表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/1

日本神話~ヤマタノオロチ

ピィ~ヒョロ~


ピィ~ピィ


朝に夕に小鳥の囀りが心地よい都心の郊外。ベランダから見渡すと緑の木々が一面に広がっている。


戦後まもなく地方自治が山を切り開き区画整理を施し高級住宅地として売り出していた。


マンション街の北西に熱田神宮の杜を見ることができる。


小学生あみの住むマンションの最上階の眺めは最高のロケーションで天気がよければ伊勢湾も拝められた。

熱田神宮は三種の神器のひとつ草薙の剱が奉納されている。


御神体は日本武尊。


日本神話で有名なヤマトタケルノミコトが杜の主として鎮座し守り神である。


熱田の神殿奥に日本武尊は寝室を取り穏やかなる眠りについていた。


クゥ~


スヤスヤ


ガァ~ヒィヒィ


一応穏やかなる神の寝室ではある。


熱田の隣り合わせにあみの通う小学校があった。校庭はお昼休み時間になり子供たちは元気いっぱい遊んでいる。


エッエ~ぃ!


やったわねぇ


かわいい女の子の声がいっぱいこだまする。


「イヤ~ン当たったわ。このままだと私たち負けちゃう。挽回しましょう」


女の子が夢中になるのはボール遊び。小学生には大きめなドッジボールをヨイショと投げてワイワイやっている。


エエ~い!


ピュ~


ドン!(鈍い音で女の子のお尻にボールは的中)


ドッジボールはポンポンお尻のデッカイ女の子目掛けて当たります。


いやぁ~ん!


痛い!お尻狙うなんてダメだなぁ~


遊ぶことが仕事の小学生たちである。クラスの仲間との楽しいひとときは最高の時間である。


学童の中心にかわいい女の子あみがいる。ドッジボールに夢中の女の子は人一倍張り切り投げて走って逃げ回る。


あみは自慢のお下げ髪を靡かせ真っ赤な顔でボールを追いかけ敵陣営からは逃げて走り回る。


あみは狙いを定めて勢いよく敵陣営に投げてみる。


長いお下げ髪はクルンクルンと跳ね躍動感がある。


ところが女の子の投球ボールはうまくキャッチされてしまう。同じ女の子から反撃されてしまう。


アッ!失敗しちゃった


敵さんから投げられあみは逃げ回る。


キャア~


当たるわあっ


逃げて


逃げて


危ないの!ボールが当たる

あみたち陣営は悲鳴をあげてボールコントロールをかいくぐりたい。


ドン(あみの背中に当たる)

いやぁ~ん。(あみは敵陣営の捕虜に降格)


でも負けないわあ


あみは敗者捕虜の一角コーナーに回る。


活発にドッジボールを巡り走り回る女の子。仲間意識が高まり楽しくて屈託なく笑う小学生あみである。


風になびくお下げ髪がよく似合うかわいい女の子あみ。


捕虜コーナーに走るとちょっとした癖で"お下げ髪"をクネクネと回してしまう。

お下げ髪


クネクネ


熱田の神殿は寝室にあみの声や姿が届けられた。


「あん?なにごとじゃ。静寂なる杜が騒がしいのう」

アワアワ~


大きなアクビをひとつしてみる。


熱田の杜奥の神殿に鎮座する日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。うつらうつらと眠りこけていたがお下げ髪の通信を受けてしまい安眠を妨害される羽目になる。


目が醒めると小学生あみの元気な声が皇子(ミコト)の耳にどんどん達していく。

武尊(タケルノミコト)は侍従を呼び寄せた。あみの元気な声が喧しいのだ。


「あの騒がしさは何事か。女の子がざわざわしているぞ。五月蝿くてたまらん。見て参れ」


寝起きが悪いのかミコトさま。うつらうつらは春先の陽気も手伝った。


侍従はサアッ~と雲に乗り小学校の様子を見て参った。


「元気な女の子とな。"あみ"と申すのか。どんな女の子なるか」


侍従の話では小学校のクラスの人気者があみ。ハツラツとした女の子でお下げ髪がよく似合う。


「なにっお下げだと。風に靡かせはつらつだと」


古代人の風貌を見せる日本武尊。長い髪の毛を左右に束ねムースで固めていた。

あみのお下げ髪と似ていると言えば似ているかもしれない。


熱田の御信託はお下げのあみに親しみを抱いた。


「あみというのか。あみちゃんと申すのか」


えいっやぁ~


あみの陣営は劣勢であったが女の子の団結力で逆転をしてしまった。


キィ~ンコ~ン


カァ~ンコン


あみは勝利を収めて授業に戻っていく。


「やったあっ~ふぅ。さあお勉強よ」


あみの父親はテニスクラブの副支配人。コーチ兼任で名のあるテニス人である。

現役時代では全日本テニス選手権で活躍し実績も残している。


全日本プレーヤーの父親の娘があみ。運動神経をしっかり受け継ぎ運動が大好きである。


昼休みはクラスの仲間が集まって球遊び。今日はたまたまドッジボール。


小学生でテニスが流行ればあみは英雄になれるかもしれない。


お昼休みは額に汗をしながら真剣にドッジボールを追いクラスメイトの輪に入っていた。


「あみちゃんしっかりね。あみちゃんが味方に入るといつも勝つから嬉しいなあ」


クラスの仲良しグループでは頼りになる親分的存在である。跳んだり跳ねたりの運動神経は人並み以上である。


あみは運動が好きである。からだを動かして仲良しと一緒にワイワイやって笑うことが大好きである。


夢中で校庭を走り回るとフウフウと肩で息をするあみ。仲良しの友達の笑顔が楽しくて楽しくて今日もボールを追いかける。


「よおーし。もう少しであみのチームが勝つわ」


あみは舌をペロッと出し最後のボールを決めにかかる。


エッエーイ!


ズドン


えぇ~い!


手に持つドッジボールを敵陣営チームの女の子目掛けて投げつけた。


だがあみは慌ててしまいオーバーコントロールになる。手元が狂いヘナヘナボール。逆襲をされてしまい逆にお尻めがけて投げつけられてしまう。


ドスン!(あみのでっかいお尻に的中する)


「いや~ん!ボールぶっつけようとしたら。あみにやり返されちゃった。悔しいなあ」


ヨォーシ!今度は負けないわ。決めてやるわあ。勝負をつけてしまうわ。


今日のあみは"お下げ髪"をクネっと触ることはなかった。


ワァ~ワア~


キャア~キャア~


仲の良いクラスメイトは笑い声が絶えない。


キィ~ンコーン


カンコ~ン


子供らは遊びをやめる。てきぱきとボールを片付け始める。


学童が蜘蛛の子を散らすようにボールを集め片付けていく。あみも率先し校庭に転がるボールを拾う。


あみの姿を雲に乗る侍従はじっと見つめている。


「本日はあみさま大丈夫でございますね。我々が手助けすることもございません」


侍従はオペラグラスをさっさとしまい社の神殿に戻っていく。


子供らはボールを片付けてしまうと校庭を元気に駆け抜け教室に入る。


あみも全速力で教室に戻る。クラスの誰より早い動きである。


「ふぅ~ドッジボールはいつも楽しいなあ」


ハンカチで汗を拭くと一呼吸おいて顔をあげた。


これから退屈な授業である。


「ボール遊びは楽しいのに。お勉強はいつも決まって…ウッ~ああっ~つまんない」


のそのそとカバンから教科書を出し担任の授業を待つ。


つまらないと決まっている授業である。担任教師はまだ来ないので手持ちぶさたであった。


あみは自慢のお下げ髪をクネクネいじり出す。暇であるし悪い癖とは知ってはいたがやめられない。


「さあっ授業ですよっ」


あみはギクッとしてお下げから手を離した。


担任は一礼をすると黒板に向かう。カタカタと文字が書かれていく。


『日本神話』


クラスの仲間はあらあらっと面喰らう。今日の授業も間違いなく面白くないのである。


あみはおさげを触り呟く。

黒板の難しい言葉を見てガッカリである。


「神話?"シンワ"ってなんなん?今から神話なのね。担任の話は退屈しんわ(神話)。なんかつまんないなあ」


あみは隣の女の子と駄洒落をひとつ言って溜め息をつく。


見るからに嫌々な態度のあみとなる。くだらない授業が始まると思えば教科書を開く手も重くなる。


お昼休みにニコニコして遊んでいたあみはどこへやら。


授業は心底つまらないなあっと隣り合わせの女の子とソッポを向いた。できたら球遊びの続きがしたくなる。


黒板に授業内容をさらさら書く。学童の顔を見ることもない。


子供に楽しい授業など滅多になり。落胆の溜め息が聞こえそうは長年教師をする経験からわかった。


「皆さん授業を始めます」

神話に対しての子供たちの反応は鈍い。昼休みのドッジボールとは格段の差がある。


授業は指導要項カリキュラムにあるためどうしてもこなしていかなくてはならない。


子供に難しい話は極端に嫌われてしまう。担任は百も承知である。


楽しい授業を子供に心掛けたい担任。致し方なく子供に迎合し笑いや関心事を誘う小話を交える。


「皆さん聞いてくださいね。神話に竜が現れますよ」

竜ってなんなの?


なんだ創作モノじゃないの。


やっぱりつまんない話だわ

「竜はドラゴンさんですよ。ひょっとしたらあなたの傍にまできてガォ~といきなり叫び出すかもしれません」


竜は悪であり人間を意味なく襲います。


どこでガォ~と叫びますかしら。


教室の後ろから叫び出すかもしれません。


「火を吐く竜。大怪獣が出ますよ」


なんとか子供の興味を授業に。担任は教育大を出たプライドがある。大怪獣だ恐竜だっと子供騙しもほどほどにしたい。


担任は自分で自分がシラケてしまう。子供の興味のために大袈裟な神話の宣伝になるなあっと思ったが背に腹はかえられない。


担任の宣伝に生徒らはザワザワする。


神話は竜が登場するんだ。

でっかい竜は空を飛んで口から火をガァ~って吐くんだ


強烈な武器を携えた化け物が竜である。


都市のビルや高速ハイゥエーを踏みつけ破壊する怪獣が現れる。


キャア~怖いなあ


竜はガァオ~って叫びます。


「怪獣はガァオ~って叫びますけど竜はなんて言っているの」


怪獣同士の挨拶がガァオかなあ~


男の子は興味を持ちます。神話を離れて竜・怪獣・恐竜に華が咲いてしまう。


「先生っ教えてよ。神話の竜って恐竜のことなの。どうせなら(中日の)ドラゴンズがやって来て欲しいなあ」


ナゴヤドームに竜はたくさんいるもん


男の子は冗談とも言えぬ顔である。


ドラゴンズが神話にくれば応援したい。


竜ってよく打つかなあ。


ピッチャーの竜は何キロ投げるんだろう


ドラゴンズは野球チームである。野球観戦はケーキやアイスクリームを食べる。

怪獣も同じようにして見学したい。


あらっ竜ってバッターになるのかなあ


あみはちょっと喜んだ。


「へぇっ~退屈な神話に竜が出ますの?神さまの話に大怪獣現れるとはなんですか。ナゴヤドーム?なんだかんだ」


あみは隣りの子の顔を見た。


「竜"りゅう"ってドラゴンのことね。というと勇ましいバッターがガンガン打つのかな」


言われた女の子もあみのジョークに上乗せした。


「ピッチャーが出て来て竜の頭にボールぶっつけ合います。デッドボール!竜ちゃん堪らずコテンしてダウン!アッハハ」


神話の舞台はナゴヤドームのメインスタンドか。


担任は神話のパンフレットを配布する。イラストレーションにはヤマタノオロチ(悪竜)がいた。そのいでたちはいかにも獰猛で悪い竜の権化。八っ頭に八っ尾であった。


「この悪竜ドラゴンさんは火をガア~って吹くのかな。大怪獣ゴジラと対決させたいなあ。火炎放射と竜の火。強いのはどっちかな」

火炎放射!


