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第十八話 酒屋の娘


「ご、ごめんくださいませ」

 ひょろりとした猫背の僧が、薬仙堂の店先で、相も変わらずおどおどと挨拶をした。

 気に入りの娘を見つけたからか、従兄は上機嫌な笑顔で出迎え、店の端の卓へと通す。草草そうそうたちも声をかけられ、みなで卓を囲むこととなった。

 茶を並べると、従兄はやる気満々らしい、「ごゆっくり」と会釈を残して自身の仕事に取りかかる。


「あの……若主人は何か、良いことでもあったのでしょうか?」

「ふふふふふ」

 つるりとした頭を傾け小さな目をしばたく僧に、坊ちゃんはにんまりと笑ってみせる。

 もうすぐ嫁が来るかもと言えば、なぜだか、僧の顔が曇った。


「坊さん、もしかして、好きな女でもできたのかい?」

 虹蛇こうだが口のを上げてニヤリと笑った。これに狼君ろうくんの首がかしぐ。

「確か、坊さんは嫁をもらえないんじゃなかったか?」

「そんなもの、坊さんをやめればいいのさ。それに嫁にしなくたって、こっそり妾として囲ってもいいしねぇ」

 勝手にどんどん進む話を、草草はやんわりと止めに入る。ずいぶん前から僧の頭が、横にぶんぶん揺れているのだ。


「それで、どうしたんですか?」

 坊ちゃんの優しげな笑みをきっかけに、やっと僧の話が始まった。


「あの、草草様は来幸屋さんと親しいとか。ご次男に、その……霊が憑いているというのは」

「そうですねぇ。憑いてるというか、そばにいるだけというか」

 草草は、のん気そうでおっとりとした健優けんゆうと、『お優しい旦那様が心配で』とこの世に留まる霊の妻を思い浮かべる。困り事はなさそうだったと思うのだが、どうかしたのだろうか。

 小首をかしげて目をやると、僧の眉が困った感じに下がった。


 話は昨日のこと。寺に一人の男がやって来た。

 男は、一等繁華な通りではないが店を構え、それなりに繁盛している酒屋の主人であるという。恰幅がよく押しの強そうな、着物は派手で目がチカチカする、そんな御仁だ。


『きょ、今日はどのようなご用件でございましょうか』

 お顔の長い、いや、徳の高い和尚は不在。応対した僧は、小さな目をしばたきながら長たらしい挨拶を聞く。

 長話は苦にもならない僧であったが、このときばかりは大変だった。派手な着物のせいだろう、目が、疲れたのだ。


『実は、でございます……』

 しばしして、主人の声の調子が変わった。ようやく本題に入るらしい。

 目をつむりたいのをグッと耐え、僧が身を乗りだすと、主人はたっぷり間を空ける。

 それから、声をひそめながらも誇らしげに「実は、私の上の娘は、さまざまな物事を見通せるのでございます」と続けた。


 ――来幸屋の次男には、嫌な霊が憑いている。女の霊だ。


 上の娘とやらは、こう言ったのだそうだ。

 主人は顔をしかめて首をふり、大げさにため息をつく。そしてこうも、のたまう。


 健優には『妖狐が憑いている』という噂があった。これは半分間違いで、憑いているのは女の霊だ。

 少し前、彼の妻や嫁を害した若い娘が捕まった。きっとこの者も、女の霊に惑わされ、過ちを犯してしまったに違いない。

 このままにしておいては悲劇が繰り返されてしまう。だから、ぜひにも祓うべきだ。


『人様のことではございますが、私も知ってしまったからには黙っていることもできません。ご次男はまだお若い。新しい嫁をもらって商売に精を出す。それが立派な男というものです』

