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閑話 薬仙堂の従妹殿


「従妹殿、おでかけですか?」

 薬仙堂の店先で、従妹と鉢合わせた草草そうそうは、穏やかにほほ笑んだ。

 彼女は今年十六になる、薬仙堂の一人娘。淡い桃色の着物がよく似合う、そろそろ縁談もあろうかという年ごろの、美人との評判もある娘だ。


 正直に言って、坊ちゃんにはよくわからない。

 神や仙が人の姿をとるとみなが美しく、幼いころから美麗な虹蛇こうだもそばにいたためか、美人と言われてもピンとこないのだ。

 反対に醜いのも、いまひとつわからない。

 神や仙の姿は、人から見れば妖怪変化。人の顔であったとしても、目がいくつもあったり、牙が生えていたり、口が大きく裂けていたりと、人が醜いと思う範疇はんちゅうを大きく超えている。それが当たり前なのだ。


「はい。琴の手習いに行ってまいります」

 はにかむように首を傾けた従妹の、かんざしがゆらりと揺れ、結った髪から半分ほど抜けだした。

「かんざしが……」

 手を伸ばした草草が、丁寧な手つきでかんざしを直す。従妹は頬を染め、恥らうように頭を下げるとそそくさと店を出ていった。





 街中を歩く従妹の眉間には、年ごろの娘にはあるまじきしわが、くっきりと刻まれていた。狼君ろうくんの影響でも受けたのだろうか。


 彼女は草草にかんざしを直されたとき、好ましい青年にふれられて頬を染めたのでも、今、本当はさわられたのが嫌だったと顔をしかめているのでもない。

 赤面したのは、神の子の前で粗相をしてしまったからであり、渋い顔をしているのは、かんざしごときで神の子の手を煩わせてしまったがためである。


 薬仙堂の者にとって草草は、良薬を作り、従姉夫婦に幸せをもたらし、座ったままで役人が持ってきた揉め事を解決し、薬仙堂を酒屋夫婦の魔手から守り、ついでに悩める僧まで救った、という素晴らしい神の子なのだ。

 二度とこんな粗相をしてはならないと、従妹は真剣に反省している。



「あら、こんにちは。一緒に行きましょう」

 同じく手習いに通う娘たちが、にこりとほほ笑み、従妹を取りまいた。

 彼女たちの魂胆はわかっている。来仙で評判になっている、草草たちの話を聞きだしたいのだ。

 そうはいくものかと従妹は内心、ふんどしを締めなおす。娘にはあるまじき言葉だが、これは彼女にとって戦いなのだ。仕方あるまい。


「狼君様は、家ではどんなご様子なの?」

「外にいらっしゃるときと、お変わりないわよ」

 米屋の娘は狼君ねらいだろうか。従妹は当たりさわりのないことしか口にしない。つき合いというものがあるから、顔には笑みを貼りつけているが。


「ちょっと恐そうにも見えるけど頼もしそうだし、本当は優しくて、きっと愛する人のためだけに尽くすような人なのよ」

 恐いのは鋭い眼光のせいだ。神の子への過保護っぷりや、過度な心配を見ているうちに、従妹は恐さを感じなくなった。

 しかし狼君が、大事に大切にしている草草に、尽くすところは合っている。米屋の娘は意外と鋭い。


「あぁ……狼君様のただ一人になれたら、素敵よねぇ」

 それは無理だと、従妹は心の中で即答した。


「虹蛇様に恋人はいらっしゃるの?」

「……いらっしゃらないようだけど」

 織物屋の娘は虹蛇がお好みらしい。従妹は少々返事に迷った。

 いると言えばあきらめるかもしれないが、では誰かと問われても困る。当人の耳に入れば、「どうして我が人の女とつき合うんだい?」と片方の眉を上げ、すぐさま否定する姿が容易に思い浮かぶ。

 ここは下手に誤魔化さないほうがいいだろう。


「じゃあ、私にも望みはあるかしら?」

 それはないと、従妹は胸のうちで即断した。織物屋の娘は見通しが甘すぎる。


「あら、狼君様のほうが一途そうじゃない?」

「でも、遊び慣れてそうな虹蛇様に入れこまれたら、堪らないじゃない!」

 娘たちがきゃあきゃあと楽しげに笑う。

 従妹は、もう一途に想う人はいるのだと、入れこむ相手はいるのだと、どれほどの努力をしようと仙の方々には通じないと、密かに首をふった。


 そして、確かに虹蛇は人の世に慣れているだろうが、と考え始める。

 彼は人がどういうものかを知っている。だが、それはなぜかと深く問うのは狼君だ。その問いには、従妹や従兄が答えられないことも多い。それが当然だと思い、訳など考えたことがなかったからだ。そこをさらりと答えるのが神の子だ。

