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第十七話 金貸屋事恋


「いらっしゃいませ」

 薬仙堂の店先で、草草そうそうが朗らかにほほ笑む。

 清らかで慈愛あふれる貴人に出迎えられると、客はポカンと口を開け、ついでおどおど背を丸め、つっかえながらドモリながら欲しい薬をようやく述べた。


 今は昼過ぎ。いつもなら草草は散歩に出ている時間だ。が、今日は店の手伝いをしている。

 なぜかといえば――


 つい先日、薬仙堂で従兄の嫁取りの話が持ち上がった。

 この家の嫁は、神や仙、妖物などの不思議を受け入れ、秘密を守っていられる娘でなくてはならない。

 ならば、仙である織女蜘蛛はどうだろう。妖物の藤狐とうこはどうか。いや、いずれは人の姿に化けられるであろう幼い妖猫、白玉はくぎょくが良いのでは。

 しかし嫁をもらう当の従兄は、やはり人がいいと言う。自ら嫁を探したいと、珍しく意気込んでもいる。

 そこで。


『従兄殿、お嫁さんを探すために街へ出てみてはどうでしょう? その間、僕が店を手伝いますよ』


 今、従兄に気に入った娘はいないそうだ。ならば店にこもり、これまでと同じ暮らしをしていても、なかなか嫁は見つからないだろう。

 と考えた草草は、こう申し出たわけだ。


 とはいえ、従兄は薬仙堂の若主人だ。毎日出歩くわけにもいかない。では数日に一度、出かけることにしてみようか、となった。

 草草も、若主人の代理だからと気合が入っているのか、いつもより笑顔がまぶしい。

 が、そんな坊ちゃんのやる気には気づいていないのだろう。


「従兄殿は、しっかりやってるんだろうね?」

「早く嫁を見つけてもらわないと、坊ちゃんの散歩が減ってしまう」

 客がいるにも関わらず、虹蛇こうだの形良い眉がくいっとつり上がった。狼君ろうくんの鋭い眼光はギラッと煌めく。

 客の体がびくりとすくみ、これをなぐさめるため、草草は優しい笑みをこしらえてみせる。


 ――どうやら、自分たちは客商売に向かないらしい。


 正しくは守役たちが向いていないのだが、両わきに張りついて離れないのだから三人一組、同じことだ。

 などと草草は考えているが、貴人による応対も、客は畏れかしこまり身を縮めることとなる。坊ちゃんだって向いていない。


「この薬でよろしいですか?」

「はっ、はい」

 客の薬を包みながら入口のほうを見てみれば、幾人かが足を止め、こちらをうかがっていた。

 常ならついたての奥にいる貴人と武人と策士が、姿を晒しているせいだ。


 仙人のごとき草草を見れば長生きができる。こんな噂があるためか、ご老人が多い。しかし顔が逸れ気味なのは、狼君の鋭い眼光に睨まれると、せっかく伸びたかもしれない寿命が縮んでしまう、とでも思っているからか。

 娘たちの姿もあった。こちらは美麗な虹蛇が目当てだろうか。一人くらい、従兄を慕う者はいないのか。

 ともかく、あれでは入ってくる客の邪魔になってしまう。


「ありがとうございました」

「はっ、はい。こちらこそ、お手数をおかけしまして……その、誠にありがとうございます」

 最後まで縮んだままの、どちらが店の者なのか、わからない様子の客を見送る。


 ――やはり自分も含めて、いろいろな意味で、客商売には不向きなようだ。


 これを悟ってしまった坊ちゃんは、残念そうに首をふりふり店の奥へと引っこんだ。



「従兄殿、うまくいくかな?」

 ついたての奥で、草草は湯のみを片手に団子をつまむと、これに似た、まん丸な猫を思い浮かべた。


 実は坊ちゃん、このたびの件で一つ、企てていることがある。

 嫁選びの条件は、不思議のものを受け入れ、秘密も守れる娘。加えて従兄は、その不思議を怖がる気持ちもわかってくれ、優しくて、ほかの男に目を向けない、人の娘がいいと言う。

