英雄テセウス
目の前に男が居る。
マッシブでダイナマイトな巨漢が尻餅を付く俺を凄い形相で睨み付けている。
そしてこう名乗ったのだ。
テセウスと。
ギリシャ神話の大英雄の一人であり、ミノタウロスを退治したアテナイの王。その人だと。
だがおかしな話だ。
神話の時代の人間だぞ。それが何で目の前に居る?
オクノメは言っていた。特定の人物を推す神も居たと。
なるほどポセイドンの子ともされている彼なら選別者になる可能性は充分あり得るだろう。
だが時代を越えて呼べるものなのか?
それともテセウスを名乗る偽物か。
いや、嘘を吐いている表情ではないことは分かる。
なら、死後の世界から無理矢理連れてきた?
だが――
――と、逃避してるがそろそろ限界が来た。
「オェェエ!!」
吐いた。
何も食べていないので胃液ぐらいしか吐くものもないのだが。
そもそも、数秒前に目の前で男の上半身が砕け散った事に相当ショックを受けていたのだ。
そこを畳み掛けるようにテセウスを名乗る不審者が現れたので混乱したがそこを忘れてはいけ……いや忘れたい。
「どうした?」
「ど、どうしたじゃねぇ! 目の前で人間が爆散したら普通吐くわ!」
その『何を言ってるんだコイツは?』と言う顔をしているがやめて欲しい。
あ、今分かった。コイツこう言う顔なだけで睨み付けている訳ではなさそう。ただの真顔だ。
「そうか。では聞こう」
いや流すな。
「貴様は選別者で間違いないな?」
「……あ、ああ」
肩を見れば分かるだろう。
俺、爆散DQN、テセウスを見た限り、どうやら痣の位置は右肩と決まっているらしい。
「では何故闘わなかった?」
「何故って」
「貴様は男だろう。この代理戦争に招かれた戦士だろう。ならば何故戦士として闘わなかった?」
それは戦士として生きるギリシャ英雄の、当然の疑問なのだろう。
男ならば勇敢に戦うのが当然。そんな感じの常識。
だがそれは所と時代、そして人が変われば変わるもの。
「俺は戦士じゃ……ない」
「では何だ、臆病者の腰抜けか?」
「そうだよ。俺は死にたくない」
……あれ?
今の自分の発言に違和感があった。
この世界で死んでも元の世界へ帰れる。
なのに死にたくないと口にした。痛いのは確かに嫌だ。死ぬのも嫌だ。平時なら当たり前の感情が魚の骨のように引っ掛かる。
「そうか。ならば何故ここに居る。腰抜け」
む、確かに腰抜けなのは否定しないが面と向かって言われるのはムカつく。
「……腰抜けじゃない。龍生だ。浅野龍生」
そう名乗ると怪訝そうに眉をひそめた。
「妙な名だな。アサノ、タツキ、二つも名があるのか」
「浅野は家名だよ。あんたが『アイゲウスとアイトラの子』って名乗ったみたいに、何処の人間なのかってのを表す記号だ」
「……そうか。ならばなおさら親の、カメイとやらにこれ以上泥を塗るな。闘え」
「あんたさっきから何なんだ? 助けて貰ったのには感謝するけど、押し付けがましいんじゃないか?」
「何がだ?」
「常識だよ! 自分の常識を押し付けるなって言ってるんだ! 俺が住んでた所じゃ戦いなんて御法度なんだよ! 勇猛果敢に戦って死ぬのが誉の時代はとっくの大昔に過ぎたんだ!」
「……? 何を言ってるんだお前は?」
常識のズレと言うのはなかなか気付きにくく、理解しにくい。数千年前の人物ともなればなおさら解らないものだろう。
「大昔の英雄様に理解しろなんて言ったって無理な話か……」
「俺を知ってるのか」
口が滑った感覚だ。何がまずい訳でもないのだが。
……言ってやるか? 御自身の伝説を。
「クノッソスの迷宮を攻略、ミノタウロスを倒したアテナイの王様だろ?」
さて、自身の伝説を耳にしたテセウスの反応はいかなものかと伺うと、呆気にとられたようにキョトンとした顔を浮かべている。
ん? 何か間違えただろうか?
