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閑話 神の子と守役


 しんしんと、雪が降る。月の光を浴びた雪はほのかにまばゆく、窓の外はわずか明るい。

 行灯あんどんがともり、火鉢にも火が入る。

 部屋が十分暖まったころ、風呂から上がった草草そうそうは頬を上気させながら、椅子にゆったり落ち着いた。

 今はちょっとばかり、暑いか。


「坊ちゃん、どうぞ」

 ここで狼君ろうくんが、水の入った湯のみを差しだす。続いて二つ、ぽってりとした丸い水差しを傾けると、相方と自身の前にも湯のみを並べた。

 守役たちも風呂上り。坊ちゃんがのぼせてしまわないか、湯船で溺れてしまわないか。もう幼児おさなごではないのだが、この仙はいまだ心配なのだろう。いつも一緒に入っており、今は同じく暑いらしい。

 みなでゴクリとのどを潤し、ふぅと息をつく。


「坊ちゃん、拭きますね」

 それから虹蛇こうだがうしろに回り、艶めく濡れた黒髪を、布で包んで乾かし始めた。水気をしっかり吸い取ると、次はくしを入れていく。その手つきは怖ろしいほど丁寧だ。

 こちらの仙は今もなお、風呂で坊ちゃんの髪を洗っている。草草が自分で洗うと言っても首をふるから、よほどこだわりがあるのだろう。おかげで十八にもなる青年は、これまで自分の髪を一度も洗ったことがなかった。


《草草様、いますか?》


 と、ここで、子供らしい軽やかな声が、誰もいないはずの棚のほうから聞こえてきた。

 そんな不思議が起きたのに、虹蛇に髪を預けつつボンヤリしていた草草の、顔はパッと輝き、ほころぶ。

 狼君は警戒する風もなく、そちらへ近寄っていく。


 棚に並んでいるのは、草仙筒に黄金壺と水応鏡――すべて、不思議な力のある品だ。

 そしてもう一つ。彩りも鮮やかなガラスで出来た平たい器を、狼君が卓へと運ぶ。器のふたをそっと開く。


「お久しぶりですね、ラシャン王子。元気でしたか?」

《はい! 今日は砂人たちと、少しですけど鬼ごっこをしました》

 器の中の砂がさらさら音を立て、声に合わせて揺れ動いた。


 この夏、西の隣国にある冥の砂漠へ、草草が連れ去られるという大事件が起きた。

 これは冥神の息子に仕える仙、砂人らの『体の弱い王子が元気になるよう、ぜひ草神様に診てもらいたい』という想いからの仕業であったし、当の息子、ラシャン王子は過保護に育てられ過ぎていただけであった。

 坊ちゃんを奪われた大狼と大蛇は、薬仙堂で騒ぎまくり、冥神の住まう大洞窟へ突入し、あわや仙山と冥の砂漠の全面衝突か、という事態にもなりかかった大変な出来事である。


 このとき、草草はラシャン王子と友になり、器の砂をもらって帰った。それ以来、こうして時おり幼い友との会話を楽しんでいる。


「鬼ごっこですか、懐かしいな。僕も小さいころ、守役たちとよくやりましたよ。王子は楽しかったですか?」

 草草がにっこり笑って応じると、砂は震え、「はい」と元気な声が返ってきた。大洞窟を縦横無尽に駆けまわり……とまではいかなかったようだが、広い部屋を元気にちょこちょこ逃げまわっていたという。

 以前の王子は、心配しすぎな砂人らに始終大人しく座らされ、何くれとなく世話を焼かれていたのだ。これは大きな進歩といえるだろう。

 坊ちゃんは、よし、とうなずく。


《それで草草様、私もそろそろ素振りをしてみようと思うんです》

《おっ、王子! 素振りはまだ早いと思うのであります! もう少し体が丈夫になられてからのほうがっ》

 やる気満々、弾む幼い声に続き、甲高い叫びが割りこんできた。過保護な過保護な砂人たちだ。王子が心配で堪らないのだろう、相変わらずのようだ。

 くすり、坊ちゃんの唇がゆるみ、手は湯のみに伸びていく。


「坊ちゃん、待ってください」

 しかし狼君の手が、すっと湯のみを奪っていった。水を捨て、湯気の上がった薬缶やかんから熱い湯を注ぎなおす。

「虹蛇、頼む」

 それから湯のみは、艶めく黒髪をき終えて満足したのだろう、眺めながら綺麗に笑う美麗な仙の口元へ。フッとひと息、息がかかると、立ちのぼっていた湯気は消える。


 守役たちは『冷たい水を飲みすぎると坊ちゃんの腹が冷えてしまう』と心配し、さらに『冷たい水を飲んだあと、すぐに熱い湯を飲んだら坊ちゃんの腹がびっくりするかもしれない』と心配を重ねているのだ。これは毎夜のことなので、もう聞かなくとも知っている。

