娘の友人
「どうしたの?」
少女の頬は誰かに叩かれたのが解るくらい紅く腫れていた。
冷たく濡らしたタオルを彼女の頬にあてる。
「……ありがとうママ」
彼女にこんな事をしたのが誰か解っている。
普通なら傷害事件として然るべき処置をするのだけど出来ない相談だ。
「娘がごめんなさい」
元々彼女と娘は同級生で親友と言ってもおかしくない仲良しで高校も二人で一緒に通えると娘は本当に喜んでいた。
そんな二人がこうなってしまった原因に私が関わっている。
___いや、張本人だ。
「……ママまたそんな顔をしちゃダメだよ。例え不幸だとしても二人で決めた事なんだから……ね」
「ごめんなさい。でも私は貴女から大切な友人や未来まで奪ってしまったわ。そんなの不幸過ぎている」
そうなのだ。
私が大人として確りした対応をすべきだったのに、彼女の未来に影を落としてしまったのだ。
「ママ………今更だけど迷惑だったよね?ワタシ」
「そんなこと無いわ。誰かに好かれて嫌な気持ちに成るなんて無いわ」
私は彼女の手の甲に自分の掌を重ねる。
しっとりとした感触が年の差を感じさせた。
「ねぇママ。今度の休み予定ある?」
「休みってテスト明けの連休よね。娘も居るから時間が余り取れないと思うわ」
腫れが少し引いたのか彼女に笑顔が戻った。
「その日は委員長の家でパジャマパーティをするって聴いたから。なんならあの娘に聞いてみて」
「それでどうしたいの?」
「実はね………」
雑誌の懸賞で温泉旅館のチケットが当たったとかで、一緒に旅行へ行こうと誘われた。
正直初めは私も少しは躊躇いはあったが、結婚してから殆ど旅行すら行ってないからトキメキが無かったと言ったら嘘になる。
「………今度の連休予定とかある?」
食事中にさり気なく、そう自然に聞けた。
「何?お母さん何かあるの?」
「それがね、今度の連休に町内会で旅行があってね。温泉に行く事になって」
「いいじゃない、行ってきなよ偶には温泉に使って世情の垢を落としてくるのも悪く無いって。次いでにアイツの事も捨てて来ちゃってよ!うふふ」
「でもご飯とか……それにお友達の事を悪く言うもんじゃないわよ」
「……アイツは友達じゃ無いから」
「昔は仲良しだったのにね」
「大丈夫です!丁度その日は新しいお友達の委員長ちゃん家でパジャマパーティありますから。お母さんも楽しんできて」
バイバイと小さく手を振る娘が部屋に戻る背中が見えなくなるのを確認すると携帯を取り出し溜息をついた。
普段子育てとして嘘を付くなと言い聞かせていたのに、私は何であれ娘に嘘を付いた事で胸に棘がズグリと刺さった。
娘みたいな屈託の無い笑顔が今の私には難しかった。
ただ話してしまって娘の了解も得たからには少し心も軽くなり、文面を戸惑いながら打ち込み彼女へメールを送信した。
驚いた事に週末の旅行に行けると分かると何処かに捨てたと思っていた乙女心が顔を出してきて自然と口元がニヤつく。
______
週末の朝は快晴だった。
箪笥から随分久しぶりに取り出した真っ白なワンピース。
娘が小さな頃に出掛ける時には決まって着ていた所謂勝負服みたいな物だ。
手首の時計の針を見る。
「いくら何でも浮かれ過ぎたかなぁ」
約束の時間より20分早く駅に着いて待っている。
手鏡を出して前髪を弄ったり。
彼女は今日の服装を笑ったりしないか少し心配になったりした。
突然私の視界が奪われた。
「だーれだ」
時間より早く彼女もやって来てくれた。
ただそれが嬉しい。
「おはよう」
「おはよママ」
彼女はパンツルックにジャケットと少し大人びた服装で私に寄せて来てくれた。
「とても似合ってるわ。娘と同じ歳とは思えない」
「今日のママ何時もより若く見える……ワタシ達姉妹……んーん恋人に見えるかなぁ」
「周りの意見なんて関係ない私達はワタシタチよ!」
「ねぇママ、この旅行の間だけでいいからあの娘の事は忘れてワタシだけを見て」
「それなら私の提案も聞いてくれるならイイわよ」
私の提案は簡単な物だ。
「この旅行でママとは呼ばないでね」
「………分かったママ……あっ!」
「うふふ前途多難ね。ママって言ったら罰ゲームにしましょうね」
私達のたった一泊二日の温泉旅行は始まった。
場所は電車を乗り継いでも1時間程度の温泉地。
駅から軽く三十分坂道を上がるとは想定していなかったが、重厚な門構の日本家屋の様な温泉宿。
1泊幾らくらいなのか無粋にも頭を過ぎる。
「はぁ」
「どうしたの?マ……姉様」
「セーフにしてあげる。……いえね、つい主婦目線で考えちゃうのよね………ダメね」
「入りましょ♪」
私達は懸賞のお陰で思ったよりも良い部屋に泊まることが出来た。
離れにある部屋には露天風呂が備え付けされていて、猫間障子からも露天風呂は見ることが出来た。
障子には木枠で雪の結晶の様に組合わされていて柔らかな陽射しが部屋に降り注いでいる。
何とも幻想的な雰囲気だった。
「ねぇ姉様、障子の下側が窓みたいに上に持ち上がるみたいよ」
「猫間障子って言うの。ここから庭園を見てお茶を楽しむのが良いのよ」
仲居さんに夕食の時間を伝え、二人の時間を欲した。
「やっと二人きりですね……姉様」
どうやら待ち遠しかったのは私だけでは無かったらしい。
