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第二十二話 妓楼の女


 訪れた冬。薬仙堂の店内では、薬作りの火がゆらぎ、薬缶やかんからはほっこりとした湯気がゆらゆら立ちのぼる。


「坊ちゃん、寒くありませんか?」

「寒かったらすぐに言ってくださいね」

 心配そうな迫力顔と、気づかいまじりの美麗な顔が、草草そうそうをうかがった。これで本日何度目だろうか。

 ここ数日、どんよりしていた空は晴れ、今日は風の音もない。けれど空気はキンと冷え、今年一番の寒さだろうか、外に出れば身が縮む。

 だからだろう、守役たちの心配はやまない。ずるりずるり、ごとごとと、並べた火鉢は坊ちゃんを、まるで砦のように取り囲む。


「ありがとう、大丈夫だよ」

 小机に腰を下ろした草草は、徐々に迫りくる暖の砦に、ぬるく笑ってうなずきを返した。

 それから、肩にかかった着物を見やり、いつもより少々膨らむ腹をなでる。


 この着物は仙山の、虹色の雲を綿にして、火の精霊がほんのり熱をこめた物。暖かく、しかしぶ厚くはなく見栄えの良い、坊ちゃんの装いにはこだわる虹蛇こうだも納得の一品である。

 腹が膨らんでいるのは、坊ちゃんの健康をひたすら願う狼君ろうくんが、市で選び抜いたはら巻のせいだ。

 水応鏡に向かい、相方が着物を頼んでいるのを見た彼は、はら巻も仙山から取り寄せようとしたのだが――


『承知いたしました。暖かく美しい着物とはら巻き……あの、はら巻きとは、どのような物でございましょう?』

 冬、地から湯気が湧きあがる過ごしやすい仙山に、はら巻きという物は存在しない。着物の下に隠れる物でもあるからだろう。下界にはわりと詳しい織女蜘蛛も、知らなかったようだ。

 けれど母がいるから大丈夫、と安心していたのだが。


『ああ、これはいいね! 坊ちゃんにお似合いだよ』

 数日後、水応鏡から出てきた着物を、虹蛇が優美な手つきでなでた。その横で、巻かれた毛糸の束を抱えた狼君の、顔はななめに傾いていく。

『坊ちゃん、これは何でしょう?』

 くるくる、くるくる。草草が端を持ち、狼君が広げて歩く、歩く。

『……はら巻き、じゃない?』

 それは腹を八重にも九重にも巻けそうな、長い長い何か、であった。


 思いだし、くすりと笑うと目の前に湯のみが差しだされた。小机には菓子が次々並んでいく。

 草草はにっこり笑って礼を述べ、茶をすすってホッとひと息。


 ――若主人さん、よくもうちの子に手を出してくれたね!


 突然の金切り声が薬仙堂に鳴りひびき、ごくり、坊ちゃんは口に放りこんだばかりの菓子を飲みこんでしまった。

 ゴホゴホとむせ、守役たちが大騒ぎすること、しばし。



「優しい娘さんのお母上、かな?」

 ようやく落ち着いた穏やかな顔は、今や瞳も輝き興味津々、ついたての脇からひょこりと飛びだす。続いて、眼光鋭い仏頂面と眉のつり上がった美麗な顔が、ぬっ、ぬぬっと現れた。

 見てみれば、金切り声の主であろう中年女と、従兄と伯父が、店の端にある卓で対峙している。


 近ごろ、従兄は度々店を空けていた。金貸しの爺のところで働く恋しい娘に会うためだ。

 きっと恥ずかしいのだろう、それでも会いたいのだろう。その都度、訪ねる理由をあれこれ必死にひねり出しているから、彼は相当がんばっている。

 そして、亡き爺が白玉はくぎょくに託した遺言の件、金貸屋に押し入った強盗の件、これらを草草たちが解決したためか。金貸しを継いだ兄弟は、薬仙堂に好意的であるらしい。

 従兄が訪れると、娘に用事を言いつけて外へ出してくれるようだ。二人で仲良く歩く姿を、散歩中の白玉が目撃していた。


『ニャアン』

 ――うまくいってるみたい、だそうだ。


 この様子を見聞きした娘の母が、『よくもうちの子に手を出してくれたね!』と怒鳴りこんできたのだろうか。しかし、だ。

 ついたてから覗く、草草の顔はかしぐ。


「娘さんと、ちっとも似てないねぇ」

 中年女は、昔はきっと美しかっただろうと思われる、目鼻立ちのはっきりとした、きつい顔立ちをしていた。一方、従兄が恋する優しい娘は、器量は悪くないのだろうが地味な印象であった。