 そうして少し冷ました湯が、草草の前にコトリと置かれた。


「……」

 こちらも相変わらずだった。守役とはみなが心配性なのか、誰もが過保護なものなのか。

 草草は顔にぬるい笑みを浮かせつつ、ぬるい湯でのどを潤す。ちょうどいい温かさだ、おいしい。さすがは僕の守役たち――

 などと思う坊ちゃんも、相変わらずかもしれなかった。



《草草様は、今日は何をしてたんですか?》

 幼い友との会話は続く。

「午前中は薬仙堂を手伝って、昼間は吹雪いてたので、家で本を読んだり猫の白玉はくぎょくと遊んだりしてましたよ」

《えっ、吹雪! 猫!》


 器の砂が大きく揺れた。王子の、驚きを含んだ風な明るい声が楽しげに響く。

 西の砂漠には、雪も降らず猫もいない。話には聞いたことがあっても、見たことはないのだろう。

 ふむ、と草草は壁を見やった。そこに貼ってあるのは何枚かの絵だ。


 異国風の布を巻きつけ、優しげに笑う草草の顔。風をまとい宙を駆ける雄々しい大狼と、水の輪をめぐらし空飛ぶ大蛇。その背には、小さくまたがる坊ちゃんの姿もしっかりと描かれてある。

