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第十三話 爺の遺言


白玉はくぎょくや、この首輪を大事に持っていておくれ。わしが婆さんのところへ逝ってしまったあと、鍵を持つ者がきっと現れるはずだから、渡してやってほしいんだよ。そのときにね――』


 ――わかった!


 ぱちりと、白玉の両目が開いた。

 まだ寝ぼけた白猫は、きょろきょろと辺りを見まわす。そこは住み慣れた、大好きな爺の家ではなく、ひとり寂しく寝起きした裏通りでもない。近ごろ見慣れてきた、薬仙堂の、祖父母の部屋だ。


「おや、白玉、起きたかね」

 心地よい寝床を出、前足をつっぱって伸びをする白玉に、祖父が優しげな笑みを向けてくる。これにニャアと返すと、今度は祖母が近づいてくる。

「白玉、ほら、できたわよ」

 手が伸びて、白猫の首に真新しい赤いひもが結ばれた。白い玉に銀の葉の飾りのついた、白玉の大事な首輪である。


 この首輪は白玉が、元の主人――金貸しの爺から託された品だ。爺が亡くなり、家を追いだされて浪々の身となったときも、ちゃんと首に下げていた。このときの白玉は灰の毛玉だったので、その毛に埋もれて誰も気づかなかったが。

 『泥棒は金貸しの爺の幽霊だ』などという汚名を晴らすために、床下にもぐりこんだり屋根裏をのぞき見たり。こんなこともしたからか、首輪は切れかかってもいた。

 そこで、祖母が新しいひもを用意したというわけだ。


「やっぱり赤が一番似合うかしら」

 祖母が嬉しげに笑って白玉をなでると、祖父は卓に並んだ、色とりどりのひもと見比べて満足そうにうなずく。

 みな、太い糸で編んだ、しっかりとしたひもだ。それぞれに違う模様まで入っており、猫の首輪にしてはずいぶんと凝っている。


「たまには変えてみるのも、いいかもしれないわねぇ。白玉は何色だって似合いそうよ」

「それもいいね」

 祖母が弾んだ声を出せば、祖父もにこやかに笑う。こうした辺り、愛息子を飾り立てるのが好きな母の、両親らしいか。


「ニャア!」

 ――ありがと!


 白玉はといえば、祖父母に元気いっぱいご機嫌な声で鳴いた。

 大好きな爺の首輪に、新しい主人たちが新しいひもを用意してくれた。それだけで十分嬉しいのだ。


「白玉や、散歩かね?」

「今日も暑いから、気をつけて行ってくるのよ」

 もう一度、元気な声を返して祖母の手にすり寄ると、白猫は意気揚々と家を出た。





「ご、ごめんくださいませ」

 同じころ。薬仙堂の店先で、ひょろりとした猫背の僧が、相も変わらずおどおどと挨拶をした。

 これを笑顔で迎えた従兄は、いくらかの世間話を終えたあと草草そうそうを呼びに行く。


「お坊様、お久しぶりですね」

 清らかで、慈愛に満ちた笑みをたたえる青年と、眼光鋭い精悍な偉丈夫、そして、口元に不敵な笑みを浮かせた美麗な男――只ならぬ三人が現れると、僧の猫背はさらに縮まり、客たちの目はそちらへ流れる。

 なぜだか、毎日会っているはずなのに、従兄の目までつられて流れ、背もぐぐっと縮まった。


「最近は忙しかったんですか?」

 店の卓に落ち着くと、草草はにこりと笑い、その横から従兄が砂糖水を差しだしてくる。

 まずは一口。今日は心地よい東風が吹くものの、真っ青な空から降りそそぐ、夏の陽射しは遠慮ない。

 従兄も加わり、みなで冷たい湯のみを傾けて、ふぅと息をついた。


「忙しかったわけではないのですが、恥ずかしながら、その、私が体調を崩してしまいまして……」

 湯のみを置いた僧は、眉を下げ、なおさら縮こまってこう続ける。

「ここしばらく、季節はずれの西風が吹いておりましたので――」

 僧はお札を書く際、すみに埃が混じってはいけないと、部屋の窓を閉め切っていたという。薬仙堂のような、わずかでも風を通す内窓はない。寺は竹林に囲まれているとはいえ、さすがに夏の盛りだ、部屋は茹だるように暑くなる。