 女はしゃべり方もぞんざいで、何だか態度もふてぶてしい。向かいに座る従兄の背が、猫背の僧より縮まっている。こちらも、娘とまったく似ていない。


 そして、娘の父は大工、母がおり、弟は大工見習いだと聞いていた。貧しくはないが裕福というほどでもない、ごく普通の家だ。

 それにしては女のまとう派手な着物は、金がかかっているような……


「何かのお間違いではございませんか? 私どもの息子は、花仙街かせんがいに通えるほどのお金は持ち合わせておりませんし、それほどの甲斐性もございません」


 卓のほうへ。耳をそばだてていた草草は、伯父の言葉になるほど、と納得した。

 花仙街とは、来仙で一番上等な、妓楼ぎろうひしめく遊郭だ。中年女はそこの女将か何かだろう。

 ならば『うちの子に手を出した』は、妓楼を通さず娼妓しょうぎと恋仲になった、という意味か。


「伯父上殿の言うとおりですねぇ。従兄殿に手練手管の娼妓を口説けるような、そんな甲斐性はありませんよ」

 虹蛇もそうと察したらしい。ふんっと鼻を鳴らしたのは、見当外れな、そして坊ちゃんののどを詰まらせる原因を作った、中年女に対するものだろう。が、その発言は従兄に対して失礼だ。

 けれど、ついうっかり、坊ちゃんもうなずく。


「ところがね、旦那さん、金も甲斐性も必要ないんですよ。なにせ相手はまだ十三の、店に出たこともない娘なんですからね」

 しかし中年女は、伯父の言葉をぴしゃりと跳ねのけ、きつい眼を従兄に向けた。


「従兄殿は若い娘が好きなんだろう? 可能性はあるんじゃないか?」

 こちらも、坊ちゃんののどを詰まらせたからだろう、あるいは金切り声がうるさいと坊ちゃんの耳を心配したのか。狼君が、鋭い眼は女に固定し、首を器用に傾けた。

「いくら十三でも売られたばかりの娘じゃなきゃ、それなりに勉強してるさ。もしかして、従兄殿のほうがたぶらかされたんじゃないのかい?」

 守役たちは何か誤解をしているようだし、やはりいろいろ失礼だ。

 草草がぬるく笑っている間にも、卓の話は進んでいく。


「この始末、どう付けてくれるんです?」

「どう付けるも何も、身に覚えのないことです。息子は花仙街に足を運ぶことも稀でございますし、それも旦那衆との宴のみ、終わればすぐに帰ります」

 中年女はねめつけるも、伯父にひるむ気配はない。徹底抗戦の構えらしい。穏やかながら静かな声は力強く、こちらから見える背中も堂々としていた。

 が、中年女はニタリと笑う。


「おや、それはどうですかねぇ。昨日の昼過ぎ、花仙街で若主人を見たって者がいるんですけどねぇ」

 これに、縮こまった従兄の肩がびくりと跳ね上がった。伯父は驚いた風に横を向き、中年女はここぞとばかりに畳みかける。


「知らぬは親ばかりなりってねぇ。こちらの若主人、天下の花仙遊郭に一人で来るほどの度胸はないのか、下女をお供にいらしたそうですよ。ですから、その娘に聞いてみてくださいな」

 中年女は鬼の首でも取ったようにせせら嗤った。

 まさか、本当のことなのか。いや、しかし。草草がジッと見つめると、従兄の背はさらに縮まり、肩はぶるぶる震え揺れ――ガタン!