 こう締めくくると、主人はもったいぶった手つきでもって、金の包みをゆっくり差しだす。

 そうして、さも善行を施したという風な満足げな顔をして、寺に笑い声を響かせた――



「坊さん、嫁をもらわなくたって立派な男はたくさんいるじゃないか。気にすることはないさ」

 珍しいことに、虹蛇の口から励ましの言葉が出た。狼君も、真面目な顔で大きくうなずく。

 が、僧の小さな目と口は、きょとん、と丸くなっている。


 従兄が嫁をもらうと聞いたとき、僧は顔を曇らせた。今の話の最後にも『嫁』という言葉が出、僧の口からはため息が出た。だからだろう、二人の仙は勘違いをしたらしい。

 けれど、せっかくの気づかいだ。坊ちゃんはくすりと笑みをもらしつつ、これを正さず話を進める。


「酒屋のご主人には、女の霊を祓う必要はないと、うまく話して納得してもらうしかないでしょうねぇ」

「やはり、そうでございますよね。草草様が親しくなさっているなら悪い霊のはずもありませんし、私も来幸屋さんを覗いてきたのですが、その、霊はご次男を優しそうなお顔で見守ってらして……」


 僧はここまでを言うと、ふぅと息を吐きだした。

 悪い霊ではないと思っても、やはり見るのは怖かったようだ。優しそうな霊でよかったと安堵しているのか、ちょっとばかり呆けた顔になっている。

 それでも、だ。僧はちゃんと一人で見に行った。こうしたところがあるから、守役たちも励ます気持ちになったのだろう。

 なんだか最近従兄より、僧の扱いのほうが良くなっているような。


 ぬるく笑った坊ちゃんは、今は来幸屋の話だったと頭をひとふり、考えを戻す。


 良きものはそのままに、悪しきものだけを退治する。これが和尚の教えであり、僧にも身についたやり方だ。

 健優は、霊の妻がいることに不都合を感じていない。霊の妻も、悪いことはしていない。

 姉やは当初、「祓ったほうがいいのでは」と言った。だが今、気にする様子はうかがえない。結局は見えず、困ることもなかったからだろう。

 つまり、酒屋の主人の申し出は、余計なお世話というわけだ。それに……


「そのご主人ですが、もしかして、自分の娘さんを健優殿のお嫁さんにしたくて、霊の話を持ちだしたんじゃありませんか?」


 酒屋の主人は、店を大きくしたいと考えた。

 自身の店で扱う酒を、船問屋、来幸屋を通して黎の都やほかの街へ、広く売りさばきたい。来幸屋が仕入れた酒も任せてもらえば、きっともっと繁盛する。

 それには伝手が必要だ。ちょうど良いことに、次男には嫁がなく自分には娘がいる。女の霊のことも知った。

 ならば、霊を祓って恩を売り、自分の娘も売りこもう、というわけだ。


 草草が小首をかしげてうかがうと、僧は情けない感じに眉を下げ、肩も落としてうなずいた。

「和尚様も、同じような事をおっしゃられました……」

 どうやら、主人の思惑を見通せなかったことに、がっかりしていたようだ。

 その場に和尚がいたなら、きっとうまく断ったはず、とも反省しているのかもしれない。


「じゃあ坊さんは、酒屋の主人にうまく利用されたんですか? あんた、まだまだだねぇ」

「坊ちゃんのように賢くならないとな」

 ふふんと笑った虹蛇と、真面目くさった狼君が、これっぽっちの遠慮もなく追い討ちをかける。

