⑤
翌日は君塚が出席に関するデータを集め、その間僕と純奈は足で情報を集めることになった。
実際に音の無い場所に遭遇した生徒数人にも話を聞くことが出来たが、すでに僕らの間で共有していたものと内容に大差はなく、新しい収穫とはならなかった。
中等部の校舎へと足を伸ばすことも考えたが、丁度君塚からデータ収集を終えた連絡が入り、僕らは会室へ向かうことにした。
「あ、志堂さん」
ふいに聞こえた言葉は、間違いなく純奈に向けられたものだろう。
何気なく振り返ろうとした僕の腕を、純奈は強く引っ張った。
「いいから。無視無視」
純奈に引きづられるように数歩歩いたところで、僕らはその声を再び聞いた。
「あ、志堂さん」
先ほどと全く同じ言葉。アクセントにも差異がない。
僕は気になって後ろを振り向いてしまった。そこには二人の男女がいた。男の方は佐渡国光で、目が合うと「うっす」と軽く声をかけてきた。
僕も手を挙げそれに応えつつ、視線を女生徒の方にずらした。見たことの無い顔だ。長い髪と猫のような大きな瞳が特徴的だ。綺麗な顔立ちだが、そこに純奈ほどの上品さはなく、どこかきらびやかなイメージがあった。
視線が交差したのは一瞬のことで、すぐに彼女の目は純奈へと向けられた。
「あー、志堂さん」
その言葉を使わなければ会話が始められない理由でもあるのか、女生徒は再び純奈に向けて言葉を飛ばした。
僕の静止によって諦めたのか、純奈はあからさまな不快感を顔いっぱいに浮かべて振り返りつつ、「あー、南後さん」と応える。
その名はここ最近耳にしていたので、すぐに思い至った。
南後冴――たしか風紀委員長で……そうだ、純奈と仲が悪いのだった。申し訳ないことをした。
「何か様?」
会話のカードを先に切ったのは純奈だった。すかさず南後が会話をつなぐ。
「最近例の活動はどうかしら?」
「順調そのものよ」
「怪しいものだわ」
「お互い様ね」
南後と純奈は鼻先数センチという距離までお互いに近づき、視線を交わしていた。佐渡は腕を組み、後ろでしなだれている。
不意に上半身を傾けると、南後は僕を見やった。
「こちらは?」
「卯月遼次よ」
純奈がそっけなく答える。
「ふーん」
南後はにやにやと不適な笑みを浮かべていた。どうやら邪推しているらしい。
「あんたが君塚以外の男と二人でいるなんてめずらしいわね」
「……昔の友人なの」
純奈は南後の笑みを気にする素振りも見せず、再び僕の腕を掴んだ。
「行きましょ」
「はぉぉ? 志堂純奈まちなさいってば!」
「チッ」
わざとらしく放った純奈の舌打ちに、南後はこめかみをひくつかせた。
「私は風紀委員長よ! 何なのその態度は!」
「私も審問委員長よ! 何か文句あるの?」
お互いの視線に質量でも伴っているのか、今にも音を立てそうな視線の交差点に立つ僕は、頭を抱えるしかなかった。
「彼氏の前だと猫かぶるのねー」
南後の攻撃。
「彼氏じゃないってば! ってか風紀委員長が風紀乱してるじゃない。みっともない」
純奈のカウンター。お互い一歩も引かない状況に、ついつい佐渡と目をあわせてしまう。彼の言っていた「お互い大変だな」という言葉の意味が実践的に掴めてきた。
「国光! ちょっとは援護しなさいよ! 『約束』忘れたの?」
南後の言葉に純奈は目を見開く。佐渡は一瞬顔に影を落とすと、次の瞬間には笑みを携えてこちらに歩み寄ってくる。
「まぁまぁ。やめましょう。志堂も、ごめんな」
大柄な佐渡は身体を丸めて精一杯頭を下げた。
「何よ! 負けを認める気!」
「……すいません」
今度は南後に対して頭を下げた。ただの謝罪だが、僕はそこに違和感を覚えずにはいられなかった。