「あの娘さんは下女じゃありません! 私の大切な人です! あの人は薬仙堂の若女将になるんです! 昨日は花仙街で大工仕事をしていたお父様と弟さんに、会いに行ったんです!」


 従兄が、怒った。坊ちゃんの目はぱちくりした。


「おや、お前、娘さんのご家族にお会いしたのかい? それなら私も挨拶に伺わなくては」

 伯父は、中年女のことなど瞬時に忘れてしまったらしい。娘の父と弟はどのような人だったのか、手土産は何がいいだろう、と従兄に詳しく問いかける。

 恋しい娘を思いだせば、従兄の怒りも吹き飛んだようだ。照れた風にもじもじと、けれど頬をほころばせ、娘に似て優しそうな人たちだったと惚気のろけだす。


 思いっきり話が逸れている。ふふふ、と楽しげに忍び笑った坊ちゃんは、中年女に目を向けた。


 女は、あきらかに浮かれた従兄と気合の入った伯父を見て、口をあんぐりさせていた。しばし目は二人をさまよい、それから、宙の一点を見据えると怖ろしげな顔になっていく。

 従兄たちの様子から、嘘はないと見たのだろう。すると嘘を吐いたのは、『相手は薬仙堂の若主人だ』と言ったであろう、店に出たこともない十三歳の娘、となるのか。

 妓楼を取り仕切っているらしい中年女が、そんな小娘に騙されたのだ。腹が立ちもするだろう。


 中年女は鼻を鳴らし、椅子も蹴るようにして立ち上がる。

 それでも客商売だからか。こちらが間違っていたようだと挨拶だけは丁寧に置いて、もちろん態度はふてぶてしく、さっさと店を出てしまった。


「従兄殿もなかなかやるねぇ」

 騒動が収まると、草草は満足顔でうなずいた。中年女を追い返した手柄は、間違いなく従兄のものだ。恋する男は逞しいと、妙な感心もする。

 けれど、と首をかしげる。妓楼の、十三歳の娘はなぜ相手が従兄と言ったのか。こちらが気にかかる。

 どう思う、と守役たちを見上げると。


「従兄殿は、もっと若い娘じゃなくていいのか?」

「きっと従兄殿は、若い娘も好きだけど優しい娘も好きなのさ」

 何かを誤解したままの、守役たちの珍妙なやり取りが飛び交っていた。





「坊ちゃん、今日は寒い。外に出るなら仙山から送ってもらった、あのはら巻きをしませんか?」

「あんなはら巻きをしたら、坊ちゃんがまん丸になるじゃないか。恰好悪いよ。でも、風邪をひいても困るねぇ」

 眼光鋭い迫力顔が心配そうに傾くと、美麗な顔の、一方の眉は小難しげにつり上がる。

 午後、では散歩に出かけようと準備をしていた草草は、苦笑いだ。


「狼君が選んでくれたはら巻は暖かいよ。虹蛇に仙山から取り寄せてもらった着物もあるし、毛皮も羽織るから大丈夫だよ」

 腹をなでてそでをつまむ。ふうわり笑って見上げれば、鋭い眼光はいくぶん和らぎ、形よい眉は若干下がった。

 ちょっと足りなかったか。

「それに、あんまり厚着して汗をかいても良くないんじゃなかった?」

 これならどうだと、うかがうように眺め見る。

 と、眼光はひときわ鋭くカッと光り、眉は珍しく両方が、ぐぐぐっと持ち上がった。


「……そうでした、このままで行きましょう」

「そうでしたねっ、このままで行きましょう、このままで!」

 前回の風邪の原因を、『厚着させすぎだ』という従兄の勇気ある進言を、思いだしたのだろう。狼君はひどく重々しくうなずき、虹蛇も焦った風に賛同した。

 これで、まん丸になる事態は避けられたようだ。


 坊ちゃんは足取りも軽く部屋を出て、途中で出会った、こちらは自前のまん丸な白玉をなでてやる。それから店へ。


「あれ? 健優けんゆう殿じゃありませんか。どうしたんですか?」

 店の端にある卓で、今度は来幸屋の次男、健優とそばに控えた姉やが、ついでに透きとおった霊の妻が、従兄と伯父と向き合っていた。



「まずはこちらを読んでください」

 客の応対があるからと呼ばれた伯父に入れ替わり、草草が腰を下ろす。もちろん守役たちも、両隣をしっかり陣取る。

 困った感じの健優が差しだしたのは、一通の手紙だ。そこには、こんなことが書かれてあった。


 このたびの事、予定通りに行かなくなった。金梅楼の女将に問いただされた娘が、来幸屋さんではなく薬仙堂さんと答えてしまったらしいんだ。せっかく面倒を引き受けてくれたのに、申し訳ない。