「それで、具合を悪くしてしまったんですね……」

 西の砂漠の地下にいる、砂人さじんたちの吹かせた風は、思わぬところで猛威を振るっていたようだ。草草の顔に、ぬるい笑みが浮く。

「あいつら、本当に迷惑だね!」

「まったくだ!」

 坊ちゃんを連れ去った砂人らを、守役たちは当然のこと、快く思っていない。形よい眉はきりきりと持ち上がり、鋭い眼光はギラリと煌めく。

 それは従兄も同じようで、ごく普通の眉と目にも、ぐっと力がこめられた。


「あ、あの、何か?」

「いえ、お坊様が元気になって良かったです」

 草草がにっこり笑うと、おどおどしていた僧の顔もほにゃりと崩れた。しかし用件を思いだしたのか、崩れた顔はちょっとばかり引き締まる。


「それで、その、こちらに白玉という猫が飼われているとか」

「はい、少し前からここで暮らしてます。白玉が何か?」

 白玉は化け猫と疎まれ、追いだされた猫だ。そこへ、力ある和尚の寺にいる、僧が話を持ってきた。

 もしや……と草草は、ほほ笑みを保ちながらも先を促す。


「昨日、その猫は化け猫だから捕まえてほしいと、和尚様に相談なさった方がいらっしゃいまして」

 言いづらそうに口をもごもごと動かした僧に、やはり、とうなずくより前。


「白玉はまだ化け猫じゃない。捕まえる必要もない!」

「薬仙堂にケンカを売る気かい? いい度胸だねぇ!」

「え!? 化け猫!? 白玉は化け猫なんですか!?」

 卓の三方向から一斉に、声が飛びだしてきたものだから、何がなんだかわからなくなった。


 彼らをなだめたり、いさめたり、安心させたり、ついでに怯えてしまったもう一名にも優しげな笑みを向けてみたり。

 坊ちゃんはしばし、忙しかった。



 ようやっと落ち着きを取り戻した卓で、僧は話し始める。


 昨日、寺を白玉の元主人――金貸しの爺の、息子夫婦が訪れた。お顔の長い、いや、徳の高い和尚に、彼らはこう願ったそうだ。

 曰く、あの猫は化け猫である。その猫が今、薬仙堂に入りこんでいる。もし薬仙堂に何かあってはいけないので、こちらで捕らえてはもらえないか。

 そして、こうも言ったという。


『いくら化け猫とはいえ、白玉は父が可愛がっていた猫です。捕らえていただけましたら、一目でも会いたいと思うのですが』


「その夫婦、何言ってるんだい? 自分たちで追いだしておいて、今ごろになって会いたいだって?」

 ふんっ、と虹蛇こうだの鼻が威勢よく鳴った。狼君ろうくんの眉間にも、しわがくっきり浮いている。


 白玉は、草草が引き入れた猫であるから、つまり薬仙堂の一員だ。それに、妖物としては幼いなりに礼儀正しく、主人思いでもあった。

 二人の仙も白玉の、こうした気性を気に入っているのだろう。

 幼い妖物を、彼らなりに正しく導こうとでも考えているらしく、「いざというときは、まず坊ちゃんを守るんだ」だとか「挨拶は坊ちゃんからだよ」などと、真面目な顔で説いたりもしている。