 これを聞き、かなり難しいのではと思いはしたが、同時に一人、思いつく娘もあったのだ。


 白玉の元主人――亡き、金貸しの爺のところで働く、心優しい娘である。


 少し前、白玉が爺の息子たちに捕らえられ首輪を奪われる、という騒動が起きた。仲が悪くなってしまった息子たちを案じたのだろう。策を講じた爺が、残した金庫を開けるためだ。

 このとき娘は、金庫の鍵を託されていた。人の裏側を多く見てきたはずの、金貸しの爺が信頼したのだ。彼女の人柄は問題ないと思われる。

 白玉も『優しい娘さん』と言っていた。


 この娘は、白玉を可愛がってくれていた。ずいぶん長生きな、以前はよたよたと歩いていたのが元気に駆けまわるようになった、化け猫かと疎まれた猫を、だ。

 そんな彼女なら、不思議のものを受け入れ、秘密を守ることもできるのではないか。

 かといって、霊や妖物に囲まれて暮らしてきたのでもない。だから不思議を怖れる気持ちも、きっと忘れていないだろう。


 となると、残る嫁選びの条件は一つ。ほかの男に目を向けない、だ。

 こちらは騒動の際、片をつけようと爺の家へ乗りこんだときのこと。只ならぬ三人を見た娘は……怯えていた。白玉が捕らえられたため、みな、ひどく不機嫌だったのだ。

 男女の仲は最初が肝心だと、訳知り顔の虹蛇は言った。ならば娘の目は、今後も美麗な仙に向かわないのではないか。少なくとも、一目ぼれはなかったはず。


 若干、坊ちゃんの希望的観測も混じっているかもしれないが、この娘なら従兄の嫁にぴったりだと思える。

 そこで草草は、白玉にこう頼んだのだ。


『今日ね、従兄殿が散歩に出るんだ。そのときにね、優しい娘さんとうまく引き合わせてくれないかな?』

『ニャ、ニャア!』

 ――はい、わかった!