バーベキューしたらよく焼けるだろうなあ

ゴジラはひとつ頭で火炎放射。八っ頭の援護射撃に負けてしまいそうな迫力。


「この竜って悪いんだろうね。憎たらしいことにビルや街を破壊してのそのそいくのかしら。あれ?ちょっと待って」


悪竜はあみたち子供に興味である。


「街を破壊する大怪獣ならあみは逃げなくちゃ。踏み潰されたら大変。イヤ~ンあみはノシイカになっちゃいます」


ぺしゃんこあみだけは勘弁して欲しい。


悪竜はドラゴンだが野球はやらないとわかる。


「ドラゴンはドラゴン。中日ドラゴンズと違うんだわ。バッターにならない。ピッチャーとは違うですわ」

八っ頭でどうやってボールを投げてバットで打つのか。


「あれ?悪のドラゴンはかけ離れていますわね。


だから悪竜さんは怪獣映画がいい。主役悪竜で堂々と正義に歯向かう悪いおじさんドラゴンだあガァオ~」

普段から授業を聞かないあみちゃん。悪竜ドラゴンの絵を見て目がギラギラしてしまう。


小学生あみは子供のくせに怪物・妖怪とまやかし物が大好き。


不気味なモノや摩訶不思議なその手の世界が好きである。


あみの父親は鬼瓦(おにがわら)そのもの。多少影響があるのであろうか。遺伝子は受け継がれている。


「エヘヘっあみちゃんは怖いもの大好きちゃんなんでございますよ。悪竜出てこいっ。あみちゃん光線でジュっ焼いてしまいますよ」

火炎放射でジュウジュウ焼けば竜の天ぷらの出来上がりか。


ガオッ~


悪竜め!火を吹け~


火炎放射して街を焼き尽くしてやれ。


「だけどあみのマンションだけはイヤァ~。お父さんのローン残っていますよ。燃えたら悲しくなっちゃうしね。お願いだから上手に残してね」


悪竜の出現にあみは目を輝かせていく。退屈な神話の授業など無関心。悪竜退治のそれだけを聞こうかと思った。


担任が授業を始める。あみはよいしょっとページをめくった。


「神話って(勧善懲悪の)悪竜退治だろうなあ。さてドラゴンさんはどんな酷いことするのかなあ」


イラスト仕様のパンフレット。お子さま向き小学生向きマンガ。あみたち学童に興味を持たせる工夫である。


「悪竜さんは神話でどんなオイタするのかな。そういうあみのお家に間違っても来てはいけません。だってあみのお父さんはやたら強いですよ。鬼瓦みたいなお父さんだもん。悪竜さんが逆に退治されてしまいますよ」


父親は自慢なのか。


用心棒代わりなのか。


あみは何気無くおさげ髪をさらりっと撫で悪竜イラストを見る。


サラサラ


サラサラ


あみのお下げはクネクネと櫛流されていく。


うっう~ん


オヤッ?


あみの意識が薄れつつある。前が朦朧としてくる。担任がいる教壇がはっきり見えず。


だんだんと視界がぼやけていく。


「あっあれ。あみは目の前が見えません。ヤダァ見えません。教室が揺れてユラユラしていますでございます」


コテンと机に頭を伏せあみは気を失った。


担任はあみに気がつかない。子供の反応を確かめ神話の授業をする。


ゆっくり朗読を始めると子供らはじっとパンフレットを見つめた。


小さな女の子でも興味を持ちワクワクさせる。


気を失ったあみ。クラスメイトからみると熱心にパンフレットを見ている生徒さんであった。


気絶したあみは遊離別体。ふわふわと意識だけは戻り授業の様子を眺めていた。

「あらっクラスのみんながいるわ。あれあれ!あみはあそこにいるじゃあないの」


教室を肉体を遊離し意識だけのあみは眺めていた。


遊離したあみの意識は雲の上にある黄泉の極楽へ向かった。


小学校の教室を神様が眺めている。八百万(やおよろず)の神は誰が今から神話の主人公となるのかと気にし首をもちあげた。


悪竜イラストのパンフレットを見た神さまがハタッと手を打つ。


「おおっ私の活躍する場面ではないか」


手を叩いた神は出番がやって来たとスゥ~と下界に降りていく。


担任は神話を語る。


黄泉の国・高原天を出たスサノオノミコトが颯爽と登場する。


実在をする出雲の国に悪竜(ヤマタノオロチ)が夜な夜な出没し村人は困り果てている。スサノオは勇敢に悪竜退治をなす武将である。

悪竜は腹が減ると好き勝手に村に現れる。田畑を荒らし農作物を食い散らす。


話を聞く子供たちは破壊力抜群な悪竜にワクワクである。


「ビルもガチャン。目にはいる建物もちゃんと壊します。ええぃ景気よくいけーヤマタノオロオロちゃん。ビルなんか踏みつけて壊しちゃえ。電信柱なんか投げつけてチャンチャンしちゃえ」


男の子は大怪獣ヤマタノオロチの登場に歓迎だった。

田畑を食い潰してしまえば村の建物を破壊し食べ物を物色する。


悪竜の被害は甚大で荒らされた田畑は作物は育たない。まったくもって村には迷惑以外なにものでない。


「ヒャア~怖いなあ。抜群の破壊力でございます。悪竜ちゃんいけないでございます」


大怪獣が好きな子供たち。やれいけそれいけと悪竜を応援してしまう。


アヘ~


悪竜ヤマタノオロチに困り果てた村人に救いの主が現れる。悪竜退治の武勇伝が残るスサノオウであった。

雲から降りた神様。スゥ~と一呼吸をして神話に登場をしていく。


「さあ私の登場シーンだな。張り切って暴れてしんぜよう」


旅をする途中に出雲の国にスサノオは足を踏み入れた。ひなびた道を行くと川が流れている。ひと掬いして口を潤えばスサノオはハタッと気がつく。


「おっ上流から箸が流れてくるではないか。川上には村があるのだな」


スサノオは村に入る。するとおろおろと泣く村人がいた。神は大のおとながなにごとかと尋ねる。


「どうしたオヌシ。なぜにかようなところで泣いている。泣くでない。よい大人がみっともない。涙を拭け」


泣きはらす村人はチラッ勇ましき若武者の姿を崇めた。


その姿はどこまでも(たくま)しく勇者を感じさせる。オロオロする村人は答えた。


「聞いてくださいお武将さま。私には8人の娘がいました。この出雲の村で家族仲良く暮らしておりました。ところがある日悪魔の権化(ヤマタノオロチ)が次々に娘を襲ってしまい可哀想にこの世からいなくなりました」


思い出しては涙がこぼれてしまう。


「今は残念なことに末娘しかおりません。その末娘も悪竜のヤマタノオロチがいつ襲いかかるやしれません。だから私は娘がいなくなることが悲しくてたまりません」


話をし終えた父親は号泣した。


スサノオノミコトじっと聞く。


「オヌシの事情はよくわかった。悪竜がいるのか。道理でこの出雲の村は殺伐とし人の気配がないのか」


数人の村人を尋ねるスサノオ。なんとなく悪竜(ヤマタノオロチ)の存在がわかってくる。


「ヤマタノオロチ(大蛇)を退治してやろう。しからば論功の証しとして末娘を嫁に貰いたい。よいなオヌシ」


意識だけのあみはアチャア~て思う。


「結婚の約束をしてしまうなんて。手の早い神さまだなあ。順番が違いますわ」

婚姻を取りつけてから悪竜(ヤマタノオロチ)退治を実践する神様である。


契約金先払いのドラフト制度のような話。さらにはなかなかの役者である。


獰猛な悪竜(ヤマタノオロチ)とは八っ(やつがしら)の巨大な(ドラゴン)である。


八っ頭のひとつひとつも化け物で八尾(やお)の恐ろしき強靭な尻尾をもつ魔物だった。


悪竜は村に現れては若い娘を生け贄として襲い(さら)う。村は荒み放題で民がどんどん減り壊滅状態である。


教室の担任が村は壊滅的になると読み上げる。クラスメイトたちは騒ぐ。若い娘さんが襲われてはたまらない。


「アチャア~やだあ!若い娘さんが襲われちゃうなんて。怖いよう」


村の娘さんは可哀想だ。気色悪い獰猛な悪竜に襲われて。


かわいい食べごろの女の子は悪竜の餌になります。


パクンチョ~と食べられちゃう


クラスメイトはゴックンとなる。


私を食べるならケチャップとマヨネーズをたっぷりかけてくださいね。


レタスとかキャベツも挟んだら美味しいかな。


プハァ~


教室は大爆笑の渦に包まれた。


クラスメイトが笑いその場が和む。


意識のあみはスゥ~と神話に埋没していく。


「あれっ私どうかしていたのかな」


あみは夢かうつつか幻かで神話の世界を垣間見てしまう。


スサノオ助けて~


スサノオさま。武将さま。私の姉たちは悪竜の生け贄になりました。私だけは助かりたいでございます。


若い娘は村の広場に集まればスサノオに命を助けて欲しいと懇願をする。


スサノオをじっと見つめる複数の村娘たちにあみも紛れていた。


ちょこんと佇むあみは絣の着物がかわいい村娘である。


「あれっあれっどうしたの。あみちゃんは今はどこにいるの。あらっスサノオさまがいる」


あみは神話に吸い込まれてしまい出雲の村娘になる。

(かすり)の着物に下駄ばき姿。髪の毛は村の娘に似合う後ろでしっかり束ね髪だった。


村の若い娘らはわんさかと集まりスサノオに取りすがる。あみも紛れている。


勇敢な武将スサノオは年頃の娘に囲まれ威勢がつく。

「皆のもの安心いたせい。悪竜なんぞ簡単に懲らしめてしんぜよう。皆のもの安心いたせい。一太刀で成敗してくれようぞ」


野武士の姿に化けたスサノオは勇敢で律儀な武将である。


忽ち村娘の心をひとつにしてしまう。


「お武将さま。あの悪党を退治してくださいませ。村はこれ以上犠牲者は出してはなりませぬ。村長さんは心労から寝たきりとなりました」


広場はやんややんやの騒ぎ。紛れ込んだあみは目を白黒させている。


村の自治体は村長が指揮命令を執るもなんせ相手が悪すぎた。


「村長は無事なのか。ひとり娘を生け贄に召し取られ心労が重なったと聞く」


勇姿なるスサノオ。村の惨状を詳しく知るにつれ勝手気儘に振る舞う悪竜に憎しみが増してくる。


大怪獣の権化となる八っ頭とまともに対峙しても限界があった。


剱を振り回して化け物には対抗できるかどうかである。そこでスサノオは知恵をしぼる。


獰猛な悪竜は見たまま強く簡単に成敗ならぬ。まともな戦いでは歯が立たない。

ならば体力を消耗させてから切り刻め!


体力を奪い弱そうな竜ちゃんで一気に勝負ではないか。


うん!


広場で若い娘に囲まれ勇者スサノオに妙案がポッと浮かんだ。


そうだ!


キョトンとしている村娘あみの童顔をみたら退治の妙案が浮かぶ。百戦錬磨の勇者は賢いものである。


スサノオが"うん!"と頷き得心する。村娘に扮したあみに目配せした。


テレパシーがあみにビンビンと伝わる。


あみっよいなっ。ヌシは娘になるんだぞ


心眼でスサノオから言われた。


「うん?なんだろう。スサノオさまの妙案(みょうあん)ってなんだろう」


村娘あみは後ろに束ねた髪を盛んにクリクリさせる。

あみっヌシは村人の末娘になるのじゃ


後ろで束ねたあみの髪の毛はほどけてしまいお下げ髪になる。


はらはら~ほどけた髪はお下げとなりくねくねとあみは触る。


ポワン


ポワン


あみは教室に意識が戻る。息を吹き返す。しばらくポカンとしてしまう。教壇から担任は見ていた。

「あみちゃんあみちゃん大丈夫ですか。少し顔色が悪いようですわ」


神話のパンフレットを担任はトントンと叩き本日の授業終了を告げる。


キィーンコーン


カァーンコーン


担任は心配顔である。授業中はおとなしいあみ。あまり気にも止めることもなく授業を進めていたので体調不良だろうかと気にやむ。

「顔色がよろしくないわ。あみちゃん先生と保健室へ行きませんか。先生は心配です」


あみは体調など悪くはないと不満である。強引に手を引っ張られてしまう。


保健の先生に診てもらってもなにも異常はない。極めて健康優良な女の子。


次週の授業は神話の続きとなる。


担任はパンフレットを配り話の続きを読み上げる。

クラスメイトは悪竜とスサノオの対決がどうなるか興味津々。


先週が映画の前半。今週はクライマックスを期待するかのごときとなる。


担任が神話を読み出す。スサノオが村人に悪竜退治の用意を頼むあたり。


最前列に座るあみはお下げ髪をクネクネやり始める。

神経質な担任はあみの癖が気になる。


「あみちゃん変な癖があるわね。髪の毛をあんなにして見た目が悪い。いじらないようにさせなくちゃ」


担任は神話を中止してツカツカとあみの机に立つ。


くねくねする手をピタリと止めたい。担任の手が伸びてあみのお下げを触ろうとした。


担任がいることにあみは気がつく。あらっと目をあげた。


エッ!