 そんな二人の、鋭い眼光と剣呑な眼差しが、僧をびくりと震わせた。これをまあまあと、草草がなだめる。

「白玉は良い猫だもの。和尚様が捕らえるはずないよ。こうやって話を教えにきてくれたんだから、そういうことですよね? お坊様」

 穏やかで優しげな笑みを向けられて、安堵したのか。強ばっていた僧の頬は、また、ほにゃりと崩れた。


『薬仙堂さんには道士様がいらっしゃいますからな。心配なさることはないでしょう』

 和尚はこう返したという。彼は馬頭鬼の孫だ。おそらく草草が草神だということも、守役たちが仙ノ物だということも、承知しているのだろう。

 大丈夫だとほほ笑む和尚に、しかし息子夫婦は納得しなかったそうだ。


「捕らえてほしいと何度もおっしゃられて、和尚様がお断りになりますと、ならばせめてお札を、と。ご夫婦は魔除けのお札を持って帰られました。それで和尚様から、このことを薬仙堂さんに伝えるようにと申しつけられまして」

 ここで僧は、小さな目をしばたきながら、うかがうようにこちらを見やった。


「そういうことでしたか。ありがとうございます」

 草草はにこりと笑みを返したあと、くるりと目の玉を回す。


 和尚がわざわざ僧を寄こしたのだ。息子夫婦の様子から、何がしかの心配を感じ取ったのかもしれない。

 たとえば――夫婦自ら白玉を捕まえようとする、とか。お札を持ち帰ったのは、きっとそのためだ。

 では彼らの目的は、と草草が首を傾けたとき、「その息子さんのほうでしたら」と従兄がおずおず切りだした。



「白玉を引き取りたい、ですか……」

 従兄の話を聞き終えると、また、草草の首はかしいでいた。


 先日――若主人としてのお披露目のため、着飾った従兄が西風にあおられながらギクシャクと、商家の寄り合いに向かった日のことだ。

 寄り合いを終えてそろそろ帰るかというころ、金貸しの爺の息子だという男と顔を合わせた。

 ほろ酔い気分で頬の染まった伯父と、お披露目の緊張が解け、ついでに顔も溶けた感じにゆるんだ従兄に、息子は丁寧な挨拶をくれたあと、こう、のたまったという。


『白玉を可愛がっていただき、ありがとうございます。父が亡くなったあと、寂しかったのでしょうか、姿をくらましてしまい心配しておりました。それで、このまま薬仙堂さんに手間をかけていただくのも何ですので、私どもで白玉を引き取りたいと思うのですが』


 これを聞いた従兄の、ゆるんでいた眉が思いっきりギュッと寄った。

 白玉は追いだされたと聞いている。神の子がそう言ったのだから、そうなのだ。それなのに、この息子は今さら何を言っているのか――


 このとき、そばにいた伯父の表情は穏やかなままであった。しかし、この申し出を、笑顔のままに一蹴したという。

『おや、私がそちら様のご近所で伺った話とは、少々違うようでございますが……』

 ハッタリなのかもしれないが、こんなことを言い、息子の頬を引きつらせもしたそうだ。


「その息子、伯父上殿に断られたから、今度は和尚の力を借りようとしたってことかい?」

 虹蛇が尖った声を向けると、小さくなった従兄がうなずく。狼君の眼光も鋭さが増したせいか、僧の猫背もさらに丸まる。

 ここで坊ちゃんは、恐い二人をなだめるでもなく、縮んだ二人をなぐさめるでもなく、「うぅん」とうなった。



「その息子さん、なんだかおかしいですねぇ」

 草草は、指を立ててみなを見まわす。


 昨日、寺を訪れたという夫婦だが、力ある和尚に白玉を捕らえるように頼み、断られるとお札を持ち帰った。つまり、白玉がただの猫ではないと信じているわけだ。

 一方、西風が吹いていた数日前、伯父と従兄の前に現れた息子は、まだお札を持っていなかったはずだ。それなのに白玉を引き取りたいと申し出た。こちらは、白玉を怖れていないと思える。