 先ほどの励ましの気持ちは、今こそ発揮すべき時なのだが。


「僕がわかったのは、お嫁さんの話をしたとき、お坊様の顔が曇ったからだよ」

 『嫁』と聞き、僧はこのことを思いだしたのだ。それがなければ気づかなかったと草草は、守役たちをたしなめて、彼らの分も僧を励ます。

 それから、くるりと目の玉をまわし始めた。


 酒屋の主人にも思惑があるから、まだ修行中のこの僧が『霊は良いものである』と話しても、そう簡単には引き下がらないだろう。

 それに、『物事を見通す』とかいう上の娘――気になる。


 娘は、霊が見えるようではあるが、見通しているわけではない。おそらく霊の妻の姿も、はっきり見えてはいないだろう。

 霊の妻を、彼女は『嫌な霊』と言った。しかし、力ある僧には『健優を優しそうな顔で見守っていた』と、ちゃんとわかったのだ。

 つまり、この娘は半端にしか見えていない。それなのに霊を悪いものと判じた。


 なんだか、父娘ともども面倒臭そうな人物だ。


「お坊様、これからその酒屋さんに行くんですよね? 僕も少し気になるので、一緒に行っていいですか?」

 早く一人前になろうと日々がんばり、そして今、がっかりしている風な僧の、力になりたいと草草は思う。


「もうすぐお昼ですから、まずはご飯を一緒に食べましょう」

 こうほほ笑んで続けると、気落ちしていた僧の顔が、ほにゃり、嬉しげにほころんだ。

 なんだかこれだけで、わりと元気になったらしい。





 昼どきのこと。草草たち三人と僧は、目的の酒屋の、向かいにある飯屋の二階に座っていた。

 広い通りに張りだした席から、眺める酒屋の店先も、みなで入ったこの飯屋も、坊ちゃんの目に懐かしい――


「酒屋さんて、ここだったんですねぇ」

 眺めているのは、今は菓子屋をしている従姉夫婦の、そして、来仙を逃げるようにして出ていった弟夫婦の、酒屋であった。

「も、申し訳ございません……」

 薬仙堂の姻戚だからと気にしたのだろう、僧がおどおど縮こまる。草草は気にしなくていいのだと、優しげに笑いかける。


 この弟夫婦は、店をわが物にするため毒酒を作り、兄――霊の憑いた菓子屋の主人だ、を害そうとした。

 さらには薬仙堂の薬草の、入手先を知ろうとゴロツキを雇った。そのせいで草草たちは襲われた。いや、正しくは捕まえるためにおびき出したのであり、ついでに僧の怖がりも治そうと利用したりもしたのだが。

 ともかく、これを見ていた仙の虫と精霊が、酒屋で怪異を引き起こし、弟夫婦は店を捨て来仙から逃げだした。


 これが、坊ちゃんが下界に下りたばかりの春のこと。

 以来、この酒屋は空き家となっていたのだが、店を大きくしたいと考えていた、現在の主人が買い取ったそうだ。

 この辺りの経緯いきさつを、料理を運んできた飯屋の女将に聞いてみると。


「いくら安いといっても、幽霊だか妖怪だか存じませんが、怖ろしいことがありましたでしょう。ですから私はご主人に、買わないほうがいいと申し上げたんですけれどねぇ」

 只ならぬ貴人と武人と策士を、目の保養だとでも思ったか。器用に僧を飛ばしながら三つの顔を順繰り眺め、ニマリとしていた女将は、ようやく視線を引きはがし酒屋を見やって首をふる。