佐渡は今どんな顔をして頭を下げているのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。純奈も同じらしく、表情のつかめない佐渡の後頭部をじっと見つめている。
「なによ……。しらけるわね。もういい」
南後は頭を下げたままの佐渡を残したまま、歩き去ってしまった。
「佐渡」
僕の呼びかけに彼はゆっくりとした動作で頭を上げた。先ほどの笑みは消え、その顔は渋かった。
「見苦しいところを見せた。すまんな」
「いいのよ。こっちこそ巻き込んでごめんなさい。佐渡君……あのさ」
佐渡は純奈に一瞬笑いかけると、彼女の言葉を手で制した。
「審問会……だっけ?」
彼の言葉に、僕らは無言で頷く。
「近いうちにお邪魔するかも」
そう言うと、彼は南後を去った方へ足早に去ってしまった。
残された僕らは無言で顔を見合わせた。玲瓏で起きている特化因子に関わるもう一つの事件は、後回しに出来そうもなかった。
僕らは憂いを携えたまま、会室へと向かった。
「ふぅ……」
二人してため息をつく。会室にはまだ君塚の姿はなかった。変わりに机の上には積み上げられた資料があった。
「多いわね……これ」
君塚が集めてくれている例の資料だろう。
「それにしても、意外とやばいかもね」
「うん、確かに多い」
「違うわよ」
そう前置きすると、純奈は南後冴の名を口にした。
確かに僕らの思っている以上に南後冴の行動は大胆にして、際限がなさそうだった。
「ごめん」
無意識に口から言葉がこぼれた。
「遼次のせいじゃないわよ。イラっとしたけど、あいつがらみの問題の危機感を再認識できたわ」
「あそこまで仲が悪いとは思わなかった」
出会いがしらに校内で喧嘩を始めるとは。犬猿の仲って言葉は彼女達のためにあるのかもしれない。
「あそこまでって……誰かに聞いたの?」
「あぁ、君塚にね」
「ふーん。君塚がそんなこと言うなんてね。転校生への配慮かしら。それにしても、あいつー」
純奈は口を尖らせてぶつぶつと言っている。呪詛のように放たれる言葉は聞き取れないが、それが君塚へのものじゃないことを祈ろう。
「猫」
「ん?」
「猫、被ってるわけじゃないからね」
純奈の顔が心なしか赤い。先ほどの言い争いの弁明をしているらしい。
「そんなのわかってるよ」
「わかってるってのも、なんかなぁ……」
再び呪詛を放つ作業に戻ってしまった。
「すいません。遅くなりました」
君塚は腕の前で大量のプリント用紙を抱えていた。玲瓏全校生徒の出欠に関する資料だろう。一週間分ともなれば考えられる量だ。
「これで最後です。集めるの、なかなか骨が折れましたよ」
どすん、と机を揺らし積み上げられた資料を見ると、ますます気が滅入った。
「うー。さっそく始めましょ」
純奈の言葉を合図に僕らは黙々と作業に勤しんだ。他人の出欠状況を見るのは忍びないが、この際仕方がない。純奈が因子を使わないのなら、これぐらい安いものだ。
「そういえば」
静かに過ぎる時間の中で、純奈が唐突に切り出した。言葉は君塚に向けられているようだ。
「南後冴の問題。意外とやばいかも」
「先ほど聞きました。お嬢様と南後さんの喧嘩の一部始終はとっくに広まっているようですよ。裏にある特化因子の問題についてまではみなさん考えがいってなかったようですが……」
「? じゃあ喧嘩の噂はどういう内容だったの?」
「またか、と」
純奈の目がギロリと君塚を見据えた。君塚ははっとして口を閉じる。はたから見ていてコントのようなやり取りに僕自身自然と笑みがこぼれる。
「遼次も何笑ってんのよ」
くわばらくわばら。
日もとうに傾き短針が七を指した頃、僕らの作業は一旦区切られることになった。やはり二時間そこらで消化できる量ではなかった。残りは宿題という純奈の掛け声のもと、僕らは会室を後にした。
