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閑話 従兄殿の選択


「はあ……」

 干した薬草をすり潰す、従兄の口からため息が、出た。


 店先を眺めれば、常連のご老人が薬を両手に添書きを見比べていたり、子供の手を引く母親が心配顔でやって来たり、着飾った娘たちが楽しげに、香を選ぶ姿もある。

 薬仙堂はいつもどおり賑わっている。


 父は、ご老人の愚痴混じりの相談事をさらりとかわすと、子供を親身になって診始める。妹は、娘たちと談笑しつつもしっかり品を売りつける。終えると、ご老人の相手をするのも忘れない。

 ついたてのほうを向いてみれば、ときおり白い手がのぞき、ざるに積まれていくのは採ったときより艶の増した薬草だ。草神の力とやらで、効能が高まっているのだろう。

 店も、みなも、至って順調だ。ではなぜ、従兄はため息などついたのか。



 ――これは、昨晩のこと。


「ではみなさん、おやすみなさい」

 草草そうそうが二人の仙を引き連れて、ゆったりとした笑みを居間にふりまき立ち去った。

 今日の働きを労ってもらえたような、感じる疲れも心地よく、寝台にもぐりこんだら気持ちよく眠れそうだと思える、そんな笑みだと従兄は感じる。神の子の消えた扉をぼんやりと眺め、そろそろ寝ようかと思う。

 と、父の難しい顔が、こちらを向いているのに気がついた。


「お前も、そろそろ嫁取りを考えなくてはいけないねぇ」

「へっ!?」

 半分下がっていた従兄のまぶたが、くわっと見開いた。


 彼はもう十九歳。商家の跡取り息子なら、嫁をもらってもおかしくはない年頃だ。

 従兄自身、この春、神の子たちを迎えるまでは、どんな嫁をもらうことになるのだろうと、密かに心浮き立つこともあった。


 しかし、その日常は変わった。

 奇妙な出来事が巻き起こり、不可思議なものたちと出会う、怖い思いをしながらも心弾む日々。

 天女のごとき織女蜘蛛のおかげで人の娘を美しいと思えなくなり、美麗な虹蛇こうだのせいで男は顔かと諦観しつつある昨今。

 従兄の頭からは、嫁取りのことなど徐々に抜けていってしまっていたのだ。


「夏に納涼の宴があっただろう。あそこに、いい娘さんはいなかったかい?」

 父の難しい顔が、なぜだか、当の息子ではなく妹を向いた。これを受けた妹は、歳に似合わぬ渋い顔で小姑のごとく首をふる。

 曰く、どの娘も神への敬いの心は持っているだろう、が、いかんせん口は軽そうだ、とのこと。


 薬仙堂は仙山の、中腹にかかる雲より下に入ることを許された、恵みを与えられた一族だ。

 家には、持っていれば誰も気に留めることのない、そこにあるのが当然のように思える『仙石』がある。神の声が届きもすれば、仙が姿を現しもする。

 今は神の子が楽しげに暮らしているし、二人の怖い仙もいる。さらに、人語を解する白猫まで増えた。


 薬仙堂の嫁はこうした不思議を受け入れ、口をつぐんでいることもできる、そんな女でなくてはならない。

 これがなかなか難しいのだ。


「それに、あの宴で卓にいらした娘さんたちは、虹蛇様を慕ってるようでしたけれど」

 みなの前で妹は、余計なことまでのたまってくれた。従兄の頬はひくりと引きつる。


「ほかの一族に、年恰好の合う娘さんはいましたかねぇ?」

 なおさら難しくなった父の顔が、今度は祖父母を向いた。


 山神から恵みを与えられた一族は、実は、薬仙堂だけではない。ほかにも何家かあり、仙山の北東にある仙恵や西に位置する望仙など、周辺の街や村に散らばって暮らし、薬仙堂と同じく薬屋を営んでいる。

