が細過ぎる訳でもないのに、身体の肉付きが悪いのだ
もっと明確に言えば肌に弾力が無く、ほぼ骨と皮に近い身体付きになっていた
再度、響子を見ると食事が喉を通らないのか箸も進んでいない
悲しみに明け暮れる生活を送ってどれくらいの時間が経過したのだろうか…
その間に、こんなにも様変わりしているマキと響子を目の当たりにして、仕事を理由に現実逃避をしていたのではないかと自分を責め承一は心の底から詫びた
イサムのことも気になり見てみると、顔色もよく姑が話しかけながら楽しく食事をしていた
ホッと胸を撫で下ろしてみたが…顔色が良いのは自分の母親も同じだった
拭いきれぬ違和感を抱いたまま、また朝を迎えた
いつも通りに仕事へ出た承一だったが、妻の具合が悪いと言ってお昼時を前に早退した
自分の居ない間に家で何が起こっているのか確認するためだ
そっと家に近づくと、婦人に聞いた通り大量の洗濯物と母親の布団があった
自分よりも背の高い物干し竿に、フラフラになりながら無心で洗い終えた布団を掛けている響子の姿に承一は言葉を失った
そして、部屋をそっと覗き見ると、マキは食事が用意された円卓の前で正座をし、手のひらをグッと握りしめ膝の上に置いたまま座っていた
マキの向かい側では、イサムにご飯を与えながら楽しそうに食事をする自分の母親の姿があった
唖然とした
目の前の光景を瞬時に理解出来ず、困惑した
その時背後から
『承一さん?こんなに早くにどうしたん?』
力無い響子の声にハッとした
慌てて
「早く終わった」
と咄嗟に言いながら部屋を見ると、今まで笑顔だった母親の顔がみるみる変わりバツが悪そうに下を向いた
承一を見つけたマキが足早に駆け寄ってきて、開口一番
«お腹空いたぁ…»
と、つたなく言った
響子は驚いた様子で
『なんで?ご飯用意してあるのに食べたらええやんか…なんで食べてないの?』
マキに優しく聞いた
すると幼いマキがおぼつかない言葉を並べる
覚えたての言葉を一生懸命絞り出し話すマキなのだが、正直何を言っているのかわからない
響子がゆっくりマキの言葉を拾い上げながら話を繋げた
要約するとこうだ。
いつもおばあちゃんがイっちゃん(イサム)が食べ終わるまで待ちなさい。
イっちゃんがお腹いっぱいにならんかったらマキの分を分けてあげなあかん。
イッちゃんが残したらマキは食べれる。
響子は呆気にとられ愕然とした
そして、腰を下ろしマキをギュッと抱きしめた
その目には涙が溢れ出ていた
響子も毎日洗う必要が無いような物まで洗濯物を出され、昼食時には食べさせておくから気にせず家事をしろ。と言われていたのは、このためだったのかと悟った
マキが必死で話してる間、姑はマキをずっと睨みつけていたが、承一は見逃さなかった
と、同時に堪忍袋の緒が切れた承一は声を荒らげ
「お母さん!どう言う状況ですかこれは!必要のない洗濯物を響子にさせ食事もろくに与えずに、それだけでなくマキにまで…」
むせび泣き、その後は言葉にならずその場にしゃがみ込み頭を地面に叩きつける承一だった
そんな姿を初めて見た母親は慌てふためき、ヨロヨロと立ち上がり、裸足で承一に駆け寄り何とか取り繕って弁解や言い訳をしようとしたが、承一は一切聞く耳を持たずに母親を振り払った
「このままでは私の大切な響子もマキも死んでしまいます。いっそ…いっそ…息子の私を殺してください」
温厚で母親思いな思慮深い息子の承一を追い詰めた代償は大きかった
行く宛ても無かったが、承一は響子に今すぐ荷造りをするよう求めた
どうして良いのかわからない響子は呆然と動けずに居ると、承一は鬼の形相で母親を睨みつけながら、母親からイサムを引き離し響子へ託した
響子は地面に膝をついたままマキを抱きしめ、もう片方の腕にイサムを抱いた
承一は靴を履いたまま部屋へ上がり、荷造りをし土間にある食材をもかき集め、イサムを背負いマキを抱き上げ両手いっぱいに荷物を持ち響子の手を引いて無言で実家を後にした
見渡すと、承一の大きな声に驚いた住人たちが静観していた