 従兄には、『散歩の帰りにでも従姉夫婦の菓子屋へ寄って、月見団子を買ってきてほしい』と頼んであった。

 この菓子屋へ行ったなら、薬仙堂に戻る途中、金貸しの爺の、家の近くを通るだろう。そこで、白玉が姿を現しニャアと鳴く。従兄は心優しい娘と出会い、白猫を間に話も弾む。

 というのが、坊ちゃんの企てであった。


 あとは出会ってしまえば二人次第。従兄が娘を気に入るか、娘が従兄に心を寄せるか、これはもう、わからない。

 けれど、うまくいってほしい。従兄の幸せを願っているし、それに……自分たちは客商売に向かないのだ。若主人の代わりは務まらない。

 草草は、ふたたび残念そうに首をふりふり、つまんだ団子を口にする。


「大丈夫ですよ。あの娘はきっと従兄殿の嫁になりますから。坊ちゃんの考えに抜かりはありませんよ」

「坊ちゃんは賢いし、白玉もがんばり屋です。きっとうまくいくはずです」

 誇らしげな笑みを浮かせた美麗な顔を、力のこもった迫力顔を、守役たちが縦にふる。


「……」

 ここは、従兄ならば大丈夫だと、言うべきところではなかろうか。

 団子を頬ばりながらぬるく笑った坊ちゃんは、従兄に代わって薬作りをこなしつつ、従兄はまだかとついたてから顔を出しつつ、薬仙堂で午後を過ごした。


 だがこの日、日が暮れても、従兄は帰ってこなかった――





「みなさま、お気をつけて」

「申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします」

 薬仙堂の面々が、顔を曇らせ頭を下げた。

 これまでに、こんな事は一度としてなかったのだろう。みなが心配そうにこちらを見ている。


「行き先には心当たりがありますから、きっと見つけます」

 草草の顔も、きりりと引き締まっている。

 狼君にふっかりとした毛皮を羽織らされ、虹蛇に背負われているので、少々恰好はつかないが。


 実は今、従兄だけでなく白玉も、店に帰ってきていない。こちらも、これまでにない出来事だ。

 となれば、従兄と白玉は一緒にいるのだろうし、同じ厄介事に巻きこまれたに違いないと思えた。

 すると厄介事が起きたのは、一人と一匹の目的地、金貸しの爺の家か、その帰り道だろう。そちらの方角に向かえば、彼らの臭いなり気配を見つけて辿ることができるはず。


「じゃあ、行こうか」

 草草の号令で、家々の明かりだけが頼りの薄闇を、二人の仙はためらうことなく駆け抜ける。

 びょう、と秋の夜風が頬を刺し、坊ちゃんはきゅっと目をつむる。と、なぜだかそれは、すぐに止んだ。


「坊ちゃん、白玉です!」

 まぶたを開けて見てみれば、暗がりの中をどすどすと、白くて丸いものがやって来る。

「白玉! 怪我はない? 従兄殿は?」

「ニャッ、ニャニャニャッ!」

 ――大丈夫、あのねあのね大変なの!


 狼君に抱えられた白猫と、虹蛇に背負われた坊ちゃんは、顔を合わせてしゃべり合う。

 白玉は、だいぶ慌てているのだろう。あっちへこっちに飛ぶ話を、まとめてみるとこうだった。



 従兄が金貸しの爺の、家の近場へやって来たのは、もう夕闇も迫るころ。

 今日は嫁探し初日、気合を入れてもいたのだろうし、気が急いてもいたかもしれない。ずいぶん歩いたのか、疲れた様子だったという。

 ここで白玉がニャアと鳴く。従兄は足を止めるとほほ笑んだ。


『あ、白玉。散歩かな? もう遅いから一緒に帰ろう?』

 しかし白猫は、裏口のほうへ従兄を招くと、足にまとわりついてニャアニャアと鳴く。

 こうしていれば、そのうち心優しい娘が気づき、おやつを持って木戸を開けてくれるはずなのだ。

 ところが。


 ――きゃっ!


 聞こえたのは、娘の悲鳴だった。

 急ぎ駆け寄った白玉は、丸い体で木戸を押す。すると裏庭に、嫌がる娘の腕をつかむ、男の姿があった。

 男は、顔を布で隠している。手は短剣を握っている。これは、きっと悪い奴だ。


『ミギャー!』

 白猫は勇ましい雄たけびとともに、男へ向かってどすどす駆けた。ぼんっと丸い体は宙を舞い、シャキリと伸びた鋭い爪は、娘をつかむ男の手へ。


『ぎゃっ』

『ニャッ!』

 ――逃げて!

『はっ、早くこっちへ!』

 異変を察し、様子を見に来てくれたのだろう。うしろから、焦った風な従兄の声も聞こえてきた。

 あとは二人を逃がすだけだ。白猫は男の足を止めようと、牙をむき出し爪を出し、何度も何度も飛びかかる。が……


 ――ガツッ、ドサリ


 鈍い嫌な音が、した。何事かとふり向くと、どうしてなのか従兄が倒れていたそうだ。

 驚いた白玉は、ここで男に押さえつけられ、短剣を向けられた娘は、怯えているのか逃げられない。


 キィ、と、外へ続く、木戸がゆっくり閉まっていった。



「それで、従兄殿と娘さんは、お爺さんの家で捕まってるんだね?」

「ニャニャア」

 ――家からね、やっぱり顔を隠した違う男が出てきて、二人を連れて行ったの。


 こう言うと、白猫はしゅんとうなだれてしまった。草草は、そっと手を伸べ優しくなでる。

 顔を隠した男たちは、店を閉めようという時間にやって来たようだ。爺の家は金貸しだ。職業柄、客に配慮したのだろう、表口もひっそりしており出入りしても目立たない。家には当然、金もある。