「お寺に来た夫と、従兄殿が会った息子さんは、別人みたいじゃありませんか?」

 こう言って小首をかしげると、従兄の口から「あ」と声が上がった。

「この通りの商家ではないので詳しくはわかりませんが、あの家には息子さんが二人いると、父が言っておりました!」

 勢いこんだ従兄に、草草はそれは良い情報だと、ほめる感じにうなずいてみせる。それならどちらも『金貸しの爺の息子』だ。

 頬のゆるんだ従兄のそばで、草草の目の玉は、またくるりと回り始めた。


 まず、従兄が会った息子。こちらが金貸しの爺の、長男の可能性が高い。

 彼は寄り合いの席で従兄に会った。主人たちが集う場にいたのだから、金貸しを継いだ立場にあるということだ。

 寺に来たほうが、次男夫婦だろう。


 そして、長男と次男の仲は、おそらく良くないのだと思われる。

 兄弟の白玉に対する認識の違い、これは異なることもあるだろう。しかし、白玉を得ようとした手口まで違う。

 二人は同じ目的がありながら、別々に動いている。手を組んでいれば、お札を用意してから白玉を引き取ろうとするとか、もっと一貫したやり方になると思うのだ。


 それから、この兄弟の目的だが――こちらは草草にも情報があった。白玉が教えてくれた、金貸しの爺から託されたという、首輪と言葉だ。

 寺に来た次男は、白玉を捕らえてくれと願った。化け猫が捕らわれれば、もう寺から出されるはずもない、と考えるのが普通だ。つまり、彼が得たいのは白玉自身ではないのだ。

 となれば目的は、いわくありげな首輪のほうである。

 次男は、白玉を捕らえてくれたら一目会いたい、などとも言った。ここで首輪を手に入れる予定だったのだ。


 草草は突如、立ち上がった。


「坊ちゃん、用足しですか?」

「小腹が空いたなら、我が菓子を持ってますよ?」

 ついて来るつもりなのか、狼君が腰を浮かせ、菓子袋を取りだすつもりだろう、虹蛇の手はたもとを漁る。

 これを見た草草は、違うのだと苦笑いを浮かべた。

 金貸し爺の、家の事情は白玉に聞けばいいのだし、白玉の無事も確認しておきたいと思ったのだ。


 こうしたことを説明し、礼を述べて挨拶を交わすと、僧は薬仙堂の表へ、従兄は店の奥へ、草草たちは白玉がいるであろう祖父母の部屋へ。

 長話を終えた面々は、それぞれに散っていった。





「白玉は散歩に出かけましたが」

「そうですか……」

 祖父にこう言われ、ちょっとばかり眉を下げた草草だが、部屋を見まわすと、その顔に笑みが浮いた。


 祖父母の寝台の横には、ふっかりとした白玉の寝床が設えてある。

 わきの机には何枚かの紙が置いてあり、『是』『要』『不』といった文字が書かれている。これは祖父母が白玉に、簡単な字を教え、問うては前足を乗せて答えるという風な、会話に使っているのだ。


 白玉が妖物であることを、草草はまだ伝えていない。慣れてから、親しくなってから、と思っていたのだが、祖父母はただの猫ではないと気づいているようだ。そして、可愛がってくれている。

