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ひずみ  作者: 大和 雅
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アコとマキ

これまでアコが姉のマキと接する機会を失えずにいた一番の理由は、姉のマキが突発的に精神的な病を患い長く闘病していたこと


姉の娘のユキが病弱だったこと


結婚して子を持つ親になった末息子のハルキの嫁(元嫁)のサヤが2度目の妊娠が発覚してから悪阻に苦しみ寝たきり状態になった

ホルモンバランスも崩れメンタルも弱っていた為、上の子どもを見て欲しいとアコに託してきていた


等などと、理由を並べるとキリがない

要するに、家族だから~身内だから~。という切っても切れない関係性であった。


ハルキがアコに子どもを託してきたのも、自身の母親である姉のマキが病気を患っていてアコを頼るしかなかった


嫁(元嫁)のサヤには母親が居たが…

彼氏がいて、アコの目に映った率直な感想を言うと、娘のことなどには無関心で自分時間を優先する人

娘よりも男を選んだ


必然的にアコが預かることになった


アコの家族構成は

高校生のお兄ちゃんと、中学生の娘、小学生の息子が居る母子家庭だ

ハルキの子どもも懐いていたし、この環境下で過ごすことも悪くなく、預けられる子ども自身も寂しく感じることが少しは軽減出来るだろうと思い快諾した


この時 ハルキの娘は確か3歳

時々、親を思い出して泣かれた時には見ている側も可哀想で泣きそうになることもしばしばあった

(アコが父を亡くしたのも3歳だった)


朝には保育園へ送り届け、夕方にお迎えに行く

お迎えが両親では無いとわかると、泣いた

泣いてでも連れて帰るしか無い


大泣きする子どもを乗せながら自転車を走らせるアコの姿は はたから見れば誘拐犯のようだった


誘拐犯のようだった話をアコが子ども達に話すと、お腹を抱えて笑った


学校が早く終わって娘が一緒にお迎えに行くことが増えるようになった

後で知ったことだが、お迎えに行けるように急いで帰って来てくれていた

おかげで、お迎え時に泣かれることが減った




姉の子ども達

すなわち私の甥や姪にあたる


姉の娘のユキが誕生したのはアコがまだ9歳の時


おばさん

にあたるのだが、あまりに幼すぎるおばさんだったので、呼び名を【いもうと】の上2文字を使用して【いもちゃん】や【いも】と呼ばせることになった


ハルキが【いも】と呼ぶのでハルキの娘も【いもちゃん】と呼んだ



姉のマキは根っからの真面目気質で、あまり冗談も通じず正直 面白みに欠ける人だった


アコは母が音を上げるほどの自由人で、反発もする出来の悪い子だった


全く正反対の性格の姉妹


そんな正反対な姉妹の気が合い始めたのは、アコが17~18歳頃だった(姉が32~33歳頃)


ある程度大きく育った甥や姪と行動を共にすることが増えたことと、姉のマキも母子家庭になり子育てをしていた

その姉の家にアコが居候し始めてから距離がグッと近くなった


しっかり計画を立てて行動するマキ

(あまりアクティブではなく、どちらかというと高級感重視)


かたやアコは

思い立ったら即行動!

(学校から帰ってきた甥や姪に海行こう!と突然誘ったり、とにかく時間に余裕があるとジッとしてるのが勿体無いと思ってしまう行き当たりばったりな破天荒女)


そんなアコのことを目を丸くして呆れてみていた姉のマキもだんだん慣れてきて、そしてこんな破天荒で自由なアコが面白い存在だったのか、甥や姪がノリノリで寄って来ては盛り上がる


嫌でも慣れるしかなかった姉のマキが1つだけ譲らなかったことがある

それは宿泊先

これだけは絶対に譲らなかった


だいたい誰もが知る有名どころのホテルか料亭旅館

若しくは妥協しても…そこそこお値段の張るホテルや旅館が定番だった


これは間違いなく母の影響が大きい




愛してやまなかった父が病に倒れ、この世を去った時 母は30代後半の頃で、アコはまだ3歳だった


父は働き者ではあったが裕福とは縁遠く

慎ましやかな日々を送っていた


父が逝去したことで生活がさらに逼迫する


泣いてる暇など無いと朝から晩まで働き詰めの母


持ち前の明るさと根っからの負けず嫌いが母をつき動かした

そんな母に転機が訪れ、なんとお酒を1滴も飲めない母が水商売を始めた

水商売と言っても小料理屋で、お酒も売り、今で言うカラオケを置いた

とても小さな店


店を構えることを決めたのは私の存在だったらしい

時間の調整が出来るうえ、幼稚園に行ってる間に家事や買い出しを済ませ、夕方になれば長女のマキや長男のイサムが帰ってきて、アコを任せられるからだ


店は夕方から開店し、日付が変わる前に店じまいをする

つもりだった…


開店当初は物珍しさもあり客足が途絶える事が無かった


だがそれも初めのうちだけだろうと高を括っていた


ところが母の料理が思いのほか評判となり、人が人を呼び、大繁盛となったと言う


あれよあれよと紆余曲折乗り越えて、最終的には従業員を何人も抱えるクラブのママと化していた


母は歌が上手だった

はじめはカラオケを置いていたが、お店が大きくなるにつれ、バンドマンを置いて生演奏で歌えるお店へと進化させた


訪れるお客様の一番のお目当ては、母の唄う歌だった


クラブのママともなると、付き合いのゴルフやパーティーに出席と…

目まぐるしい日々を送るようになっていった


長女のマキは母の店の経理や雑務をこなし、兄のイサムは自営をしながら嫌々ながら母の運転手や、付き合いのゴルフにも出向くようになった


どこそこの会社の社長さん 会長さんから始まり、取引先の銀行の諸々の支店長さんや、ちょっと強面な方々から、セレブと呼ばれるような奥方様の集まり、映画やテレビで活躍されている方等も来店した


小学校に上がった頃のアコは母と顔を合わせることも容易くなくなって寂しさを感じていた

そんな中でも唯一楽しみにしていたのが旅行だった


母が決めて連れていってくれることもあったが、常連客さんが手配して家族旅行をプレゼントしてくれることが多かった


どの旅行も煌びやかなホテルだったり、格式高い料亭旅館だった。

どこかの会社の会長さんが新しくホテルを建てた時、プレオープンで招待してくれたこともあった


この頃から、姉のマキは宿泊先に拘りを持つようになったのだと思う。


マキは船上パーティーにも母と行っていた


アコは自分の知らない船上パーティーの写真を観て泣いて怒った

手が付けられないほど泣きじゃくった

子どもの参加は認められなかった。と母はアコを必死でなだめいたが本当のところはわからない



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