第二十一話 狸の失くし物
「もう秋も終わりだねぇ」
ひょう、と、冷たい風が草草の顔をなでつけた。わずかに首をすくめると、ふっかりとしたえり巻きが暖かく頬を包んでくれる。
ふふ、と笑い器用に目だけを動かして、辺りを見れば、人、人、人。
西市の大きな広場には露店がずらりと立ち並び、多くの人で賑わっている。
もうすぐ冬、雪が降る。近くは仙恵、望仙から、遠くは黎の都から、果ては砂漠を越えた西方から、やって来ていた商人たちの足は止む。
この数日は来仙の、今年最後の市なのだ。
「混んでますねぇ」
「邪魔ですね」
広場の入口に立つ、虹蛇の形よい眉がくいっと持ち上がった。狼君の眉間にも、ぐっとしわが寄っている。
きっと、これでは坊ちゃんが歩きにくいと、ちょっとばかり風でも吹かせ人の数を減らそうかと、そんな物騒なことを考えているに違いない。
「……狼君、虹蛇、僕は大丈夫だよ。それに、人が多いほうが寒くなくていいんじゃないかな?」
にこりと笑ってみせれば、なるほど、と守役たちは納得顔になった。ついでに、さすが坊ちゃんなどと褒めたりもしている。
これで『広場に暴風が吹き、なぜだか客だけが飛ばされた』といった奇妙な話が来仙を賑わすこともないだろう。
よし、とうなずいた草草は、意気揚々と市へ繰りだす。これを守るようにして従う守役たちも、やる気満々といった様相だ。
「これから寒くなるので、坊ちゃんが風邪をひかないように、はら巻きが必要ですね」
厳しく吟味しているらしい。狼君は眼光鋭くはら巻きを、いくつも手に取りギラリと見やった。
いったい何枚、坊ちゃんの腹に巻くつもりなのか。草草は腹ばかりがこんもりとした、冬場の自分を想像する。
「下界は仙山よりも寒いですからねぇ。帽子に耳あて、手袋は持ってきたから、このぶ厚い着物を買いましょうか」
虹蛇はいまひとつ、品に不満があるらしい。着物をつまんで綿の入りを確認してはうなずいたものの、それをぶら下げ眺めると、首をかしげた。
着物が綿で膨らんでいるから、野暮な感じに見えるのだろう。
草草はそれほど見た目を気にするわけでもないが、先ほどのはら巻きの上に、ぶ厚い着物をまとった自分を想像してみた。
今度は全体が、もこりとしている。
「うぅん……」
坊ちゃんの口から、うなりがもれた。
下界の冬がどれほど寒いか知らないが、ここに毛皮を羽織るとなると白玉のごとくまん丸になる。ものすごく動きにくそうだ。
けれど薄着して、風邪をひいてしまったら――守役たちはこの世の終わりかと思うほどに大騒ぎし、父神と母は見舞いの品をせっせと送りつけ、なぜか従兄はひどく疲れる。これもいけない。
「うぅん……」
「坊ちゃん、疲れたんですか? やはり人を減らしますか?」
「我の背に負ぶさりますか?」
心配そうな迫力顔と、気づかいを含んだ美麗な顔にのぞきこまれ、草草はすぐさま首をふった。
ゆらりと、狼君の体のまわりに風が湧き起こっているからだ。もちろん虹蛇に、相方を止める様子は微塵もない。坊ちゃんを背負おうと、こちらへ背中を向けてくる。
草草は、ぬるく笑って大丈夫だと念を押す、と。
「坊ちゃん、あそこにいるの、妖物ですよ」
虹蛇が尖った声を出し、いち早くふり向いた狼君の鼻は、すんっと鳴った。
「狸、ですね」
二人の仙の向く先には、小柄でずんぐりとした男の背中があった。露店の主と話し合っているようだ。いや、狸の妖物らしい男が何事かを問い、主はうるさがっている風に見える。