 これらの絵はラシャン王子が描いたもの。器の砂を通して送られてきたのだ。草草も、仙山の梨や黎国風の着物、来仙の菓子など送ったことがあった。

 この器の砂は、姿は映せないものの、仙山の水鏡と水応鏡のような物であるのだろう。

 ならば、雪や猫を送ってやることはできるだろうか、と考えたわけだ。


 ちなみに王子が描いた、六歳とは思えぬ上手な絵の上には、狼なのか狐なのか虎なのか、蛇なのかひもなのか糸なのか、猫なのか毬なのか菊なのか……そんな絵も貼ってある。

 が、坊ちゃんはまぶたを半分ほど下ろし、器用に視界から外していた。


「この砂で、雪や猫を送ることはできますか?」

《草神様、猫は無理であります。砂で息が詰まってしまうのであります。もっとたくさんの砂をそちらへ送り、我々の術を使えば可能で》

「ダメだ!」

「そうだよ! そんなこと言って、また卑怯な術を使って坊ちゃんをさらうつもりかい?」


 砂人たちの返答に、守役たちが噛みついた。

 風を吹かせて砂を送り、術を用いて影に引きこむ。これは夏のころ、草草が砂漠へと連れ去られてしまったときの技だ。

 狼君の眉間には渓谷のごときしわが寄り、虹蛇の眉は髪にくっつく。いや、くっつきそうなほどつり上がる。


《ひっ、卑怯ではありません! あれは我々の力を結集した素晴らしい》

「うるさい! 今度あんなことをしたら、ただじゃ済まないぞ」

《今度って、以前も大洞窟の天井を、お二人は壊したではありませんか!》

「坊ちゃんを攫っておいて、それくらいで済んだんだよ。ありがたく思いな!」


 静かな夜。白熱する仙らの言い争いを、いつものことだとぬるく笑った草草と、砂の向こうでは必死な様子のラシャン王子が、なんとかなだめた。

 こうして王子も大人になっていくのだろう、守役たちの扱いも心得ていくに違いない。などと坊ちゃんは、訳知り顔でうなずきもする。


「では、雪だけでも送りますよ」

《わ、本当ですか!?》

 嬉しげな声を聞き、草草は足取りも軽く窓のそばへ。伸ばした手は、しかし虹蛇に握られる。

「寒いので、窓を開けるのは止めましょう。雪は狼君が取りに行きますから」

 綺麗に笑われふり向けば、部屋の扉がわずか開き、黒い影がスッと消えた。

 やはり、過保護だと思う。坊ちゃんは礼を述べつつぬるく笑い、ふたたび椅子に腰掛ける。


「でもこの砂、雪は送れるんですね」

《どういうことですか?》

 草草は小首をかしげながら、ラシャン王子にこう返した。


 これまで品を送ったとき、器の砂は渦を巻き、呑みこむようにうごめいた。今も声を乗せてさらさら揺れる。この砂は動くことで、物や声を送り伝えているのだろう。

 とすれば、雪はすぐに溶けてしまう、水を吸えば砂は固まる。それでも大丈夫なのだろうか、と気にかかったわけだ。


《え、雪ってそんなにすぐ溶けるんですか?》

「ええ……」

 うなずく草草の背中を、すぅとかすかな風がなでた。雪を取りにいった狼君が戻ってきたらしい。

《ねえ、大丈夫?》

《さ、さあ? 我々も雪を見たことはありませんので。とにかく水は良くないのであります。砂が固まると、物も声も届かなくなってしまうのであります》

 砂から声も聞こえてきた。ちっとも大丈夫じゃなさそうだ。


「坊ちゃん、雪を送ります」

 ここで狼君が、ひと抱えもある雪玉を器の上に掲げ持つ。

「あ、ダメ!」

 草草は遮るように手を伸ばす。

 しかし、雪玉を掲げる指の隙間から、行灯の灯を受けたしずくがキラキラと、砂へ向かってしたたり落ちる。


 ――ぽたり、ぽたぽた、ぽたた、ぽたり


 それらは、素早く動く虹蛇の手が見事にすべてを受け止めた。

 さすがは守役たちだ――坊ちゃんはいろいろな意味で、ほぅと大きな息をついた。





 風のない、小雪ちらつく翌日のこと。帽子に手袋、耳あてに、毛皮を羽織った草草は、薬仙堂の裏庭にいた。


「坊ちゃん、雪はこれくらいでいいですか?」

 狼君が箱を傾けて、こちらをうかがってくる。横にしゃがむ草草は、それを覗いてうんとうなずく。


 箱の中にはふんわりとした雪が半分ほど、詰まっていた。

 昨夜、器の砂で雪を送ることはできないとわかった。が、砂が濡れなければいいのだから、箱に入れれば送れるのだ。

 それによくよく聞いてみると、濡れて固まってしまった砂は、乾かせばまた使えるという。天日干しにしてほしいと言われたので、冬のこの時期、あまり濡らさないほうが良さそうだが。


「坊ちゃん、何を作ってるんですか?」

 今度は虹蛇が、雪とたわむれる手元をうかがってくる。箱を置いた狼君も、首を傾けてくる。

「何だと思う?」

 草草は作った雪のかたまりを、少し離れて眺め見た。


 大きな丸い雪玉の体に、小さな雪玉の頭が乗る。三角の耳が二つちょこんと付いており、うしろにはぴょんと伸びた尻尾もある。

 これはまん丸な猫、白玉のつもりだ。ラシャン王子は猫も見たそうだったので、雪で作ってみたのだが、ちゃんと猫に見えるだろうか。


「これは雪だるまです」

「そう、だけど……」

 自信満々な狼君に、草草の眉はちょっとばかり下がった。雪だるまには違いないが、何に見えるか問うているのだ。

「あ、我はわかりましたよ」

 虹蛇はポンと手を打った。綺麗な笑みを向けられて、草草もパッと笑い返す。


「これは水差しですね」

「え」

 これが取っ手で、と虹蛇が指したのは雪の白玉の尻尾である。これが注ぎ口で、と次に指が向かったのは雪の白玉の耳である。

 そう思って眺めてみれば、部屋にある、ぽってりとした丸い水差しにしか見えなくなってきた。


「うぅん……」

 うなり、難しい顔になり、それから大きく一つ、うなずく。

「ねえ、狼君と虹蛇も、雪で白玉を作ってみてくれない?」

 坊ちゃんは早々に、自身の腕に見切りをつけると、とびっきりの笑顔でもって守役たちに願いでた。


 気合の入った狼君と虹蛇が互いの仙術を駆使し、躍動感あふれる、それでいて可愛げな雪像ができたのは少しあとのこと。

 坊ちゃんはたいそうご満悦であったし、手放しで褒められた守役たちも、ものすごく幸せそうであった。



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