 つまりだ、おそらく彼らは強盗なのだ。幾人かの仲間がいて、そのうち誰かは腕も立つ。


 なでていた手が、一点で止まった。さらりとした白い毛が、一部、短く刈られている。

 きっと白玉は、果敢にも男たちに挑んだのだ。そして、妖猫であっても敵わないと知ると、助けを呼ぶため夜の街を必死に駆けた。


「白玉、偉かったね。でも、無理しちゃダメだよ」

 坊ちゃんの、声はひどく優しげだ。白猫が無事で良かったと、ふうわり笑って労わるように背をなでる。

 それからキッと、厳しい顔を持ち上げた。

 白い毛が短くなっていることに、二人の仙も気づいたらしい。眉間にしわがくっきりと、形良い眉はきりきりと、思いきり寄ってつり上がる。


「さ、お爺さんの家へ、行こう」

 白玉を抱いた狼君と、草草を背負った虹蛇は、ふたたび闇を駆けだした。



 ――そうして。


 血の臭いがする、という狼君の言葉に、もう猶予はないとすぐさま乗りこんだ三人と一匹であったが。

「……これ、どういうこと?」

 爺の家の一室で、坊ちゃんは首をかしげることとなった。


 部屋には男が二人、転がっていた。

 一人は口からよだれを垂らし、ぐぅぐぅいびきをかいている。男からは酒の臭いがし、そばには竹筒でできた水筒が倒れている。手には白玉がつけたのだろう、真新しい引っかき傷があった。そして、血に濡れた短剣が……

 もう一人は、胸を血に染め死んでいた。


「この男、仲間を殺しておいて、酒を飲んで寝てるんですか?」

「ずいぶん悪い奴だねぇ」

 狼君の眉間のしわは深いまま。虹蛇も同じく眉をつり上げ、ついでに鼻もふんと鳴る。

「たぶん、違うんじゃないかな?」

 しかし草草は、水筒のそばへ寄って、男たちを眺め見て、うんと一つうなずいた。


 草神の力で見てみれば、水筒のこぼれた酒から、眠り薬に使われる草木の気配を強く感じる。男たちには暗い影がかかっている。

 つまり、と、指を一本立てて見まわすと。


「ニャア」

 ――早く、みんなを助けよ。

「あ、そうだね」

 今は考えるより、従兄を助けるほうが先だ。見上げてきた白猫に、坊ちゃんはにっこり笑って同意した。


「坊ちゃん、こっちです」

 臭いでわかるのだろう、狼君が迷わず廊下を歩きだす。

 ついて歩きながら、ちらりと庭へ目をやれば、裏口のそばに銭箱が積まれてあった。あれらを盗むつもりだったのか。盗む前に仲間同士のいさかいが起き……いや、これは違うのだ。