 ひとまず娘はかくまった。こちらはしばらく大丈夫だと思うが、金梅楼の女将は薬仙堂さんに乗りこむだろう。今は街が大騒ぎで、私は下手に動くことができない。

 すまないが健優殿から薬仙堂さんへ、事情を話してもらえないだろうか。あとで私もきっと謝りに行く。

 申し訳ない。頼む。申し訳ない。


 手紙の主はずいぶん慌てていたのだろう。文字は乱れ、文章にもまとまりがなかった。文面から健優と親しいのだとも思われた。

 内容のほうは、『金梅楼の女将』というのが先ほどやって来た中年女、『娘』は店に出たこともない十三歳の娘、だろう。この娘に手を出した相手が、いや、相手役を引き受けたのが健優だ。

 すると、と草草は小首をかしげて健優を見やる。


「この手紙の主は妓楼の……」

「花仙街にある、白華楼の楼主(主人)です」

 眉尻を下げた健優は、けれどいつもどおり、おっとりと話し始めた。



 ――事の起こりは、もう三月も前のこと。


「健優、頼みがある。金梅楼にいる娘を、身請けしてやってくれないか? 金は私のほうで用意する。頼む!」


 久方ぶりに友を訪ねた健優は、挨拶をする間もなく、深々と頭を下げられキョトンとした。

 友は、まだ若いながらも亡父の跡を継いだ、白華楼の楼主だ。それがなぜ、他の妓楼の娘を身請けしてほしいなどと頼むのか。しかも金まで払うと言う。

 日ごろは飄々ひょうひょうとした友の真剣な姿を前にして、健優は困惑する。

 友の隣には、深く深くこうべを垂れる妻もいる。

 その妻が、顔を上げて話しだす。


「その娘は、私の妹です」

 妹は、父の借金のかたに売られてしまった。

 私を売ったとき、これからは必ず真面目に働くと、あれほど固く約束したのに。たから私は売られてきたのに。それなのに、あの男は妹までも売りとばした。


 妻の顔は悔しげだ。きつく結んだ手は震える。友の手が、気づかうように重なり包む。

 それを見て健優は、なるほど、とうなずいた。


 今でこそ白華楼の女将に納まるこの妻は、花仙街にいる多くの女と同じように、娼妓になるはずであった。

 それを売られきて僅かあと、友が妻にと請うたのだ。

 娼妓は大切な商売道具。当時は白華楼の楼主だった友の両親はもちろんのこと、花仙街中が反対した。

 しかし友はかんばった。

「私がこの娘とここから逃げたら、父さんたちも楼主ではいられないよ!」

 と親を脅しもした。

 そしてついに、

「そんなに嫁にしたいなら、この花仙街の売り上げを倍にしな!」

 因業婆とも噂された母から、この言葉を引きだす。到底無理と思えるこれを、友は見事に成してしまった。


 花仙街は周りを塀にめぐらされ、出入口は表門と裏門のみ。客は表門から入ってくると、目につくのが、この遊郭の治安を守る無骨な男衆の詰め所であった。

 まず友は、ここに娼妓たちの絵を掛けた。

 艶やかで、華やかながら儚げで、世の人々があまり見たことのない美人画だ。

 それもそのはず。今、黎の絵師には男しかいない。しかし美人画の書き手は女だった。今は友の妻となった、当時は売られて僅かの娘だ。

 この妻が暮らした家の近くに、来仙でも高名な絵師がいた。

 普通なら、女に絵は教えなかっただろう。が、この絵師は、亡くした娘も絵が好きだったと、もっと描かせてやれば良かったと、そう言って手解きしてくれた。きっと妻自身にも才があったのだろう。

 この絵が、まずは評判となった。客が来た。


 つぎに友は、売れっ子娼妓の番付表も作り貼りだした。上位の娼妓を『花仙』と称し、それぞれの得意で『詩花仙』『歌花仙』『踊花仙』と持てはやして泊をつけ、いっそう客を引きつけた。