何だろう、気になる。
草草はちらり、まずは守役たちをうかがった。
狼君の眼光は鋭く光り、しかし眉間のしわは深くない。妖物だからと警戒はしているが、嗅ぎとった本性は臭くない、ということか。
虹蛇も目は針のように細くなっているが、眉の上がりっぷりはそれほどでもなかった。こちらの仙にとっても嫌な気配ではなさそうだ。
が、何といっても過保護な二人だ。妖物に近づくことを賛成してはくれないだろう。さて、どうしようか。
「このぶ厚い着物を着たら、僕もあんな風になるのかな?」
虹蛇の手元を眺め、妖物のずんぐりとした背中を指し、草草はぽつりとこぼしてみた。
守役たちの目は、虹蛇が抱えたぶ厚い着物へ。これを着た、丸い坊ちゃんを想像したのだろう、表情は微妙なものに変わっていく。
おそらく『丸い坊ちゃんは動きにくい。転んだらまずいな』『坊ちゃんが丸くなるなんて、そんな恰好の悪いことさせられないよ』などと考え、けれど風邪の心配もし、おおいに悩んでいるのだろう。
この隙に、草草は狸の男へ。そろりそろりと近づいていく。
「坊ちゃん? どこへ行くんです!?」
「おっ、お客様! お代がまだ」
「ちょっ、釣りはいらないよ! 坊ちゃん!」
背後の騒ぎを聞きながら、坊ちゃんはにんまりと笑った。今回は説得するのではなく、珍しく出し抜く作戦だ。
少し前、久しぶりに仙山へ戻り、織女蜘蛛が反省していたという昔話――赤子の草草の『だぁ』と『にぎっ』で守役が決まった話だ、を聞いたせいか。ちょっぴり童心に返ったらしい。
妖物までもう少し。と、くるり、狸の男がふり向いた。
案外若い。まだ幼さも残る、いかにも人の良さそうな顔はまっすぐこちらを向いている。草神の力を感じ取ったのか、目はまん丸に見開かれ、両手はさも大事そうに何かの包みを抱えている。
見つめ合うことわずか。草草の軽やかだった足取りは、ぴたりとその場に留まっている、と。
妖物が、意を決した風にドタドタと、坊ちゃん目がけて駆けてきた。
「あのっ、きっと名のある方ですよね!? 相談に乗ってもらいたいことがあるんです!」
「お前、坊ちゃんに近づくな!」
「坊ちゃん! こっちへ!」
優しげな仙人のごとき草草しか、妖物の目に入っていなかったのだろう。しかしあっという間に追いついた、眼光鋭い狼君と眉のつり上がった虹蛇に気づき、怖れをなしたらしい。
「ひいっ」
ばたり、倒れてしまった。
「……この人、大丈夫かな?」
狸だからか、これが死んだふりなのか。坊ちゃんは心配ながらも興味津々、固まった感じに寝転がる、ずんぐりとした若者をうかがう。
「坊ちゃん、近づいちゃダメですよ。ここにもまだ何かいます」
警戒したままの虹蛇が、草草をそっと遠ざける。狼君は、妖物の抱えた包みをさっと開く。
「きゅ」
かくり、中にいた、可愛げな子狸まで倒れてしまったようだった。
*
「従姉殿、突然お邪魔してすみません」
「いえ。草草様、外はお寒かったでしょう。お茶でもどうぞ」
湯気の立つ茶を差しだされ、草草はにっこり笑って礼を述べた。
ここは従姉夫婦の営む菓子屋だ。倒れてしまった狸の若者と子狸を、広場に近いからと、こちらへ運びこんだのだ。
その途中――
『坊ちゃんが我らを出し抜くなんて……』
『俺たちが坊ちゃんを一人で歩かせるなんて……』
切なげな、美麗な顔は横にゆれ、悔恨の迫力顔はうなだれる。
草草は精いっぱい心の底から詫びを入れつつ、守役たちの機嫌を取る。そして思った。ちゃんと説得したほうが、よほど簡単だったと……
