邪気ある無邪気
「よっしゃー、がんばるぞー」
ふん、と大きく息を吐いて腕まくりをする。
ちょっとパフォーマンスをした後、そっとまくった服を元に戻した。
「何してんのお前」
「えっ、“がんばるぞアピール”」
祐樹がじとーっとした目でこっちを見てきたので、その目から逃れるようにその場から逃げ出した。
私のことを言う時、周りの子は必ずこう言ってくれる。
「愛ちゃんは元気だねー」
「お前は元気の塊だな」
快活だとか、マイペースだとか、元気だとか、明るいとか。
皆が私のことを、そう評してくれる。
それが私は、とても嬉しい。
元気に見えているなら重畳だ。
これで、元気がない子、落ち込んでいる子と見られると、きっとあれこれと邪推されてしまう。
例えば、
「ご両親がいなくなって、めっきりふさぎ込んじゃったのねぇ」
だとか。
そんなのはまっぴらごめんだ。
勿論、元気にしていたってあれこれ言われることは言われる。
この間も、近所のおばさん達に朝の挨拶をして学校へ向かおうとすると、
「ご両親がいなくなったばかりで寂しいだろうに、健気だねぇ」
「まだ小さいのに、偉いねぇ」
と、後ろから密やかに聞こえてきた。
でもそれは、同情してくれている証であって、私を傷つけようとする牙でもなんでもない。
そんな会話ならばいくらあっても屁でもない。カモン同情票。
許せないのは、親がいないせいで悪くなっただとか、親のしつけがないからあんな子になったんだ、という誹謗中傷だ。
同情は、集まれば援助の手に繋がったり、支援の声になったりする。いくらでもあるに越したことはない。
でも、誹謗中傷は、集まれば集まる程、その発生した場所での生活がしづらくなっていく。
私には、此処で暮らしていくしかないのだ。
両親がもしかしたら、ふらっと戻ってくるかもしれない。
その可能性がある以上、私はここで、誰よりも真っ当な「子ども」として過ごしていかなくてはいけないのだ。
「お前はさ」
ぱこん、と祐樹が頭をはたいた。地味に痛い。
「痛い」
何ではたかれたのかと思って見上げると、教科書だった。
いつの間にランドセルの中から出していたんだろう。しかもそれ、算数の教科書じゃない。
昔よりも分厚くなったらしい教科書は、どれも人の頭をたたくにはもってこいの凶器に早変わりする。
「なんでそんなに、ムキになってんだよ」
「? 何の話?」
祐樹は、昔から親同士が付き合いがあるお隣さん。
両親がいなくなった今、実は私は祐樹の家でお世話になっていたりする。
「親父さんたちがいなくなってからだろ。お前、今まで以上に子ども面すんの上手くなったよな」
「何言ってるのバカ祐樹。子どもは子どもなんだから子ども面して当たり前じゃない」
祐樹は時折、何もかもを見透かしたような物言いをする。気付かれないように、ごまかしてみる。
「そうだけどさ、お前の場合は、わざとらしいんだよ」
私の家の事情も知っているから、だからこそ、祐樹は他の子よりも踏み込んでくることがある。
おせっかい焼きなんだから、全く。
「わざとでもなんでも、子どもらしくして何か悪いの?」
「いや…でも、なんか見ていて辛い」
見ていて辛い。
その一言が、ぐさっと胸につきささった。