 くる、と草草の目の玉がゆっくり回り始めたとき、一室の前で、狼君の足がぴたりと止まり、手は扉を開け放つ。


「従兄殿! 大丈夫ですか?」

「むぁっ、むぉうむぉうわわー」

 今の言葉は、『あっ、草草様ー』だろうか。

「……元気そうで、良かったです」


 みな、縄を解こうと精いっぱい、努力していたのだろう。

 手足を縛られ猿ぐつわを噛まされた従兄が、心優しい娘が、金貸しの一家や使用人らしき者たちが、もぞもぞ床を這っていた。





「大丈夫ですか? 痛くありませんか?」

「はっ、はい。大丈夫です!」

 心優しい娘が、優しい手つきで従兄の頭に包帯を巻く。従兄はといえば、年頃の娘を間近にあがっているのか。ギクシャクうなずき包帯がずれる。

「あ、動かないで……」

「あ、すみません……」

「いえ、大丈夫です」

 娘が優しげにほほ笑むと、従兄の頬はポッと染まった。


 いい感じだ。草草は、二人を眺めてニンマリ笑う。

 従兄は娘を気に入ったらしい。嫁の候補を見つけたなら、あとは当人ががんばるだけだ。

 娘の気持ちはわからない。それでも、白玉が駆けつけたとき、従兄も彼女を助けようとしたのだ。好感は持っているはずであり、今の様子を見ていても見通しはそう悪くない。


「さすが坊ちゃん、従兄殿の嫁が見つかりましたねぇ」

「これで坊ちゃんも、毎日散歩できます」

 いつ如何なるときも、坊ちゃんを褒めたたえ、坊ちゃんの健康を気づかう。守役たちは相変わらずだ。

 ぬるく笑った草草は、今度は別のほうを見た。


「大丈夫かい? 怪我はないかい!?」

「兄さん!」

 金貸しの爺の息子たちは、ひっしと抱き合い互いの無事を喜んでいた。


 いつの間に、こんなに仲良くなったのか。草草の首はちょいと傾く。

 弟の着物は大きく斬られ、腹の辺りがのぞいていた。強盗が押し入った際、危ない目に遭ったのだろう。

 この騒動で、兄弟の間にあった、爺の策によって消えかかっていたわだかまりが、綺麗に吹き飛んだのかもしれない。


「ニャア」

 白玉の声が弾んでいる。大好きだった爺の、息子たちが仲良くなったことを喜んでいるのだろう。

 ふふ、と、今度は坊ちゃんも楽しげに笑う。


「話を聞きたいんだが、いいだろうか?」

 しばしして、やって来た役人が、みなを見まわしこう言った。



「まず、主人から話を聞こうか」

 役人は凛々しい顔を向けながら、みなの話を順に聞く。

 まだ怯える者には「大丈夫だ」と頼りがいのある声をかけ、動揺が収まらないのか、まとまりのない話にも親身な様子で耳を傾け、労わるようにうなずいてやる。

 彼のおかげだろう。みなの口調も、やがて滑らかになっていく。


 この役人は、なかなかのやり手らしい。

 役人には受け持ちの地区があるそうだ。この辺りは彼の担当なのだろう。金貸しの家の面々からも、信頼されているようだ。

 坊ちゃんは繁華な通りを任されている、よく見知った役人の、無骨で真面目な顔を思いだす。

 失礼ながら、ぬるい笑みが浮いてきた。


 それはともかく、このたびの件、話を聞けばこういう事であった。


 夕闇も迫るころ。そろそろ店を閉めようと、使用人は入口へと近寄った。そこで、外から飛びこんできた何者かに、ギャッと突き飛ばされたという。転がる使用人に、みなは何事かと驚く。