あみが叫ぶ。


担任の手をあみに覆い被さるようにする。


あみは担任の手を見つめた。ハッとしてその場で気絶してしまう。


微かな意識の中で担任やクラスの仲間があみを呼ぶ声がした。


ポワ~ン 


ポワ~ン


(あみは神話の世界に埋没)


勇者スサノオは村民にも退治のために尽力して欲しいと願い出た。


「八っ頭の悪竜(ヤマタノオロチ)退治のために私ひとりだけではうまくゆかぬ。村の民の力を貸していただきたい。拙者は必ずや悪竜を一撃にて退治してやる」


悪竜退治の具体的な作戦を告げた。村人の協力なくして退治はないと頼む。


「村に協力をして貰いたい。醸造酒を八瓶にわけ用意してもらいたい。それもかような化け物悪竜が酔い潰れるぐらいの強い酒を醸造して貰いたい」


スサノオは村人に頼む。悪竜攻撃の秘策は強い酒や瓶にあり。


村の杜氏(醸造酒職人)は合点する。悪竜退治がなされるのならお安いご用立てである。


「武将さまっようがす。酒ぐらい村でいくらでも醸造されます。出雲の酒ほどうまいものはありません。


あの悪竜だってうまい酒はガバガバ好き勝手に呑みますよ。ウワバミだから止まりませんよ」


スサノオの言う通り最高の酒を杜氏は醸造の準備に入る。


(醸造には数日掛かる)


用意される酒の瓶は工夫である。八ヶ頭の悪竜ヤマタノオロチが八っが八っともすっぽり入ってしまい抜けない構造になっていた。


ポワァ〜ポワァ〜


あみは神話の世界に入る。今度は八人娘を次々殺された村人の家の末娘にあみは生まれたことになる。


村全体が勇者スサノオの指揮命令により悪竜退治をしようと盛り上がっていく。その加勢に父親も協力している。


「スサノオさまの力を信じたい。あのような勇敢な武将どのは信頼できる。


もう我が娘は悪竜の生け贄にはさせまいぞ。あんなにも手塩にかけて育て上げた娘を八人の娘を次々襲っいくなんて。憎いぞ悪竜め」

村人の家には玄関先に武器が備え付けられいつでも悪竜と戦闘できる状態である。


父親は村が用意した武装設備で準備万端である。その陰に悪竜の出現に怯える末娘あみがいた。


「お父さん怖いよう。あみは悪竜が怖いんだもん。お姉ちゃんたちがあの怪獣に殺されたんだもん」


あみ迫真の演技である。いかようにも心配な街娘。


「次はあみが殺されちゃうよ。嫌だあ~お父さん嫌だあ。あみはずっとお父さんのそばにいたいよう」


父親は末娘あみがいとおしくてたまらない。


八人娘の最後があみである。この可愛い娘まで悪竜の生け贄にされてはたまらない。


「なにとぞあみを助けたまえ。スサノオさまにあみだけは命拾いをと頼みたいものだ。早くあの化け物を成敗してもらいたい」


父親の胸で泣き崩れる末娘のあみである。父親の姿を見つけるたびに泣けるだけ泣いて気を鎮めていた。


「わあ~ん怖いよう。お姉ちゃんたちが生け贄。悪竜のおかげでいなくなる。お母さんもいない。あみはお父さんだけが頼りだもん」

父親はあみのお下げ髪をゆっくり撫で上げる。この末娘まで拐われしまえば生きている意味がなくなってしまいそうである。


父親は悪竜出現の際に娘あみを頑丈なで丈夫な蔵に閉じ込める。


悪竜が八番目の娘を欲しがりあみを探しても簡単には見つからないように用心をしていた。


「お父さん怖いよう。あみに蔵に隠れていなさいって言うけれど。あみはいつまで居たらいいの。お姉ちゃんみたいにあんな怪獣に拐われたら嫌だよ」


泣き声のあみは目の前で悪竜が姉たちを拐う瞬間を目撃していた。


「大丈夫だよ。蔵は頑丈にできている。悪竜がいくら暴れても壊されはしない」

だから末娘だけは生け贄にはさせまい。父親は武器の刀や槍を砥石で入念に研いだ。


その夜。空はいきなりどす黒くなっていく。なにやら怪しげな気配と感じられてくる。


ガァ~オッ


グゥァア~


天空に恐ろしい叫びを轟かせヤマタノオロチは現れた。雷鳴がピカピカと異様な雰囲気を醸し出した。


悪竜その醜悪な姿は空を飛び越え腹を空かせ村を練り歩く。田畑を荒らして民家に現れた。


「化け物の野郎がでやがったぞ。みんな逃げるんだ。食い殺されてしまうぞ」


見張りの村人は大声を張り上げた。


逃げろ~


喰い殺されてしまうぞ


村人は武器を携えてはいるが恐怖心には勝てない。


逃げろ~


逃げて逃げて安全なところへいけ


悪竜の出現に走った走った。悪竜が来ないような山奥に避難である。


暗黒の空に向かい悪竜はけたたましい叫び声をあげる。八っの頭でそれぞれ地獄を想わせる恐ろしい(とどろ)きを響かせた。


村の民はその地獄のような轟きに恐れおののき震え出す。


村人は悪竜憎しと槍や刀を持ち合わせている。だがあの醜悪な姿を一目でも見たらまともな気持ちでいられない。とてもではないが悪竜に立ち向かうことはなかった。


「ひぇ~怖い。あの異様な姿はなんなのだ!どだい化け物には逆らえないんだ」

天空から舞い降りた八っ頭の悪竜はノソノソとねり歩く。


悪竜はこの上もないとんでもない(けだもの)であり妖面(ようめん)である。


八っ(やっがしら)に睨まれたら怖じける。獰猛な悪竜を見た村人は例外なくみな一様に逃げ惑う。まるでクモの子を散らすがごとく村の果て山奥まで逃げてしまう。


「たっ助けてくれ。あんな獸に捕まるとペロリッと食べられてしまう。哀れにも餌になってしまう。ワシは痩せているから食べてもまずいぞ。心しておけよ」


腹を空かせ街を破壊する悪竜(ヤマタノオロチ)は人々がいなくなった村をノシノシと歩く。


田畑を散々荒らしたため農作物はまったくなかった。

「腹が空いた。なにか獲物はないか。うまい食い物はないか。若い娘っ子はいないか」


八っ頭悪竜はそれぞれの頭を持ち上げて獲物を探していく。


食べても食べても空腹感は残っている。腹がグウグウである。八っ頭のどれかに獲物を入れなくてはならない。


天地を揺るがす雄叫びを繰り返す悪竜の八っ頭のひとつがあみのいる蔵に気がつく。


村人は裏山に逃げてしまったが蔵に隠れるあみはじっとしていた。父親は蔵から救い出すが時を失い手遅れであった。


悪竜の八ヶ頭のひとつが蔵に近くしてみる。中の様子を観察し人の気配があるとわかった。


シクシク


蔵の中から若い娘の泣き声がわかった。あみが恐怖でぶるぶる震え泣いていた。

八ヶ頭は若い娘がいると蔵を飛び越えた。


ガァ~ゥ


八っ頭は次々に蔵の中を覗きこむ。


ガツン!


ガツン!


人の気配。しくしく泣くは若い娘である。悪竜は色めきである。


しめた!


悪竜の頭は蔵の鎧戸を叩きだす。重石と鉄格子で閉じた窓は固くてなかなか空けられない。


竜の頭がガンガンあたる。無理やりに窓をこじ開けあみを拐うと魂胆である。


ガツン


ガツン


ギィ~


恐怖に怯えに怯え泣くあみにギラギラと光る悪竜の目が見えた。


あっ~(悪竜だあ)


あみは女力で振り回せる最大の武器小刀を取り出した。


ガァ~


ガァ~ゥ


醜悪な竜の頭が蔵に侵入する。けたたましい叫びが響き竜独自の獣臭が蔵に充満する。


ガラガラと蔵全体が崩れ破壊される。若い娘を求める悪竜は喜びの絶頂期である。


ガァ~


ガァ~


八ヶ頭は交互に口を開けて獲物を捕獲しようと争っていく。


キャア~


奥山に村人は避難をしている。スサノオは村人の安全を確認しホッとである。


スサノオの背後にひとり村人が近寄る。


「うぬ!娘のあみはいかがされたか」


スサノオに無事を聞くのは父親である。


「おおっ父上なるか」


悪竜がことゆえ蔵から娘を救出できなかったと告げた。


なっなんだとぉ~


父親は絶望的な気分になる。


スサノオは己れの劔の束をガチッと握りしめ蔵に向かう。


壊された蔵に獰猛な悪竜が八っ頭を突っ込んでいる。

勇者スサノオは劔を抜く。キラリと剣先は鈍き光り出す。


「悪竜ヤマタノオロチ(大蛇)よ。おとなしく成敗されよ」


憎い八っ頭の背後より劍を振り下ろす。八っの尾を斬り落とそうかとスサノオはした。


ガチン


うぬっ!


いや斬れぬ。斬りつけた劍は鈍い音を立てるばかりで剛な悪竜に跳ね返されてしまい効果はない。


八っ頭はスサノオなど敵になし。せっせと狭い蔵に八っ頭を入れた。


獰猛な八っ頭が村娘あみの目に触れる。暗闇の中ギラギラと八っ頭があみを睨み付けた。


幼い女の子は恐怖から気絶してしまう。


悪竜は雄叫びをあげた。悪竜の背後にいたスサノオは為す(すべ)もなく佇むばかりである。


父親はスサノオが娘を助けてくれると信じている。


「娘を助けてつかあさい。私の唯一の希望なんでがす」


父親は両手をしっかり握りしめ一心に祈る。


一夜明けての村は悪竜が暴れまくり景観はぶち壊しとなった。


見るも無惨な村である。田畑は荒れ地と化し民家はことごとく瓦礫である。


ああっ~あみ~


夜明けに父親は絶望する。蔵が破壊され中に誰もいないことがわかる。


悪竜はあみを拐い八人娘全員を善良な村人父親から奪いさってしまう。


「スサノオなんかあてにならないじゃあないか。末娘の命を助けると約束したというのに。奴は嘘つきだ。悪竜退治なんざ真っ赤な嘘だ」


父親は怒りの矛先を勇者スサノオに向ける。


なんだかんだと偉そうに。

勇者どころかペテン師ではないか。


神であるとか武将であるとか。


口からのデマカセを言うだけではないか。


父親の泣きごと御託の数々はスサノオに届く。


「かたじけない許してもらいたい。拙者の力が及ばずである」


スサノオは悔しげにギュっと唇を噛む。悪竜退治にスサノオはそれなりの準備が要ると村人に申し出ている。


悪竜の出現が思ったより早いため万端な用意ができなかったのだ。


勇者スサノオは言い訳しない。


「末娘さんには気の毒なことをした。悪竜を甘く見て失策した」


泣き叫ぶ父親の姿は広場にあった。スサノオはなんと慰めてやるべきか言葉に窮した。


一夜の荒行で村人を苦しめた悪竜は満足して自らの住む洞窟に帰る。


グゥ~ン


ビャーグ


棲み家の洞窟に八ヶ頭の悪竜が飛来し戻っていく。


拐れた村の娘たちは洞窟内に生け贄としていた。あみの7人の姉もブルブルと震えそこにいた。


悪竜の八ヶ頭のひとつがごろりとなにやら着物にくるまれたモノを洞窟に転がした。


悪竜に連れ拐られた村娘あみである。子供のあみは恐怖心で覆われたまま放心状態である。


隠れていた蔵を破壊され八っ頭のひとつにうわばみされるところで記憶が途絶えている。


あみが洞窟に放り込まれたのを姉妹たちは見た。奇しくもあみを入れて八人姉妹はここに顔を揃えることになる。


あみちゃん!


あみちゃん!


同じ目に遭い悪竜に拐われた姉たちは気絶したままのあみを抱きしめおいおいと泣いた。


洞窟で恐怖におののく娘の泣き声とその悲しみ。乙女の涙は勇者スサノオに届いた。


「己れ悪竜め。拐った娘は生け贄にするつもりだな」悪竜に破壊された村を絶望的に眺めるスサノオは拳をグイと握りしめた。


村人とこの村を守れないのか。自責の念から悪竜退治の準備にかかる。勇者という称号を掛け最大の努力。己れのプライドを賭け神という敬虔な存在。


スサノオは悪竜の洞窟を透視してみる。あみの眼を通して様子がわかる。


そこは村の至る場所から拐われた若い娘が囲われ助けを求めていた。


「なるほど。あの渓谷の秘境にある洞窟がヤツの巣になるのか」


スサノオは拐われたあみを己れの分身として使っていく。あみが見えるものはすべてスサノオにも見えた。

洞窟では村の姉妹がしくしくと泣いている様子が見て取れた。


「お姉ちゃん。お父さんは寂しい寂しいって泣いているのよ。次々お姉ちゃんがいなくなってしまったもの。


お家の中は私しか残らなかったの。だけど最後の娘の私は蔵まで作ってくれたけど拐われたの。お父さんはガックリしている」


広い屋敷は田畑に囲まれ大家族で住んでいたあみの家族。初老に至る父親だけが今はポツリである。


あみは悪竜がグウグウ眠る洞窟の微か先に見える光を涙目で眺めた。


数日後広場に村人が集まってくる。荒んだ村を復興させたいと若い男が勢いづく。


さらに村の広場にはスサノオの命で用意された悪竜退場計画が着々と進められていく。


芳ばしい酒の匂いが広場に漂う。杜氏が釈迦力になって醸造をしていた。


「お武将さま。これが出雲の御酒でございます。ワシら杜氏が腕によりをかけて醸造いたしました」


八っの荷台に乗せられた酒の樽がある。なんとも芳ばしい酒の香りがあたり一面に広がる。


腕利き杜氏が醸造をする出雲酒は村人の結婚式祝いことや祭りでしか味わえぬ特別なものである。


スサノオは柄杓で一掬いしてみる。味見をしてよしよしと頷いた。


広場の中央悪竜の首がすっぽり収まる瓶が届く。煉瓦職人は最良な粘土を吟味しスサノオに献上した。


「お武将さま。出雲の煉瓦焼き職人が特注品でこさえました。あのでかい化け物の首寸法がわかってませんからたいへん苦労しました」


異様な八っ頭の悪竜を想定してある。各々がすっぽり頭を首から突っ込み酒を所望できる瓶である。


「おおっこれは見事なできばえであるぞよ」


出雲の大社を造り上げた匠の技術である。出雲の職人はたいしたものだとスサノオは目を細めた。


スサノオはじっと目を閉じ洞窟にいるあみを呼び出し念じてみる。


あみ!あみ!聞こえるか


洞窟で眠るあみっ。すくっと目覚め返事をした。


「スサノオさま。スサノオさま。あみでございます。ただいま悪竜は洞窟でおとなしくしています。羽根を休めています」


スサノオの念じにあみが応えた。


洞窟の悪竜は八っ頭である。二〜三の頭が交代で睡眠を取る。24時間寝ずの番をする。


そうか休んでいるのか。八っ頭のうち起きているヤツといるわけだな。よいかあみ。よく聞いて欲しい。


スサノオは悪竜を洞窟から飛び出させよと命じる。


腹が減るようしむけよ。村に来るよう悪竜を仕向けよ。


スサノオはあみに入れ知恵を授ける。村に悪竜の餌を求めるよう仕向けよ。


「わかりました殿下さま。ご期待に添うよう頑張ってみます」


あみは洞窟の暗闇の中恐る恐る八っ頭にいく。醜い八尾をくぐり抜けグウグウ眠る八っ頭のひとつの背後に近づく。


小柄なあみがこそこそと八っ頭の前に出る。あみの前に瓶が見えた。八っ頭が水や餌を取るために用意された瓶である。


ガツーン!


