母(響子)生い立ちから〜初恋
1930年代(昭和10年〜)
男ばかりの3人兄弟の家族に、末っ子として唯一の女児が誕生したのが母だ
響子と名付けられた
初めての女の子の誕生に両親は大喜びだった
決して裕福とまでは言えないが、食べることに困ることはなく仲睦まじく過ごしていた
父親は片時も離れず、響子を溺愛していた
トイレに行くのにも落ちてはいけないと(今のような水洗ではなく汲み取り式?と言うのでしょうか)必ず付き添い、父親が響子を抱え用をたすのが慣例だった
食事をとるときでさえも父親の膝上が母(響子)の特等席であり、お箸を持つことなく口に運び入れ食べさせてくれるほどだった
蝶よ花よと育てられ、本当にお姫様のように扱われていたと母(響子)は当時を懐かしんだ
そんな幸せな時間も束の間で、母(響子)が小学校に上がった頃、父親が他界する
父親の他界を境に、響子の生活が一変した
女の子には勉学は必要ない。と母親に諭され学校へ通う日も少なくなった
響子の日課は夜が明ける前に起床し、母親の炊事を手伝い、男3兄弟の配膳をする
響子の朝食は兄達の残り物と釜に残ったご飯をかき集め、そこへ水を足し搔き込むように食べていた
残り物が無い時は、釜の水を増やし腹を満たした
片付けをするや否や息付く暇も無く、駅で言うと5つほど先にある児童館のような所へ、近くに住む親戚の子を背中に背負い荷物を持ち、歩いて送り届ける
帰りには買い物や、その日によって与えられた他の雑用をし家路に着く
夕飯の手伝いをし、日が暮れる前にまた児童館へお迎えに行き送り届ける
行きも帰りも徒歩
響子はまだ小学低学年、年齢で言うと7~8歳頃からの日常
身体も小さく、歩幅も小さかっただろう
荷物を持ち、子を背負い…歩き続けるなんて無謀過ぎる
幾ら生活のためとはいえ…
ろくに食事を摂る時間も無く、常に空腹でお腹が満たされないまま…
響子は幼すぎて、考える余地もなく言われた通りにするしか無かった
どうりで男3兄弟と違って、響子は背が小さいはずだ
休みなど殆どなく、このような毎日を過ごし生活費を稼いでいた
中学校へ行くことも叶わず、奉公に出された
※奉公とは…表現をソフトにすると住み込みのアルバイト
その間も兄たち3人は当たり前のように学校へ通い勉学に励んだ
父親が亡くなったことで経済的に逼迫したのだろうと察することは出来る
だが何故、幼い母だけが、女児と言う理由だけでこんな窮屈な生活を強いられたのだろうか
響子は学校に行くことがないまま成長していった
奉公に出されて得た稼ぎで、家計を支えた
でも母(響子)の口から母親(アコ達の祖母)に対しての恨み言を一度も聞いたことがない
当時は世の中こんなものだと思っていた。と少し遠い目をしながら話していたことを記憶している
大人になるにつれ無知な自分と向き合った時
虚しさと苦しさと情けなさで、息苦しかった…と言ったのか…生き辛かった…と言っていた
『時代が時代だったからね。みんな貧乏で、みんな大変だったからね』と、口癖のように言っていた
自分に言い聞かせるように…
ずっと働き詰めの響子とは裏腹に 兄たち3人は、のうのうと大学にも通った
男3兄弟 揃いも揃って当たり前のように学問に励み、妹を労うどころか我先にと飯を食らう
学生生活を謳歌し、恋もし、友達同士で遊ぶことも許された
妹である響子に感謝しろ。とまでは言わない
せめて…謙虚であれ…
せめて…謙虚で…あって欲しかった
時代?
男尊女卑?
年功序列?
響子が大人になっても、親になっても、決して変わらなかった男3兄弟たち
いつも高圧的で、見下して、使いっ走りのような扱いをしていた姿しか思い浮かばない程、昭和のお手本のような人達
響子と歳が近い一番下の兄が、唯一優しさのある人だったのがまだ救いであった
奉公から戻った響子は家事手伝いをしながら、縫製工場で務め始めることとなる
工場内の奥の方に大きなミシンが何台も並んでいた
大きなミシンで作業をする何人もの男性従業員の一人に目が止まった
まさにその男性従業員の一人が、のちの響子の夫となりアコたちの父となるのだ
工場長が作業場所や作業内容などの説明をするため響子に工場内を案内するのだが、けたたましく鳴り響くミシンの音やら騒々しい中での話は聞き取りにくい
当時のことを母(響子)から何度も何度も聞かされた
記憶を思い起こしながら目を丸くし、首を傾げながら丸で他人事のように話す姿がとても印象的だった
『工場長の話なんか全く耳に入ってこやんねん!ミシンや色んな機械の音でかき消されてるとかじゃなくて、なんやったんやろ?ホンマになんにも聞こえへん。時が止まったみたいな感じ。ただただ食い入るようにお父ちゃんだけ見てた。それだけは覚えてる』
自信満々に、悪びれることも無く嬉しそうに言いながら母は大きく笑った
工場長…無惨にも…惨敗です
どうやら 一目惚れの瞬間だったようだ
男の色香
男気が満ち溢れるような雰囲気と、凛々しい顔立ちの上に長身で、立派な体格
時折見せる笑顔がたまらなく素敵で、光り輝くオーラに包まれていた姿から目が離せずにいた
白いランニングシャツにカーキ色のズボンを膝辺りまで捲り上げたスタイルで、タッタッタと手際よくミシンを操作し、汗を拭うことも忘れるほど熱心に次から次へと作業は続く
