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閑話 従兄殿の悩み


「あの……」

 そわそわと身をゆらす小柄な娘が、頬を染めて従兄を見上げる。その手には、手紙らしき物が握られている。

 あれは、もしや恋文ではなかろうか。いや、期待してはいけない。

 従兄は心のうちで首をふり、それでも恋文だったりするかもしれないと、ゆるみそうになる頬を必死になって引きしめた。


「なにか?」

 少々声がうわずってしまったと焦りつつ、ごくりとつばを飲む。

「これを、虹蛇こうだ様に……」

 従兄の口から、力ないため息が出た。



 草草そうそうたちが薬仙堂にやって来て、はや数ヶ月。さまざまな出来事があった。

 従姉の主人に憑いた霊、美しい織女蜘蛛、狐の藤狐とうこと、不可思議なものに出会った。

 無骨そうな真面目そうな役人に妙な疑いをかけられたり、追いはぎに遭ったり、似非道士にゆすられそうになったり。案外、災難めいたことも起きているようだが、その都度、神の子がさらりと解決してくれる。


 だからだろうか。従兄の心にはちょっとばかり、次は何が起きるのだろうか、といった期待めいた気持ちがあったりもするのだ。

 鋭い眼光と剣呑な眼差しがこちらを向くのだけは、心の底から勘弁してほしいと思うし、夢札を試してほしいなどといった、珍妙な頼み事は引き受けたくないとも思っているが。


 そして、一番がっくりくることは……

 従兄は、娘から受け取った手紙に目を落とした。丁寧な文字で宛て名が書かれ、押し花まで貼りつけられている。

 確かに恋文には違いなかったが、その宛て名が、違うのである。


 草草たちが来てから、彼は多くの人に声をかけられるようになった。

 その大半がうら若い娘であり、その大半が「虹蛇様に手紙を渡してほしい」といった風なことを、のたまってくれる。

 従兄はその都度、自分への恋文ではと胸を高鳴らせてしまい、その都度、がっくりきているというわけだ。

 美麗ながらどこか危なげな雰囲気のある、虹蛇なら仕方ないと思うし、この仙に張り合う気などこれっぽっちもないが。


 たまに「狼君ろうくん様に」という強者つわものもいる。あの眼光が怖ろしくはないのだろうか。それともあの鋭さが良いのだろうか。

 首をかしげた従兄は、ぐっと目に力を入れてみた。そして今の顔を思い浮かべ、きっとただ、目を見開いて驚いているようにしか見えないと、切なげに首をふる。


 まれに「草草様に」という不届き者もいる。

 神気とか仙気とかいうもののせいなのか。従兄にはわからないが、あの天女のごとく美しい織女蜘蛛ですら、神の子と一緒にいれば、まるで侍女のように見えた。

 それなのに、人の娘が草草と並んで歩こうというのか。


 こうしたときの従兄はつい、相手の娘を上から下まで眺め、いけない、といった風な顔で首をふってしまっている。だいぶ失礼な態度をとっているのだが、本人はまったくもって気づいていない。