 何者かは間を空けず、短剣を抜き払いざま、そばにいた弟の着物を切り裂いた。


「あまりに突然のことで、何が何だかわからず……」

 みな、口々にこう言った。

 鋭い切っ先を向けられ、弟のあらわになった肌を見て、すっかり怯えてしまったのだろう。

 何者かが隙なくねめつける中、続いて入ってきたもう一人の男が、みなを縛っていったそうだ。


『あと一人か……下働きの娘がいるはずだ。裏のほうを探してこい』

 終えると、何者かはもう一人の男にこう言った。一人は消え、何者かは残る。刃物をチラつかせて脅し、蔵の鍵の在りかを聞く。

 すると、裏のほうから勇ましい猫の鳴き声と、男の悲鳴が聞こえてきた。何者かは声のほうへ。しばらくすると、心優しい娘と従兄を引きずるようにして戻ってきた。

 この間の、裏庭での出来事は白玉の言ったとおり。娘の言も、従兄の話も一致した。


「こんな日に限って、ついてない……」

「でも、みんな無事だったじゃないか」

 弟が斬られた着物を押さえながら、大きく体を震わすと、兄はその背をなでてやる。


「そういえば、用心棒は今日、妻がお産だったな……」

 役人は痛ましそうに顔を曇らせ、だが、と首をふって続ける。

「怪我もなく、金も盗まれなかったんだ。不幸中の幸いだと思うことだ。それに、助けも早かったからな」

 と、凛々しい顔がこちらを向いた。


「あなた方は、どうしてこの家に?」

 その目が少し厳しい。もしかすると疑われているのだろうか。いや、草草たちの到着はあまりに早いものだった。不審に思うのも当然か。

 役人の目が気に障ったのか。鋭い眼光はいっそう鋭さを増し、切れ長の目は針のように細く尖る。

 まあまあと、草草は守役たちをなだめると、事情を話して聞かせた。


 従兄が帰らないので探そうとしているところへ、白猫が懸命に駆けてきた。そして必死に鳴き続ける。もしやと思ってついて行くと、この家へと辿り着いた。

 こんな話だ。白玉が妖の力でしゃべったこと以外、ありのままである。


「ほう、その猫が若主人の居場所を……利口な猫だな!」

 だから疑いが晴れたのか。坊ちゃんのひざに丸まる白猫を眺め、役人は楽しげに笑った。

 それから、ほかに何か気づいたことはと顔を引き締め問うてくる。


 ちょい、と、草草は小首をかしげた。

 このたびの件、いろいろと思うところはあるのだが、それを思案するのは役人の領分か。この役人はやり手のようだし、それに、と考えながら口を開く。


「部屋の男たちですが、眠り薬を飲まされてるようでした。お酒に混じっていたようです」

 かなり強い薬だ。寝ていた男は「酔っ払っているのか!」と蹴られても起きず、そのまま別の役人に、呆れ顔で連行された。

 だが、薬が使われていたとなれば、事件の見方も変わるだろう。草草はこのことだけを伝えておけば、きっと解決するはずだ。


「……そう、か」

 これを聞いた役人の、眉は一瞬ひそめられ、しばしして、みなを見まわす。

「調べの妨げになるかもしれないから、今日のことはまだ誰にも話さないように。今晩はゆっくり休んでくれ」


 これでようやく坊ちゃんたちは、金貸しの爺の家を、辞すこととなった。





「草草様。昨日は助けていただいて、ありがとうございました」

 翌日の、陽も高くなったころ。薬仙堂のついたての奥で、従兄がおずおず頭を下げた。

「もう起きて大丈夫なんですか?」

 草草がにっこり笑って目をやると、従兄は頭の包帯をなでながら笑う。

 その笑みが、だらしなく見えるのは気のせいか。いや、恋しい娘を想うなら、むしろだらしなくあるべきか。

 ふむ、と坊ちゃんが妙な納得をしていると。


「草草様。昨日のことですが、その……よくわからないことがありまして」

 従兄は眉を下げつつ、しゃべり始めた。恋しい娘が働く店のことだからか、なかなか積極的だ。

 にんまり笑った草草は、ふんふんと相槌を打ちながら聞く。


「最初は、仲間内で揉め事でもあったのかと思ったんです」

 一人は殺され、一人は寝ていた。これだけを見れば、二人組が押し入った際、諍いが起きて一方を殺してしまう。その後むしゃくしゃしていたのか、男は酒をあおって間抜けにも寝入ってしまった、とも思える。

「ですが、男たちには眠り薬が使われてたんですよね? まさか自分で飲むはずはないので、その……」

 包帯をなでながらそろりと見てきた従兄に、草草はうんとうなずき口を開く。


「仲間は三人いたはずです」

 まず、裏庭で娘を捕まえようとして、白玉に引っかかれた人物。いびきをかいて寝ていた男だ。彼の手に引っかき傷があった。

 次に、このとき家に残っており、白玉の雄たけびと男の悲鳴を聞いた者。この人物は裏庭へ向かう。そして戻ってくると、従兄と娘を引きずっていった。これが二人目。

 最後に、裏庭で、白玉が一人目と格闘していたときのこと。従兄は背後から殴られた。キィと、木戸もひとりでに閉まったように見えた。これは外にいた、誰かの仕業だ。これで三人。