もうこの手は使わない。嘆き、消沈する二人を見ながら坊ちゃんは、内心密かに決意した。
妖物たちを菓子屋へ運んだ理由はもう一つ、あった。
「狸休、大丈夫よ。草草様は優しくて賢いから頼りになるし、狼君様と虹蛇様は思ったよりも怖くないんだから」
「そ、そうなんですか?」
藤狐の取りなしで、狸の若者――名を狸休という、は、恐る恐るといった感じに二人の仙をうかがった。
それでも素直な性格なのだろう。彼女の言葉を信じたようで、おずおずと丸い顔を上下にゆらし遠慮がちに挨拶をする。
ここには狐の妖物、藤狐がいる。狐と狸の違いはあれど、妖物仲間がいれば狸の若者も落ち着くだろう。草草はこう思ったのだ。
それに子狸もいる。ただの子狸ではなく、妖物の子狸だ。長生きの末に妖の力を得た白玉とは異なり、こちらは生まれながらの妖物だろう。おそらく親もそうなのだ。
もし狸休がなかなか目を覚まさなかった場合、この子狸の世話も含めて、藤狐に相談しようと考えていたわけだ。
今、狸休は無事に起き、子狸は抱えられてとっくりとしている。
その子狸がひたすら坊ちゃんだけを見てくるのは、ただ興味があるからか。あるいは両隣の二人の仙が怖すぎて、あえて坊ちゃんだけを目に映しているのか。
草草がにこりと笑うと、子狸はパチリと瞬く。前足をもぞもぞと、こちらへ伸ばし「きゅん、きゅん」と声を立てた。
「あ、お腹が空いたかい? ちょっと待ってるんだよ」
狸休がふところを探り、大事そうに取りだしたのは小さな皮袋だ。吸口がついており、差しだすと子狸はしゃぶりつく。
「乳の匂いがするな」
「その袋、妖の力を感じるねぇ」
狼君の鼻がすんと鳴り、虹蛇の目は細く尖った。
まだ怖いのだろう、狸休の体はびくりと跳ねる。けれど皮袋に吸いつく子狸を見れば、丸い顔に笑みが浮く。
「これは俺の母さんが、残してくれた袋なんです」
狸休の母は化け狸であった。だが少し前、子狸を守るためにずっと大きな鷲と争い追い払いはしたものの、大きな傷を負ってしまい亡くなったという。
その母が、最後の力をふりしぼって残してくれた品の一つが、この『乳袋』であるそうだ。
「この袋のおかげで、妹は元気に育ってます」
少しかげりを見せた狸休は、それでも嬉しげに笑った。
彼の姿は十五歳ほどか。意図して化けたのでもなければ、人としてはそれくらいの、若い妖物なのだろう。妹もまだ乳飲み子だ。母を恋しいと思うこともあるだろうに、健気な若者と思える。
柔らかく、草草もほほ笑む。
「へえ、その子狸、妹なのかい。坊ちゃん、従兄殿の嫁の候補にいいんじゃないですか?」
「え?」
しかし、虹蛇の興味は思わぬ方向へ逸れたらしい。突然の言葉に、坊ちゃんはきょとんとした。
従兄には恋しい娘がいるのだし、子狸はまだ乳飲み子であるし、そもそも人でもないのだし……などと考えている間にも守役たちの話は続く。
「従兄殿の嫁なら、白玉がいるだろう」
狼君は、従兄が想う、金貸しの爺のところで働く娘をすっかり忘れているらしい。
「白玉が従兄殿を気に入るかどうか、わからないじゃないか。それに従兄殿は、若い娘が好きそうだったしねぇ」
虹蛇はおそらく仙寿村で、従兄が仙恵の六歳になる娘と仲良くしていたことを、思いだしているのだろう。
この仙にそのつもりはないと思うが、全体的に、従兄に対して失礼だ。
「……」