チョロチョロ


あみは懐刀を取り出し勢いよく瓶に穴を開けてしまう。


ガツーン


チョロチョロ


八っ頭が呑もうとした水は零れてしまう。


ガツーン


チョロチョロ


「これで眠る悪竜の八っ頭が起きたら水がなくて困るはず」


あみはスサノオに連絡をした。


「眠っている頭が目覚めたら水を求めて村に飛来をするでしょう」


村は夜になる。広場で村人が篝火を燃やす。悪竜が空からでも広場がよく見えるよう灯りをつける。


「化け物め。いつでも現れろ」


広場の真ん中には八つの大きな瓶が礼儀正しく並ぶ。出雲の最高な酒がナミナミと注がれ芳ばしき醸造の振るまいである。


スサノオは村人に告げる。「まもなく日没である。怪物のおでましとなろうぞ」

洞窟で八っ頭が次々にパチッと覚醒である。目覚めたら喉が渇く。


目の前にある瓶に首をつけ喉を潤したい。水は充分に入っている。


眠る前に並々と湛えてひと呑みを楽しみにしていたのだ。


うん?


ガァ~ワァン


ぱっちりと目覚め八っ頭は起きた。


口を開け瓶にぐいぐい。


水がないぜ。喉が渇く。水が欲しい。


八っ頭の各々は喉をカラカラにする。


水がない。


瓶にあるはずの貴重な水がない。


我慢ならない


水がなければ獰猛な悪竜とて堪らない。


他の頭も喉の渇きを訴える。


水がないなら村に飛来し調達をとなる。


喉がカラカラ八っ頭はチョロチョロ洞窟で動くあみに気がつく。


うっすら目を開けた八っ頭は半寝の状態である。


「この小娘が瓶を」


洞窟をチョロチョロするあみによって壊されたことを知る。


ジロッ


悪竜は八っの頭であみを睨みつけた。


宵闇が迫りつつある村に雷鳴が轟き始める。スサノオは村人と協力をして悪竜退治に余念がない。


「まもなく化け物の登場だぞ。村の衆は心して悪竜を迎え入れようぞ」


村人はスサノオを信じて悪竜退治に尽力をする。恐怖心もなにもこれ以上暴れられたら村人は皆生活ができない。


あみの父親も悔しい気持ちを圧し殺しスサノオに従う。


「八人娘を失い私は生きる意味がなくなった。ならば冥土の土産に暴れる悪竜を退治してウサ晴らしをしてやる」


手に武器を携えスサノオの武装勢力に加わる。


ガァオー


ガァオー


空に雷鳴とともに悪竜の不気味な叫ぶ声がある。


待ち構えた悪竜が現れた。スサノオの計算どおりに村の広場を目指し飛来をしてくる。


ギラギラと八っ頭を輝かせ村にやってくる。


煌々と燃え盛る篝火を見る。村人の集まる広場を見る。


飛来する悪竜は八つの酒樽がそこに順番よろしく並ぶのを発見である。


「八っ酒樽がある。ちょうどいい感じだ。八つ頭がすべて入る」


喉が渇く八っ頭はお互いの頭を見つめシメシメと喜んだ。


「これはこれは大変なご馳走じゃあないか。酒の匂いだ。たまらない。うまい酒があるじゃあないか。八っとも酒樽だぜ」


八っ頭は広場に飛来すると一目瞭然に酒樽に向かう。

八っ樽に八っの首はグイグイっと順番に突っ込む。


ゴクゴク


ゴクゴク


八っ頭はうまそうな音を立てて酒を呑み出す。


ゴクン


ゴクン


出雲の酒は芳ばしい香りがして飛びきりうまい。ひと呑みにしてしまい酔い痴れる。


悪竜は八っ頭が八っとも満足に呑み干す。


八っの酒樽はガラガラと呑み音を立ててみるみるカラになっていく。


見事な呑みっぷりは悪竜が(うわばみ)と化した瞬間である。


出雲酒は酔いが強く悪竜(ヤマタノオロチ)は忽ち瞑酊(めいてい)状態になる。

八っ頭はフラフラである。思うように立ちあがれない千鳥足を踏むことになる。

悪竜の失態を嘲笑う村人たち。


「ざまあみろ酔っぱらいになりやがった。情けないヤツだ」


酔い潰れる悪竜を村人は軽蔑した。スサノオも広場の片隅で酔いつぶれる悪竜を見た。


勇者はギラリと瞳を輝やかせた。


「しめた今だ。オノレ悪竜成敗(せいばい)いたせ」


スサノオは腰から(つるぎ)をサッと抜く。悪竜に向かい一撃を加えていく。

後塵を拝す村人も各々武器を手に携えスサノオに付き従う。


スサノオは風を切るよりも八っ首をめがけ斬る。


八っ頭をスパッスパッ。


目の前にある八っ頭を順番にひとつひとつハネていく。


斬られた八っ頭は醜い首先を失いバタンと倒れる。首だけの胴体は重心を失い地に倒され息が絶えてしまう。


村人もスサノオの後ろから悪竜に襲いかかる。村人は恐怖心ゆえ尻尾をブルブル震えて滅多斬りである。


村人の悪竜に対する憎しみから八っの尾はズタズタに斬り裂かれ無残になる。


首先のない悪竜は退治されたのか。尾っぽも斬られたが化け物だからまだまだ逆襲をしてくるのではないか。


村のハズレ。


広場から遠い高台で村人は心配しスサノオの悪竜退治を見ていたた。


「悪竜は本当にくたばったのか。八っ頭は綺麗にチョン切られているが化け物は息絶えたのか」


ざわざわと村の民はゆっくりゆっくり首のない悪竜に近く寄ってみる。


「死んだんだな。スサノオの武将さまが退治をしてくれたのだな」


広場の真ん中に八っ頭のない胴体が死骸となりゴロンとあり血を流している。


「こいつ死んでいやがる。この化け物めっ。オラが畑をダメにしやがったバカもんが」


悪竜にぞっこん憎しみをもつ村人たち。みんな寄ってたかって悪竜の胴体を叩いてみる。蹴っ飛ばしてもみる。


牛や羊を食い殺された村人は力一杯石を投げつけ槍で突いてみた。悪竜の死骸はなにも反応はなかった。


「この化け物野郎はくたばったぜ」


村の民は大喜びをした。勇者スサノオにお礼を言う。

「ありがたいことでございます。これで小さな村に平和が戻ってまいります。村の娘も安心をして村の中で暮らせます」


村の娘?


スサノオはあみを忘れていた。あみを救い出さねば悪竜退治は終わってはいない。


あみ!あみ!


どうしているのだ。大丈夫か。


スサノオは念じた。あみに反応がないか問い掛ける。

あみ!


あみ!


スサノオが念じる。その横で村人のひとりが叫んだ。

「おおっスサノオさま。見てくださいまし。悪竜の八っ頭が動きます。ホラッ斬られた八っ頭が今しがた動きました」


村人はどよめいた。しぶとい悪だぜ。まだまだ絶命していやがらないのか。


「間違いありません。ちょっと誰か槍を貸してくだされ。俺が一撃で悪竜を仕留めてやりますぜ」


村人はグイッと鋭い刃を向けた。


やめて!


やめて!


伐たないでちょうだい


あみの声がスサノオに届く。


「待て!槍頭を返せ」


微動していた八っ頭はコテンコテンと転がり出す。まるでスサノオに助けを求めるかのごとく。


コロコロ


コロン


コロン


スサノオも劍の束に手をつける。獰猛な悪竜がこちらに来るのだ。


屍の頭だけとは言え再度襲い掛かるかもしれぬと要心である。


スサノオさま!


スサノオさま!


あみでございます。

スサノオの念じにあみが反応する。スサノオが劍を振りかざした屍の八っ頭あたりからあみが念じた。


スサノオに斬られた八っ頭は転がりをピタリと止まる。


いずこにいる!あみ答えよ。


スサノオは八っ頭を恫喝した。念じる先は悪竜の屍にあるのか。


八っ頭は再びコトンコトンと転がり出した。ひとつが転がり出せば次々と広場の中心に集まり八っ頭がきれいに一列に揃う。


村人は何事かと不思議な顔を見合わせた。


スサノオはあみの父親に命じる。


「オヌシの手で(くび)検分をいたせ。屍の八っ頭を改めよ」


スサノオは懐刀を手渡し八っ頭を切り裂けとした。


「お武将さま。この頭に何が入っていなさるのでございますか」


スサノオは黙っている。


恐る恐る父親は刀を首に当ててみる。竜は屍であり死んでいるはずなのだ。獰猛さ怖さなどないのだ。


小刀を振りかざした瞬間に八ヶ頭の中の声がした。


オッ!


声の主は八っ頭の中である。父親ははっきり聞き取る。聞き覚えのある娘の声。

父親はハラッとした。声は長女である。


次々と屍の頭から父親を呼び掛ける。


八ヶ頭のすべてから父親を娘が呼び掛ける。最後の頭からはあみであった。


「お父さん。お父さん。あみでございます。八っ頭にあみは閉じ込められています。悪竜は退治されたのでございます。あみはここから出たく思います」


父親はしっかりと八人娘の声を聞き取れた。


あみでございます!


聞き覚えのある八人娘の声。


お父さん


お父さん


父親を呼ぶ娘の懐かしい声である。


父親は刀を振り上げ一気に醜悪な竜首を切り裂いた。

「あみ!」


次々に頭を切り裂く。八っ頭から八人の娘が現れた。

長女は父親に頭をさげると妹をひとりひとり救い出す。


「おおっお武将さま。ありがとうございます」


父親の両の腕に八人の娘がいた。


「拐われた娘が…。私の大切な八人の娘が全員帰って参りました」


お父さま~


八人の可愛い娘は父親に無事な顔を見せた。助け出された娘。


寄り添い初老の父親を囲みわんわん泣き出した。


「スサノオさまありがとうございます。私は幸せな父親でございます」


スサノオウはにっこり微笑んだ。


その他村の犠牲者となっていた者たちも後日洞窟から発見されている。


「これで村に平和が訪れ幸が来る」


村の民ににこやかな顔を戻らせた。勇者スサノオも幸せそうである。


悪竜を退治したスサノオは村人に別れを告げ再び旅に出ようかとする。


父親はお礼でございますとスサノオと娘あみとの祝言を挙げたいと申し出た。


「武将さま。お約束でございます。娘をあみを差し上げます。村人は幸せになります。あみをどうぞもらってくださいまし」


あっそうだった。つい勢いで妙な約束をしてしまったなあ。スサノオは戸惑い頭をかくばかり。


「まあそんな約束があったか。スマンがそれだけは忘れて欲しい」


照れながらスサノオは退治した悪竜をみた。村人次々と傷めつけるその体にキラリと光るものが見える。


「うんっあれはなにか。なにやら異様なものが悪竜の胴体にあるではないか」


スサノオはヤマタノオロチの体を隅々検分してみる。

あみたちのような若い娘の生け贄が獣体に潜む可能性もある。


注意深く見ると八っ尾に近くにキラキラ光るものがある。


神々しき感じがある。


「なにものぞ。うん?」

スサノオが取り出すと村人は目を見張る。なんとそれは(つるぎ)である。


スサノオは悪竜に荒らされた村人の怨念や怒りが劔と化したと判断する。


スサノオは八ヶ尾を注意深く抜き出した。


滑りのあるそれを篝火に翳してみる。鈍き光りの劔はいかにも切れ味鋭き矛先である。


この(つるぎ)は出雲に奉納され後に伊勢神宮に移奉されている。


古事記(こじき)』は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征伐の際に伊勢神宮に立ち寄り劔を借りていく。


武尊は劔を乞う。己れの武芸武術に劔があれば向かうところ敵はなし。


「東方征伐に劍を使いたい。聖なる印の劍であるゆえ威力をもらいたい」


草薙剱を貰う。日本武尊(ヤマトタケル)の東征は武運にまさる劔のおかげで大成功する。


東征から凱旋をする勇者武尊は草薙の劍を名古屋の熱田神宮内宮神殿に奉納している。


『古事記』では武尊そのまま熱田国造(県知事)の娘をもらい名古屋に住み着く。武尊は名古屋の人となっている。


村娘あみとの祝言をスサノオは口約束をしたではないか。


父親は勇者スサノオに末娘をもらってもらえば幸せになると乗り気である。


「確かに拙者は末の娘を嫁にと申してはみたが」


神が人の子と結婚してしまうのはいただけない。スサノオは真面目な父親にハタッと困り果てた。


村娘のあみは勇者スサノオと結婚であると聞いてハッと目が覚める。


「スサノオさまと結婚だなんてとんでもございません」


早くこの神話から抜け出してしまわなくては!