 これら一族の娘なら、不思議に驚くこともなく秘密を守ることもできるだろう、というわけだ。


 ちなみに、祖母は祖父の幼なじみであり、母は父が見初めた女だ。両者とも、ほかの一族を頼らず自力で嫁を見つけている。

 そう思えば、ひょろりとした猫背の僧じゃないけれど、従兄の背中は縮こまる。


「仙恵の娘さんは、確か十七になるんじゃなかったかね?」

「その娘さんは仙寿村に嫁ぐんじゃなかったかしら?」

 そんな孫の懊悩おうのうなど、祖父母は気づいていないのか。仲よく顔を見合わせて同じ風に傾け合う。

 と、祖母は何かを思いだしたらしく、にっこり笑ってふり返った。


「仙恵の薬屋さんには、まだ妹がいるわ」

 そろそろ六歳になるはずだ――これを聞き、従兄は慌てて首をふった。いくら何でも若すぎる。


「お父様、実は」

 ここで妹が、そろりと口を挟んできた。

 納涼の宴の際、仙の方々のお話が耳に届いてきたのだが――こう続いた声に、従兄は嫌な予感を覚える。


「お兄様のお相手に、織女蜘蛛様か藤狐とうこさんはどうかと虹蛇様が」

 従兄はすぐさま首をふった。

 仙の織女蜘蛛に、妖物の藤狐。どちらも美しく人柄も良さそうだ。織女蜘蛛は仙にしては人の常識を知っているようだし、藤狐は従姉夫婦の菓子屋を手伝っている。この二人なら、薬仙堂でもうまくやっていけるかもしれない。