 やがて友は、花仙らが一堂に集う花仙行列、さらには盛大な花仙宴を催すにいたり、来仙中の旦那衆を呼びこんだ。花仙行列は今も続く、花仙街の売り物となっている。


 実際、売り上げが倍になったかはわからない。しかし花仙遊郭の楼主らは、友の才覚を認ていた。

 妻も、女絵師としての評判を得た。美人画は手頃な値で売りだされて広まり、町娘の縁談用にと、絵の依頼まで来るようになっていたからだ。

 こうして二人は夫婦になった。わけだが――


「もう、無理を通すことはできないね」

 健優は友らを見る。

 友とこの妻は、花仙街に利をもたらして許された。しかし妻の妹は、何もしていない。

 それに、かつての友は楼主の息子だった。出来の悪い息子でも、許される立場だった。

 だが、この楼を取り仕切る主となった今、そんな勝手は許されない。


「わかった、私が身請けするよ」

 健優がおっとり笑ってうなずくと、友は卓に額を押しつけた。




「そういう事でしたか」

 話を聞き終えた草草は、感心した風にうなずいた。

 この一等繁華な通りでは、娼妓の身請け話は珍しくもない。けれど、やはり褒められた話でもないのだ。

 その不名誉を健優は、あっさりと引き受けたらしい。

 それだけではない。彼自身、今後後妻をもらうことになれば、妾の存在は邪魔にしかならないのだ。


 健優は友を助けたかったのだろう。この御仁のことだ。身請けした娘の肩身が狭くないよう、家人にも事情を話し了承を得たのではないか。

 話が出たのは三月ほども前のこと。この三月で、みなを納得させたのだ。娘のための、居場所も作ってやったのだろう。


 ちらり。姉やをうかがえば、困った風な笑い顔は誇らしくも見えた。『坊ちゃまはお優しい』と、はっきり顔に書いてある。霊の妻も、胸が若干反っている。

 ふふふと笑った草草は、でも、と首をかしげた。


「その娘さんは、どうして来幸屋さんではなく薬仙堂と答えたんでしょう?」

 楼主の手紙には『女将に問いただされた娘が』とある。おそらく、こんな段取りだったのだろう。

 娘に送った手紙、あるいは贈物を、女将が先に見つけて相手は誰だと問いただすように仕向ける。きっと金梅楼には協力する者があるのだろう。

 娘はしばらく口をつぐみ、ようやく来幸屋だと答える。

 草草がここまでを言うと、守役たちと従兄の顔は不思議そうに傾いた。


「坊ちゃん、どうしてそんな面倒なことをするんです?」

「来幸屋が身請けしたいと言いだせば、間違いは起きなかったし、あの因業女将が薬仙堂に来ることもなかったんですよねぇ?」

「本当に、下女だなんて失礼です!」

 先ほどの中年女――金梅楼の女将を思いだしたらしい。鋭い眼光はギラリと煌めき、形よい眉はつり上がる。従兄の、ごく普通の目と眉にも力がこもったようだった。


「たぶん因業……女将を納得させるためだよ」

 坊ちゃんは自身の失礼な言い間違いを、さらりと流して話を進める。


 健優と、店に出たこともない十三歳の娘。

 二人の関係は、女将にとっては寝耳に水だ。妓楼を取り仕切る立場としては、おもしろくないに違いない。来幸屋が身請け話を持ちだせば、女将は渋り、値をつり上げてくるかもしれない。だから。

 この関係を女将が見つけ、怒鳴りこみ、健優は唯々諾々と従った。こういう形にすれば、彼女の溜飲も少しは下がり身請け話も進むはず、と考えたわけだ。


「あぁ、そういう事でしたか」

 ここでなぜだか健優が、感心した風にうなずいた。

 今までわかっていなかったのか、いや、彼は気にしていなかったのだ。相変わらずの、のん気っぷりだし友を信じているのだろう。

 くすりと笑った草草は、それで、と話を戻す。なぜ娘は薬仙堂と答えたのか。


「手紙を届けてくれた人の話では、惚れた相手は誰かと聞かれ、娘さんは『薬仙堂さんの若主人』と答えて、慌てて口をつぐんだらしいです。本当なら、来幸屋の若主人の弟、と答えるはずだったんですがねぇ」