坊ちゃんの笑みはぬるくなったものの、この場に従兄はいないのだし、嫁の候補は多いほうがいいのだし、まあいいか、と流していた。
これを従兄が知ったなら、きっと嘆いたに違いない。
茶をすすって一息入れ、菓子をつまんで頬をゆるめる。草草は、それで、と狸休をうかがった。
この若者は、先ほど広場で『相談に乗ってもらいたいことがある』と言った。それはいったい何なのか。
「実は……」
ここで子狸が、乳を飲み終えたのだろう、くぷっと満足げな音を立てた。狸休は笑ってなでてやると、乳袋を見て眉を落とす。
「母さんが残してくれた大切な金袋を、失くしてしまったんです」
「金袋?」
小首をかしげた草草に、若者は悲しそうにうなずいた。
金袋とは、中に入れた物を金に変える袋だそうだ。
小石を入れておけば、人が使う銭になる。木の実を入れれば黄金になる。取りだすと翌日、それは元の小石に、木の実に戻る。
そろそろ冬、狸休は穴ごもりの支度をしようと二日前、山を下りて来仙に来た。
母と何度か来たことはあるし、市の場所も覚えている。それでも幼い妹との二人きりは心細く、びくびくしていたそうだ。だからなのか。
『あ、あの、この綿の入った着物をください』
妹の子狸を包むのにちょうど良さそうな着物を見つけ、黄金の粒を差しだした。
『……これ、本物か?』
しかし露店の主はそれを見て、顔をしかめた。
狸休の態度に加え、彼の着物も黄金とは縁のありそうにない、庶民の装いだったからだろう。
しかも本物かと質されれば、本物ではない。素直な若者は動揺し、怪しまれ、ついに逃げだすこととなった。
――このままでは何も買えない。
金袋に銭は入っていなかった。狸休は黄金があれば何でも買えると思い、木の実だけをたくさん詰めてやって来たのだ。今から小石を入れたとしても、市が終わるまでに銭になるかどうか。
どうしようとほとほと困り、ため息をつく。そこへ。
『兄ちゃん、困ってるみたいだな。金はあるんだろ? 俺が買ってきてやるよ』
小鼻のほくろを掻きながら、にやにや笑う若い男が現れた。
「……それで、金袋を渡してしまったんだね?」
草草が言葉を引き継ぐと、狸休はしょんぼりうなだれた。
頼んだ男は戻ってこない。母が残してくれた、大事な袋も返ってこない。彼はこの二日間、市を歩いて、男を、金袋を、捜しまわっていたそうだ。
「なんて男だ」
ギラリと、狼君の眼光が煌めいた。狸休は身をすくませる。自分が怒られたと思ったのだろう。だが、それは違うと草草は取りなす。
この仙が憤っているのは、純朴な狸の若者を騙し、母の形見とも言える大切な金袋を盗った、小ずるい男に対してだ。
「あんた、マヌケだねぇ」
虹蛇は口の端を上げて、ふふんと笑った。けれど手は、坊ちゃんを追いかけるために買ってしまったぶ厚い着物へ。ぼすんと狸休に押しつける。
子狸を包むのに使え、ということだろう。
草草の守役という任を経てきたからか。いや、父神が守役に選んだのだ、元の気質であるのだろう。
二人の仙は、恩ある娘のかたきを討とうとした妖狐や、主人のためにがんばる白猫、妹を抱え母の形見を捜してまわる化け狸には、優しいのだ。
眉間にくっきりしわの寄った眼光鋭い迫力顔と、薄笑いを浮かべつつ、やはり不機嫌なのか眉のつり上がった美麗な顔では、その辺り、ちっともわからないが。
「も、もらっていいんですか?」
ぶ厚い着物を抱きしめた、狸休の丸い目がパチリと瞬く。
「いいんだよ」