 まあ、あらぶる大狼と大蛇を前にして、怯えることのなかった老夫婦だ。このくらい、大したことではないのかもしれない。


 それでも、坊ちゃんの笑みはひどく嬉しげだ。部屋をめぐらす笑顔は、しかし卓のところでぴたりと止まった。


「お祖父様、あのひもは……」

「あれは妻が作った、白玉の新しい首輪でございます」

 卓の上にあったのは、祖母が白玉のために用意した、色とりどりのひもである。

「では、白玉は今日、首輪をつけて出かけたんですか?」

「ええ。白い玉に赤いひもをつけて、よく似合っておりましたよ」

 横から返ってきた祖母の弾む声に、うなずきはしたものの、草草の眉根はわずかに寄る。


 白玉はこれまで、ひもが切れかかっていたので首輪をしていなかった。が、今日はこれをつけている。

 白玉は主人思いの猫だ。爺から託された言葉を果たそうと、金貸しの家に行くかもしれない。

 首輪が目的であろう兄弟は、その姿を見たらどんな行動に出るだろう。


 昨日、寺を訪れた次男は、白玉を恐がっているはずだ。だから動きだすのも遅かったし、お札があってもそう簡単に手は出せないとも思える。

 しかし数日前、従兄が会った長男はどうか。彼は白玉を怖れていない。今日まで何もしなかったのは、白玉に首輪がなかったからではないのか。

 考え、うつむいていた草草の顔がパッと上がったとき。


「草草様、一つ気になることがございまして」

 こう言って、祖父が差しだしてきたのは、切れかかった布のひもだ。白玉の、元の首輪に使われていた物だろう。

 手に取って見てみれば、裏に何やら書いてある。


『右八、左九、左五、右九』


 ふむ、と草草はうなずいた。

 託された首輪、その裏に書かれた文字、『自分が亡くなったあと、鍵を持つ者が現れるから首輪を渡してほしい』という風な金貸しの爺の言葉。そして、おのおのが首輪を得ようとする、その息子たちだ。