 本人なりに焦っているのかもしれないが、健優の顔はのんびりかしいだ。一方で、坊ちゃんの瞳はきらりと光る、が。

 そばから、姉やが怖れながらと口を挟んだ。


「それよりも今は、これからどうすればいいのかを、考えるべきではないでしょうか?」

 ギラリ、くいっ。坊ちゃんの話を断ち切る形になったせいか、守役たちが姉やを睨む。

 草草はそんな二人をなだめつつ、そのとおりだとうなずいた。


「こうなっては、身請け話は持ちだせません。従兄殿が身請けするわけにはいきませんし、健優殿では唐突すぎますからね。となると、無理にでも助けだすしかないんですが」

 とみなを見やった草草は、楼主の手紙を指し示す。


「ここに『ひとまず娘は匿った。こちらはしばらく大丈夫』とありますよね。この言い方、わりと自信がありそうに思えませんか?」

 予測外の失敗に、白華楼の楼主夫妻は焦っただろう。事実、手紙は乱れている。にも関わらず、だ。

 彼らは、塀に囲まれた遊郭で、その地を知り抜くはずの金梅楼の女将であってもしばらく見つけられない場所に、娘を匿うことができた。


「その前に、楼主さんたちは娘さんに、どうして来幸屋さんと薬仙堂を間違えたのか、きっと聞いたと思うんです」

 一旦、口を閉じて見まわすと、みなの顔がうんと揺れ、草草はまたしゃべりだす。


『惚れた相手は誰なんだい!?』

 女将の激しい詰問に、娘はジッと耐えただろう。すぐに答えを返しては、おそらく信じてもらえない。

 長い時間責められて、十三歳の娘は怖ろしかっただろう、気の遠くなる思いもしただろう。『来幸屋の若主人の弟』と心の中で繰り返しつつ、誰かに、たとえば今問われている『惚れた相手』に縋っていたかもしれない。

 そうしてつい、本当のことを口走ってしまった。


『……薬仙堂さんの若主人』


「え?」

 驚いた風な従兄に向けて、ゆるりと首をふってみせる。

「娘さんは、ここで慌てて口をつぐんだそうですが、実はこう続くはずだったんじゃないでしょうか」


 ――薬仙堂さんの若主人、の義弟おとうと


「へ?」

 かぱり。口の開いた従兄を横目に、草草は指をピンと立てた。


 午前中の様子から、金梅楼の女将は人の嘘を見抜くのが得意そうであった。その女将を、娘は見事騙してみせた。だが、娘が本音を言ったのだとしたら、信じてもらえて当然だ。

 では、娘が『惚れた相手』は従兄なのか。しかし彼には心当たりがない。ならば花仙街で働いていた、心優しい娘の弟、従兄の未来の義弟だろう。

 娼妓になるため稽古事に通う娘と、大工仕事をしていた義弟。二人が出会った可能性はある。

 それに遊郭の中で、ほかに薬仙堂に関わる者はいないのだ。


「これを聞いた楼主さんたちは、こう考えたんじゃないでしょうか?」

 大工も働く半端な家に、娘を匿ってはどうだろう。そんな所にいるなんて、きっとなかなか思いつかない。

 大工の親子と薬仙堂の関係も、金梅楼の女将は知らないのだ。


「え……では」

 さあ、と、従兄の顔から血の気が引いた。彼は午前中、女将にこう怒鳴ってしまっている。

『あの人は薬仙堂の若女将になるんです! 昨日は花仙街で大工仕事をしていたお父様と弟さんに、会いに行ったんです!』

 これで、薬仙堂と大工の親子のつながりが知れてしまった。だから。


「草草様のお考えが正しかった場合、女将が気づいてしまうより前に、娘さんを助けなければならない、ということでございますね」

 姉やが納得顔でうなずいた。

 草草もうなずきを返し、もし考え違いをしていたら、と守役たちを眺め見る。


 鋭い眼光はギラリと煌めき、切れ長の目は針のように尖っていた。坊ちゃんの考えが正しいに決まってる、とでも思っているのだろう。

 相変わらずの守役たちに、その絶大な信頼に、嬉しくもぬるい笑みが浮いてくる。

 もし考え違いをしていたら、そのときは二人の仙に忍びこんでもらい、楼主夫婦に聞けばいいのだ。


「では、僕たちは花仙街へ行ってきます」

 ちょうど散歩に出かけようとしていたから、外出の準備も整っている。にっこり笑った坊ちゃんに、健優の顔がおっとりかしいだ。


「草草殿、娘さんを見つけるのはいいんですが、どうやって花仙街から連れだすんですか?」

「……」

 そこは忘れていてほしかった。

 来幸屋ののんびり屋の次男は、案外しっかり者のようである。





「坊ちゃん、足元に気をつけてくださいね」

 狼君が心配そうに見守る中、虹蛇にうやうやしく手を引かれ、瓦へそっと足を乗せる。それから下を眺めまわす。

「へえ、ここが花仙街かぁ」

 坊ちゃんの瞳はきらきら輝き、顔には笑みが浮いてきた。


 草草たちは今、来仙で一番上等な遊郭の、屋根の上にいた。

 男なら、花仙街に出入りするのはそう難しいことでもない。しかし、まだ陽も高い今の時間は裏門しか開いていない。人通りもあまりない。そこを、只ならぬ貴人と武人と策士が通れば、まず間違いなく覚えられる。