坊ちゃんは、わが事のように胸を張る。そうして、ふうわりとした甘えた笑みを両隣に向ければ、狼君の目は嬉しげに細まり、虹蛇の耳は赤く染まった。
「でも、捜す場所は変えたほうがいいかもねぇ」
草草は菓子を口に放りこみつつ、くるりと目の玉をまわした。
金袋には黄金の粒ばかり。街中で使う庶民はまずいない。これが本物かどうか、騙し取った男も半信半疑だっただろう。だから、両替商へ行くはずだ。
本物ならば儲けもの。使いやすいよう素知らぬ顔で銭に替える。偽物だったなら、自分が盗ったことは隠し、狸休に罪を押しつければいいのだ。
盗られたのは一昨日。その日のうちに使ったなら、昨日、黄金は木の実に戻ったはずだ。どこかで騒ぎが起きているかもしれない。
「両替商は繁華な通りに多いから、薬仙堂の近くを聞いてまわれば……うぅん、もしかすると薬仙堂にいるだけで、何かわかるかも」
なじみの役人を思いだし、小首をかしげてこう言うと、狸休の目はまん丸に開いた。
「じゃあ、それまでここに居たらどう? あっ、奥さん、その、いいですか?」
従姉が優しげにうなずき、藤狐の厚ぼったい唇は嬉しそうにニッと伸びる。
丸い目から、ぽろり、涙がこぼれ落ち……
――きゅるぐるるぅ
ずんぐりとした腹が、盛大に鳴った。
金袋を捜しまわった二日間、狸休は何も食べていないのだろう。金がないから宿にも泊まれず、街の物陰にひそむ。妹を抱え、寒く怖ろしい夜を必死に越していたのだろう。
ぐずぐず、ぎゅるぎゅる、若者の立てる音は忙しない。
「少し早いけれど、夕ごはんにしましょうか。草草様方もご一緒に、いかがでございますか?」
従姉のこの提案に、坊ちゃんは嬉しそうにうなずいた。
*
「失礼する!」
翌朝、店を開けるとすぐ、無骨そうな役人が真面目な顔を引っさげて、薬仙堂を訪れた。
この秋結婚したばかりだからか、無駄に元気のいい声が響く。予想が当たったと草草は、にっこりと笑う。
金袋を騙し取った男はやはり、この繁華な通りの両替商で黄金の粒を使ったのだ。それは昨日、木の実に戻った。
両替商にしてみれば、無くなったのはたった一粒。主人は最初、泥棒よりも店の者がくすねたのでは、と疑ったかもしれない。が、当然のこと黄金は見つからなかった。訳のわからない木の実もある。
まだ暑い夏、この通りで外術使いが鼠を操り、金を盗む事件も起きた。
両替商はもしやと思い役人に、『薬仙堂の道士様に相談してみては』とでも進言したのだろう。
「お役人さん、いらっしゃい。さ、卓へどうぞ」
ついたての奥からいそいそと、坊ちゃん自ら出迎える。かつてない歓待に、役人は太い眉を上下に動かし目はぱちくりと瞬いた。
それから――
「――ということがあったんだ。それでだな、これが銭箱に残っていたんだが、草草殿なら何かわかるか?」
空の湯のみが四つ。ころり、間に転がったのは艶めく小さなどんぐりだ。
これまでの経緯は草草の考えていたとおり。
すべて知っていた二人の仙は、役人の話の間、暇そうにしていた顔をゆらりと動かしどんぐりを見た。
すん、と鼻を鳴らし、じ、と半眼を向ける。妖の力を感じたのだろう。今度はギラリと眼を光らせ、美麗な顔に笑みを浮かべ、坊ちゃんにうなずく。
「確かに、妖しい力を感じます。また外術でも使った悪者がいるのかもしれませんねぇ」
草草は、さも自分でわかった風な顔を作り、首をふってみせた。
「ぬぅ……するとだな、相手は妙な術を使う奴だ。申し訳ないが、また草草殿の力を借りたいのだが」
