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父、という名のタバコ

作者: 柚木あずさ
掲載日:2008/01/24

 ふらりと立ち寄った先は、墓地であった。

 何の気なしに寄るにしては陰気であるが、少年にとっては、むしろ落ち着く数少ない場所のひとつなのだ。少なくとも小学生の時分までは。

 今日来たのも気がむいたからであって特に意味するところはない。

 ただ来た。それだけである。

 世界はそんな気まぐれに付き合っているようだった。このごろぐずついていた空が一転、青一色に染まり、不意をついて姿を見せる雲さえ駆け抜ける涼しい風にさらわれていく。

 少年はしばらく墓石の間でぶらつくと、柄杓もバケツも持たないままに立ち止まった。

 比較的新しいその墓石は、表面が光に照らされて輝いていた。これだけ新品の状態を保ってしまえばさぞかし落ち着かないだろう。墓前に供えられたくたびれた花は、しっかりと流れる時間の中を生きていたようだ。

 1本を抜き取ると指でくるくると回す。花は頭を垂れたままだった。

 ――むしろお似合いかもな。

 渋い顔をしてタバコをふかす父親の姿を思い返して苦笑した。あんな顔をしてまで吸わなくてもと思っていたのはよく覚えている。


 あまり良い親ではなかった。少なくとも少年はそう思っている。

 子供のことはといえば妻任せ、家事もほとんどしない。たまの日曜に家にいれば、白い煙を吐き出す煙突か、惰眠を貪るいぎたない熊か、我がもの顔でテレビの前を占拠する荷物かでしかなかった。「あれで働いてくれてるからね」などと母から言い聞かされても、幼い目に映るボサボサ頭のひげ面と、働く立派な父親像とが一致することはなかった。少年の母親が労るソレは、下着同然の姿で寝転がる棒でしかなく、いつだってタバコの煙たい匂いをまとっているのだ。白髪交じりの髪が動くと、ときおり舞う白い粉。少年にとっての父親は、灰皿の上で紫煙をくゆらせるタバコそのものだった。

 タバコと言えば父、父は大人の男である。その素晴らしき三段論法によって、大人になれば男はタバコを吸うもんだ、という偏見にも似た認識を持っていた。父がタバコを吸うときは必ずといっても良いほど飛んでいき率先して灰皿を渡していた。あわよくば、と狙っていたのは誰の目にも明らかだった。

 まだランドセルを背負っていた頃に1度だけ、おいしいのか、と聞いたことがあった。父は無言のまま、吸いかけのタバコをひょいと貸したのである。少年も戸惑いはしたが好奇心が勝っていたのは事実、ありがたく頂戴してしまった。文字通りの苦い経験であったのは言うまでもない。顔をしかめた少年からタバコを取り上げると、見せつけるようにひと吸い。無精ひげの口元をゆがませながら「大人の味ってやつだからな」とグローブのような手でポンと頭を叩いたのを、少年はいまだに覚えている。

 ふてくされてしまった息子に対し、なぁに高校生にもなりゃあ立派な大人だ、とずいぶん教育によろしくないことを言っていたのもこの時だった。

 とにもかくにも、初めてのタバコは苦くて重苦しくて煙たくて。その日は舌に味が染み付いてしまい、飲むもの食べるもの全てが苦くて仕方がなかった。


 今思えば尊敬できるような良い親ではなかった。しかし自慢できる父親だったとも少年は思っている。

 行くあてもなく宙をさまよっていた手を無作法にポケットにつっこむ。指に冷たい感触があった。父のライターだ。使ったことはないが、いつもお守りのように持っているのだ。

 結局、手も合わせず花を供えることもなく墓地を後にした。ライターも置いていこうかどうか迷ったが、結局はポケットに戻していた。


 家に帰ろうか、などと考えていると視界の端にタバコの自動販売機が入り込んだ。

 立ち止まってふと考え、左右を幾度となく確認しながら最終的には赤い箱のボタンを押していた。落ちてきた箱を手に取るのにまた悩み、持ち上げてはまた頭をかかえた。父親のもとに戻るまで不審者となっていた自身に気づき、ふと自嘲の笑みを浮かべる。

 墓前でタバコを1本取り出す。格好つけてくわえ、ライターで火をつける。慣れないライターに苦戦しながらもようやく煙が立ち昇った。なかなか、格好よく、とはいかないものだ。

 くわえたままタバコを弄びはしたものの吸うことはなく、線香代わりにそっと置いた。タバコの先からは白い煙がゆらぎながら、途切れながらも大空へと流れていく。鼻先をかすめる香りに、いつかのタバコ人間が蘇る。やはり抹香くさいのは似合わない。ニコチンとタールとアンモニアの混ざり合った悪臭の方がよっぽど似合う。

 しばらく煙の行く先を見守って、タバコを返してもらい見よう見まねでふかしてみた。吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出す。少し、咳き込みながら。

「やっぱりおいしくなんかないぞ、親父」

 涙目になりながら悪態をついた。口内に残ったのは苦い苦い大人の味。お世辞にもおいしいなどとは言えなかった。

 ――だから、子供なんだ。

 堅い手がぼんと肩を叩いていったような気がした。目尻がじんわりと濡れる。絶え間なく立ち上る煙が、ひどく目にしみた。






私の父のイメージは「たまに来るおじさん」でした。

帰ってくるのはだいたい私たち子供が寝静まった後。朝に顔を合わせることもなく、たまの休みはひたすら寝ている。

さすがに高校生くらいになると夜更かしもするので会話は増えたのですが……それなりに子供好きなのに、不憫な人だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 良い話だ、と思いました。「像」に照らして故人を思い出せるというのは良い物なのかもしれません。自分の父親像もたばこの割合が多いです。この作品の父親とけっこう似ているかもしれないと思いながら、し…
[一言] 「あまり良い親ではなかった。少なくとも少年はそう思っている」。なのに少年はお墓に行く、父親のまねをする。何とも矛盾してますよね。しかし、これこそ現実に少年、少女が持ち合わせる感情だと僕は思い…
[一言] 文章がとてもお上手で、冒頭からお話の中に引き込まれました。 まるで昔のアルバムをめくっている時のように、懐かしいような、せつないような読後感が残ります。
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