「あの、私もそうだとは思うのですが、その、もしかして二人目と三人目が同じ男ということは……」

 包帯をなでていた、従兄の手がようやく止まった。頼りなげな顔が向く。

 従兄は、いや、彼だけでなく娘もそして白玉も、三人目を見ていない。金貸しの家の面々も、押し入ったのは二人と断じた。

 だから自分の考えに、自信が持てないでいるのだろう。


 みなの話を合わせてみると、二人目と三人目は、同時に現れていないようだ。

 二人目が消えてから三人目が現れるまで、あるいは、三人目が消え二人目が姿を見せるまで。この間、どれほどあったのか。これを知るのは裏庭にいた、二人と一匹だ。

 昨晩、草草もこれが気になりそれぞれ聞いてみたのだが――結果、よくわからない。

 従兄は突然のことに驚き怯え必死になり、あげく頭を殴られ朦朧としていた。娘も同じようなものだ。白玉は男と格闘中である。わからなくとも仕方ない。


 ならば仮に、二人目と三人目が同じ人物だったとしたら――草草は、指を二本、三本、立ててみせて話しだす。


 家に残った二人目は、雄たけびと悲鳴を聞きつけた際、わざわざ外を回って裏庭へ向かった。そして、木戸から入って従兄を殴る。

 これは、面倒事が起きたと察し、逃げることも視野に入れていたため、このような行動をとった。と、考えられなくもない。

 しかし、だ。


 この場合であっても、従兄を殴ったあとなら姿を見せてもいいはずだ。けれどこの人物は、そうはしなかった。

 従兄を殴り木戸をそっと閉めたあと、ふたたび外を回って表口から入る。それから裏庭へ出て、従兄と娘を引きずっていった、となってしまう。


「これは変ですよね? やっぱり二人目と三人目は別人で、仲間は三人と考えるほうが自然だと思うんです」

 どうだろうと見つめると、従兄はブンブンうなずきフラリとよろめく。頭に響いてしまったらしい。

 草草が従兄の傷を心配し、守役たちが坊ちゃんののどを気づかい茶を注いで、しばし。



「じゃあ、その三人目が今回の……」

 恐る恐るうかがった、従兄ののどがゴクリと鳴る。坊ちゃんは茶をすすってゴクリと飲む。

「三人目の、姿を見せなかった人物が、きっとすべてを企てたんでしょうね」

 おそらく、こんな風だった。


『押し入りやすい店がある』

 金貸しの家だから金はある。出入りしても目立たない。家には何人、こんな者たちがいる。用心棒は妻のお産が近く、そろそろ店を休むはずだ。

 よく調べ、こんなことも並べただろう。三人目――犯人と呼ぼうか、は、男二人を仲間に誘った。

 いや、違うか。犯人は二人目だけを誘い、うまく言いくるめて、二人目が一人目を誘うように仕向けた。


 男二人は盗みが目的だが、犯人の真の狙いは二人目を殺すこと。そうして一人目に罪を着せる。

 一人目を直接誘わないのは、その口から犯人の名が上がらないようにするためだ。

 強盗の際、姿を見せなかったのも、金を運びださずに置いたのも、ほかに仲間はいないと信じこませるためなのだ。

 金貸しの家の面々は、強盗の被害者であり、犯人のための証人でもある。


 犯人は、眠り薬の入った酒を用意した。

 男二人はいつも飲んでいるのか、爺の家でも口にする。とはいえ強盗の最中だ、大した量ではなかっただろう。が、薬の効き目は強い。


 二人目は、眠りながらに胸を刺された。もしかするとこの男が、腕が立つのかもしれない。弟の着物を切り裂き、白玉の毛も刈ったのだ。犯人は、殺すためにも眠り薬が必要だった。

 それから、ぐぅぐぅ眠る一人目に、血濡れの短剣を握らせる。

 こうしておけば、仲間割れだと思うだろう。目を覚ました強盗がいくら違うと否定しても、きっと信じてもらえない。

 こんな計画だったと思う。


「ずいぶん面倒くさいやからですねぇ」

「どうしてそんな手間をかけたんです?」

 虹蛇がふんっと鼻を鳴らし、狼君は不思議そうに首をかしげた。草草は湯のみを手に取りうなずき返す。


 そうなのだ。このたびの件、こう言っては何だが、いわゆるゴロツキを殺すにしては、ずいぶん手が込んでいる。

 この犯人は、何としても偽の犯人をでっち上げたいらしい。おそらく、調べられると殺された男とのつながりが、すぐにわかってしまうのだ。


 だが、眠り薬のことが明るみに出た。従兄が関わったせいもあり、三人目の存在がより見え隠れしている。

 だから、きっと犯人は捕まるはずだ。


 と、坊ちゃんは思っていたのだが――



「失礼する!」

 少しして、薬仙堂によく見知った役人が、無骨そうな真面目そうな顔を引っさげやって来た。

 昨夜の騒動では、従兄が捕われ草草たちが救出した。ゆえに役人は、状況を知らせようと足を運んでくれたようだ。何となく、この役人だとしっくり来るのは気のせいか。

 ともかくみなで卓を囲み、話に耳を傾ける。が……


「仲間割れ、ですか」

 草草の、小首がかしいだ。なぜだか知らないが、犯人の思惑どおりに調べは進んでいるらしい。

 従兄の、役人に向く目がジトリと据わる。虹蛇は盛大に鼻を鳴らし、仏頂面になった狼君の手は、役人の茶をすすっと下げた。


「だがな……」

 役人の手が、茶を求めて宙をさまよう。卓を眺めて首をひねる。が、ほかに気がかりでもあるのか、さして気にせず話しだす。

「俺はどうも納得がいかないんだ。あの男はこれまでにも、いろいろ悪さを働いている。だが、今まで殺しは一度もやったことがない。確かに酒にはだらしないが、だからといって殺しなど」