太い眉をぎゅっと寄せて眉尻は下げる、という器用で奇妙な顔になった役人が、こちらをうかがってくる。
ここで、いつもの守役たちなら『坊ちゃんに手間をかけさせるな』『あんた、そんなんだからいつまでも頭が回らないのさ』などと文句を言っただろう。
けれど今日は黙ったまま。それどころか、狼君は坊ちゃんに向けて満足げにうなずき、虹蛇はにこりと笑って坊ちゃんの茶をそそぐ。
実はここまでの流れ、草草の思惑どおりなのだ。
金袋を騙し取った男が捕まれば、狸休のこともバレてしまう。この若者は傍から見れば、偽金を使って人を騙そうとした、悪い化け狸だ。
案外なじみの役人なら、最初は太い眉をびくつかせ盛大に驚くだろう。が、ごく普通に説教をし、世の習いを教えもし、人と同じように扱ってくれる気がしないでもない。
しかし、ほかの者はどうだろう。妖物だからと殺そうとするのか、その力を利用してやろうと画策するのか。
だから。
「はい。及ばずながら、僕もお役人さんの力になれればと思います」
草草は、笑みを浮かせて請け負った。
先に男を見つけだし、虹蛇の力で暗示をかけてしまうのだ。黄金を騙し取った相手は、人の良さそうなずんぐりとした若者ではなく、『いかにも外術を使いそうな道士崩れ』だった、と思わせる。
金袋も取り戻し、男は役人に引き渡す。この男が告げるであろう居もしない外術使いは、残念ながら見つからなかった、という筋書きである。
「そうか、それはありがたい!」
何も知らない役人の、太い眉が安心した感じにゆるんだ。ふふ、ともらした草草は、まだ熱い、湯のみを手に取り小首をかしげる。
「それで、その両替商へ偽の黄金を持ちこんだのは、どんな人だったんですか?」
「店の者によるとだな、見慣れない怪しい客が一人いた。小鼻にほくろのある、若い男だそうだ」
ずずっと一口、うんとうなずく。金袋を盗られた際の、狸休の言と一致する。
ほくろの男も、黄金が木の実に変わるなど、思いもしなかったはずだから顔を隠しもしなかった。今もこの騒動を知らず、手にした金でのん気に遊びまわっているかもしれない。
その手の場所を探せば、案外すぐに見つかりそうだ。
「なるほど。では、男は外術を使うようですから、僕たちで捜してみますね」
役人から見れば、今のところ怪しいのはほくろの男、一人だけだ。まずはこの男が外術使いと思わせておき、こちらで先に捜してしまおう。これで筋書きどおりに事を進められるはず。
草草が笑みを深めてうなずくと、しかし無骨な顔は横にゆれた。
「いや、草草殿たちにだけ、押しつけるわけにはいかない。俺も一緒に捜す」
「いえ……」
「それにだな、両替商によると、男はゴロツキのようにも見えたそうだ。もしかすると外術使いは別にいて、男はその仲間かもしれない。妖しい術なら草草殿の得意だろうが、ゴロツキなら俺の出番だ!」
「ええ……」
役人の、ごつい拳がぐぐっと上がり、草草の口は半開きになった。
そういえば、この役人は職務に忠実だった。それに、真相は少々違うものの、なぜか今回に限ってなかなか鋭い。どうやら甘く見すぎていたらしいと、坊ちゃんの眉はちょっぴり下がる。
ここでうまく言いくるめたとしても、この真面目な役人なら一人で男を捜しそうだ。少々抜けたところもあるが、彼はやはり役人なのだ。ゴロツキを見つけるのはお手の物かもしれない。
「……では、一緒にお願いします」
できれば先に見つけたかったのだが、まあ、何とかなるだろう。草草はぬるく笑って茶をすする。