 そのせいで、娘たちの間では『草草様の小舅みたい』と評判が下がっているのだが、これにもみじんも気づいていない。



「はぁ……」

 もう一度、ため息をついた従兄は、客へと届ける薬を抱えて街を歩く。


「お、薬仙堂の若主人。浮かない顔をしてどうしたんだ?」

 見れば、無骨そうな真面目そうな役人が、不思議そうな顔を向けていた。

 従兄はそつなく挨拶を返しながら、また何か、この役人から草草への相談事でもないだろうかと期待してしまう。


 こんなことを知られたら、父にも、妹にも、神の子を煩わせるようなことを考えるなと怒られるだろう。守役たちには間違いなく、恐い目でにらまれる。

 だが、その草草にはちっとも億劫な様子がなく、むしろ楽しげに解決しているように見える。

 危険な目には遭ってほしくないが、草草から片時も離れようとしない、強い二人の仙もいる。だから、少しくらい期待してもいいと思うのだ。


「お役人さんは街の見まわりですか?」

「いや……そういうわけではないんだが」

 太い眉を下げた役人の、歯切れは悪い。

 もしや厄介事でも起きたのだろうか。もちろん役人では解決できず、これから草草に頼るため、薬仙堂へ向うところなのだろうか。ならば早く薬を届けて店に戻らなくては。

 そんなことを考える従兄の胸が、少し弾んできた。

 しかし役人は、なかなか口を開かない。なにやらモジモジとして少々不気味でもある。


「……その、だな。若い娘にはどんな物を贈るべきだろうか?」

「は?」

 一本につながりそうなほど太い眉をギュッと寄せ、赤くなった役人の顔が、ずいっと迫ってきた。

 失礼ながら、その顔にはひどく相応しくないと思えた相談事に、従兄の口はポカンと開く。


 無骨そうな真面目そうな役人が贈物をしようと考えている娘は、あの、天女に恋して破れた武官の妹、当人も県令の子息に恋して破れた娘だ。

 従兄は羽衣に関わる騒動なら知っていたが、役人の恋までは聞かされていない。役人も、相手は貴族の娘であり、今、少しばかり傷心の身であるとだけ話した。


「娘さんに贈るなら、装飾品が相場と決まってますが……貴族の娘さんとなると、すでにいろいろとお持ちでしょうからねぇ」

「うぅむ……」

「傷心の娘さん、ですよね? 華やかな品でも贈って、心をこう、晴れやかにして差しあげるとか?」

「華やか……どんな品なら心が晴れるんだ?」

「うぅん……」


 道ばたで、従兄と役人はそろって眉間にしわを寄せ、首をかしげる。困った従兄の脳裏には、草草の顔が浮かんできた。だが……

 神の子はこれまで仙山で暮らしてきた。周りにいたのは仙ノ物ばかり。二人の仙を見るかぎり、どう考えても恋などという言葉は出てきそうにない。

 それに、従兄は草草より一つ年上なのだ。こんなことまで頼るのは少々情けなくも思える。

 しかし、神の子のように目の玉をまわしてみても、良案は出てこない。


「こ、こんにちは」

 と、ここへやって来たのは、ひょろりとした猫背の僧だ。

 相変わらずおどおどとしているが、これはいつものこと。そして、いつもよりは猫背が伸びている。これはかしこまる相手、草草がいないからだろう。


「お坊様、こんにちは」

 従兄はホッと息をつき、安堵の笑みを浮かべた。

 二人は同い年でもあり、ともに追いはぎに立ち向かった、いわば同志。けっこう仲が良いのである。


 事情を説明すると、小さな目をパチパチとしばたかせた僧の、眉が困った感じに下がった。

 考えてみれば彼は生涯、妻を持たない身。相談する相手を間違えたかと、従兄の眉もそろって下がる。


「あ、あの、私には恋のことはわかりませんが、その、心を痛めた方なら静かに話を聞いてあげるのが、良いのではないでしょうか?」

「静かに話を聞く……俺はまだ、その娘とそれほど親しくないんだが」

「うぅん……」

 道ばたで、今度は三人して困り顔をつき合わせた。



「みなさん、こんなところに集まって、どうしたんですか?」

 ここで主役の登場とばかりに現れたのが、草草だ。

 清らかな気は、少々蒸し暑い空気を爽やかにしているような。優しげな笑みは、心が穏やかに静まっていくような。

 従兄の表情が、ほぅ、とゆるむ。僧は器用にも草草と同じ高さに背を縮め、顔はほにゃりと崩れる。役人は元が無骨なので、無骨なままに頬がたるんだようでもある。


「草草様は散歩ですか?」

 従兄が問うと、草草はにっこり笑ってうなずいた。


 これは神の子の、幼いころからの日課だ。人の血もひく坊ちゃんの体に良いだろうと、狼君が提案したこと、と従兄は聞いている。過保護だと思う。

 こんなことを口にすれば、うしろに控えた守役たちの、鋭い眼光と剣呑な眼差しが絶対にこちらを向く。そう承知している従兄はそれにはふれず、ふたたび事情を説明した。

 先ほど、一つ年上なのに情けないと思ったことはもう、棚に上げている。


「ふぅん……僕にもよくわかりませんけど」

 草草は首をかしげつつ、まず、ささやかな贈物をすればいいのでは、と言う。

 季節の花や、軽くつまめる菓子など。貴族の娘なら、むしろこうした品のほうが目を引くと思うし、親しくない間柄であっても気軽に受け取れる。

 そこに一言添える。体を気づかう言葉を少しと、傷心の娘の気持ちを外に向けるような、季節の風景や街の出来事をさらりと。


「これをたとえば十日に一度、日を決めて繰り返すんです。決まった日に届くとわかれば、娘さんもいずれ、楽しみになるんじゃないでしょうか?」

 親しくなったら話を聞いてあげるのも良いだろうと、それから華やかな贈物を渡すのも良いかもしれないと、草草は締めくくった。


 無骨そうな真面目そうな役人は、より具体的な提案だったためか。赤らんだ顔でずずずいっと迫りながら、何度もうなずく。

 僧もなるほど、と感心する。

 同じように感心していた従兄は、しかしハッと気がついた。一つ年上なのに、完全に負けてはいないか。いや、相手は神の子、比べるなど畏れ多い。けれど一つ年上……

 従兄の口から、小さなうめき声がもれた。



 嬉々とした様子の役人と、用事の途中だという僧と別れ、従兄は草草たちと一緒に街を歩いていた。

 ひどく目立つ、只ならぬ一行に混ざるのは、なかなか度胸がいる。従兄はあの僧じゃないけれど、少々猫背気味だ。


「おい、県令様のところの花嫁様が、そこの店で買物してるらしいぞ!」


 道ゆく若い男たちの、弾む声が届く。彼らは小走りになると、花嫁がいるという店の前で足をゆるめ、ついでに顔もゆるめているらしい。

 県令の子息の花嫁は、たいそう美しいとの評判があるのだ。

 やはりそこは興味のあった従兄も、店の前に来ると顔がそちらへ向いてしまう。


「坊ちゃん。あの娘、綺麗なんですか?」

「うぅん……僕にもわからないよ」

「それは仕方ありませんよ。仙のほうがよほど綺麗ですからね。その証拠に、織女蜘蛛が現れてから、花嫁より天女のほうがずっと噂になってるじゃないですか」

 ふふん、と虹蛇が笑い、草草と狼君はそういうものかとうなずいている。

 従兄もそのとおりだと同意し、また、ハッと気がついた。美しいと評判だった花嫁を見ても、まったく何も感じていないのだ。


 今、従兄の周りには美麗な虹蛇がいる。

 草草の清らかさを見れば、深窓のご令嬢だって、隣には並びたくないと逃げだすのではないか。

 狼君は恐いながらも美丈夫という言葉が当てはまる。天女のごとき織女蜘蛛も見た。


 もしやすると、自分の目はかなりおかしくなっているのでは。この先ずっと、街で噂される美女を見ても、いまひとつピンとこないのだろうか……

 従兄の口から、けっこうな大きさの、うめき声が上がっていた。


 大したことじゃないけれど、従兄の悩みは深刻だ。



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