 やはり草草様は素晴らしい。従妹の思いはそこに行きつく。



「ねえ、草草様は琴がお好きかしら?」

 優しげな声を出し、華のある笑みを浮かべたのは、紙屋の娘だ。

 冒してはならない聖域に踏みこまれた、従妹の片方の眉がぴくりと跳ねる。虹蛇の影響でも受けたのだろうか。


「さあ、お聞きしてるところは、見たことがないわ」

 紙屋の娘は琴がうまい。自らの得意を武器とするとは油断ならないと、従妹は気合を入れなおした。

「そう。じゃあ、踊りはどうかしら?」

 紙屋の娘は次々と、得意の武器を繰りだしてくる。


 しかし草草は、いわゆる娘が花嫁修業とする事柄には、あまり関心を示さない。

 神界にはさまざまな才を持つ仙がいると聞く。歌や踊り、楽曲に舞なら、人よりよほどの名手がいるのだろう。

 それに書物や演劇を見るのは好きなようだが、自分にもできそうだと思うことなら、神の子は見るよりやりたがる。


 この間など、三人で演劇の真似事までしていた。

 従妹は驚愕した。なぜ、儚い皇女役が偉丈夫な狼君なのか。なぜ、正義の将軍役が狡猾とも見える虹蛇なのか。そしてなぜ、清らかなる神の子が、よりにもよって悪徳宰相役なのか。すべてがおかしい。

 心のうちで何度も問いつつ芝居は進む。

 偉丈夫な皇女がさらわれても、むしろさらった方の神の子の安否が気にかかり、狡猾な将軍が助けに来ても、罠なのではと訝しむ。

 最後、清らかなる悪徳宰相が倒されると、この世には神も仏も無いのかと絶望を感じる演劇であった。もうあれだけは見たくない。


 そんな記憶を振りはらいつつ、のらりくらりと紙屋の娘をかわしながらも、何か答えなければ逃れられそうにないと思ったとき、従妹はひとつ、思いついたことがあった。


「そういえば、草草様は料理がお好きだわ」

 黎の国で男が料理好きと言えば、食べるほうだ。だが、草草はやってみたいのだ。従妹としては賛成いたしかねるが。

 家内のことは女の仕事。彼女も黎国の女であった。


「そうなの? どんな物がお好きかしら?」

 ようやく答えを得た、紙屋の娘の瞳が嬉しげに輝く。彼女は腕によりをかけた料理でも、用意しようと考えているのだろう。

 従妹の目もキラリと煌めく。こちらは、引っかかったな、とほくそ笑んでいる。


「好き嫌いのない方なのよ。でも、体に良い物がいいんじゃないかしら? お体には気づかっていらっしゃるようよ」

 草草の健康を気づかっているのは主に狼君だが、従妹としても、神の子に妙な物を食べさせたくはない。

「そう、そうね。お体は大切だものね」

 うなずく紙屋の娘に、従妹は内心でにんまりと笑った。


 従妹はこう、考えている。

 料理を渡すなら外ではなく、薬仙堂に持ってくるはずだ。

 草草たちは店の奥で薬を作っている。ほど良いところに『ついたて』を置けば、店に来ても彼らの姿は見えない。料理はほかの者が受け取れば、娘が草草に会うことはないのだ。

 一度、二度と顔を合わせ、笑みを浮かべて話をすれば、すぐに縁談話は持ち上がる。薬仙堂の一員として、お預かりした神の子におかしな虫をつけてはならないと、従妹は使命に燃えていた。



「ねえ、狼君様は何がお好きなの?」

「虹蛇様は?」

「お二人は肉がお好きなようよ」

 本性が大狼と大蛇だからか。何でも食べはするものの、肉があれば良いらしい。どうせもらうなら好物のほうが良いだろうと、従妹は答えた。


 二人の仙なら娘が声をかけたとしても、鋭い眼光で容赦なくにらみ、ずけずけとした遠慮ない物言いで、さっさと遠ざけるだろう。しかし草草は違う。

 相手を気づかいながら優しく、それでいて意外とはっきり断るはずだ。実は何の問題もないように思う。けれど従妹は神の子に、余計な気を使わせたくないのだ。

 守役たちと似通ったところのある従妹は、すでに立派な薬仙堂の一員だ。


「それにしても、三人とも素敵な方々よねぇ」

「並んで歩いてる姿なんて、あんまり素敵で近づけないもの」

「この間、狼君様が道で転びそうになったお婆さんを、さっと助けたのよ。優しいわよね」

 米屋の娘が頬を染めて笑う。ありえない、と従妹はかすかに首をひねった。

 神の子以外の者を、はたして気にかけるだろうか。おそらく、草草が助けようとしたから仕方なく、代わりに助けたのだろうと思い至る。


「虹蛇様なんて、けんかを止めて、しかも簡単に相手をのしちゃったのよ」

 織物屋の娘はわが事のように自慢する。これもありえない、と従妹はわずかに眉をひそめた。

 相手をのしたのは何の不思議もないが、わざわざけんかを止めるだろうか。おそらく、草草の向う先でけんかをしていたから邪魔だったか、草草のいる方向に物でも飛んできたので、気分を害したのだろうと納得した。


 ここで従妹は、チラリと紙屋の娘に目を向けた。

 彼女は何やら思いだしているらしく、髪帯(リボンのような物)を手でさわりながら、宙を見つめてほのかにほほ笑んでいる。

 草草の姿でも思い描いているのだろうか。米屋や織物屋の娘たちのように騒がないぶん、強敵に思えてくる。

 これは一刻も早くついたてを用意し、父からも草草に注意してもらおうと頭の中で算段する。


 よわい十六にして、従妹はすでに立派な小姑でもあった。



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