 肝心の、鍵を持つ者は現れていないが、おおよそのことはわかったと思う。


「うん、行こうか」

 今はまず、白玉の身が心配だ。祖父母の部屋を辞すと、草草たちは暑い街を駆け抜けた。

 このとき、坊ちゃんは虹蛇に背負われ、二人の仙は韋駄天のごとく走ったために、盛大に人目を引いたのだが、今はそんなこと、誰も気にしていなかった。



「坊ちゃん、ここです。またたびの臭いが強い」

「白玉もいるようですよ」

 すん、と鼻を鳴らした狼君が、眼光を煌めかせながらうなずいた。

 背から降りた坊ちゃんの着物を丁寧な手つきで直しつつ、虹蛇の、針のように細めた目は一軒の家を向いている。

 草草も、うんとうなずきそちらを見やる。


 ここは薬仙堂のある一等繁華な通りから、五本、六本と奥まった場所に建つ、金貸しの店の、裏側だ。

 金貸しという職業柄か、客が入りやすいようにだろう。ひっそりとした場所にあるものの人通りがないわけでもない。


「坊ちゃん、みんな片づけますか?」

 そばでささやいた虹蛇に、草草は首をふった。


 猫を酔わせるというまたたびを使い、白玉を捕らえるだなんて、許せないとは思う。だが、まだわからないこともあるし、店には客だっているかもしれない。

 何より白玉が、爺から託された言葉を、元主人の最後の願いを、叶えようとしているのだ。これを邪魔しては、絶対にいけない。

 こうしたことを守役たちに説いた坊ちゃんの、その唇は結構尖っていた。珍しくも、やはり機嫌は良くないのだ。


「では坊ちゃん、念のために目をつむっててください」

「ん」

 狼君に言われたとおり、草草は目をつむる。さらにご丁寧に、虹蛇の手のひらが目元を覆う。


 ――ごぉぉぉうっ


 途端、竜巻のごとき風が、この一帯を渦巻いた。

 ガタ、ガタンと何かの倒れる音に、短く上がった悲鳴。目をつむった坊ちゃんは、ちょうど渦の真ん中にいるのか、そよとしか風を感じない。

 しばしして、風がやむ――


「白玉! 大丈夫?」

「うにゃあ~」

 狼君の腕に、またたびのせいだろう、ふにゃふにゃと身をよじる、なんだかご機嫌な感じにも見える白猫の姿があった。



「どうしようもない息子たちだな!」

「白玉の爪の垢でも煎じて、飲ませてやればいいんだよ!」

「ニャア……」


 草草たちは白玉を連れ、薬仙堂に戻っていた。自室の卓には饅頭に菓子、甘い薬湯も乗っている。

 二人の仙は当然ながら機嫌が悪く、そのせいなのか、肉の入った饅頭の減りは怖ろしく早い。

 坊ちゃんのひざの上で、好物の薬湯も前にしながら白玉には元気がない。それもそのはず、今、白猫の首には、大事な首輪がないのだ。


 散歩に出た白玉は、首輪が戻ってきた今日、爺の願いを果たせないかと金貸しの家へ向かった。

 爺の言っていた『鍵を持つ者』を見つけ、できれば飾りの部分だけを渡して、ひもは取り戻したかったとも言う。新しい主人の一人、祖母が作ってくれた物だからだろう。

 ニャ、と力なく鳴いた白猫を、草草は優しい手つきでなぐさめる。


 白玉は薬仙堂に来る前、灰の毛玉だったときも、何度も爺の家を訪れていた。嫌な顔をされたり、ほうきで追い払われたり。

 けれど今日は違った。みなが、白玉を捕らえようとしたのだ。


「息子さんたちが、白玉が重要な鍵だってことに気づいたのが、最近だったんだろうね」

「どういうことですか?」

 饅頭を飲みこみながら、不思議そうな顔を向けてくる守役たちに、ひざから見上げてくる少々重たい白猫に、草草はうんとうなずきしゃべりだす。


 この騒動はおそらく、爺が亡くなったあと、部屋を整理していた息子たちが書き付けか何かを見つけたのが、きっかけなのだ。

 その書き付けは、きっとこんな風だった。


『金庫の開け方は、白玉に聞け』


 これを見た息子たちはどう考えたか。白玉は人の言葉を解しても、声に出せるわけではない。本当に聞けばわかるとは思わなかっただろう。

 白猫が身に着けている、首輪に目をつけるのが自然だ。


「ねえ白玉。お爺さんの家に、数字が書かれてあって回るつまみのついた、綺麗な金庫はある?」

「ニャア」

 ――爺の部屋にあるよ。


 ちょっとばかり首をかしげた白玉に、草草はにっこり笑って、元々首輪に使われていた、切れかかった布のひもを見せてやる。

 この裏に書かれた数字が、金庫のつまみの回し方だろう。息子たちが手に入れるべきは、首輪の飾りではなく、こちらのひものほうなのだ。

 こう言うと、白猫の大きな目がパチパチとまたたく。狼君は鼻息も荒くうなずき、虹蛇はふふんとせせら笑った。



「坊ちゃん、綺麗な金庫っていうのは何です?」

「ああ、それはね」

 草草は、茶を注ぎなおしてくれた虹蛇に礼を述べ、問うてきた狼君に顔を向けると、茶を一口すすって話しだす。


 金庫が綺麗な品だと思ったのは、息子たちが白玉を捕らえようとしたからだ。金庫の中身が欲しければ壊すほうが簡単なのに、そうはしなかった。

 きっと金庫自体も美しく、それだけで価値があるのだ。


「欲張りな息子たちですねぇ。それでわざわざ、魔除けの札をつけた檻まで用意したのかい?」

「またたびもだ」

 虹蛇が呆れた感じで鼻を鳴らすと、狼君の仏頂面は、いけない、という風に横にゆれる。


 白猫が現れると、金貸しの家は大騒ぎになったそうだ。

 白玉の足は遅い。とはいえ、それは猫にしてはというだけだし、宙も華麗に舞ったりする。人が簡単に捕まえられるはずもない。

 お札のついた檻は、白玉を恐がる次男が用意していたのだろう。またたびのほうは長男なのか。ともかく騒ぎになり、図らずも兄弟は協力して白猫を捕らえることとなった。

 ところが。


「ねえ白玉。狼君が助けに行ったとき、檻に貼ってあったお札は破れてて、扉も開いてたそうだけど、それは誰がやったのかな?」

 またたびのせいか、白玉はふにゃりとして収まっていたが、檻はいつでも出られる状態になっていた。

 首輪を手に入れた息子たちは、金庫のことばかりが頭にあったはず。白玉を気づかったりはしないだろう。となると。


「ニャア」

 ――優しい娘さん。


 見上げる白玉が、こう、返してきた。

 その娘は、金貸しの家で働く使用人だという。病で寝こんだ爺の看病をしてくれ、爺の亡きあと、白玉を引き取ることにもなっていた。

 だが、その前に白玉は追いだされ、また、白玉も娘に近づかなかった。悪いと思ったから、だそうだ。息子たちが追いだした猫を飼えば、使用人として娘の立場が悪くなる。こんな風に感じたのだろう。