「……確かにミノタウロスは討伐したが、まだ王にはなっていないぞ」
「はい?」
「オレはアテナイへの帰路の最中に召喚されたのだが、そうか。もう名が知れ渡っているのか」
感慨深そうに呟くテセウス。
待て、何かおかしい。
「まだ王様じゃない?」
「これからだ。武功を積み父の後を継ぎ、王になる」
そうか、そう言うことか。
この男、生前から時空を越えて召喚されているのだ。
神は時間に無頓着、とは言ってたがそういう意味だったのか?
神に時間は関係ないのか。
「だが言い方が妙だ。『大昔の英雄』、だと? どう言うことだ?」
言っても良いのだろうか?
言った途端歴史が変わったりしないのだろうか?
う~ん、でも、俺への視線がちょっと怖い。話そう。
「俺はあんたからすれば数千年先の時代からここに呼ばれた未来人だよ。さっきの奴もそうだ」
「数千年先?」
「ああ。あんたはギリシャ神話で数々の冒険譚を繰り広げた、何千年と語り継がれてる英雄の一人だよ」
「…………」
テセウスは驚いている。
自分が英雄と語り継がれている事実が感慨深いのだろう。
どこか嬉しそうで、同時に戸惑いのある複雑な表情だった。
なんだろうか。こうして彼の表情を見ていると不思議と恐怖心が和らいでいく。根は悪い男ではないと分かってしまう。
「あんたがあのテセウスだって言うのも信じられないことだが、異世界にこんな身体で召喚されてる時点で信じられないことだらけだ。嘘を吐いているようにも見えない」
「嘘ではない。オレはテセウスだ」
「分かってる。もう疑ってない」
「そうか」
考えて見れば俺を選んだ神が伊邪那美大御神だと言う方が疑わしい。何故俺なのだ。いや適当だった。
「……まぁそう言う訳だ。俺は戦いに向いてる人間じゃない。戦闘経験はないし戦いに向いた『加護』でもない」
「戦えないと言うことか。よく生きてこれたな」
「おかげさまだよ。あんたに助けて貰わなければ死んでた」
この男、暗に俺を馬鹿にしてるな? その年までよく生きてこれたなって言ったぞ今。
「そう言うあんたは何で助けれくれたんだ?」
「闘いではなかったからだ」
「は?」
「一方的な陵辱は闘いではない。お前は戦士ではなくあの男は略奪強奪殺戮を平気で行う盗賊だと見た。だから助けた。弱き者を助けねば英雄にはなれん」
それは英雄としての心構えか、確固たる信念のようなものが見えた。
今の言動ではっきりしたのは、彼は善人だ。
挑発的でイラッとするし価値観を押し付ける辺りやや傲慢だが。
「でも、俺は選別者だぞ? いつかは殺し合わなきゃいけないんじゃないか?」
「ふん、貴様に殺されることはない。戦えないのならいつかのたれ死ぬだろう。それとも今ここで勇敢に立ち向かうか? それならば戦士として殺してやっても良いが」
ゾクリ、と背筋が凍る。冗談のような口振りだが「はい」と言った瞬間本気で殺しにくるぞ。
「……死にたくないって言ったぞ。俺は戦士じゃない。最後の一人になるまで隠れて過ごすさ」
「ならば精々脅え震えながら過ごせ。アサノタツキよ。此度は助けたが次はない」
テセウスはそう言って踵を返して歩み去る。
でもその前一つ、聞きたいことがあった。
「なぁ、おい!」
「何だ?」
「どこか身体を洗える場所とか知らないか? 川とか湖とかさ」
「…………」
俺はそろそろこの血塗れの身体をどうにかしたかった。
やめろ、テセウス。そんな憐れむような顔をするな。
その後、別れ際にテセウスは歩いて半日の所にある湖を教えてくれた。
やっぱり彼は善人だ。そう再確認する俺だった。
明確なヴィジョンが浮かんでこの話を書いたのだけど、時代考証云々はザルなので御容赦願います。