1話 こんにちは、賢者さん
扉の先には真っ白な空間が広がっており、一人の人間がいた。
金色の長髪に、澄んだ空のように透き通った青い瞳。
美しさと可愛いらしさを兼ね備えた美少女は紺色のローブを着て、頭には先っぽのとんがった三角帽子を被っている。
その出で立ちはまるで魔法使いみたいだ。
「初めまして、間野司くん、私はハティ。賢者をやっているわ。賢者って何か分かる? 賢者よ、賢者。賢い者と書いて賢者と読み、優れた人間にしか務まらないような職業なのよ。そして、賢者の職に就くものは須らく偉い。これで私がどれほど素晴らしい人間であるかということは伝わったかしら?」
違った、魔法使いじゃなくて賢者だったらしい。
そして初対面の俺を前にして、恐ろしいくらい賢者である自分を褒め称えている。
「お前本当に賢者なのかよ、俺の中での賢者ってのは、お前みたいに自分を上げまくるよりも、謙虚なイメージだぞ」
「うるさいわね、思い込みを押し付けないでよ。私は賢者ったら賢者なの! そんなことより本題に入りましょう。どうしてあなたが私に呼ばれたのかは分かってる?」
俺が呼ばれていると感じたのは間違いじゃなく、本当にこいつに呼ばれていたらしい。
「いきなり扉が現れてその先に進んだらお前がいたんだ、分かる訳ないだろ。俺に何か用があるのか?」
「ふっふっふ、あなたが自分自身についておかしいと思ってることはないかしら?」
「え?! お前もしかして俺の周りで起きてる怪奇現象について知ってるのか?!」
「もっちろんよ! 賢者である私はばっちり知ってるわ!」
ハティは俺の食いつきっぷりがよほど嬉しかったのか、どうだ、というように得意げな顔をしている。
どうしてこんな変なことが俺に起きるようになったのか、ついに知ることができるのか!
俺は今か今かと期待に満ちた目線をハティに送る。
「単刀直入に言うとね、司がバカみたいに筋トレをしまくったことが原因よ」
「俺も筋トレが原因かなって少しは思ったりもしたけど、ただトレーニングしただけでどうして窓が割れたり池が干上がったりするんだ? おかしくないか?」
「そう! 普通なら体格が良くなるくらいの効果しかないわよね。じゃあ、いかれた桁の回数の筋トレをして、司の体に変化は出たかしら?」
「筋肉おばけになった」
「違うでしょ」
ハティはやれやれといった様子で肩をすくめて、わざと大きくため息をついた。
ちょっとした冗談にそこまで露骨にあきれなくてもいいだろ。
「体に一切変化が出てない、元の貧弱で平々凡々のまま。じゃあ司の体に起きるはずだった変化はどこに行ったんでしょうね?」
「さっきから言葉の端々にとげがついてる気がするんだけど……。もしかして、賢者っぽくないって言ったことに怒ってる?」
「海のように広い心を持った私が怒るわけないでしょ!」
「怒ってんじゃん」
賢者に見えないのは本当だから訂正はしないでおこう。
ハティは気を取り直して話を続ける。
「筋トレは司自身の存在を異常なレベルまで高めていったの。司の周りで起きた不思議な現象はぜーんぶ、規格外になった司の存在に、世界が耐えられなくなって起きたことよ」
どれだけ筋トレしても筋肉が付かないのは俺に筋トレのセンスがないだけかと思ってたけど、そういうことだったのか。
一時期はそれぞれのトレーニングの回数の桁を増やそうかと真剣に考えたこともあったが、やめておいて正解だったな。
「俺はもう筋トレはやめたんだ。これからはもう怪奇現象なんて起きなくなるよな?」
「手遅れよ、司は鍛えすぎてしまったわ。筋トレをやめた今でも、司の存在のレベルは高まり続けてる。このままいけば、世界崩壊の日はそう遠くないでしょうね。もしかしたら今日にでも……」
同情してくれているのか、ハティが憐みの表情を浮かべている。
「俺が鍛えすぎたせいで世界が終わるだなんて……。そんなのあんまりだ!」
「ぷぷぷっ、毎日一万回筋トレしてたとかアホすぎでしょ」
なんだろう、今ハティが小声で小さく呟いて笑ったような気がしたけど、気のせいか?
ともあれ、俺のせいで世界中に被害が出るのは良くないな。
これは俺一人の問題だし、他のみんなに迷惑をかけるわけにはいかない。
「解決策はあるんだよな? 例えば俺がいなくなるとかさ」
自分で言って悲しい気持ちになるが、こうするしか世界を救えないなら仕方ない。
俺の言葉を聞いたハティは――、その言葉を待ってましたと言わんばかりに一気に目を輝かせて手を叩いた。
「はい! 司が現状を理解したところで! その界隈で慈悲の化身として名を馳せた私から提案がありまーす!」
「憐みの表情どこいったよ!?」
こんなやつが慈悲の化身とされるような界隈があるわけねぇ。
「司の存在を受け入れられる私たちの世界に来るってのはどうかしら? そうすれば死ぬ必要なんてないわよ」
「突拍子もない提案だな。万が一行けたとしても、言葉とかはどうなるんだ? 一から勉強するのか?」
「そこんとこは転移魔法が処理してくれるから心配無用! 司の頭の中に向こうで生きていくために必要な最低限の言語情報を突っ込んでくれるし、ツカサがいなくなった後の元の世界への影響についても、いなくなった司に関する情報や記憶はうまく補完されるわ」
転移魔法めちゃくちゃ便利じゃね?
というか――
「魔法がある世界なのか?」
「あるわよ、どんなものか見せてあげる! アタックアップ!」
――ビリィィィィィィ!
大きな音と共に俺の服が弾け飛んだ。
「ちょっと! なんでいきなり服脱いでんのよ!」
「お前の魔法のせいじゃねぇか! しかも、脱いだんじゃなくて破れたんだよ!!」
幸いなことに、破れたのは上に着ていた服だけだ。
ズボンまで破れていたら変態と言われても仕方なかっただろう。
「下は無事だ、問題ない。冷静になろうぜ」
「そ、そうね、司が変態だってことはよく分かったわ」
結局変態認定されてしまった。
被害者は俺なのに。
「話を戻すわよ。私たちの世界には魔法があって、魔法使いや戦士みたいな冒険者の職業があって、モンスターや魔王もいるわ。司の世界にあるゲームなんかは、私たちの世界に似ているところが多いわね」
「俺の世界についても知ってるんだな」
「私は賢者だって言ってるでしょ、そんなことくらい知ってて当然よ」
ハティはばっちりドヤ顔を決めてきた。
悔しいけど、いろいろ知ってるのは素直にすごいと認めるしかないな。
「それじゃ、問題ないなら転移魔法の最終段階に入るわよ?」
「ああ、頼む」
「分かったわ。私たちの世界へようこそ、ツカサ」
ハティが指を鳴らすと、白一色だった周りの景色が急速に色づき始めた。
異世界への転移が始まったのだろう。
異世界か。
今までの世界を離れるのは寂しいとも思うが、新しい世界に対する期待もある。
「ハティの世界に行った後、うまくやっていけるか心配だなー」
「それこそが本題中の本題よ。ツカサは私の下僕になって、死に物狂いでお金を稼いで私に楽をさせなさい」
「はぁ!?」




