四話
翌日。私は昨日と同じ、真夜中に学校に来ていた。
「今日は警備員さんになんて言えば……」
ドキドキしながら校門付近をウロウロしていた。すると、こちらに近づいてくる影が一つ。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」
「た、橘くん?」
「迎えに来ちゃった。っていっても学校の入り口だけど」
「それでも嬉しいよ」
まるで本物の恋人同士みたい。そう思った。
「こっちこそ今日も来てくれてありがとう」
「どういたしまして。それで今日は何するの?」
私も橘くんとすることを何か考えてくれば良かったかな? これは正義感だとか病気で可哀想だからという情からじゃない。橘くんという人間を知り、心から橘くんに思い出を作ってほしいという願いからだ。
「それは教室で決めようか」
「っ、た、橘くんっ」
「どうしたの?」
「その、手……」
さりげなく恋人繋ぎをされた。昨日は走ってるときだったから、そこまで意識してなかったけど今は違う。昨日よりも橘くんを異性として見てるからかドキドキが止まらない。
「嫌だったかな?」
「そんなことない!」
「恥ずかしい?」
「そうだといったら離してくれる?」
私は橘くんから手を離そうとしたが腰をグッと掴まれて距離が一気に近くなった。
「ちょっ……橘くん!?」
「琴里の恥ずかしがってる姿が可愛くて、もっと近くで見たくなった」
「私、可愛くなんてないよ」
「世界中の誰よりも琴里が一番可愛くて綺麗だよ」
「うっ……」
心臓を鷲掴みされるほどの嬉しさと恥ずかしさで心が爆発しそう。昨日よりもスキンシップが激しくて……昨晩よりも橘くんがカッコいい。まるで童話や少女漫画に出てくる王子様みたいだ。こんなの、平常心でいるほうが難しい。
「そんな顔をされると、もっとイジワルしたくなるけど今日はこのへんでやめておくよ」
「う、うん」
そうしてくれるとこっちとしても助かる。これ以上、何かされたら私の心臓が持たないし。橘くんは一見優しそうに見えるけど、ちょっぴりイジワルな人だ。
「今日は一緒に勉強でもと思ったけど、せっかくなら何か違うことを琴里としたいな」
「それなら音楽室でピアノを弾いたり歌を歌ったりするのは? って、今の時間、音楽室は空いてないよね」
「特別に僕が学校の中を自由に過ごせるように鍵はもらってるんだ」
「そうなの?」
「担任の先生が優しくて助かったよ。きっと昼に僕が来れないことを知ってるから、せめて夜に青春を送ってほしいってことなんだと思う、けど……」
「けど?」
「やっぱり青春は一人じゃダメだね。だから琴里が今日も来てくれて嬉しい」
「橘くん……。心配しないで! 明日も来るし、毎日だって遊びに来るよ」
「ありがとう琴里」
「どういたしまして」
一瞬、橘くんの寂しさが見えた気がした。そうだよね。私は昼に学校に行って、友達と話したり授業を聞いたりしてるけど、橘くんはそれが出来ない。望んで入学した学校なのに……。
皆が当たり前と思ってることを当然のように出来ない。それはどんなに辛くて悲しいことか。
「琴里は歌を歌うことは好き? ピアノとかは弾ける?」
「う〜ん。どっちも人並みくらいだよ」
音楽室に移動しながら何気ない会話をする。こうやって話していると、クラスメートとただ普通に雑談をしてるみたい。時間帯は違えど、これも青春の一ページだと私は思う。橘くんも私と同じことを思っててくれたら嬉しいな。
「人並みでも出来ることが凄いよ。僕に聴かせて?」
「オンチだし、橘くんが期待するようなほど上手くないよ? それでもいいの?」
「いいよ。僕は琴里の歌声だからこそ聴きたいと思ったんだ」
「わ、わかった」
音楽室に入るや否や、私は歌うことになった。橘くんは一番前の席に座って私を見ている。
さっきとは違う恥ずかしさが込み上げながらも、私は今授業でしている歌を一人で歌い上げた。静寂な空間に私の声だけが響き渡る。
「まるでアイドルのライブに来てるみたいだった。って、実際アイドルのライブには行ったことないんだけど。でも僕だけのために歌ってくれるって、すごく贅沢な経験をさせてもらったよ」
「橘くん、褒めすぎだよ」
「そんなことない。とっても上手かったよ。天使の歌声を聴いて、一瞬天国が見えた気がした」
「縁起でもないこと言わないでよ〜」
と、軽く冗談のつもりで笑った。
「天国もこんなふうに琴里みたいに可愛い天使がいるのかな……」
「ど、どうだろう」
その話題はあまり気乗りしなかった。今の橘くんはいつ死ぬかわからないから、この話すらも冗談に聞こえなくて。橘くんが遠くへ行ってしまう。そんなの考えるだけでも涙が止まらない。
「ここは天国よりも楽しいところだよ! 橘くんが聴きたいならどんな曲でも歌ってあげる」
声が枯れるまで何曲でも何百曲でも歌うから。喉が潰れたっていい。それで橘くんが満足してくれるなら。
「琴里、励ましてくれてるの?」
「そんなつもりはなくてっ……」
気付かれてしまった。やっぱり橘くんは鋭い。
「ごめんね。僕が天国の話なんかしたから。逆に気を遣わせちゃったね」
「私は大丈夫だよ」
「体調が常に悪いとさ、どうしても考えちゃうんだよね。僕は死んだあと、どこに行くんだろうって」
「橘くんは死なない。私が死なせたりしないから……」
消えてしまいそうな橘くんの姿を見て、私は思わず抱きついてしまった。橘くんは私を受け入れるように私の背中に手を回してくれた。
「僕だって簡単に死ぬつもりはないよ。今は琴里がいるから。仮の恋人でも好きな人を置いてはいけないよ」
「う、ん」
どんな関係でも私は橘くんに死んでほしくない。本音を言えば、本当は仮なんかじゃなくて本物の恋人になりたい。いつか本物の恋人になって、橘くんと本当の恋をしたい。昔のトラウマを忘れるくらい、夢中な恋を。
橘くんが『仮』の恋人だと言い続けるのには理由があるんだと思う。本当の恋人になったら、橘くんが死んだときに私がより悲しむから。
でもね、橘くん。私は今、橘くんが消えてしまったとしても橘くんの家族と同じくらい貴方の死を悲しむよ。私に遠慮なんかしなくていい。橘くんには自由でいてほしい。それが私の願い。