その両隣で、鋭い眼光がギラリと煌めき眉間にしわがくっきりと、形よい眉はきりきり上がり、ふんっと鼻も鳴っていた。
*
「へえ、この来仙にはまだまだ僕の知らない、いろんな所があるんですねぇ」
ひょうひょうと冷たい夜風が吹く街を、ふっかりとした毛皮に包まれ草草は、足取りも軽く闊歩していた。
ほくろの男を捜すため、無骨そうな真面目そうな役人が連れて行ってくれる場所は、どれも怪しげな店ばかり。
これまで、客層の良くないという酒場を覗いたことはあった。が、それは夕暮れよりも前のこと。夜になればこの手の店は、いっそう怪しさを増す。
転がるサイコロの目に一喜一憂する客たち。卓を囲んで札を持ち、互いの顔を探る風な男たちもいる。金が飛び交い、声も飛び交う。酒だけのせいではないだろう、妙な熱気を感じた。
中には、女たちが艶やかな笑みをふりまく店もあった。美しい薄布が垂れ下がり、奥にいるのはよほどの売れっ子なのか。客であるはずの男たちのほうが、うっすら見える人影の、機嫌を取っている風に見える。
これらを眺めた坊ちゃんの瞳は、好奇心からきらきら輝く。
『ねえ、ちょっと入ってみてもいい?』
『ダメです!』
ものすごい速さで却下されたが。
その守役たちは今、役人に延々と文句を垂れていた。
「早く男を見つけないと坊ちゃんが疲れる。寝不足になる。風邪をひく!」
狼君は、相変わらずの心配性を発揮する。
「もっと坊ちゃんに似合いそうな、上品でしゃれた場所に案内しなよ。坊ちゃんが疲れる前に、さっさと男も見つけるんだよ!」
坊ちゃん第一の虹蛇の、口をついて出てくる言葉はかなり無理な要求だ。
「つっ、次はきっと大丈夫だ」
三軒ほど空振りが続いたせいか、守役たちの顔が恐いからなのか。役人は若干たじろぎ、それでも力強く一軒の店を指した。
外からでもそうとわかる、賑やかで、妙な熱気も感じる怪しい酒場だ。虹蛇の要求――上品でしゃれた場所、は右から左へ抜けたらしい。
「じゃあ、また手はずどおりに」
「うぬっ」
草草がにっこり笑うと、役人は気合の入った返事をよこす。狼君は坊ちゃんを守るように立ちはだかり、虹蛇の手が戸を開ける。
実はこの捜索が始まる前、みなでこんな手はずを決めていた。
『お役人さんの言うとおり、男と外術使いが別人で、この二人が仲間なら一緒にいるかもしれません。お役人さんの姿を見て、妙な術を使われても困るので、まずは僕たちが店を覗きますね』
見つけたなら、草草たちは外術使いを、役人はほくろの男を捕まえる――
ということになってはいるが、本当はこうだ。
外術使いの妙な力を感じる、とでも言って役人を足止めし、こちらで男を捕まえてしまう。この間に、暗示をかけて金袋も取り戻すのだ。
気が逸って間違えてしまった、とでも謝れば、役人はきっと許してくれるはず。
「坊ちゃん、ありました。あの男です」
金袋の、妖の臭いを感じ取ったのだろう。すん、と狼君の鼻が鳴った。虹蛇の目も、針のように尖っている。
その向く先を見てみれば、手札を眺めニヤつく男が、指で小鼻を掻いていた。指が動くたびに見え隠れするのは、黒い、ほくろだ。
草草はうんとうなずき、くるりとふり向く。
「あれ?」
足止めするはずの、役人の姿がなかった。
「いた! お前だな!」
ついで店にとどろいたのは、気合の入った大声だ。役人はずんずんと、男へ向かって突き進んでしまう。