「ところがですよ」

 が、次の瞬間、目を輝かせてささやいた。

「ご主人、この酒屋に妖しげなものはいないから大丈夫だと、きっぱりおっしゃったんです。本当なのかと伺いましたらね、『上の娘には物事を見通す力がある』なんて」


 上の娘が酒屋を見たのは、売りに出されてからだろう。そのころなら仙の虫と精霊は、仙山へ戻ったあとのこと。何もいないのは当然だ。

 ふむ、と草草はうなずき、しかしつるりとした頭が目に入ると、今度はちょいと小首をかしげた。

 この力ある僧であっても、はっきりとは感じ取れないようなのだ。半端にしか見えないらしい娘なら、きっと神界のものはわからないだろう。

 ともかく、主人は上の娘の言葉を信じ、酒屋を安値で買い取ったようだ。


「それで、上の娘さんというのは、どのような方ですか?」

「それなんですけれどねぇ。可哀そうにあの娘さん、とても体が弱いらしくて、ほとんど家で横になってらっしゃるとか」

 女将が痛ましそうな顔をして、「ありがたい力を授かった代わりなんでしょうかねぇ」とため息をつく。

 狼君は、彼女の止まってしまった手から料理の皿を奪い取る。

 虹蛇にうやうやしく箸を握らされた坊ちゃんは、「ん?」と首をひねった。


 ――家から出ず横になってばかりの娘が、どうやって来幸屋の、霊の妻を『見た』のだろう。


「ですけれど、酒屋さんには下の娘さんもいらっしゃるんです。この娘さんはしっかり者でしてね。まだ若いのに、亡くなられたお母様に代わって店を切り回してらして――」

「坊ちゃん、昼が過ぎてしまいます。さ、食べましょう」

「坊ちゃん、肉を取りましょうか。ほら坊さんも、たまには食べるかい?」

「いっ、いえ! わ、私は肉はいただけませんので、こちらを……あ、おいしい」


 おしゃべり好きらしい女将が、もう昼食にありつきたい様子の守役たちが、つられて僧が、てんでばらばら話しだす。

 坊ちゃんは口をもぐもぐ動かしながら、それぞれの話に相槌を打ち、ときおり笑みを返してみせる。

 なかなかに、忙しい昼食であった。



「ありがとうございました。ぜひまた、いらしてくださいませ」

 腹が満足すると一行は、笑顔の女将に見送られながら外へ出た。


「あの女将、よくあんなに口が回るねぇ」

「坊ちゃんが聞き疲れする」

 不機嫌そうな美麗な顔と仏頂面が飯屋をふり向き、それぞれ鼻をふんっと鳴らし首をゆるりと横にふる。

 二人の仙は今、少しばかり機嫌が悪い。それでも、女将の止まらぬおしゃべりを遮らなかったのは、坊ちゃんが酒屋の話を聞きたいと所望したからだ。

 そのおかげで、いくつか知ることができたのだが。


「少し、思ってたのと印象が違いましたねぇ」

「そう、でございますねぇ」

 草草は守役たちの機嫌を取りつつ、僧と見合って小首をかしげる。


『酒屋のご主人は、とても娘さんたちを大切に思ってらして――』

 飯屋の女将はこう、教えてくれた。

 体の弱い上の娘には、暮らしの心配をせずにゆっくり養生できるよう、才覚のある優しい婿を選びたい。

 商売への意気込みもあり、姉への気づかいも忘れない下の娘は、きっと立派な女将になる。だからなるべく大きな店に、嫁がせてやりたい。

 それには自分ががんばって、もっと店を大きくしなければ――と、主人はもらしたそうなのだ。


「私はてっきり、その、ご主人が娘さんを利用して、店を大きくしようと考えているのかと……」

 申し訳なく思ったのか。僧の背がぐぐっと縮んだものだから、坊ちゃんは「僕もです」と肩をすくめて笑ってみせる。


 主人は二人の娘のために、酒屋を大きくしたかったようだ。

 来幸屋に目をつけたのは、主人ご自慢の、下の娘の嫁ぎ先に相応しいと思ったから。この縁談がまとまれば酒屋も大きくなる。そうなれば不憫な上の娘のために、より良い婿を選ぶこともできる。

