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翌日は純奈の粋な計らいで審問会の活動は休みになった。転校から昨日、動きっぱなしだった体を休めるのには丁度いい。

 前日は早めに解散となり、早めの夕食を取りシャワーを簡単に済ませると一目散にベッドへと潜り込んだ。そのせいもあって今日は気持ちいい朝が迎えられた。しかし早く起きたからと言って何かすることがあるわけでもない。簡単に朝食を済ませると僕は寮の談話室へと向かった。談話室には七十インチの巨大テレビと、いくつかのソファーが気休め程度に置かれていた。人数に対してソファーの数は足りていないと感じたが、放課後の商業区の賑わいようを思い出すと、意外とこの数で丁度いいのかもしれない。事実、日曜日だというのに談話室のソファー群はかなり空きが目立っていた。

 見渡したところ知った顔がいないので、僕はニュースを何の気なしに十分ほど見た後、談話室を後にした。

 休日という最高の余暇でさえ、友人の顔を探している自分に驚いた。忙しいとは言っても、転校してからのこの数日間に、僕が思っている以上の充足感を得ているのも事実だった。

 部屋に戻り小説をパラパラとめくったが、何回も同じ行を読んでいることに気がつきやめた。代わりに机の引き出しに仕舞っておいた学園の案内をめくった。こう見ると実に多くの施設がある。一口に商業区と言っても、その中には多種多様な施設が揃っている。そこに映画館の文字を見た僕は、外出することを決めた。

 久しぶりの私服に着替え、財布と学園の案内を持ち寮を出た。昼近くのこの時間は、春という季節をこれでもかというくらいに風が運んでくる。

 商業区は予想通り大変な賑わいを見せていた。中には中等部と思しき生徒もかなりの数見られた。何気なく周囲を見渡しながら、ゆっくりと映画館を目指す。当たり前の行為だが、僕の幸福感を覚えずにはいられなかった。

 映画館は以前公開した古めの映画を一本と、最新のを三本。一つのスクリーンで一度ずつ上映するようだった。古い方のは昔DVDで見たことがあったので除外。新作のどれかを見ることにした。迷っていると後ろからふいに声をかけられた。

「遼次さん」

 振り向くと瀬尾小町がいた。相変わらず背たけと顔つきから幼く見えるが、私服という新鮮さがその印象を若干和らげた。

「映画ですか?」

「瀬尾さんも?」

「はい。でも迷ってます」

 頬を膨らまし、んーと唸る瀬尾はもはや子供にしか見えなかった。

「新作ですか?」

「うん」

 新作の三本は幅広く見てもらうためか、ジャンルがきれいに分かれていた。今回はミステリー、アクション、ラブコメだ。ミステリーに関しては読みかけのが一冊部屋にある、一人でラブコメというのも少なからず羞恥を覚えた。

 映画館の受付に人は居らず、全て券売機で済ませられるタイプだった。券売機の前へと進むと作品名をプッシュ、席は後ろの端側を指定する。

 横からひょいと瀬尾が画面を覗き込んだ。

「アクションにするんですか?」

「うん、瀬尾さんは?」

「あのですね……」

 瀬尾は言い悩んでいるようだった。うつむくと、つま先で地面を数回蹴った。上げられた顔の表情は硬く、唇をきゅっと結んでいた。

「一緒に、見ませんか?」

 意を決したように言う。その大きな瞳はひたむきでしっかりと僕の目を見据えていた。あっけに取られた僕も見つめ返したまま返答に困ってしまう。五秒程見つめあうような姿勢でいた僕達だったが、先に視線を逸らしたのは瀬尾だった。

「ぷはぁっ」という声が瀬尾から聞こえた。次いでぜーはーぜーはー、という呼吸音。

「お、お返事を」

「あ、あぁ。いいよ。でもチケット買っちゃったし……」

「いいんですよ! 好きですよー、アクション!」

 彼女は目を爛々と輝かせて答えた。

「そ、そう? じゃあ一緒に見よう」

「はい!」

 満面の笑みで頷く瀬尾。僕もつられて顔がにやける。彼女の笑顔にはそんな魔力があると思った。

 上映時刻は丁度三十分後。まだ劇場に入るには早すぎるだろう。僕らは近くにあったベンチで時間を潰すことにした。

「先日は、本当にありがとうございました」

 改めて瀬尾が頭を下げてきた。

「僕らは見つけて話を聞いただけだよ」

 事実だ。本当にそれだけ。救った、とはあまりに仰々しい言い方だ。彼女が覚悟を持って僕らに告白してくれなければ、何も始まることはなかったし、事件に終止符を打つことも出来なかった。僕らは彼女の努力に相槌を打っただけだ。それでもある種の達成感が僕らを包んだのもまた事実だが……。