「ん? ちょっと待ってください」

 坊ちゃんは珍しくも、人の話を遮った。


 この役人は、一人目の罪を着せられた男を知っているらしい。そして『酒にだらしないが殺しはしない』という風なことを言おうとした。

 つまり、男は酔った勢いで仲間を殺してしまった、と思われている。


「もしかして、お役人さんは眠り薬のことを知らないんですか?」

「眠り薬? 何のことだ?」

「じゃあ、従兄殿は誰に殴られたことになってますか?」

「捕まえた男に殴った覚えはないそうだから、殺された男の仕業だろう」


 これを聞き、くるり、草草の目の玉が回り始めた。

 昨夜の凛々しい役人は、眠り薬のことを隠している。『調べの妨げになるから』と、さもそれらしい理由で口止めもした。

 みなの話を聞いたなら、三人目の存在がわかりそうなものなのに、こちらも何も触れていない。


 凛々しい役人は、自身の受けもつ地区だからだろう、金貸しの家の内情に詳しかった。

 馴染みの役人は仕事柄、一人目の男を知っていた。同じように凛々しい役人が、二人目の殺された男を知っていたとしても、おかしくはない。

 このたびの件、ずいぶん手が込んでいると思ったが、役人自ら調べるために、このやり方になったわけか。これなら犯人をでっち上げるのも簡単だ。


「犯人は、お役人さんだったんだ」

 ポツリとつぶやくと、みなの顔が無骨そうな真面目そうな役人へ、向く。

 違うのだと、坊ちゃんは急ぎ説明することとなった。



 ――しばらくして。


『草草殿の言うとおりだった』

 あの、凛々しい役人は捕まった。

 眠り薬と三人目の存在を明かすと、役人の中にも協力してくれる者があったらしい。そう手間もなく、彼の名が浮上した。


 凛々しい役人と殺された男は、昔の悪友であったという。いや、今もつながっていた。

 役人が情報を流し、男が悪さを働く。ただし殺しはしない。この理由は、一人目の罪を着せられた男が「人として殺しだけはやっちゃいけねぇ」と首をふったのとは異なり、死人が出なければ調べも甘くなるから、だそうだ。

 同じ殺しであっても、罪を犯した強盗なら扱いは軽くなる。だから、このたびの方法を選んだ。


『あの役人は、良家の娘との結婚が決まっていた。そうなると、きっと昔の悪友に強請られるに違いないと、思ったんだそうだ』

 同僚が起こしてしまった事件だからか。報告に来た際、無骨そうな真面目そうな役人は、どこか寂しそうだった。


『奥様はお元気ですか?』

 坊ちゃんがこう聞くと、すぐさま頬がたるんだが。


「うぅん……」

 それにしても、と草草はうなる。

 あの事件の晩、凛々しい役人と会っていたのに、怪しいことにちっとも気づかなかったのだ。

 もちろん、人の本性がわかる狼君は「臭かったです」と眉を寄せ、虹蛇も「なんだか嫌な感じでしたねぇ」と鼻を鳴らしていた。だから、全面的に信頼の置ける相手ではないのだろう、とは思ったが……

 これは、もっと勉強が必要だ。


「狼君、虹蛇。散歩に行こうか」

 今日は秋晴れ、散歩日和、街を歩いて学ぶのだ。ご機嫌な様子の三人は、店を通って外へと――

「草草様。申し訳ありませんが、留守を頼んでもよろしいでしょうか? その、お爺さんの家へ……あの、みなさんの様子を伺いに行きたいのですが」


 従兄は、恋しい娘に会いたいらしい。草草は、街で人々を学びたい。


「……行ってらっしゃい」

「ひぃっ」

 坊ちゃんが、寂しげに空を見上げたものだから、久しぶりに、狼君のギラリと光る眼光と、虹蛇の針のように尖った目が、従兄を鋭く貫いた。



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