ポワ~ン


ポワ~ン


村娘あみは教室で目覚める。


気を失った担任も目をパチパチさせる。なにか記憶が飛んでしまい違和感があった。


あみはクラスメイトと顔を付き合わせる。


「ああっ面白くない授業はよく寝るに限る」


アワアワ


アクビをわざと大きくしてみた。おさげ髪をくねくね。目覚めのアクビに付け合わせた。


「長かったですわね。皆さんこれが日本神話ですのよ。スサノオも悪竜(ヤマタノオロチ)も登場しました。いかがでしたか」


担任は気を失いない記憶が飛んでいる。


子供に話した内容は断片的でよく覚えていない。


キィンコーン!


カァーンコーン


授業終了のチャイムが鳴り響いた。


あみは『神話』の授業を終える。教科書をプリント資料をパタンと閉じた。


勢いよく閉じたらつまらない時間を忘れるように努力した。


「ふぅ~つまんない神話の授業にドラゴンさんが来る。だから面白いかなっと思ったけど。えへへ途中から寝ちゃった」


自慢のお下げ髪をちょっと撫でる。あみはアレッと思う。お下げの感触は悪竜のざらざらしたそれと似ていた。


「うーんどっかで触ったような。なんだっけ」


夢見心地の小学生あみに戻っていく。深く考えることもない。隣り合わせの女の子としめしあわせ舌をペロリと出す。


「えへへ半分くらい寝ちゃった。学校の授業はこれでおしまい。学校が終わったらピアノのレッスンがあるの。早く帰りましょ」


机をサッサッと片付けランドセルを背負う小学生あみ。


教室を出ると仲良しグループが来る。あみと似たようなお下げ娘である。


「あみちゃん一緒に帰りましょ。私もピアノだもん」

仲良しグループはわいわいガヤガヤと校門を出る。女の子同士の話に神話はない。ましてや悪竜も出てこない。


怖いモノ大好きな仲良しさんだが話題にならない。


もっぱら美味しい食べ物やお菓子に花が咲く。あみはアイスクリームが好き。


「新しいアイスクリーム食べてみたあ。物凄く美味しいアイスクリームなの。土曜日に熱田さんに食べにいかないかしら」


女の子同士はたわいもない話ばかり。寄ると触るとワアワアキャアキャア。


ひとしきり食べものが主役となると次はマンガに移る。山本まさゆきアニメソングを口ずさみながら帰る。

小学生あみは普通の女の子である。あみを空高くから見るは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)である。


雲の上にある黄泉は極楽。あみの笑顔を覗きみるて武将たる勇猛果敢な顔いろが曇りがちである。


「参ったなあ。あれだけスサノオノミコト殿が荒々しく立ち居振舞いをしたと言うのに。日本神話の偉大なヒーロー殿というのに。あみは神を尊敬しないのか」


日本武尊は不満である。日本神話よりアイスクリームが好きだとは。


アニメの山本まさゆきだとは情けない。


「なんということだ。私は劔をブンブン振り回して勝つか負けるかの征伐に躍起というのに。


小学生のあみは神話を聞かず。我々神の活躍を知らずコックリコックリとは。困ったちゃんだ」


武尊(タケルノミコト)はご立腹され小学生のあみが憎たらしく思えた。


あみは仲良しさんと別れ帰宅する。自宅で着替えるとピアノのレッスンである。

「おばあちゃんただいま。今帰りましたよ。あみちゃんはお腹空いたなあ。ピアノに行く前におやつはなんだろう」

学校から帰宅。ランドセルを部屋に置くとあみの頭は甘いものでいっぱい。


さあ急げっ~とダイニングに一直線に走る。


おばあちゃんが用意してくれたおやつがわかる。テーブルに置き手紙が一枚。おばあちゃんの筆跡である。

小学生あみが一番好きな時間。おばあちゃんの手書きを見つけあみは心が踊る。

置き手紙


あみちゃんへ。


冷蔵庫を見てください。


「ワア~イ冷蔵庫だ。ひょっとしたらアイスクリームかな。あみの大好きなアイスクリーム」


あみは目をランランと耀かせた。大好きなアイスクリームかな。それともショートケーキかしら。


あみの喜ぶ様子を武尊はじっくり観察する。極楽から苦虫を噛み殺した顔でじっと見つめる。


「あみちゃんは単純だな。そんな冷蔵庫ごときで喜んでいるとは。まったく子供だなあ。できたら神話で喜んで欲しいものぞ」


冷蔵庫をガバッと開けたあみ。武尊の呟きが耳に達してしまう。


うん?


何かしら?


部屋のどこかからダミ声が聞こえた。


冷蔵庫の扉から頭を出しあみはキョロキョロ部屋を見渡してしまった。 


「変ねぇ。ダミ声で神話だとかあみは情けないとか聞こえたわ。気のせいかな。恐ろしい声。底冷えするような声ね」


冷蔵庫を前にあみは変ねぇ。空耳かしらねっと首をひねる。


何事もないかのように冷蔵庫を覗き込む。


食いしん坊のあみ。早くおやつを食べたい。


あっ!


嬉しいなあっ


冷蔵庫の真ん中に"おやつ"は置かれていた。


背後から武尊もあみのおやつを冷蔵庫をなんだかんだと覗き見た。


オガァ~


武尊はダミ声をあげてしまう。


ソレガシも好物であるぞよ。


思わずのダミ声。


あみに聞こえる。


変な声があるとあみはわかった。おやつを前に気にせず手を伸ばした。


アガッ~おやつは大好物だわ。


名古屋コーチン(卵)プリンじゃ。


ありゃあうまいでいかんわ。ドエリャア~食べたくなる。


あみも大好き!冷蔵庫の中に手を入れた。


「わあっ名古屋プリンだ。おばあちゃんありがとう」

さっそくプリンを皿に取りだそうとする。


台所の棚でスプーンと皿を探す。おばあちゃんからのおやつは礼儀正しくいただきたい。


はやる気持ちのあみはプリンを皿に取り出す。スプーンでパクンと一口掬う。


うわあっ~


うまーい!


パクンチョと口にしたあみ。プリンのうまさが全身にしみいるのである。


ジィ~ン


こりゃあうまいなんてもんでない。


あみはしみじみとプリンの甘さと舌先にトロける食感を味わう。


あみは幸せ~


武尊はあみが食べるうまいの一言に思わず手が出てしまう。


スウッ~


あみのからだに念写し入り込もうとする。


どうしても好物の名古屋卵プリンを所望したくなった。


あみの頭から武尊は入り込もうとする。


スウッ~


スウッ~


うまく念が効けばそのままあみに成り切りプリンを食感できる。


しめしめ


あみのお下げ髪から


こっそり


こっそり


「いや~ん」


プリンをパクつくあみ。お下げから前頭葉に違和感を覚える。


武尊の"念入り"あみに取り入りを知る。


ダメ!


あみは武尊に気がついてしまう。


ダメだよ!


あみちゃんを乗っ取りはいけません


メッ!


武尊にあみの前頭葉は拒否を示した。


アチャア~


肉体がないと神様の武尊は味覚がないのである。


プリンをペロッと食べるあみ。武尊に味わいやらないわっとパクンチョした。


「うわっ~美味しい。おばあちゃんありがとうね」


スプーンできれいに食べてしまった。


武尊はあみに念ができない。お下げ髪の上でウラメシ顔。指をくわえて見るだけ。


悔しいぞ~


あの名古屋卵プリンは食べてみたかった。


台所でスプーンとお皿を片付けたあみ。ニコニコしながらピアノのレッスンに出掛けた。


武尊はしぶしぶ文句ブツブツ。雲の上に帰ります。


「あみに意地悪された。ムシャクシャする。熱田の神殿に返ってふて寝でもするか」


小学生に苛められた神はそのまま雲から降りてしまった。


日本列島の上空にプカプカ浮く雲の上。


日本を含む世界の神々が余生を送り悠々自適な楽園ライフを満喫する。


日本武尊(ヤマトタケルノミコト)はいじけてしまう。


「あみよっ食べ物の怨みは大きいぞ」


あみを天敵とした武尊は古代の神話で大役を終えると長い眠りについていた。


「ああッ~よく寝たもんだ。今はいつの時代と申すか。うーん現代と呼ばれるものか」


熱田の神殿で目をごしごしする。記憶の片隅にあみの顔がよぎる。


「なんだあの小学生の顔は」


名古屋プリンと小学生あみがぽかんと浮かぶ。


「私の活躍した日本神話は勇猛果敢であるぞよ。それは日本古事記の神話だが」

神話に埋没する神とはかくも退屈で暇なのか。古事記が終わってしまえば長く寝てばかり。


小学生にプリンを食べさせてももらえない。


武尊としたら続篇古事記を稗田阿礼に書き続けてもらいたい。


「なんなら芥川賞狙いの若手小説家に依頼してもよい。恋愛シーンをふんだんに取り入れて。拙者はしっかり演じるぞよ」


日本武尊は極めてミーハーな神様になっていた。


「いやいや私は原作にいやっ神話に忠実なまでである。日本武尊は台本のとおりラブストーリーをやろうというのに」


武将たる武尊は真顔であった。


「ああ~腹減ったなあ。下界であみの名古屋卵プリンを食べたかったなあ」


あくびをしながら武尊はパンパンと手を打つ。


神殿に従える女官や侍従を呼ぶ。下僕の侍従らは武尊の突然の目覚めを知らない。


下界であみに苛められ泣きながら秘かに戻ったも知らない。


大きなアクビを繰り返し両手をグイグイと天に伸ばす。


侍従の返事は極めて遅く睡魔が再度襲い寝てしまう。

クゥ~カァ~


熟睡して高いびきの武尊となった。ぞろぞろ下僕がやってくる。武尊の耳元でいかがしようかと悩む。


旦那様起きてください。


起きないので肩を揺り動かした。永年の惰眠に慣れた武尊である。侍従としては気難しい旦那であるため寝ていて欲しい。


「殿下起きてくだされ。申し上げます」


侍従は強硬に起こすことにする。起こす必要ができたのだ。


「たった今下界より殿下に申し入れがございました」

申し入れとは神である日本武尊に頼みたいとの報告である。


ウグッ


肩を揺すり目覚めた。


「ぬっ?拙者を呼ぶとな。アッチャア~寝てしもうたわい。どれどれ庶民を眺めてみることにしようぞ」


各国神話で活躍をした世界中の神々は永眠している。

「やいやっ神々は起こさぬように。気をつけて。起こしたら厄介な神々もいないこともない」


武尊は侍従と女官を従え神殿から忍び足で下界に消えていく。


極楽で永眠する神々は世界の神話のスターばかりである。みんながみんな偉いさんばかり。


日本神話のアイドル武尊といえども威張り散らすわけにいかない。


「ふぅ~まったく黄泉にいると気を使う。汗だくになる」


黄泉のある雲の隙間から下界を眺める。日本列島のアウトラインが見渡せる。


侍従は恭しく申しつけを言う。


「どちらの家庭がこの武尊を呼んでいるんだ。かわいい女の子の家庭ならラッキーだけどなあ」


雲の間から覗くは日本列島の真ん中である。


武尊を必要として呼ぶのはテニスコーチ星野のマンションである。熱田神宮の隣近所である。


武尊は呼んだのが鬼瓦のような星野だとわかりガッカリ。


取り巻き連中の侍従も確認をし星野が呼んだことに間違いございませんと相槌を打つ。


「やだぁ~あんなおっちゃんの頼みを聞くなんて!好みじゃあないからね。僕は知らない。なんならもっと有名な神さんイエス=キリストくんに頼んでちょうだい」


好き嫌いがあるのか。嫌がる武尊は侍従らに無理やり手足を持たれた。そのまま押しつけられ降臨してみる。


侍従がソッポでも向けたら隙を見て逃げ出してやりたかった。


嫌がりながら自らが御神体の熱田神宮近くのマンションに。


神宮の杜に有名な鰻屋さんの匂いが立ち込める。食いしん坊の武尊はしばし懐かしの気持ちに浸る。


神話の設定された時代に鰻屋があったはしらない。鰻の蓬莱軒があったかどうかは疑問符である。


「鰻は蒲焼きにかぎるとみんな思うだろう。違っているんだなあ。ひつまぶしがうまいんだわ」


武尊は食べたくなってきた。神は肉体を持たぬゆえ侍従に人間の格好をさせ鰻お持ち帰りをさせたい。


「殿下っよからぬことをお考えではありませぬな」


侍従筆頭はジロッと武尊を睨んだ。


「いやっ別になにも考えてはおらぬぞよ」


武尊は腹をすかせマンションを見る。星野の家庭は夕飯である。一家揃いの団らんを楽しんでいた。


武尊は卓袱台の料理が羨ましくみえた。


テレビはナイターが中継されている。


「よしいけドラゴンズ。最近負けてばかりだけどなあ」


星野は祖父の代から中日ドラゴンズフアンである。ナゴヤドームに観戦しないときはテレビで頑張って応募である。


お腹がグゥ~と鳴る武尊は嫌々ながら星野のマンション天井裏に舞い降りた。


どんな感じかと眺めてみる。


「家族構成はどうなっているのじゃ」


筆頭侍従を睨む。食い物の恨みをちらつかせる。鰻はまだ食べてみたいなあ。


「殿下に申し上げます。主人のテニスコーチ星野。ひとり娘あみ(小学生)。星野の祖父母の4人構成でございます。弟さんは独立しています。あみの母親は在命ではありません」