 この閉ざされた遊郭から娘が消えるであろうとき、薬仙堂の三人が訪れていた、となると後々面倒だ。

 そこで、羽衣製の着物で浮かび、二人の仙の力を借りて、塀を乗り越え屋根の上へ。


 見わたせば、長い塀がぐるりと囲む一帯は、屋根が整然と列をなしている。並ぶ妓楼の壁は純白、柱や扉、窓のすべては紅く染められ金の飾りがついている。

 軒下には、たくさんの行灯あんどんが規則正しくぶら下がり、夜、明かりが燈ったなら、さぞや美しい眺めになるだろうと思えた。だからこそ、白昼に晒された整いすぎた花仙街は、何だか冷たく、もの悲しくも見える。

 が、そんな坊ちゃんの感慨は、守役たちには伝わらなかったらしい。


「坊ちゃん、手が冷たいですよ。大丈夫ですか?」

 草草の手を、虹蛇の手が包みこんだ。

 実は、本性が蛇のせいだろう、この仙の手はそれほど暖かくない。夏はひんやり心地よいが、冬なら断然、狼君だ。

 けれど、そんなことはおくびにも出さず、坊ちゃんはありがとうと礼を言う。本当のことを言ったなら、間違いなく虹蛇は落ちこむ。


「坊ちゃん、これを巻きませんか?」

 狼君はずいっと、一抱えもある毛糸の束を差しだしてきた。仙山から送られた、長い長いはら巻である。わざわざ持ってきていたのだ。

 どちらかといえば、大狼になってもらってまたがるほうが良いのだが、こちらの仙は落ちてしまわないようにと、自分ごと草草をぐるぐる巻きにしそうだ。

 結局、坊ちゃんはほほ笑みながら首をふる。


「じゃあ、娘さんを探そうか」

「そうですね。たまにはこんなところを散歩するのも、気分が変わっていいですねぇ」

「屋根の上を飛んでるだけじゃ、坊ちゃんの運動になりません。あとで少し歩きましょう」


 守役たちにとって、この捜索はあくまでも、坊ちゃんの散歩のついでであるらしい。

 それでも狼君は耳をすまし、釘を打つ音がする、と一方を眺め指す。草草がトンと屋根を蹴ると、ふわり、体が少し浮く。その手を虹蛇がしっかり握り。

 ぽぉん、ぽぉん、と三人は、屋根の上を跳ね駆けた。



「あそこだね」

 屋根の上からそっと見下ろす。そこが目的の場所に違いないと、草草はすぐにわかった。

 見えたのは、屋根と壁はすでにあるが、扉と窓のはまっていない建物だ。入口の前を、丈の短い着物を着た大工たちが陣取っている。その彼らを――


「娘がここに隠れてるね! もう察しはついてるんだよ。さっさとどきな!」

 男衆を引き連れた、あの女将が怒鳴り散らしていたからだ。

 薬仙堂を去ってから、ずいぶん時間が経っている。この遊郭を散々探しまわったのだろう。かなり苛立っている様子だ。金切り声のうるささは、薬仙堂で聞いたものの比ではなかった。

 坊ちゃんの耳を、虹蛇の手がそっと覆う。


「ここは金梅楼さんの物じゃないだろう。勝手に入ってもらっちゃ困るな!」

「そうだ! さっさと帰ってくれ、仕事の邪魔だ!」

 しかし大工たちも負けてはいない。女将や男衆と睨み合う。

 その中に、若者の姿もあった。今は必死なのだろう。怖い顔をしているが、元は人の良さそうな、優しげな顔立ちと見えた。彼が、十三歳の娘が惚れたらしい、従兄の未来の義弟のようだ。