「遼次さんは、物事を重く捉えすぎなんじゃないですか?」

「重く?」

「重く、とは違うかもしれません……。なんだろう、もっとこう」

「卑屈?」

「それです!」

 僕が苦笑すると、彼女は勢い良く「ごめんなさい!」と謝ってきた。

「純奈にもよく言われるよ。お前の因子は『卑屈』なの? ってね」

 クスクスと瀬尾が笑う。

「純奈さんらしいですね。でも、その指摘は正しいかもしれないです」

「性格悪いから」

 ジョークのつもりだったが、瀬尾は笑わなかった。

「そんなこと、ないです」

 瞳に強い意志を宿らせ、じっと僕の目を見つめてくる。

「性格悪いのは私です。言いましたよね。私、人に迷惑かけておいて、本心では誰かに見つけてほしいと思ってました。いや――」

 ――願ってました。

 彼女の想いが聞こえた気がした。

「遼次さんは認めないかもしれないですけど……。人に話しを聞いてもらう、人に見てもらう、そんなこと生きてて当たり前って思うかも知れないですけど、そんな些細なことで救われる人は大勢いると思います」

 彼女の目は真剣そのものだった。僕は玲瓏へと来た初日、純奈達の前で涙をながしたことを思い出した。あの時の僕は、確かに自分の言葉や思いを吐くだけ吐いた。それでも聞いてくれていた二人の存在に自然と涙が溢れてきた。あの瞬間を思うと、瀬尾の言葉にも確証が持てた。

「じゃあ、僕のしたことは間違いじゃなかったんだね」

 自分に問いかけるように僕は言った。

「はい。届いたんです。私の声。初めてなんですよ……。真っ暗な沈黙から、あなたは私を見つけてくれた。私の居場所を照らしてくれた。特化因子も、悪くないかもしれません」

 独白めいたものを口にし、彼女は微かに笑った。

「こちらこそありがとう、瀬尾さん」

「……小町でいいですよ」

「小町さん?」

「小町で」

「小町?」

 耳まで真っ赤にしてうつむいていた彼女は、

「さ、映画始まりますよ。行きましょう」

 振り向きざまに、今度こそ満面の笑みを僕に向けた。


 映画の内容は全くといって頭に入ってこなかった。隣に座った小町は銃声一つで悲鳴を上げ、爆破のシーンには失神するのではないかという反応を示した。

 映画館を出た頃には、スクリーンに映し出されたどの登場人物よりも疲弊しきった彼女の姿があった。

「……今度機会があった、アクションはやめよう」

 僕の提案に小町は虚ろな表情で頷いた。

「……今日は、ありがとうございました……とっても、楽しかったです」

 果たしてそれは本心だろうか。苦手なジャンルに付き合わせてしまった手前、こちらからのフォローに困る。

「では……また明日」

 彼女はゆらゆらと手を無造作に振ると、ゆっくりとした動作で歩き去って行った。その背中が見えなくなるのを待って、僕は学園の案内を取り出した。

 映画というものは一見ただ座っているだけだが、実際にはかなり体力を使う娯楽だと僕は思う。大きなスクリーン上で字幕や人の動きを追うだけで目にはだいぶ負担がかかるし、あの映画館独特の座席の窮屈さが疲労感に拍車をかけている。

 案内を見る限り、自然に重きを置いた空間もあるようだ。その中に小さく桜という文字も見える。残念ながら開花予想はチェックしていない。時期的に花は散ってしまっているだろうか。

 商業区を逸れてしばらく歩くと、周囲を花壇に囲まれた道に出た。そのまま道沿いに進むと、今度は草木の多い空間に出た。そこは大きめの公園といった印象で、中央の池を囲うように道が円を描いていた。池の周りには桜の木が点在していたが、残念ながら花を拝むことは出来なかった。

 純奈はこういう場所を案内してくれなかった。思えば彼女は典型的なシティガールなのだ。草木や昆虫の類を天敵としているのを思い出した。昆虫を天敵と称するのは分かるが、なぜ草木もそういった位置づけなのか気になって聞いたことがあった。彼女は以前草木で指を切ったから、と言った。それを敵意ととったらしい。思うに、葉は種類によって指を切りやすい形をしているし、なにより触ったという時点でお前から向かって行ったんだ、向こうはただ待っていただけだ、と指摘すると、「暗殺者みたいね……」と意味の分からないことを口にした。

 池の半周程を周ったところで、横に逸れる道があった。体の赴くままにそちらへと進む。その道は奥に進むほど、周囲の草が高くなっていった。ついには僕と同じほどの高さを持つ草もちらほらと現れ、僕は多少不安になった。しかし足元には確かに道は存在しており、行き止まり、ということは無いだろうと踏んだ。