武尊の頭に鰻の定食が駆け巡った。蓬莱屋は食べつけると癖になる。


「うん?母親はいないとな。星野の嫁さんか。えっとあみちゃんの母親がどうかしたのか。鰻が食べたくなって家出したのか」


侍従は呆気に取られてしまう。


食い意地の張った賎しい神だなあ。


白い眼で見られた武尊は仏間を眺めた。よく掃除をされた仏壇に20台の若い女性の遺影があった。


「あみちゃんの母親は亡くなっていらっしゃるのか。お気の毒だ。享年26歳かっ。あの女の子あみちゃんは母親の面影もないのであろうか」


仏壇の遺影を眺めた武尊は腕組みした。


うーんと極楽の雲を見上げる。


あみちゃんのためなんとかしたい。


私は神さまである。


ハタッと気がつく!


「侍従に申しつける。この遺影の女性を極楽より探し出したまうぞ。あみちゃんの母親と名乗れば我の前に姿を表せたまえ。申しつける。厳命じゃ」


武尊は鎧兜を確かめ威厳を示す。


剱をポンポンと叩き侍従らよっ早く命に従いなさい!

武尊に言われた侍従と女官はハッと真顔になる。


武尊の仰せとあらば従うしかないのである。


「畏まりました」


侍従も女官も楽しみ満載な下界に久しぶりに降臨したというのに。


ろくろく遊びもせず黄泉の極楽に舞い戻り。ぶつぶつ文句を言いながら舞い戻る侍従と女官だった。


「極楽の人探しって難しいんやで。御主人さまは簡単に言うけど楽やない。なんせ全地球の仏さんがいらっしゃいますよって」


侍従が不平を言う。人探しをするなら黄泉所属探偵事務所に依頼して欲しいものだ。


女官も口を挟む。大人しい身分の方であるが。


「遺影にある綺麗な女性はあみちゃんのお母さんですわね。若い女性は極楽に長くいないのよ。とっとと生まれ変わってどこぞの子供さんになっている」


女官が相槌する。武尊は無理難題を平気のへいさで申しつけるから嫌い!


「せやせや。極楽にいつまでもいたらアカンタレさんや。もういまへんで。殿下も殺生や」


下界に未練たらたらである。


「母親探してどないすんねん。まさか武尊(ブソン)のお坊ちゃんは同情心から生きている娘とドンピシャ合わせたりせんやろうな。冗談じゃあないぜ。仏さんがそんなこんな簡単に現れたら下界はパニックやで」


侍従と女官は気紛れな武尊の悪口をさんざん言いふらしフラフラ昇天していく。

背中の羽根は心なしか弱めにばたつき浮力がつかない。


アワワァ~


武尊は不甲斐なくアクビをする。なにかと監視役の侍従と女官がいなくなりさっぱりする。


お坊ちゃん育ち武尊ちゃん自由を感じて回りをキョロキョロする。


好きで降臨しているわけではない。永の目覚めから起きたら楽しい極楽で遊んで暮らしたい。気が心なしか弛む。


「あかんのう。まだオネムさんだわい。枕とキティちゃんの縫いぐるみが浮かんでしまうわい」


アクビをしながら微笑ましい星野の団らんをちらちら眺める。


夕食にアワビなどの海鮮魚介類が並ぶ。


武尊は腹がグゥ~と鳴る。

夕食中はナイターに夢中である。気丈夫な祖父も口に泡を立てて頑張れドラゴンズである。


「あかんガヤァ~ドラゴンズ!しっかりせんかい。これ以上点を取られたらあかんでぇ。負ける。ピッチャーはもうへなへな。中継ぎに交代させたれ」


星野と祖父は負け試合に熱くなる。初回から失点をしている中日投手にイライラしてくる。


「もっと速い球投げたれ。面倒だわっ四番にぶっつけたれ」


デッドボールを推奨とはもはや夕食どころではない。

祖母とあみは身を寄せ安全な場所に避難したくなる。

…あみちゃん。


おばあちゃんと台所で食べようか。ここは喧しくていけないね。お祖父さんとお父さんはアチラにいってしまったがね。


あみはゴクンと頷きダメですねっと呆れ顔。茶碗と箸を持つとおばあちゃんについていく。


ナイターが始まると男連中はいつものことであった。

カキィ~ン


「アガァ~打たれたあ!なんでど真ん中に投げるんだ。タワケ~監督は何してけつかる~。ピッチャー交代だ。あんげなピッチャー2軍に落とせ。二度とナゴヤドームに来るな」


星野親子の夕食は中断してしまう。マンションの一室は俄にナゴヤドームになっていく。


「お祖父さんしまいには血圧あがってしまう。昨日もドラゴンズ負けとるがん。もうすぐ最下位にお決まりや」


テレビのテロップに他球団の途中経過が流れる。あらあら五位中日の下位チームがぼろ勝ちではないか。


「ヒタヒタと最下位になりよる。あかんなあっドラゴンズはヘボ球団だでよ。はようピッチャー代えたれ。ルーキーおんやろ。負け試合に出して試合慣れさせてしまえ」


星野はカッカしテレビに怒鳴り散らす。


「あかん!情けないがやあ。ヘボ球団なんか応援してやらせん!明日からはパリーグ応援にしまいか」


息子の星野に続きおじいさんもぼやきまくり。


「中日はよぉ。毎年熱田さんに優勝祈願しとってもさっぱり効果あらせん。熱田さんは冷たいもんだがね」

熱田さん?


祈願?


冷たい神さん?


なんなんだ!


武尊はチラッと卓袱台を見た。


「熱田に祈願をしても効果がないだと?何のことだ」

名古屋市本拠地の中日ドラゴンズは毎年開幕前に熱田神宮に優勝祈願である。


監督を含む首脳陣とフロントは熱田の特別拝殿で粛々とペナントレース優勝を祈願。


その様子は地元のテレビニュースで報じられ有名である。


うん!


テレビ中継された熱田神宮を思い出す。中日監督の神妙な礼拝を真摯に受け入れのは熱田神宮御神体の日本武尊である。


だが中日ファンの星野にいくら首脳陣が参拝しても何にもならないと無用扱いされる。


好きにぬかせ~


武尊はソッポである!


勝てば中日のおかげさま。負けたら熱田神宮のせいにされては。


プイッ!


つむじを曲げた。


勝負運など神の役目にあらずだ。そんなことまで面倒見ていたらスポーツ全体が面白みもへったくれもない。


では世界の祭典オリンピックなんか神々が喧嘩をしてまで金メダルというのか。

「日本神話最高のアイドルは拙者日本武尊でござる。スサノオ殿と並び双頭の武勇伝を神話にしておるんじゃ」


日本古代史で張った斬ったの活躍は日本神話の語り草。その武尊をないがしろにするとは言語道断である。

かようにも有名な神・武尊をつかまえて勝負運がないとぼやかれてはつまらない。


神話の世界のアイドルに立つ瀬がない。神話元来の役割と知名度を武尊は強調したくなる。


独り言をぶつぶつである。

ハンサムな武尊の活躍の場は野球ではない。いくら球を打っても投げても面白くない。


だいたい武尊は野球ルールが不案内だぜっとぶつぶつである。


神話には野球やスポーツなんか出ていないじゃあないか。


武尊が天井から俯瞰してすっかりヘソ曲げ。しかしお構い無しは食卓の星野親子である。


自棄(やけ)っぱちになりながらもテレビ中継に夢中である。


出る投手出てくる投手いずれもピリッとせず。簡単に打たれてばかり。一方的に攻められ中日はいずれの回を見ても劣勢である。


「なんじゃあ~また打たれたぁ!ドラはバッティング投手出してんのか。投げて投げて。バカスカ打たれて打たれて」


敗色濃厚となり二軍からあがったばかりの若い投手を投げさせていた。顔を真っ赤にし投げては鮮やかなヒットを献上している。


腕は萎縮し球は遅くヘナヘナ。ストライクゾーンに来るとカキィーンと気持ちよく打たれた。


点差はみるみる広がり4点差。スカーンと打たれ5点差と広がる。


「あかん負ける。見ちゃあおれん。なんであんな若造を出すんだ。投手がいなけりゃあ俺が投げたる!」


星野は右腕をグルングルと回した。


怒り怒鳴りの夕食は箸もとまる。台所に避難をしたおばあちゃんとあみはそそくさと早めに食べ終わる。


「おじさんとお父さん早く食べてくれたら世話がないのにね。あみちゃん片付けたらお部屋にいこうね」


ナイターが始まると星野家は男連中と分離する。いつもの光景である。


星野が投げてやろうかと息巻く。


武尊はなんだかわけのわからぬ顔をしてテレビを見た。


「なんか知らぬが棒切れを持って白いものを打ちっぱなしだな。棒に打ち返されるのならばからだにぶっつけてやれば済む」


球は打者を狙えばおしまいであろう。野球ルールを知らない武尊はぶつぶつ呟いた。


うん?


星野親子は顔を見合わせた。


あれっ?


天井からなんか声が聞こえないか。星野は見上げ声の主を探した。


あっいかん。これはまずい

武尊は頭をかきながら口をギュと押さえた。


カツ~ン


あわてて手を動かしたものだから鎧兜の手甲と劔の束が触れる。武尊期せずして神通力を発揮した。


束は僅かにではあるが劔がキラリっと光り輝きをみせた。


ストライ~ク!


テレビ中継は若手投手がピシャリと打者を打ち取る。ヘナヘナの球はピシャリと難しい内角低めに沈んだ。

その裏中日は猛攻撃を開始する。空振りばかりの打者は打てないとみてバットを短めに持つ。コンパクトに当てにくる。


カキィーン


カキィーン


気がついたらヒット!ヒット!エラーと走者がすべての塁を埋めた。


「おおっ5点差ぐらいなんとかなりそうだ」


いやらしいバッティングをされた投手は血の気多いのが災いした。


一層むきになりサインと裏腹ど真ん中に投げてしまう。


カキィーン


満塁で走者一掃の3塁打が飛び出した。


「やるなあ」


5点差は2点差になる。負けてしまうと匙を投げた試合から逆転の可能性が出てくる。


夕食そっちのけ。逆転の期待に力が入る。


「よしいけ~2点ビハインド跳ね返せ。しっかり打てよ」


3塁打が出たら次はスクイズか犠打を期待したい。加点をするのはスリリングでアクティブである。


「押せ押せムード」


ナゴヤドームの大声援に後押しされた。ダメな球団とレッテルを貼られたところから逆転した。


最後は9回さようならホームランでしめくくる。


武尊の神通業であった。


「アチャア~知らぬ間に劔の神通力を。ちょっと触っただけで束は動いてしまう。気をつけないと」


かわいいお下げ髪の小学生あみは熱田神宮参詣をする。


信心深い祖母からの分け売りであみも敬虔である。祖母は息子星野が現役テニスプレーヤー時代に試合のたびに熱心に参拝をしていた。


それを娘のあみが聞いていたのである。


「おばあちゃん。熱田の神様はちゃんと願い事を聞いてくれるよね」


武尊の耳はこの言葉にピクッとする。


「ほほぉこんないたいけな女の子が。宮代(みやしろ)で願掛けをしているのか。オッ!お賽銭も入れてくれている。ウフフ」


金銭感覚にシビアな神。プリンの一件はすっかり忘れたようである。


「子供心から参拝をしていたとは知らなかった」


武尊としてはあの野球に夢中な親父の娘があみと結びつかない。


父娘と性格が似ていないのか。関係ないが少しまごまごしてしまう。


「可愛い女の子あみちゃんの願掛けはなんであるか?」


熱田の拝殿で祈るあみ。かわいい手を合わせて熱心である。


あみの前に武尊は立ってみる。ひそひそと願掛けをする声を聞いてみたくなる。

テニス?