 だが、彼女たちは――


「織女蜘蛛様をこの子のお嫁様にいただくだなんて……失礼じゃないかねぇ?」

 ちらり、父の目がこちらを向いた。従兄は大きくうなずきを返す。

 若干、息子に対しても失礼じゃないのかと思ったが、この際理由はどうでもいい。だって……

 どんなに美しくとも織女蜘蛛は、大きな大きな蜘蛛なのだ。実のところ、この仙の正体を見たことはない。ないが、想像するだに怖ろしい。

 彼の首は、縦なのか横なのか、よくわからないがブルブルゆれる。


「藤狐さんは……菓子屋を出たがらないかもしれないねぇ」

 これにも従兄は何度もうなずく。

 藤狐は……狐だ。常より些細なことで、耳が飛び出もするらしい。もし、そんな彼女と夫婦げんかでもしたら、きっと狐になるに違いない。

 やけに鋭く尖った牙で、噛みつかれるかもしれない。あの、藤の花のように紫がかった尻尾で首を絞め上げられるかもしれない。嫌だ、怖い。

 彼の首はさらに激しく、縦にも横にもブンブンゆれる。


「でしたら、白玉はくぎょくはどうかと狼君ろうくん様が」

「――は?」

 従兄の首が、ぴたりと止まった。


「もしかすると、白玉もいずれは人に化けられるのかね?」

「ニャ?」

 祖父が優しげな声をかけると、甘い薬湯を飲み干して、うとうとしていた白猫は顔を上げて小首をかしげた。

「白玉なら気立てもいいし毛並みも綺麗だから、きっと可愛らしい娘さんになるわねぇ」

「ニャア!」

 祖母が嬉しげに笑い、白猫は元気な声を返してくる。


「人と妖物の間にできる子は、人なんだろうか、妖物なんだろうか?」

「力を持った、人、にでもなるのでしょうか?」

「草草様に伺ってみましょう」

 父と母と妹は、何やら奇妙な会話を交わす。


 ――なぜ、そんな話はおかしいと、誰も言いださないのか。


 くらり。従兄がめまいを覚えたのは、けっして首を振りすぎたせい、だけではなかっただろう。





「はあ……」

 すり鉢を抱えた従兄の口から、また、ため息が出た。その目はついたてを見つめている。


『じゃあ、母上から仙山のものたちに聞いてもらいましょうか?』

 今朝、話を聞いた神の子は、弾む笑顔でこう述べた。

 仙山のものたち――花嫁候補を増やしてくれなくていいのに、と、申し訳ないが従兄は思う。


『それはいいですね。后蛾や銀蚕姫なら、奥様に仕えてるから人にも慣れてますしねぇ』

 虹蛇はにこりとほほ笑んだ。神の子だけに向ける優しげな笑みだ。いつもその顔でいてくれたら怖くないのに……いや、今はそんなことよりも。

 后『蛾』に銀『蚕』姫――その仙の正体が容易に想像できてしまう。彼女たちにはぜひとも断ってほしい、と、失礼ながら従兄は願う。


『どうして白玉じゃダメなんですか?』

 そして、不思議そうに首をかしげた狼君の、鋭い眼光がこちらを向く。

 従兄は朝っぱらから身を震わせ、『どうしてそんなに眼光が鋭いんですか?』と、心の中で必死に問いを返していた。



 ともかく、彼の未来は三つに一つだ。

 一つは、怖い思いをぐっと堪えて、人ならざるものを妻とする。これはできれば避けたいと、従兄は切に思う。けれど昨晩の様子を見るに、家族に言ってもこの気持ちは理解してもらえそうにない。

 二に、何年もずっと待ち、十三も歳の離れた娘を娶る。こちらは話を持っていくにしても、まだ先の話だ。


 そして最後が、自分で嫁を探す。優しく、不思議のものを怖れる気持ちもわかってくれ、何より人である、そんな娘を探すのだ。

 これが最良の道だと思うし、父も祖父もそうしてきたのだ、できないことはないはずだ。

 ついでに、美麗だったり精悍だったりする仙に、清らかな神の子に、目が向かない娘であることが望ましい。とも付け加えておきたい。


 ぐっと拳を握った従兄はきりりと顔を引き締めて、店をぐるりと見わたした。

 だが、年頃の娘たちはもういない。嫁探しの行く末を暗示しているようで、なんだか不吉だ……

 いやいやと、慌てて否定し首をふる、と。


「失礼する!」

 ここでやって来たのは、無骨そうな顔をやけに活き活きと輝かせた、真面目そうな役人だった。

 妹は、どことなく不機嫌そうに出迎える。相談事を持ちかけては神の子の手を煩わせたり、薬仙堂の面々にあらぬ疑いをかけてみたりと、いろいろあったせいだろう。

「みな、元気そうで何よりだな!」

 しかし役人は、そんな彼女にひるむことなく、誰よりも元気な声を張り上げる。


 ――きっと、恋しい娘を嫁にもらったから、無駄に元気そうなのだ。


 じぃっと、従兄は役人を見た。

 この役人は、真面目そうであっても恋しい娘を見つけることができた。

 この役人は、無骨そうであっても娘の心を射止めることができた。

 この役人は、神の子の助けを大いに借りはしたが、結婚までこぎつけることができた。

 つまり役人は人生の先輩であり、こんなときこそ相談に乗ってもらうべきなのでは――


「あの、草草様、相談に乗っていただきたいことがあるんですが……」

 しかし、従兄の足はくるりと反対側を向き、ついたての奥をうかがった。

 あの役人は、結婚はできたもののこの手の話は門外漢のはずだ。うぬぅと妙なうなりをもらし、結局は神の子へ相談、となるに間違いないのだ。


「やっぱり、お嫁さんは人のほうがいいですか?」

 従兄が何か言うより前、草草は穏やかにほほ笑んだ。

「そっ、そうなんです! すみません……仙山へ聞いてくださるように、お願いしておりましたのに」

 さすが神の子、わかっていてくれたのか。従兄の口からすらすらと、相談事が飛びだしてくる。


「仙じゃ不服なのかい?」

「白玉じゃダメなのか?」

 剣呑な眼差しにも、鋭い眼光にも、今の従兄はひるまない。


「草草様、失礼します。お役人様がいらっしゃいまして、相談事があるそうですが」

 ここへ、神の子の前だからだろう笑みを作りつつも、明らかに不機嫌とわかる妹が、顔をのぞかせた。

 どうしたのかと問うてみれば、役人が新婚の妻へ、贈物をしたいのだが何を選べばいいのかと迷い、相談に来たとのこと。


「……すみません。今は、従兄殿と大切な話があるので」

 こちらは今、大変な局面に立たされているのに、そんな幸せなことで……と従兄の頬が引きつるより早く、草草がぬるい笑みを浮かべてやんわりと断る。


 やはり、神の子に相談して良かった。

 従兄は相談相手を正しく選択したことで、嫁探しへの大きな一歩を踏みだした、気が、していた。



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