「ふんっ、今、うちの若い者が断りを入れに行ってるよ! どうせ娘は見つかるんだ。あんたたちこそ、さっさとどいたらどうだい!?」

 金切り声がふたたび響き、虹蛇の手が覆う耳にも容赦なく入ってくる。早く娘を見つけなくては。

 草草の目は建物をさまよう。


「坊ちゃん、あそこです」

 片方の耳から手が離れ、指しているのは二階の端。そちらもまだ窓はなく、階段と、そばにうずくまる女の姿が見えていた。

 小柄な背中はゆれ動き、どうも震えているらしい。女将を怖れているのだろう。


「姐さん! 入っていいそうです!」

「娘を見つけな!」

「入らせるか!」

 この建物の、主人の許可を得たのだろう。若い男が駆けてきて、女将が叫び、男衆と大工はぶつかる。

 もう猶予はない。ここで坊ちゃんは――


「狼君、はら巻!」

 娘を見つけた時点で立ち上がり、構える姿をとっていた狼君の手から、長い長いはら巻が伸びた。

 ぱさり、うずくまった背中にかかると、ぐるりぐるり、どんどん娘に巻きついていく。

 このはら巻は、羽衣製の着物と同じく神界で作られた品。下界の者が身にまとえば、それは体を締めつける。せっかく持ってきたのだし、ちょうど使えそうだと思ったのだ。

 しっかりと巻きついたはら巻を、狼君が一気に引き寄せる。


「もうっ、逃げられないよ! ……おかしい、ねっ、どこに、いるんだいっ?」

 駆け上がってきたのだろう。歳のせいか、誰もいない二階から、だいぶ息切れした風な金切り声が聞こえてきた。



 ――翌、早朝のこと。


 まだうっすらと明るいばかりの、来幸屋の裏手の水路に、一艘の小舟が浮かぶ。

 乗りこんでいた健優がおっとり笑うその横で、小柄な娘がジッとこちらを向いていた。


 昨日、花仙街から消えた娘は、今日、来仙からも姿を消す。

 行く先は仙寿村。健優が用意してくれていた、遊郭の手も及ばない場所だ。娘は仙寿村にある来幸屋の支店で働くという。

 生まれた家に戻っても、また売り飛ばされてしまうかもしれない。ならば、と。

 白華楼の女将の姉も、遊郭から逃げた妹も、父に見切りをつけたようだ。


 見送りにきたのは草草たちと従兄、そして心優しい娘の一家だ。この場に、白華楼の楼主夫婦の姿はない。

 大事な妹がようやく遊郭を出たのだ。もしやって来て、金梅楼の女将に知れてしまったら……

 会いたい気持ちを呑みこんで、妓楼からこちらを、そっと見送っているのだろう。


「お気をつけて」

 草草が声をかける。従兄も、心優しい娘たちも、続けて言葉を投げかける。

 しかし娘の向く先は、一点であった。大工見習いの、十三歳の娘が恋した、従兄の未来の義弟だ。


「あ、雪……」

 今年初めての、雪がはらはら落ちてくる。草草が手を伸べたそばで、二人はただただ見つめ合う。

 これが今生の別れ――かどうかはわからないが、金梅楼の女将が元気なうちは、娘が来仙に来ることはない。


「では、行きましょう」

 健優の穏やかな声で、小舟はゆっくり離れていく。

 娘がふたたび訪れるのは、十年先か、二十年先か。それほどの時が経てば、二人は別の人生を歩んでいるだろう。


「……元気でな!」

 義弟の声が朝のしじまを震わせる。少しあと、応えるように娘の手は何度も何度も大きく揺れ、雪が姿を隠していった。

 たとえ別々であったとしても、ふたたび会えたとき、互いに笑顔だったらいい。

 手のひらの雪が溶け、そんな風に草草は思った――のだが。


「坊ちゃん、風邪をひかないうちに早く帰りましょう」

「帰ったら火鉢を並べて、熱い茶を淹れますね」

 守役たちは、いかなるときも坊ちゃん一筋。若い二人の別れには、何の感傷も覚えなかったらしい。

 心配そうな迫力顔と、気づかいまじりの美麗な顔が、さあ帰ろうと草草をうながす。


「あの、よろしければ薬仙堂に寄っていきませんか? その、雪も降ってますから寒いでしょうし」

 もう一人、別れる二人より、これからの二人のほうが大切な人物がいた。もちろん従兄だ。心優しい娘一家をがんばって誘っている。


「お茶なら僕、来幸屋さんで買ったのがいいな。みなさんも、一緒に行きましょう」

 そして坊ちゃんも――先ほどは確かにしんみりしていたのだが、今はけろりとした顔で、ついでに菓子など所望していた。



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