「白玉は偉いねぇ」

 ひざの上の白猫を優しくなでた草草は、「首輪を取り返しに行こうか」とにっこり笑う。


 あの首輪の飾りは、金貸しの爺が白玉にあげた品であり、新しいひもは薬仙堂の祖母が作った物だ。だから、白玉の首にあるべきだ。

 どうやら『鍵を持つ者』も現れた。金庫には鍵もついているのだろう。その鍵は、大切な白玉を任せることのできる、心優しい娘が持っているはずだ。


「ニャア!」

 ――もう一つ、やることがあるの!


 元気が出てきたのか、勢いこんだ白玉の話を聞き終えると、坊ちゃんはにんまりと笑った。





 シン、と静まり返った店先で、草草が清らかにほほ笑む。その笑みは穏やかでいながら、おごそかだ。

 うしろに控える狼君の、いつにも増して鋭い目は、周囲をひたすら萎縮させ、虹蛇の獰猛な笑みは、美しいからこそ見る者の心を怯えさせる。

 足元にいた白玉が、フシャーッ、と威嚇すると、店にいた者たちはその身をびくりと跳ねさせた。


「白玉の首輪を返していただきにきました」

「そ、そのような物……私どもは存じませんが」

 にっこり笑った草草にこう答えたのは、頬と口元を引きつらせた男だ。手にたくさんの引っかき傷がある。

 この男が長男だろう。白玉を恐がる次男なら、捕まえようと手を伸ばしたりはしなかったはずだからだ。


 坊ちゃんの視線が長男の、引っかき傷をジッと向く。先ほど白玉を捕まえたのは明白である。長男は慌てた風に手を隠し、さらに顔を引きつらせた。

 そして、白猫なのか二人の仙なのか、とにかく恐がっているらしく、こちらに近づきもしない男が……数人いるので、このうちの誰かが次男だ。


「あなた方が欲しがってる首輪は、こちらですよ」

 ふところから、するりと取りだしたのは、切れかかった元の首輪である。

 これに一人、恐がりながらも身を乗りだしてきた男が次男だろう。わかりやすい。


「さ、金庫まで、案内してください」

 すべて知っているぞ、と草草が見まわすと、守役たちの恐い目もこれに従い動いたからか。

 長男はまたまた頬を引きつらせ、次男は腰の引けた様子でガクガクと、二つの顔が縦にゆれた。



 布団のない寝台に、布がかかったままの鏡、物の少ないひっそりとした部屋に、草草たちは通されていた。

 部屋には小さな金庫もある。回るつまみのついた、黒塗りに金箔や貝だろうか、美しい花の描かれた品だ。ここが亡き爺の部屋だったのだろう。

 顔をめぐらす白玉の様子は、なつかしそうにも寂しそうにも見える。


「坊ちゃん、ありました」

 卓の上に放り投げてあった首輪を、狼君がさっさと取りにいく。

 これを受け取り屈みこみ、草草が白猫の首に巻いてやると、ニャアンと嬉しげな声が返ってきた。


「あ、あの、そちらの首輪をお渡し願えないでしょうか?」

「そうでしたね」

 草草がうなずけば、引っかき傷のある長男の手が、そのうしろに隠れるようにしていた次男の手が、そろってこちらに伸びてくる。

 だが、元の首輪をつまむ白い手は、ふいっと方向を変えた。

 向かった先はこの部屋にいるもう一人、使用人の心優しい娘だ。こちらはここへ来る途中、白玉が教えてくれたため、すぐにわかった。


「あなたですよね? お爺さんから鍵を預かったのは」

 こう問うと、若い娘はおどおどとうなずき、慌てた様子で胸元を探る。それから遠慮がちに伸びた手に、小さな鍵が乗っている。


「なっ、なんでお前が持ってるんだ!」

「まさか、金庫の中身を盗むつもりだったんじゃないだろうな!?」

「うるさいねぇ。坊ちゃんの言葉を聞いてなかったのかい?」

「爺さんが娘にやったと言っただろう」