熱田神宮の御神体はテニスを知らなかった。


武尊は首を傾げパンパンと手を打つ。


「殿下お呼びでしょうか」

黄泉にいる巫女は武尊に呼ばれギクッとした。


「殿下さま。テニスを知りたいとの御要望でございますね。よろしくお願いします」


賢処なる神事詔を司る巫女が衣裳を白いテニスウェアに着替える羽目になる。


和風的な女性が巫女になると思われた。


「アイヤッ~驚きだ」


武尊の前に現れた巫女の容姿は目を見張る。一様にかわいらしいスコートを穿きリゾートのお嬢様に変身した。


武尊は巫女のテニスウェアに魅了された。


「ギョ!ヌシらは…(可愛いおなご)ではないか」


武尊に妻がある。(古事記の記載には多妻だが)熱田国造(県知事)の娘が妻である。


れっきとした妻帯者の身分ゆえ若い娘に恋心などご法度である。


「ウワッなんとカワユイおなごじゃ。こんげな可愛い巫女であるとはつゆも知らぬものじゃ」


武尊は手に持たされたラケットをぶらぶらさせ眩しき巫女のウェアに見とれてしまった。


「フゥ~テニスというものはこんな魅力的なものなのか」


武尊はフアッションがテニスと勘違い。


「テニスとは何か。わかるようになった。しかし巫女はどうしたもんだ。最近の若い者はみんな魅力的で細い脚を出しているものなのか」


武尊は巫女のテニスウェア姿にぞっこん。


「殿下さま。さっそくテニスを始めましょうか。ラケットを構えてください」


きょとんとする武尊。いきなりボールがワンバウンドして向かってくる。


武将の血が騒ぐか武尊。カアッと目を見開きラケットを劔のごとく振り切る。


ボールは真っ芯にあたりビューンと飛んでしまう。


「お見事でございますね。殿下」


運動神経はいたってよい武尊である。最初こそはぎこちない動きだったが次第に慣れてくる。


チャラチャラしたテニスウェア巫女に初テニスを褒めてもらえた。


こうなると単純な武尊。格好よくラケットをコントロールをする。


そこに問題が噴出する。白いテニスウェアの巫女さんたち。赤やピンクの派手なアンダースコート(見せパンツ)を好んで穿いていた。


チラッ


チラッ


ラケットをスコンと振るたびにアンダースコートが目に入る。


武尊さん目のやり場に困って集中力を失いミスを重ねた。


「殿下いかがなさいましたか。ラケットはかように構えてくださいませ」


ピンクフリルの巫女さんが指導をしてくる。


「おやっ(ピンクの…)」


武尊の頭はテニスではなく…パニックになっていた。

熱田の杜のテニスコートは武尊が神の域で創作をした黄泉の話。


現代人に入れないのである。テニスコートなど見えるものではない。武尊のあるのは黄泉の世界である。


おばあちゃんと拝殿参拝を終えたあみ。


熱田の杜の拝殿横。森の奥からテニスの打ち合う音が聞こえてしまう。


「あれっおばあちゃん。熱田さんにテニスコートがあったかな。神殿の奥からボールの音がするよ」


テニスの好きなあみ。誰がプレーをしているのか見たくなる。すたすたと森に向かって行こうとする。


子供のあみの手を引くおばあちゃんはあらあらと驚きである。


「あみちゃんあみちゃんどこ行くの。参拝が済んだらおばあちゃんとお食事の約束よ」


テニス?


テニスコートがあるの。


なんのことかね。


おばあちゃんにはテニスの球は何も聞こえやしない。

おばあちゃんは熱田の参拝を終えたら鰻屋にいくのが常である。かわいい孫と食べる鰻は格別な味わいである。


「おばあちゃんテニスコートこっちよ。ほらっラケットの音するよ」


あみは杜の奥へ。おばあちゃんは孫のあみを連れ鰻屋に行こうとした。


おばあちゃんはだんだん気分がすぐれなくなる。胸がしめつけられてしまう。


すぐ意識朦朧となりあみの存在を忘れていく。


あみは森を歩きたくなる。

「テニスコートがあるのかな。熱田さんの森に新しいテニスコートができたのかもしれない」


好奇心のあみ。女の子ひとりで元気よく森林をすたすた進む。森を歩けばボールの音がより大きくなる。テニスをしていると確信をする。


「あっコートがある。おばあちゃんはないって言うけど。へぇ~綺麗な新しいコートだ」


あみは森が拓かれコートができたと喜んだ。素敵なテニスプレーヤーがいるのかな。ひょっとしたら有名な選手がいるのかもしれないわ。


コートに華やかなテニスウェアの女性がいた。ストロークを見たらかなりの技量を持ち合わせてもいると感じた。あみはしばらく見学しようと思う。


「へぇあのお姉さんはうまいわ。しっかり踏み込んでストローク打ち合うんだなあ。競技者のそれとは違っているけど」


巫女のお姉さんは中級クラスである。小学生のあみからも腕の上達具合は見て取れた。


「お姉さんのテニスはみんな上手さんだ。だけど。あの相手の男の人はなんだかなあ」


ネットの向こうのテニスプレーヤー武尊を見た。ラケットを振る腕はちくはぐでありボールを追うフットワークはバラバラである。


「あちゃあ。男の人は初心者だろうかなあ。お父さんがレッスンしてあげたらうまく打てるようになるのになあ」


あの男の人は父親のテニススクールに入学させたいなあ。


「あの程度なら3ヶ月もあれば打てるようになるわ。お父さんは教え方がうまいから」


あみは遠目に楽しんでいたがコートサイドに歩み寄たくなる。


一生懸命にボールを追う巫女らのプレーに魅力を感じいそいそとコートサイド近くに寄るあみ。


熱心にテニスの武尊は人の気配を感じない。徐々にテニスそのものがからだに馴染む。


コツを体得し始めこれからはどんどん打てば面白味が増えていくところである。

「ふぅ~なかなか奥行きのあるものだ。このラケットを劔と思って振り回すのがそもそも間違いであるな」

がっちり張られたガットをじっくり見つめる武尊。


「殿下さま。ずいぶん筋がよろしいですわ。瞬く間にフォアストロークをマスターされました。次はバックハンドをまいりましょうか」


巫女がバックにコントロールをつけ球出しをした。


あっ!


ビューン


武尊のバックストロークは居合い斬りそのもの。鎧兜に劔。敵をバッタバッタと斬り倒すのは武尊の真骨頂である。


球出しのそれをガットのスィートスポットに的中させた。


バシッ!


弾丸ライナーでコートに突き刺さる。


ヒェ~


ワンバウンドをした打球は煙りを立てて飛んでいた。

「おおっ。これは済まぬ。手加減をしなくてはテニスにならぬ。かたじけない。もう少し練習をしよう」


バシッ


バシッ


武尊はテニスが面白くなってくる。思うに任せひっぱたいた癖が消えてボールコントロールがつき出した。

コートサイドにあみがやってくる。今まで聞いた打球音がいきなり爆音化したため気になってしまう。


「ひぇ~凄いバックハンドだわ。お兄ちゃんもバックは凄いと思ったけど。上には上があるんだわ」


あみは目の前で煙りを吐くボールを見た。どうやったらけたたましい打球が弾けるのか。


「あの男の人はテニス初心者さんかなあっ。たまにすごいボール打つから上手さんなのかなあ」


父親の星野についてテニススクールの生徒をいくらでも見ているあみ。目だけはテニスに肥えていた。


「ラケットはむちゃくちゃに振る。足の運びはおちおち歩きの赤ちゃんみたいで定まらない」


ということは下手なテニスである。あみは武尊のラケットコントロールを見つめる。平凡なボールをミスりネットする。難しいボールをクリーンヒットしダウンザラインに決めている。ATP世界テニスのトップクラスが華麗に決めるミラクルショットを連発である。

「なんか変な人。あれだけバックが正確に打てて振れているのに」


テニスそのもの細かい点についてシロウトのあみだが難しいショット、父親の打てないショットはなんとなくわかる。


「だけど簡単なネットプレーはダメだもんなあ」


ネットにボールが弾むとミスを繰り返す。易しく弛く弾む球は苦手である。


こりゃあ父親星野のコーチングを受けても苦労をするなあ。


ミラクルショットと凡ミスをする武尊。あみは不思議そうな顔つきである。テニスクラブで今まで見たこともないタイプのテニスをする人物である。


武尊を見ていたあみ。チラチラとぼやけてしまうではないか。


あっあれ?ぼんやりして見える。


あみの見える光景がグニャリと曲がり出す。まともに立ってはいられなくなる。

私の周りおかしいなあ。森やコートがぐちゃぐちゃ曲がっていく。改めてコートの周りを見渡した。


視界はシャキッせずふわりふわりしていく。あみのいる場所は熱田の杜でありこんもりと木々に囲まれている。


空を眺めると遠近感覚が定まらない様子。青空全体を人工的に創作をされたようである。


コートにいる可愛いらしいお嬢さん。テニスルックスの巫女さんは鮮やかにくっきりと見える。


鮮明なテレビ画像を眺めるような艶やかさがある。


あみが見つめる武尊は心なしかボンヤリしている。あみが見ようかとしてもどうにも外観や輪郭ははっきりしない。ラケットを振る姿はわかるが足音が聞こえない。考えてみたら熱田の杜のざわめきは聞こえてはいない。


「あれっ姿がボケてしまう。あみちゃんのお目目(めめ)さんどうかしたのかな」


パチクリ


パッパッ


あみは盛んに目配せをしてみる。どうしても武尊の明確な顔の輪郭はわからない。仄かな陰影に見えてしまう。まるで煙りにいぶされたような影があるだけである。


あみ自身のからだは夢の中でふわふわしているような感覚となる。今は確かに立つコートも足許が覚束ない。


「なんか変だなあ。私夢物語を見ているのかしら」


あみはお下げ髪をクリクリ触り目をパチクリした。


コートでは巫女が一生懸命である。短いスコートをヒラヒラさせ武尊のヒッティングパートナーを務める。


現代人である巫女が打つ相手は神話の中の存在。人間界のどの選手より打球が強く荒々しい。


それが神話の英雄日本武尊の腕力を駆使するテニスであった。


「ボールさえちゃんと見たら当たるな。ラケットにバコンパッコンと当たるようになった」


テニスに余裕が出ると巫女のヒラヒラするかわいいスコートを眺める。


「ピンクも見慣れたら気にならぬわいワッハハ」


武尊は額に汗である。長い眠りで体力的に衰えもあった。握るグリップはべとべとである。神話の武将として(いくさ)を交えたのは前世。それ以来の緊張感がそこにあった。


「テニスは真剣勝負。やらねばやられる戦のごときである。スコートなんぞチラチラ見て余念をくれてしまようぞ」


武尊は汗を拭くため少し休憩を申し出る。コートサイドには巫女が用意したドリンクやタオルがある。まずは喉を潤したい。


「殿下さま。わかりました」


気のつく巫女は武尊のためにサービスしたい。神に仕える儀礼の身分である。


武尊のために足早にコートサイドに向かう。すると巫女は女の子がいることに気がつく。


おやっ?


女の子がどうして黄泉の世界にいるのかしら


武尊はコートサイドのあみに向かってくる。汗だくな顔でふうふうで今にもギブアップしそう。


「あらっ汗まみれね。ドリンクを取りにコートサイドに来るわ」


世話好きな女の子があみである。ベンチにある武尊のテニス用品を見つける。


武尊がドカッとベンチに腰掛ける。


フゥ~一息つく。


ベンチ横にあるドリンクボックス。あみはごそごそと手を伸ばして一本取り出してみる。汗をかいたら甘味より塩分ではないかと選り好みをしスポーツドリンクを武尊に手渡した。


テニスコートで幼少から遊ぶあみにはごく普通のことである。


クラブでプレーをする子供から大人から愛飲する。


うむっ


武尊は何気なくよく冷えたドリンクを"あみ"から受け取りゴクンする。


喉はカラカラである。冷たい感触の喉越しはリフレッシュされていく。


体格のよい武尊はイッキ飲みである。からだ中の水分はことごとく奪われいくらでも飲める。


「うん!うまい。最高な気分だ」


プハッ~


一気に飲みあげるとからだ全身がヒンヤリとして気分良くなってくる。


「ああっ良かった」


ドリンクを手渡したあみはニッコリする。疲れたからだに冷たいドリンクは気持ちよい。


「はいっどうぞ」


殿下さま。からだのお汗をお拭きくださいませ。額からの汗は特に拭いてくださいね。


はいっどうぞとタオルを両手で大切そうに渡す。


あみの笑顔は幸せを運ぶ。

「おおっ済まないな。ふぅ~気持ちよいのう」


うん?


なっなんだ!


なぜ女の子がいるんだ!


続いて巫女があみに気づく。武尊の背後にチョコンといるお下げ髪の女の子は子供の神ではない。


貴女は!


