第1話 目覚めました
チュンチュン。
小鳥のさえずりによって目を覚ます。よろい戸の隙間から朝日が漏れ、光源のない部屋を薄暗く照らしていた。
俺はむくりとベッドから起き上がると、窓のよろい戸を開けた。ちょうど他の村人たちも起き始めたらしく、あちらこちらからよろい戸を開く音が聞こえてくる。
少し離れたところで煙が上がっているのが見えた。位置的にジェニーのパン屋からだ。ということは今はおそらく朝の4時半頃なのだろう。
ジェニーの家には時計があり、彼はいつもそれくらいの時間にパンを焼きだすからだ。
窓から離れるとあくびを噛み殺しつつ、パジャマからぼろぼろになった長袖長ズボンに着替える。背伸びをして眠気を吹き飛ばし、寝室と炊事場しかない小さなボロ小屋を出た。
俺の名前はレイモンドだ。ただの平民であるため、姓はない。幼い頃から木こりをしている。この国では基本的に職業選択の自由は存在しない。
職業を固定することで貴族たちの食い扶持を守り、特定の職種で労働力が不足するのを防いでいるのだ。まあ、仕事を変える方法が無いわけではない。
大量の死人がでる兵士や冒険者などへの転職は認められることが多い。
ただし、俺はある理由から転職することは叶わないけどな。
村の中心部に向けて歩いていくと、ジェニーのパン屋が見えてくる。
小さな寒村に相応しく、赤いレンガや木材で作られたみすぼらしい店である。
木製の扉を開けて中に入っていく。店内には既に2人の先客がいた。村長の息子、バレンの愛人であるマリアと被服屋の娘シャルロットである。
2人は俺を見るとくすくすと笑い始めた。
「あら、誰かと思えば能無しじゃない。魔法は使えるようになったのかしら?」
目を細めながらマリアが言う。
「いえ、それがまだなんだ……」
「ぶははは! ちょっと待ってください! まだ魔法をろくに使うことができないんですか? もうすぐ30間近だというのに。本当にあなたは使えない人ですね」
話を聞いていたシャルロットが思わずといったように笑いだす。
そう、俺は魔法が使えないのだ。これが兵士や冒険者に転職できない理由だ。普通、この国の人間は魔法を使うことができる。人々は魔法を行使して身体能力を向上させたり、ファイアーボールなどの火魔法を放つことで戦う。だからこそ、魔法の使えない俺はまともに戦うことはできないのだ。
「で、あなたは銅貨5枚をいつになったら返してくれるというの?」
「なんのことか分からないな……」
「とぼけるなよ能無し! この前貸しただろうが!」
マリアは美しい顔を歪ませ、右足で床を蹴りつけながら怒鳴りつけてきた。
「おいおい、こりゃなんの騒ぎですかい?」
店の奥から大柄の男がやってきた。両手で籠を抱えており、籠の中には焼きあがったばかりのパンが所狭しと並べられている。彼がこの店の主人、ジェニーだ。
ジェニーは俺を一瞥するとだいたいの状況を把握したようで意味ありげな顔をした。
「ジェニー聞いて。能無しがこの前貸した金を返さないのよ!」
「へぇ。こんなやつなんぞに金を貸すなんて、マリア嬢さんも物好きでさぁ」
「覚えていないの? 少し前このお店で彼にパン代を貸したじゃない。能無しが金欠でお腹を空かせているようだから仕方なく」
ジェニーは顎に手をあてて考え込むような動作をした。
「う〜む。そう言えばそんなこともあった気がしますなぁ」
嘘だ。こんな性悪女に金なんて絶対借りたことはない。だけれど、ここにはジェニーという証人がいる。俺はまた金を借りたことにされるんだろう。
「というわけで、あなたはいつ返済してくれるのかしら?」
マリアは勝ち誇ったような顔をこちらに向けてくる。
「いくら能無しでお金がないといっても、借金を踏み倒すのはどうかと思いますよー。シャルもどん引きです」
シャルロットもマリアに同調してくる。
「返さないようであれば、バレンに告げ口しても良いのよ」
「分かった……。来週までに返すから許してくれ」
「あら素直。それで良いわ。返してくれるのなら良いのよ」
それだけ言うと、マリアはジェニーからパンを受け取り出口へ向かう。
「あぁっ! マリアさん待って下さいよー!」
シャルロットもまたジェニーからパンを受け取るとマリアを追いかけていった。
「レイモンドさん、あなたはなにを買うんです?」
「黒パンを3つほどくれ」
「はいはい。一番安いのですね。チッ、しょうがないなぁ」
客に対する態度とは思えないが、俺に対する村人たちの扱いはだいたいこんなもんだ。ジェニーは能無しと呼ばず、名前で呼んでくれる。
しかもカツアゲや嫌がらせなどもしてこないので、マリアなんかよりも良いやつであるといえるかもしれない。
俺は黒パンをリュックに詰め込むとジェニーの店をでた。