 上の娘はもう二十歳、人の世では嫁き遅れだ。『物事を見通す力がある』と吹聴しているようなのも、体は弱くとも素晴らしい力を持つ娘なのだと、言いたいのかもしれない。


 ふむ、と草草はうなずいた。

 寺での話を聞くに、業突く張りなだけの御仁なのかと思っていたが、そんな風でもないらしい。

 すると、残るは上の娘だが。


 この娘、どうやって『見た』のか――


 草草は向かいの酒屋に目をくれた。

 主人は派手好みと聞いたが、店は思いのほか、落ち着いている。いや、それよりもと考えをめぐらす。

 上の娘は寝てばかり。ならば代わりに『見るもの』が、いるのかもしれない。それは霊か、妖物か。霊の妻を悪いものと判じたのも、このものか。

 あるいは、娘の魂が体を抜けだし宙をさまよい物事を見た、ということもあり得る。つまりは生霊だ。


 ともかく会ってみるしかない。草草は一歩、酒屋へと踏みだす、が。


「坊ちゃん、酒屋に入るのは止めましょう」

 狼君の断固とした声が、止めた。

 やはり霊か妖物がいるのか。妖しげな気配を感じ取り、警戒しているのか。そう思い、顔を引きしめ二人の仙をふり仰ぐ。


「あの女将も、主人は派手すぎると言ってました。坊ちゃんが目を痛めるといけません」

「そうだねぇ。さっき女将の話を聞いて耳が疲れたばかりだし、坊ちゃん、酒屋へ行くのは止めましょう?」


「……」

 まったく違った。

 ぬるく笑った坊ちゃんは、いつもどおり、まずは過保護な守役たちの説得に取り組むこととなった。





「お……おお! これは、薬仙堂さんではございませんか! お初にお目にかかります。私は――」

 酒屋に入ると、チカチカする男がすっ飛んできた。誰が教えてくれなくとも、この人物が主人だとわかる。恰幅のよい体を包む色とりどりの刺繍が、とにかく目に優しくない。

 これはこれはと相好を崩し垂れたこうべの天辺の、まげまで刺繍に包まれている。

 思わぬチカチカに、坊ちゃんのまぶたはきゅきゅっとまたたく。


「この店は以前、薬仙堂さんの姻戚筋の方がやっておられたとか。私も店が落ち着きましたら、挨拶に伺おうと思っておりましたが――」

 僧の話にあったとおり、挨拶が、長い。

 草草は主人の顔だけを、笑みを作って目を細め、ぼんやりと眺める。ここが一番地味で、目が落ち着くのだ。

 そうしておいて、なるほど、と思った。


 どうやら主人は、薬仙堂ともつながりを持ちたかったようだ。

 目的は、薬仙堂が卸す仙山の薬草だろう。弟夫婦は薬酒を作り、評判がよく売れていた。それを、この酒屋でも扱いたいのだ。

 これも二人の娘のため……派手な着物のせいなのか、押しつけがましい口調のせいか、業突く張りにしか見えないが。


「あ、あの、ご主人……」

 ここで、僧が割って入った。

 長話を草草たちに聞かせるのは、申し訳ないと思ったのだろう。あるいは、鋭い眼光がギラリと煌めき、切れ長の目は針のように尖ったことに、気づいたからかもしれない。


「お、おお! これはお坊様! それで、昨日のお話はどのように」

 只ならぬ三人に紛れていたせいか、主人は僧に気づいていなかった様子だ。勢いこんで迫ってゆく。

 主人から逃れた坊ちゃんは、ここぞとばかりに視線を逸らす。落ち着きのある僧衣を見れば、目は自然、安らぎを覚える、と。

 その向こうに、若い娘の姿があった。


 従妹と同い年くらいの、おそらく下の娘だろう。装いは明るいが派手ではなく、凛とした面立ちをしている。飯屋の女将が評したとおり、しっかり者、といった感じの娘だ。

 だが、こちらを向いた彼女の、その表情がかげりを帯びているような――


「あ、あのご主人、今日はそのお話ではなく、その、こちらの草草様が上の娘さんのために、よいお薬を見立ててくださると」

 僧がこう言うと、坊ちゃんは笑みでもって目を細め、気合を入れてチカチカを見た。


 実は酒屋に入る前、草草たちは策を立てていた。

 この主人は、怪異のあった酒屋を買い、力ある和尚の寺へ霊の話を持ってきた。つまり、上の娘の力を心底信じきっている。そんな主人に『娘の力は半端だ』などと話しても、聞く耳を持つだろうか。娘の力も気になる。