お嬢ちゃんは誰ですか。


お下げ髪を結うあみ。神儀式服を着こなせば遠目に子供(わらしべ)神かと勘違いをする。ゆえに巫女は判断を誤る。


巫女の目の前で武尊はドリンクを女の子から受け取ている。わらしべ童子神なのか。ならばスカートを穿いている。そんな神などはいない。


うぬ!


コートサイドに身を寄せる女の子に気がつく。


武尊にはすぐ現代人だとわかる。なぜなら童神は武尊の命令にてのみ黄泉に現れている。


女の子は現代人と知り巫女の驚きは隠せない。黄泉の世界に神職以外の現代人など不可侵である。


現代人などが神の世界黄泉の国にいてはならない。


「殿下さま。殿下さま」


驚きのあまり叫ぶ巫女の指さすは女の子である。


やあっ〜やあ!


ヌシはヌシは何者ぞ!


武尊に睨まれた。厳つい顔の武尊になり怒鳴られるあみ。


ギクッ!


悪者扱いにされたあみは怯えた。


キサマは現代人だぞ!神聖なる黄泉に入ってはならぬ。


怒鳴った武尊は偉丈夫である。小学生あみには怪獣が叫び出したかのごときである。


怯えの女の子は可愛いウサギさん。逃げ出したくなる。


だいたいあみに神は見えぬはず。現代人などには神の武尊が視野に入らぬはずである。


しかし…


あみは萎縮している。はっきりと神の武尊がわかり少女は驚きである。


あみの傍にいた巫女はラケットを持ち茫然とする。現代人には見られない黄泉の国が見えている。


威圧感のある武将武尊。怒鳴られたあみはギクッとして身構えた。大人であれば腰が抜け恐怖におののきである。


「別に私は…(悪いことしていないわ)ウウッ」


小学生に自然と涙がこぼれ落ちる。


ウワ〜ン


小学生のあみは恐怖から泣き出してしまう。父親にも怒鳴られたことがない箱入り娘。


びっくりして大泣きである。


ワァァッ~ン


恐怖感に襲われたあみの泣き声は熱田の杜に響きわたる。


ウッワアッ~ン


ワアッ~ン


あみは子供である。


より一層激しく泣き叫ぶ。

泣かせた武尊は冷や汗たらたらとなり困り果てる。


子供に泣かれバツが悪いの武尊。熱田神宮の御神体がいたいけな女の子を泣かせてしまう。


「いかがいたそうか。困ったものじゃ」


巫女にアイスクリームでも買いに走らせようか。小学生はアイスクリームが好きだろうから。


神様である日本武尊は数々の勲章を欲しいままにした名だたるお方である。アイスクリーム程度でお茶を濁すなんて。


せこいなあ。


巫女に軽蔑されてしまう。

「うん買いに行け。アイスクリームは子供は好物であろうぞ」


武尊は財布を取り出し小銭を巫女に与えた。巫女は境内の売店売り子も兼務している。


あみの泣き叫ぶ声はおばあちゃんにも伝わる。


「おやっあみちゃんがどうかしたかな。わんわん泣いているわ」


おばあちゃんは鰻屋さんに向かう途中気を失いしばらくその場に佇んでいた。


「私どうかしたのかな。知らぬ間にこっくりしてしまった」


ぷるんっと頭を振る。あみを連れて参拝したことを思い出した。あみを探して来なくてはいけない。


「あみちゃんが泣いている。私の大切なあみちゃん」

あみちゃ〜ん


あみちゃ〜ん


熱田の森を声の主をとおばあちゃんはすたすたと探し出す。


おばあちゃんが熱田の森に入っても泣き声はやまない。


あみちゃん


あみちゃん


あみが"おばあちゃん"と答えた。数メートルの距離を森を歩くとあみがいた。


両手を目に当てお下げ髪も乱して泣いていた。


「よしよし。あみちゃん。おばあちゃんが来たからもう泣かないで。ごめんなさいね。おばあちゃんうっかりさんでね。寝てしまったの。あみちゃん迷子さんになってしまったね」


おばあさんは迷子で泣いていたと勘違いをする。


「怖いよう。厳つい男の人があみを怒鳴るよう。シクシク」


おばあさんは幼少からみるあみの泣き顔である。孫の泣き顔はいつみても辛い。

「ごめんなさい。あみちゃん。(迷子にさせて)おばあちゃんがいけなかったのよ。あみちゃん泣かないで。よしよし。あみちゃんはいい子ちゃんだから」


あみの母親が亡くなってからはおばあさんは母親代わりである。


孫のあみであり娘のあみとも言える。


良い子だからあみちゃんもう泣かないで。


おばあさんは孫娘を抱きしめる。涙をハンカチで優しく拭く。乱れたお下げ髪を櫛解き可愛いお人形さんのようにする。


「もう泣かないで。可愛い女の子が台無しさんになるわ」


おばあさんは孫娘あみを抱きしめた。


「おおっ(現代人が)来てしまっわい」


武尊はおばあさんに見つからないように煙りのごとくスルスルと視界から消え失せた。


熱田の杜に見えたテニスコートもスコート姿の巫女さんもスゥ〜と消えていく。

おばあさんに泣きつくあみ。知らぬ間に様子が変わると知る。


「あらっおばあちゃん。ここは今までテニスコートだったのよ」


あみは泣いている事情をおばあさんに説明したい。夢のような黄泉の国のようなふわふわ感覚はまだからだに残る。


「よしよしあみちゃん。もう泣かないでね。なにか悪い夢を見たんだね」


おばあさんはよしよしと頭を撫でる。あみの手を引き境内の売店エリアに向かう。


子供には何より甘いものが喜ばれる。売店に連れて行けば機嫌は直るであろう。

「おばあちゃんアイスクリーム食べたい。あみはそうだなあっ美味しいソフトクリーム。バニラかイチゴ食べたいなあ」


そら来た!


泣く子にアイスクリームである。


おばあさんはさあさあっとあみの背中を押した。気の変わらぬうちに売店に連れて行く。


巫女は売り子である。売店の前にあみの姿を見るとホッとした。


巫女はあみを手招きをする。なんとかあみにアイスクリームを押しつけておきたい。


「いらっしゃいませ」


巫女はあみにチラッと睨まれる。


ひょっとしたらあみは巫女を記憶しているかも。


「お嬢さんはどちらをご用でございますか。アイスクリームはいろいろございます」


深々と頭をさげ巫女は顔を隠す。もしものことがあれば大変である。


小学生のあみにアイスクリームのある売店はパラダイスである。巫女など眼中にあらずである。


甘味処からお食事処。あみは近くにいくだけで心は騒ぐ。


巫女に言われたアイスクリームボックス。前に立てばあみの目のいろが違う。


どれにしようかな。


どれが一番美味しいのかな。


あみ最高の悩みを迎える。

アイスクリームは鈴なりである。あみは右から左からキョロキョロするばかり。

「おばあちゃん困ったなあ。どれにしようかなあ」


カップアイスはイチゴやメロンにバナナ味。ソフトクリームは面長バニラやチョコレートと品は豊富である。


売り子の巫女はあみの顔つきを見てサッとアイスボックスに手を入れた。


あみが好みそうな特別アイスクリームを2つ取り出した。


「こちらのアイスクリームはいかがですか。女の子に大変な人気があるアイスクリームでございます」


あみは目をパッチパッチさせて見る。巫女の手にうまそうなそれ。思わずゴックンとする。


「食べてみたいなあ」


おばあちゃんとふたり仲良くベンチに腰掛ける。楽しみながらアイスクリームをペロッと舐めてみる。


「おばあちゃんム美味しいね。特別アイスクリームってあのお姉さんが言っていたね。新製品なのかなあ」


美味しいアイスクリームだとあみはペロペロ舐める。

パッケージを見る。美味しいからもう一度食べてみたい。


「あらまっ。このアイスクリームになにも書いてないわ。自家製アイスクリームなのかな」


おやそうかい。


おばあさんにはごく普通のアイスクリーム。単に冷たいものしか思えなかった。

あみが喜ぶ姿は武尊にも伝わる。


「おおっあみちゃんが喜んでいるぞ」


子供のあみに泣かれて困った武尊は安堵した。子供騙しにアイスクリームが効果あったと。


私があみを泣かせたわけじゃあない。


私のせいで悲しくなったわけじゃあない。


売店でアイスクリームを手渡した巫女が武尊に耳打ちをする。


「殿下さま。あみさまは喜んでいましたわ。黄泉の国の特別アイスクリームでございます。味は最高なものでございます」


巫女はこれで大丈夫かなっと思う。アイスクリーム程度の御駄賃で終わってしまうのも考えものではないかしらっ。


天下の日本武尊ともいうお方が物足りないなあ。巫女は不満足である。


武尊をジロッジロッ。


ウッ!


かわいい巫女に神の武尊じろじろ見られバツが悪い。

武尊はなにもなかったことにしたい。あみにアイスクリーム与えて食わぬ顔で極楽に戻るつもりである。


「私は忙しいからのう。黄泉で神務が山のごとくあるからのう。さあさあ帰るぜよ。長居は無用だ」


黄泉の極楽に帰ったとしても永眠するだけである。忙しいことなどなにもない。

スゥ~スゥ~と後ろも見ずに天に昇って行こうかとする。武尊に巫女はガッカリするばかりである。


昇天を繰り返し雲の上に至る。極楽に至ると下界からのお帰りした武尊を出迎えた侍従が待っていた。


「殿下お帰りなさいまし。ずいぶん早いご帰還でございます。もう少しゆっくりなされば良かったものではございませんか」


皮肉たっぷりに出迎えたのは侍従である。その後ろに女官。


仲良くふたりはニコニコ顔で武尊の帰りを待っていた。


武尊のお目付け役を承る身分である。武尊の気まぐれから下界をぼわれ極楽にトンボ帰りをさせられた因縁は遺恨となる。


恨みの念はまだまだふたりは強い。


「おおっ久しぶりだなあ。よきに計らえ」


よきに?


侍従は女官とヒョイっと顔を見合せた。武尊は侍従と女官に命を授けたことをコロリと忘れた素振りである。


女官はムッ!とする。


侍従も面白くない顔をして武尊を怨めしく見てしまう。


ぶっきらぼうに侍従は報告をする。武尊の命令には背くはご法度である。


「殿下に申し上げます。殿下さまから申しつけられましたるは極楽人別台帳調べの一件でございます」


人別台帳?


武尊は侍従らの不機嫌な顔に威圧される。


「極楽人別台帳だと?なんのことだ。極楽に棲む仏さんのことなど知らぬぞよ。それを言うなら神ではなく仏様であるぞよ。お門違いだ」


武尊に仏心なんて興味もなにもない。


わけのわからぬことを申すなっ侍従!


あくまで知らぬっとスッ惚けた。


「忙しい身ゆえ。これにて失礼する」


スタスタっと宮廷に消え失せようとする。パッと武尊の前に女官がトウセンボをする。


両手をサッと左右に広げたら武尊とて強引に出ることもままならぬ。


この場で殿下を逃がしてはいけない。この我が儘な殿下の気紛れな命令でどれだけ迷惑しているか今ここで教えたい。


「殿下さまに申し立てます。我々(侍従と女官)は人別帳の調査に苦労いたしました。膨大な黄泉の国の仏さまをつぶさに調べあげて参りました」


武尊のなにげない一言"あみの母親を探せ!"の特命は大変な労力を費やすハメになったと言いたい。


「あみさまの母親探しの一件でございますが。侍従は黄泉の国戸籍管轄自治区に参ります。今の時代でございますからインターネット検索で簡単かと思われましたが困難でございました」

また女官は黄泉の国人識別台帳から発生した"生まれ変わり人別台帳"を調べている。戸籍管轄ブロックでは残念ながらヒットをしなかった。


「あみの母親?なんだそれ。そんなこと頼んでいたかな」


すっかり厳命を忘れた武尊。長年の永眠のため健忘が進みつつあるのか。


「あみさまの母親は生まれ変わり台帳にございました。よって黄泉の国におりません。あしからずでございます」


女官は事務的に申しつける。母親はとっくの昔に生まれ変わり下界にいると伝える。


プイッと頬を膨らませる。生まれ変わった人物の名前の紙切れを手渡した。


明記された名前は生まれ変わった新しい母親はあみの近くにいることがわかった。


横を向いたままの女官。紙切れを武尊にポイっと渡すが顔など見ない。


ヒラヒラ


風に舞い散る一枚の紙切れ

「おおっこれはなんだ」


紙切れは紙切れでも新聞広告の紙切れではない。


黄泉から生まれ変わり人別戸籍の登録抄本である。


膨大な量の人別台帳を片っ端から調べあげてみた。かなりの日数も掛かりようやくたどり着いた証しである。


武尊は女官に調査の説明を求めさせようとする。


おいおい


手をちょんちょんとさせた。


何でっかっこれ?


苦労して探した女官は腹の虫の居どころが悪かった。

武尊の問いかけに後ろも見ずにスタスタと宮殿の控えに入ってしまった。


あらあらっ


武尊は首をひねり紙切れを見つめるだけである。


「生まれかわりましたねぇ。誰が誰にかわりましたのかなあ」


武尊の頭の中は


???


はてさてと疑問符ばかりが山積みになっていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