「ありがとうね。まさかこんなに素敵な部屋に泊まれるとは思わなかったわ」
「姉様に気に入って頂いて懸賞に出して良かったと実感出来ました……後で露天風呂一緒にいいですか?」
「いいわよ。でも初めからそのツモリだったのでは無いの?」
私の膝枕で彼女は横になっている。
その髪を梳くように撫でる。
その若さに少々嫉妬してしまうが少女と関係を持つ事だと思う。
少しでも力を入れたら折れてしまいそうな細くて白い首を晒してまで私を信じきっている彼女。
「どうしたの姉様」
「御夕飯まで少し時間があるからお風呂頂いちゃいましょ?」
「はい……姉様」
襟を正しながら頬を染めて応える彼女は既に娘より先に女を自覚している。
互いの身体を洗い清めて湯に浸かった。
真上には青空が広がり鳥の声が聴こえる。
お天道様がまだあるうちにこんなことしているなんて、なんて贅沢なんだろう。
「姉様、ワタシ恐い」
「どうしたの?」
「姉様と二人。こんなに素敵な時間が過ごせるなんて幸せ過ぎて恐いわ」
「何も恐い事ないわ。恐かったら私に抱きついていればいいわよ」
日常と離れたせいか少々自分の行動に驚いた。
案の定彼女は頭を横にコツんと私の肩に乗せ身体を預けてきた。
「姉様……このまま二人。全てを棄てて駈落ちしましょ?」
「駄目よ。娘が心配するわ………例え嘘でもダメ」
彼女を説得するためじゃない。こうしないと彼女の甘い言葉に溺れてしまうから、彼女まで不幸にしてはダメだと親心でもある。
「………あの日、叩かれて来た日………覚えてますか?」
「娘がごめんなさいね…………」
「それはもうどうでもいいんです………あの日は体育があったんです」
_____バドミントンのペアで賭けをしたんです。
負けたら片付けをするって、学生なら1度は経験するものですよね。
ワタシ、あの娘とペアを組んでたんだ。
その日は朝からママの下着を着けて授業を受けていたから腰に力入らなくて………結果負けちゃったんです。
「………まあ下着が足りないと思ったけど貴女だったのね」
「変わりにワタシのを入れときました」
体育倉庫に器材をしまうと倉庫の扉を誰かが閉めてしまって、あの娘と二人で閉じ込められてしまったの。
最初は誰かが来てくれるって思っていた。
沈黙だけで少しの間時間だけが過ぎて、授業開始のチャイムが鳴った時にはダメかなぁなんて考えてた。
そしたら突然あの娘が抱きついて来て。
『なに何?どうしたの?』
『知らなければ良かった………ずっと一緒だと思ってた。このまま大人になっても二人仲良しでいられると』
『………どうしたの?ワタシ達友達でしょ』
『友達じゃない!………違うよぉ貴女から友達でもアタシにはもう……もう友達に見れないんだ………バカヤロー』
気付くのが遅かった。
あの娘にマウントを取られ、ハーフパンツに手を掛けてきた。
『ねぇ……ワタシ謝るから………友達なら解って。ワタシこんなの嫌だよぅ』
ワタシが暴れる程彼女の手伝いをしているかの様にハーフパンツは足首まで降ろされてしまった。
羞恥に苛まれている間に下半身をブロックされて股の間にあの娘の頭があった。
『嫌だぁ!こんなの変だよ!ママ!助けてママぁ』
『変なのは………貴女よ!プハァ………』
落ち着いてくれたのかワタシから離れてくれた。
『………その下着お母さんのよね?貴女の家の………それも変だけど、ウチのお母さんのよね?』
『………ごめん』
『ごめんじゃ無いでしょ?……なんでお母さんなの?何時から?…………答えて!』
それで話しちゃった。
でも、裏切られたって罵声を浴びてね。
初めて喧嘩しちゃった。
こんな事になるって思わなかった。
「でも、それより前から関係がギクシャクしてたわよね」
「えぇ、姉様に想いを伝えた日からあの娘と居照れが入って………あの娘の時折見せる仕草が姉様にソックリで……」
「そんなエッチな事を考えてたの?」
「………違います。あの娘の中にある姉様をつい探していただけです!」
「同じ事じゃ無いの?」
「あの娘にはどこまでいっても姉様の代用としか見れなかった。だから少し距離を置いたの」
夕食の時間も近くなるからと、後でまた楽しもうと湯から上がる。
浴衣に二人着替えると益々旅行気分が盛り上がった。
「「カンパーイ」」
贅を尽くした料理に舌づつみを打ち、夜を待つ運びになった。
時間も有るからと土産物を二人で見に行く事にした。
旅館の売店コーナーがあったのは助かった。
もう少し気付くのが遅ければ土産を買わずに帰宅するところだった。
温泉饅頭を手に会計を済ませると彼女がアクセサリーのコーナーで渋い顔をしていた。
「どうしたの?」
「……いえ何でもないです」
そう言う彼女の視線の先には珍しい、私達二人の誕生石で誂えた様なハートのイヤリングが1組合置かれていた。
値段は3万円。
少々高いけど二人の記念になるなら。
「コレください」
部屋に戻る途中彼女は照れ隠しの反論をしていた。
「主婦としてダメダメです!」
「でも、最初に見つけたのは貴女でしょ?」
「そんな高価な物を本当に買うなんて………部屋に着いたら着けてくれますよ……ね?」
今月家計は大変だけど彼女の笑顔には変えられない。
旅行行きたいです。
温泉行きたいです。
では。