実直に仕事をこなす姿がそれはそれはとても格好良かったんだと…ニヤニヤとニヤケ顔で話す母(響子)
アコは母から聞くこの話が子どもながらに可愛いと感じていて、何度同じ話をされても飽きることが無かった
『でもな…見た目だけではどんな人なのか、人となりの中身や性格まではわからんやろ?そこが気になって、ふと我に返ったりもした』
と、かなりシビアな母の冷静さもあり、恋は盲目 まで行き着くには遠い道のりが始まる
母はミシン担当では無かったため父のことを遠目で追う日々が続いた
たまに偶然を装って近づいてみたり、話すきっかけを模索してみたりしたが、軽く会釈をする同じ職場の顔見知り程度止まり
母にとってちょっと残念な結果ばかりが続く日々
終業時間になると別れを惜しむかのように、物陰にこっそり隠れて父の姿が見えなくなるまで毎日のように凝視していたそうだ(怖い)
休憩時間に話しかけるタイミングはあったが、父の周りには同僚達が常に輪になって集まっていて、そこへ割り込む勇気など無い
淡く切ない初恋物語
母の真剣さと必死さだけは存分に伝わるのだけど、気疲れしただろうな〜と子どもながらに思った
聞いているだけなのに、結果もわかっているのに、ワクワクしたり無駄にドキドキしたり…
当の本人となれば、相当な気迫と気苦労があっただろう
程なくして、自然とどちらともなく声を掛け合うようになり、話も弾むようになった
父は本来無口な人だと噂で聞いていたが、お互いの生い立ちや悩み、将来のことを話すうちに交際へと発展していった
そして母が
『私のほうがお喋りやったとは思うねんけどな、お父ちゃんも私の前だけではお喋りやったで!!』
勝ち誇ったような笑顔で言った。
母が嫉妬を覚えそうなほど、父は自分の母親(のちに姑となる方)を大切にする姿。誰に対してもわけ隔たりの無い気遣いが出来、さり気ない気配りにも長けていた
決して出しゃばらず、口数は少なくとも父の言葉にはいつも安心感と説得力があった
人の悪口も絶対に言わない
真面目で頼りがいがある父に、母の淡い恋心に一気に火がついた
【この人と人生を共にしたい!絶対この人と一緒になる!!】
母は心で力強く誓った(望んだ)…の…だが…
『私はブサイクで背も小さいチビで何の取り柄も無い。学校にも行ってないから字の読み書きさえまともに出来ん。こんな私を誰がまともに相手するだろうか…』
意気消沈した
持ち前の明るさも かき消してしまうほど落ち込んだ
しかも初恋の相手である父は、かなりのモテ男だったそうで…自分には勝ち目が無いと更に自信喪失
そんな母の心境を知ってか知らずか…
父からの誘いが増えたという
散歩に出かけたり、職場から少し離れた場所で待ち合わせして一緒に帰るようにもなり…ひっそりお付き合いが始まったと言うのだ
アコはすかさず、何故ひっそり?お付き合い?ひっそりって何?なんで?
と思っていたら…間髪入れずに母が
『付き合いが職場の誰かに知られたら、からかわれたり、もしかすると他の女性従業員から嫌がらせを受けるかも知れないし、冷やかしにあうかも知れない。なんせお父ちゃん…モテモテやったから〜
務め始めたばっかりで1番若い新人の私を思ってお父ちゃんが提案してくれたから、お付き合いが始まったことを言いふらしたい気持ちをグッと堪えて堪えて我慢した!この時くらいから初めて仕事へ行くのも仕事をするのも楽しいと思えたから良かってん』
純新無垢な若かりし頃の母の恋がやっと実りました
でもアコはまだ手放しで喜ぶことが出来ずに聞いていた
現代っ子ならではの疑問
父を悪く言いたいのでは決して無いことは前置きしておく
ひっそりという言葉がどうにも引っかかった
モテ男だったなら…父にその気がなくても、父を狙う女性従業員も1人や2人や3人や………居たのでは無いか?父もそれくらい気づいていて、、、もしかしたら…内密に会っている女性は母だけでは無かったのでは?
と邪悪な考えがアコの頭をよぎる
母も少しは疑ってしまうことなど無かったのかと、アコは聞いてみたい衝動にかられたが聞くのが恐ろしくて無理だった
結果、聞かなくて正解だった
母が語る父との思い出話にはひとつの曇りも翳りも無かった
母は純粋に、自分の気持ちに正直に真っ直ぐに ただひたむきに一途に、父だけを信じ愛した
父も同様、母だけを想い、慕い 恋焦がれて信じ愛した
お互いに恋心が芽生え、気がつけばなくてはならない存在となり恋に落ちた
この主人公である父と母の出会いから私たちは産まれ、育まれてきた
これを運命と言うなら
運命には語り尽くせぬほどの壮絶な人生があることも学んだ
結婚がゴールでは無いこと
人と人との出逢い、誕生 別離 繋がり 恨み 苦しみ 憎しみや嫉妬 感激 笑い 感謝 愛に絆 謝罪 懺悔 感動 喪失・・・・・
父と母の出逢いには言葉は要らなかったのだろう
2人を引き寄せる、2人を結ぶ、目には見えない何か大きな力と意味があったのだ
今ある普通が当たり前にあることだと思ってはいけないんだと…振り返った先に見える若き父母の姿に自分を重ね合わせて、まだまだ学び足りないことを埋め込んでいかねばならない




