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再び目を開けると、眼の前は薄黄色かった。上体を起こしても視界は黄色いままで、目に触れようとすると布が巻かれていることがわかった。布を剥がそうとしていると、手が温かい手に遮られ、傷ついているから放置しておけ、という旨の言葉がかけられた。
その温かい手は私の頭をゆるりとなでながら私がここに至った経緯を説明した。
ここは孤児院、教会が主導で宗教人口を増やすべく教会に併設されている施設で、この手の主はそこに住まう神父。彼は私の母に頼まれて教書を送り届けようとした際に、父が母を食い殺し、私の腹の上で息絶えていたという。あの神とやらの力でどうやらこの器に押し戻されたようだった。ただ、器の傷も癒え、目だけが目立った外傷だったらしい。
数日間、神父の言うままに目を覆ったまま寝ていた。その声が全ての世話を焼いてくれたため対して不自由も感じない。ただ、このまま介護を受ける存在に成り果てるわけにもいかず、私は機会を待っていた。
どの程度時間が経ったのだろうか。枕元に夜はランプ、昼も光が差しているようなので昼夜感覚が全く狂ってしまった。
ある日を境にあの神父は訪れなくなった。腹も空き、体臭に居心地の悪さを感じた頃、漸く私は包帯が意味を持たない飾りであり、自分の目が傷付いてなどいないことを知った。
呪いによって受けた傷なら痛みを感じない。その理論にこの傷も当てはめていた。実際痛みはなかった。
だが、どうだ。巻かれた布を外してみると、以前と何ら変わりのない景色が映る。目の怪我?あの神父は一体私に何を見せたくなかったのか。手を握る。ゆるゆると言うことを聞く筋肉。流石にこう幾日も寝転んでいては直ぐに脱出の算段は立てられまい。
ふと、寝転んでいる間に考えていたことを実行してみようという気になった。寝具から這い出て床に足先を触れさせる。冷たい。石造りなら足跡も残らないし音も出さなければ響かないだろう。部屋の戸の前まで移動する。鍵が掛けられているのかと思ったものの特に何もなかった。まるで神が私にお詫びをしているようだ。取り敢えず部屋から出よう。
出来得る限り音を立てず戸を閉めて外を見渡す。ここも石造りの回廊の一部であり、白い花の溢れた庭が一望できた。後で見る機会があるならば見てみたい。何しろ花を目にするのは父が狂う前の、ずっと昔ぶりだから。一時の感傷を捨て、歩みを進める。
あの神父の声がした。
その音源に向かうと、音の響く部屋で大勢を前に説教を繰り広げていた。これなら私を監視するものはいない。人がここに居る。神父の話からすれば、あれが説教をするのは講堂、その近隣には人間の生活に必要な部屋が揃っている。例えば、食事処とか。
想像通り、少し歩くと居住区のような細々とした部屋が並ぶ回廊に出た。ここには目を瞬くほどに鮮やかな青い花が絢爛に咲き誇っている。強い香りがした。これは、母の纏っていた香りだ。あの宗教家は、果たして神の元に辿り着くことが出来たのだろうか。
もう少し歩くと不意に焦げの香りが漂う回廊に出た。ここは黄色い花だ。花弁の形の異なる花々が咲き誇る。大きな花に日を遮られて小さな花は益々鳴りを潜める。世界のようだと思った。香りの大元はやはり調理場だった。私の部屋の数倍はある部屋だ。そして、ここには器を壊すことのできる刃があるだろう。
ふと目についた刃物を持ち上げ、左の首に添える。少し力を込めるとちゃんと痛い。痛いのは嫌いだ。呪いに慣れるまでが地獄の毎日であったように、痛みに慣れるのには時間を要する。ただ、慣れるまで待っていてはあの神父に見つかり、今度こそ自由に出歩く機会を減らすことになるだろう。さあ、ひと思いに。