 ならば、まずは薬師として上の娘に会い、力の正体を見極めてから対応を考えよう、としたわけだ。

 もちろん草神であるから、薬も見立てるつもりでいる。


「お医者様なのでございますか?」

 そのような知識はある、と草草が返せば、主人は喜色を浮かべて何度も大きくうなずいた。その様子を見るに、娘を大事に思っているのは本当だろうと思える。

「あの、姉を診てくださるのですか?」

 下の娘もやって来て、すがるような目を向ける。こちらも姉が心配らしい。先ほどのかげりは消えている。


「どうか何とぞ、よろしくお願いいたします」

 頭を下げる主人に送られ、下の娘に案内されて、草草たちは酒屋の奥へ。


 ほぅ、と僧から吐息がもれたのは、策がうまくいったと安心したのか、チカチカから逃れて安堵したのか。

 きっと後者に違いない。坊ちゃんはこの僧じゃないけれど、疲れた目をほぐすため、ぱちりぱちりと瞬いた。



 上の娘の部屋へ行くと、草草は診察の真似事をした。草神ならば一目で悪いところはわかるのだが、人としては不自然だろう。

 そうして、上の娘を眺め見る。


「確かに胸が悪いようですね。ただ……」

 彼女は妹に手伝われ、動きも鈍く着物を直す。自分の体のことであるのに、さして関心がないのか、それともほかに気がかりでもあるのか。次の言葉を待つように、不安げな顔を向けているのは下の娘のほうだ。


「本来なら、これほど悪くはならないと思うんです。何か、心配事でもあるんじゃありませんか?」

 上の娘の胸には暗い影が見えた。だが、何より活力が足りない。気力が感じられない。だから体の巡りが悪くなり、病を悪化させている。

 うかがうと、いっそう彼女はうつむいてしまう。


「あの、姉に何か悪いものが憑いている、ということはございませんか?」

 すると、下の娘が口を挟んだ。その目は『薬師』の草草ではなく、僧へとまっすぐ向いている。

「それは関係ないわ」

 ここでようやく上の娘が、か細い声を出した。

「でも姉さん。最近、力を使った次の日、すごく疲れてるじゃない」

「そんなこと、ないわ」

「嘘よ、隠しててもわかるのよ。ね、この機会にお坊様に相談しましょう?」

 妹は詰め寄り、姉はうつむく。


 横になってばかりの上の娘は、みなにこれ以上の心配をかけたくないのか。あるいは、唯一、みなの力になれる『物事を見通す力』を奪われたくないのか。

 ともかく、このままでは埒が明かない。草草はどういうことかと、下の娘に問うてみた。


「姉が願うと、知りたいことを誰かが教えてくれるのです」

 こういうことが知りたいのだと、上の娘は願う。すると夜、何ものかの声が聞こえてくるという。

 たとえば、父が怪異のあったこの店を買うべきかと迷ったとき、願うと、酒屋には何もいないと声がした。

 また父が、来幸屋の次男は下の娘を幸せにしてくれるだろうか、と案じたとき、嫌な霊が憑いていると何ものかはささやいた。


 と、ここでまた、下の娘の表情がかげった。

 なぜだろう。草草は心に留めつつ、まずは上の娘の話を進める。


「それで、最近疲れるというのは?」

「はい。力を使った翌朝になると、姉はひどくぐったりとした様子なのです。昔はそんなこと、なかったのに……ですから、教えてくれる誰かは、本当は悪いものなのではないかと」

「そんなことないわ!」

 上の娘は声を張り上げ、咳きこみ、妹に背をさすられる。それでも姉は妹に、悪いものではないのだと繰り返し訴える。


「その何ものかの正体を、ご存知なんですか?」

 落ち着くと、草草は上の娘にこう問うた。

「……いえ、存じません」

 か細い声。そして虹蛇が耳元でささやく。

「この娘、嘘を吐いてますよ」


 草草は二人の娘を眺めてから、目の玉をくるりとまわし始めた。

 上の娘は何ものかを、悪いものとは決して言わず、それでいて正体を隠す。

 下の娘は、表情がかげるときがあった。それは、主人が僧に「昨日のお話は」と来幸屋の件を聞いたとき。それから、来幸屋の次男は彼女を幸せにしてくれるだろうか、との話が出たときだ。