手はずはどこへいったのか。そういえば、以前にも同じことがあったような。犯人を前にすると、役人魂に火が点いてしまうのか。
いや、今はそんなことよりも。
「狼君、お願い!」
突然の暴風が、一帯に吹き荒れた。
驚き叫ぶ声、物の激しくぶつかる音、人も飛んでいるかもしれない。虹蛇にしっかり抱えられ、守られていた坊ちゃんには見えなかったが、役人の声も聞こえてきた。
「ぬぅおおおぅ! おのれぇ、外術使いの仕業かぁ! どぉこにいるぅ!」
こんな、間延びした感じだった気がする。
気がつけば、狼君はぐったりとしたほくろの男をむんずと掴んでいる。虹蛇の手には金袋が、切れ長の目はまたたくと、金から黒へゆらりと戻った。
――翌日のこと。
「狸休、これだね」
「あっ」
菓子屋を訪れた草草は、ずっしりとして膨らんだ、手のひらほどの金袋を差しだした。
狸休の手はおずおずと、ゆっくりと伸びてくる。金袋を大事そうに受け取ると、ぽろり、丸い目から涙が落ちる。
「母さん……」
こう、つぶやいたように聞こえた。
「ねえ狸休、このまま街で暮らさない?」
「えっ?」
草草が問うと、狸休の顔はパッと上がった。けれど丸い目はうろうろさまよい、手は金袋を握りしめる。
おそらく、この若い妖物は、街で暮らすことも考えて山を下りてきたはずだ。
狸休はこう言っていた――亡くなった母狸は、子狸を守るためにずっと大きな鷲と争い『追い払った』。
この鷲はまだ、生きている。妹の子狸を大事に思う狸休なら、安全な場所へ、と望むだろう。
街には何度か来たことがある、とも言っていた。ならば冬を越すための買物に、金袋が膨らむほどの黄金は必要ないと、わかっていたと思う。
持ってきたたくさんの黄金は、きっと、街で暮らすための資金なのだ。
ところが、狸休は満足に買物することもできず、さらには騙されてしまった。人の街で暮らすことに、すっかり自信を失くしてしまった。
だから。
「街の外れにね、いい竹林があるんだ。立派な和尚様もいるし、ちょっと怖がりだけど優しいお坊様もいて、妖物のこともよく知ってる人たちだよ」
まずは狸の姿で、住んでみるのはどうだろう。いずれは寺に通い、人の世を学んでみてはどうか。
そうしてゆっくりと、街に慣れていけばいい。
「僕も頼んでみるよ。狸休ならきっと、和尚様もお坊様も快くうなずいてくれると思うんだ」
ふうわり笑いかけると、ぽろ、ぽろり、ぐず、ぐずり。
「あっ、ありがと、ござい、ます」
ぐすんぐすん、ひっくひっく。相変わらず、若者の立てる音は忙しない。
「きゅぅん」
ここへ子狸がやって来て、なぜだろう、狸休によく似た丸い目で、草草をじっと見上げてきた。
そっと抱き上げ、抱えてみる。
「きゅう」
子狸は、何だか嬉しそうに見える。
「人懐っこいねぇ」
「こんなに小さくても、坊ちゃんの優しさがわかるんですねぇ」
「さすが坊ちゃんです」
にこにこ笑った草草に、虹蛇は綺麗な笑みを返し、狼君は誇らしげな顔になってうなずく。
これを見た、狸休はぐずっと鼻をすすり、丸い顔にはようやく笑みが浮いてきた。
「妹が懐くのは、たぶん草草様が、人の姿になった母さんに似てるからだと思います」
「え」
母さんとはつまり、母狸だ。
初めて会った日、やはり子狸は草草だけを眺めていた。腹を空かせて鳴いたときも、こちらのほうを向いていた。
あれは、自分に対して乳を要求していたのか……
「……」
坊ちゃんはしばし子狸と、じっと、じぃっと見つめ合った。