 さらに進むと、急に開けた場所に出た。小高い丘のようになっており、海が見えた。潮の香りを思い切り吸い込むと、自然と「気持ちいいなぁ」と言葉が漏れた。

 するとふいにクスリという笑い声が聞こえた。見渡すと丘にはいくつかの太い木があるだけで、人の姿は見えなかった。

 気のせいか、と首を捻っていると、近くの木の木陰から南後冴が顔を出した。

「どうも」

 近づくと、彼女は木を背にして座っていた。傍には開きかけのペーパーバックが転がっていた。

「卯月……」

「遼次だよ」

「あぁ、そうそう遼次ね」

「南後冴、だよね?」

「うん、正解」

 以前会った時とだいぶ違う印象を受けた。目の前にいる南後はすっかり毒気を抜かれたように、挙措にトゲトゲしさがない。

「本当に南後冴か? とか思ってる?」

 図星だった。正直に言うと、

「私だってこういう時間が必要なのよ。常に強気でいれる人間なんていないわ」

 僕はこの話を聞いていて良いのだろうか。

 風が南後の髪を揺らすと、うっとおしそうに彼女はそれを手で押さえた。

「純奈とは、最初からあんな感じなの?」

「志堂ね……。あいつ、かっこいいわよね」

「かっこいい?」

「うん、あいつみたいに強ければ、私ももっとうまくやれたのかな……。悩みも逆境も跳ね除けるくらいの意思が、私も欲しい」

 独白めいたものを口にすると、南後は弱弱しく笑った。

「南後も、十二分に強そうだけど」

「そう見える? だとしたら卯月君はまだまだね……」

 純奈の強さは僕にも理解できる。多分南後の言う強さとは、言葉や行動から見えるそれとは異なるだろう。もっと本質的な、内在された強さのことだろう。そう意味では純奈は確かに強いかもしれない。しかし彼女と過ごした時期がある僕には分かる。彼女の強さは本質的なものではあるが、決して最初から備わっていたものではないだろう。

「風紀委員もさすがに日曜日は休み?」

「日曜日に何を取り締まるのよ。休日くらい私も自由でいたいわ。ところで、審問会はどう?」

 僕は迷った末、昨日の出来事を南後に話した。その間彼女は相槌ひとつ入れることなく、ぼうっとした目を遠くに向けていた。

 僕は何気なく座り、南後のように木もたれた。

「なるほどね……。やっぱりすごいね、志堂は」

 断続的に吹く風は、先ほどよりも幾分か冷たく感じられた。南後のペーパーバックはその風に身を任せるようにページをパタパタと揺らしている。

「審問会を立ち上げるって聞いたとき、私は正直腹が立ったわ」

「綺麗事、だと?」

「そうよ。なにができるのよ。助けるだなんて大げさ、余計なお世話よって思った」

 僕も初めて審問会の話を聞いたときは正直そう思った。何が出来るのかと。自分自身の状況もままならない自分達に、救って欲しい人がいるのかと。だが純奈の意思、それを受けた僕の心境は一変した。純奈がいるならやってみようと思えた。そして小町に感謝されたとき、僕の疑念は全て消し飛んだ。

 それにしても南後の口調には妙に引っかかる。立場上、僕は彼女に詰問するべきなのだ。審問会員として、国光の友人として。しかし彼女は、まるで自分が助けられる立場のような言い方をする。

「南後の因子は、『約束』だっけ」

 彼女の体が一瞬びくりと動いた。

「そうよ。良く知ってるわね」

 そう言うと、先ほどとはうって変わって彼女は鋭い目を僕に向けると「それも審問会の仕事?」と皮肉たっぷりに言った。

 するどい指摘だ。全くその通り。小町の問題が解決した今、僕らの取り組むべき問題は目の前にいる南後冴その人なのだ。

「事情は分からないけど、南後の噂が問題になってるのは事実だよ」

「事情を知ろうとは思わないの?」

「話してくれるのか?」

「嫌よ。志堂の手先に易々話すわけ無いじゃない」

 その語感に軽蔑を感じる。初めて会った時の南後冴を思い出した。

「よっと」

 南後が腰を上げる。会話はここまでのようだ。

 ペーパーバックの表紙に付いた草を手で払いつつ、彼女はうっすらと横目で僕を見た。

「何?」

「いや……。まぁいいわ。またね」

 歯切れ悪くそう告げると、僕の返答を待たずに彼女はすたすたと歩き去ってしまった。

 一人になった僕を、海からの風がなでる。風邪をひいてもいけないのでそろそろお暇することにしよう。ふと頭をよぎった小町の笑顔と南後の悲しそうな表情。そのギャップが僕の心を妙にざわつかせていた。


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