 これらが気になる。そして、何ものかの正体だ。


 この酒屋に霊や妖物は、いない。

 主人が寺を訪れたのは昨日のこと。ならば上の娘が何ものかの声を聞いたのも、ごく最近のはずだ。だが、それらしき臭いや気配の残滓ざんしを、二人の仙は感じなかった。

 では、上の娘の生霊なのか。

 彼女の臭いや気配なら本人がいるのだ、紛れてしまいわからない。しかし娘は何ものかから『聞く』という。生霊ならば自身の目で『見る』はずだ。


 つまり、代わりに『見るもの』はおらず、上の娘の生霊でもない。そして、この何ものかは霊の妻を『嫌な霊』と判じた。

 これらを合わせて考えると――草草は、うん、とうなずく。


 主人も呼び寄せ一つの提案をし、一行はひとまず酒屋をあとにした。





 夜になり、草草たちはこのたびの件の決着をつけるべく、ふたたび酒屋を訪れた。借り受けた一室で――


「坊ちゃん、眠くなったら横になってください」

「坊ちゃん、小腹が空いたら弁当がありますからね」

 狼君はテキパキと寝床を整え、虹蛇は弁当と熱い茶をいそいそと並べる。草草は嬉しげな顔で礼を述べ、茶をふぅふぅ吹き冷ます。


「あの、いろいろとお力添えをいただきまして、その上、薬仙堂さんで夕食までごちそうになり、その、申し訳ございません」

 僧がつるりとした頭を下げると、草草は茶をすすって首をふる。

「いえ、気にしないでください。それより白玉はくぎょく、可愛かったでしょう?」

「……お、大きかったですね」

「……」


 一行はずいぶんお気楽だ。


「娘がそんなに無理をしていたとは……」

 が、酒屋の主人はうなだれていた。

 この主人は、上の娘が力を使うとひどく疲れる、ということを知らなかった。彼女自身が隠していたし、下の娘もそんな姉の気持ちを察して口をつぐんできたようだ。

 だが、それではいけないのだ。草草は自らの考えを元に僧と相談し、すべてを明らかにすることとした。


 ちなみに、今の主人はあまりチカチカしていない。

 あの派手な着物は商売用なのか。どうにも間違っていると思うのだが、まあいいか、と坊ちゃんはホッと息をもらしていた。



「坊ちゃん、来ましたよ」

 夜も更けて、草草のまぶたが少々下がってきたころのこと。虹蛇の眉がぴくりと上がり、狼君の鼻はすんと鳴る。

 主人を連れた一行は、上の娘の部屋へと向かう。扉を開けてのぞき見て、草草は一つ、うなずいた。


「ぅ……う、ん……」

 寝台に眠る上の娘は、顔を歪め、息も苦しげに吐いている。そして、その上。彼女に覆いかぶさっているのは――下の娘の生霊だ。


 何ものかの正体は、代わりに見てくれる霊か妖物ではなく、上の娘の生霊でもない。

 そして、二人の仙が臭いや気配を感じても、おかしいと思わないもの。上の娘が悪いものではないと必死になって庇うもの。


 つまり、昼間、この部屋にいた下の娘だ。

 その際、虹蛇は一度として、彼女が嘘を吐いたとは言わなかった。これは、生霊になったときの記憶がないから、だろう。

 それに何ものかは、健優を見守る霊を『嫌な霊』と判じた。霊の妻を嫌だと思うのも、下の娘だ。彼女にとって霊の妻は、自分の夫になるかもしれない男に寄り添う――嫌な女、なのだ。