 声を荒げる兄弟を蹴散らしたのは、虹蛇の剣呑な眼差しと、狼君の鋭い眼光であった。

 坊ちゃんはといえば、守役たちをなだめるはずもなく、すっかり小さくなってしまった娘に、安心させるような優しげな笑みを向ける。


 本当なら、白玉はこの娘に引き取られるはずであった。爺の書き付けが出てきたとき、白玉がそばにいたなら、娘はすぐに鍵と首輪を息子たちに渡したかもしれない。

 いや、少し様子を見てからと、爺に頼まれていただろうか。なぜなら――


「さ、どうぞ」

 元の首輪を渡そうとすると、娘は何度も首をふり、鍵をこちらへ差しだしてくる。

 草草はにこりと笑ってそれを受け取り、今度は息子たちの前へ。


「さ、どうぞ」

「え……よろしいので?」

 戸惑いを見せた兄弟は、しかし鍵と首輪を受け取ると、すぐに金庫へ取りかかった。

 背後から、狼君の荒い鼻息と、虹蛇の威勢よい鼻の音が聞こえたのは、気のせいではないだろう。

 草草は苦笑いをもらしつつ、兄弟のうしろ姿を眺め見る。


「これは……着物?」

「母さんのだ……」

 金庫から出てきたのは、古びた、けれど優しげな色合いの、幾枚かの着物であった。



 金貸しの爺はなぜ、白玉の首輪に金庫の番号を記し、鍵は娘に渡し、その手がかりを書き付けにして、息子たちが見つけるであろう部屋に残すといった、面倒なことをしたのか。

 兄弟が一つのことに取り組むことで、彼らの仲を少しでも良いものにしたいと考えたからだ。

 良くしてくれた娘に何かを残したいのなら、直接渡せばいい。だからこの金庫の中身は、息子たちへ向けた物なのだ。


 白玉が生まれる前の話だそうだが、この兄弟は仲が良かったという。まだ母が生きていたころのことだ。

 一家に何があったのか、草草にはわからない。

 だが、若いころの兄弟は金貸しという仕事を嫌っていたらしい。周囲の理不尽な声――以前、伯父が言っていた『きちんと金を返さなかった者の恨み言』に晒されたりもしたのか、父への反発もあったと思う。

 こうしたことが、兄弟の仲にも障りを生じさせたのかもしれない。


 今、息子たちの手は、母の着物に置かれている。

 爺は思いだしてほしかったのだろう。母が生きていたころの、仲が良かったころのことを。

 彼らを見、にっこり笑った草草は、ポンと、白猫の背に手を乗せた。途端。


「ミギャー!」

 勇ましい声を放った白玉が、部屋をどすどす駆けだした。丸い体はぼんっと弾み、シャキリと伸びた爪はギョッとふり向く兄弟をねらう。

「うがっ」

「ぎゃっ」


『白玉や、この首輪を大事に持っていておくれ。わしが婆さんのところへ逝ってしまったあと、鍵を持つ者がきっと現れるはずだから、渡してやってほしいんだよ』

 金貸しの爺の言葉には、まだ続きがあった。


『そのときにね、息子たちの鼻を思いっきり引っかいておやり』

 ――わかった!


 爺は自分が亡くなったあと、きっと息子たちは白玉を追いだすと、わかっていたのだろう。だから心優しい娘に、引き取ってほしいと頼んでいたのだ。

 これはいわば、爺の、息子たちへの叱責であり、大変な目にあった白玉の意趣返しでもある。


「ニャアアア!」

 ――爺! 白玉、やったよ!


 白玉が、天に向けて高らかな勝どきを上げた。元主人の願いは、これですべてが叶ったわけだ。

 二人の仙が満足げにうなずく。

 ふうわりと笑った坊ちゃんが「家に帰ろう」と手を伸べる。

 白猫は丸い体を揺すらせて、嬉しそうに駆けてきた。



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