「あの、娘はどうなっているのでしょうか?」

 そっと部屋へ滑りこむと、草草は焦る主人へ向けて唇の前で指を立て、それから僧を見やった。

「お坊様、お願いします」

 僧はおどおどうなずくと、ふところから札を出し、思いきり腰が引けながらもがんばって近づいていく。

 震える札が、下の娘にぴたりと貼りつく、と。


 ――はあっ


 下の娘の生霊は、体をびくりと跳ねさせて息を大きく吐きだした。


「あっ! なっ、どうして……」

 生霊の姿が見えたのだろう。主人は驚きの声を出す。

《……姉、さん?》

 うつろだった生霊の瞳は今、光を取り戻し、何が起きているのかわからないといった風に、横たわる姉を見下ろしている。

 上の娘のまぶたも開き、そこから、涙が零れて落ちた。


 おそらく、こんな風だったと思う。


 上の娘は体が弱く、何の役にも立たない。そんな自分を恥じていただろう。家族のために何かをしたいと、ずっと思っていただろう。

 そんな想いを抱えて神仏に祈る日も、あったかもしれない。そこに、妹の生霊が現れた。

 下の娘も、姉の気持ちに気づいていた。日々沈む姉をどうにかして元気づけたいと、心の底から願っていた。


 これは当初、うまくいっていた。

 上の娘としては、妹を使うのだ。思うところもあっただろうが、家族のために出来ることが見つかり、嬉しくもあったと思う。

 ところが、だ。下の娘の生霊は、姉を苦しめるようになった。きっかけは、彼女の表情がかげった、縁談だ。


 主人は、下の娘を大きな店へ嫁に出し、上の娘により良い婿を取りたいと、願っていた。もちろん、自慢の娘を、不憫な娘を、それぞれ想ってのことだ。

 しかし下の娘は、これをどう感じただろう。


 ――追いだされる、姉のために利用される、悲しい、悔しい、寂しい。


 頭ではわかっていても、顔には出さないように務めても、心ではこんな風に思ったのではないか。

 その気持ちが無意識な生霊となったとき、現れてしまった。


「みなさんは、お互いを想ってがんばりすぎたんです」

 草草は穏やかな声でこう言うと、生霊の札をはがす。下の娘はすぅと消える。見届けると、涙を流す上の娘へ、柔らかな笑みを向けた。


 上の娘は、妹が自分を苦しめるのだ、ずっと傷ついていただろう。それでも事を隠そうとした。姉を苦しめたと知れば、今度は妹が傷つくのだ。

 しかし、このままではいけないとも思っていただろう。自分は我慢すればいい。けれど妹の苦悩は解消しない。それに妹の生霊も、放っておいてどうにかなってしまったら……

 だから、草草の提案を受け入れた。妹の前で願って見せ、生霊を呼びだしてくれたのだ。


「私、妹のところへ行かなくちゃ……」

 寝台から起きだした、上の娘の足がよろける。これを主人がすぐさま支える。

「私も、一緒に行くよ」

 父と娘は寄り添いながら、静かに部屋を出ていった。



 ――それから。


「ただいま戻りました」

 薬仙堂の店先から従妹の声が聞こえた。草草はついたてから顔を出し、出迎えに行く。

「お帰りなさい。上の娘さんはお元気でしたか?」


 今、酒屋の上の娘のところへ薬を届けがてら、従妹に通ってもらっている。

 家族で想い合うのもいいだろうが、外へ目を向けることも必要だと、友人を作るのも良いことだと、考えたからだ。

 あの夜、酒屋の家族でどのような話があったのか。草草にはわからない。ただ、主人は下の娘の嫁入りを、見合わせることにしたようだ。

 妹は酒屋で明るく働き、姉はときおり従妹と語らう。主人は相変わらず、チカチカだ。


「ええ。今日は寝台に起きておられました。そのうちまた、刺繍でも始めようかなんて笑ってらして……」

 ここで、従妹の顔にぬるい笑みが浮いた。


 実は、だ。主人のチカチカだが、あれは上の娘の仕業であるらしい。いや、彼女が派手好みというわけではないのだ。

 上の娘は父のためにと刺繍する。主人は体の弱い娘ががんばってくれたと喜ぶ。主人が喜ぶものだから、上の娘はまたがんばり、刺繍もまた増えていく。下の娘は二人が嬉しそうなので何も言わない、といった流れだ。

 この辺りも、ぜひ家族で話し合ってほしいと草草は願う。


「それより草草様」

 従妹の顔が、急に引き締まった。続く声音も妙に低い。

「酒屋のご主人ですが、上の娘さんを草草様のお嫁様に、と考えている節があるように思います」


「冗談じゃないよ! 坊ちゃんの着物にあんな刺繍をするなんて、絶対に許せないね。坊ちゃんはもっと上品な着物が似合うんだよ!」

「そうだ! あんな着物を着たら、坊ちゃんが目を傷めてしまう!」

 きりきりと、形良い眉はつり上がり、ギラギラと、鋭い眼光は煌めきを増す。

 いつもなら彼らをいさめる坊ちゃんは――


「僕も、あの着物は嫌だな……」

 ぽつり、つぶやいた。



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