途中で純奈と別れ、僕と君塚は男子寮へと向かった。
「ところで、あれだけの資料どう集めたんだ? 頼めばくれるものでもないだろ」
君塚は少し考えあぐねた後、「後悔しますよ」と言い少し微笑んだ。出会った当初より、ますます表情の変化を感じる。僕がそれを見分けるほどになったのか、彼が少しだけ僕に歩み寄ってくれたのか。どちらにしろ、僕にとっての男の友人第一号は君塚であり、純奈に抱くものとはまた違う信頼感のようなものがあった。
そう考えていると、いたずら心から君塚に聞いてみたい質問が自然と生まれた。
「純奈のどこが好きなの?」
君塚の足が止まる。怒らせてしまっただろうか、二度と言わないと宣言した手前、さすがにまずかったか。
しかし君塚の表情はどう見ても怒りとは違う、頭に疑問符まで見えてきそうな表情を浮かべていた。聞こえていなかったのだろうか。僕が言葉に詰まっていると、
「やめてくださいよ! もう言わない約束だったじゃないですか!」
と返してきた。今のラグは何だったのだろう。
掘り下げたい話題ではあったが、君塚のあまりにも不自然な反応に僕自身戸惑ってしまい、「ごめんごめん」
と返すのが精一杯だった。
寮とは名ばかりの巨大マンション内のエントランスで君塚と別れた僕は、先に夕飯を食べることにした。券売機を前に頭を捻っていると、後ろから肩を叩かれた。振り向くとそこにいたのは佐渡国光だった。
ぎこちなさを可能な限り隠しつつ挨拶を交わす。佐渡の提案で僕らは一緒に食事を取ることにした。
僕はハンバーグ定食。佐渡はハンバーグ定食に単品でラーメンをつけた。まだ大きくなりたいのかこいつは。
「いただきます」
僕は熱々のハンバーグへと箸を向ける。家での食事が大半だった僕は未だにフォークとナイフを使った食事はまどろっこしくて仕方がない。佐渡も箸を取った。いや、彼の場合ラーメンとの使い分けが面倒くさいからだろう。
「今日は、本当にすまんな」
佐渡の豪快すぎる食べっぷりに目を奪われていた僕は、返答をうまく返せなかった。この話題はやはり避けれないか。いやむしろチャンスではないか。君塚にだけ任せてはいられない。
「佐渡は、『約束』したの?」
ストレートすぎただろうか。しかし佐渡はすぐに「おう」と答えてくれた。
「内容は、さすがに話せない?」
彼は箸を一旦置くと、腕を組み目をつぶった。容易に答えは出せないだろう。僕は佐渡に引き離された分を埋めようと、せっせとハンバーグへと箸をつけた。
時間にして一分ほどだろうか、僕には随分と長く感じた。食堂で僕らのように食事を取る他の生徒達の談笑する声が妙に遠く感じられる。
二人の沈黙を破ったのは佐渡だった。
「守る。と『約束』した」
守る? 南後冴を?
「どうしてまた」
当然の疑問が口にでた。再び訪れるかと思った沈黙だが、そうではなかった。約束の内容が彼の中での最重要事項だったのだろうか。二つ目の彼の告白はあっさりと、そして一つ名以上に僕を驚かせた。
「好きだったんだ。南後のこと」
守るという約束は彼の恋慕に起因するらしい。
「告白はしたの?」
「告白……なんだろうか。一方的に告げただけだ」
「南後の返事は?」
うなるような吐息を漏らした後、佐渡は先ほどよりも低い声で告げた。
「ありがとう。約束ね、と」
その瞬間、二人の間で『約束』が成立したわけだ。南後冴、男の純情を随分と弄んでくれるじゃないか。僕は自分の中で南後に腹が立つと以上に、佐渡への同情が募っていくのを感じた。
「まだ好きなのか?」
「……分からない」
佐渡は再び腹を満たす作業に移った。太く伸びた腕の先にある箸は僕のより小さいのではないかと錯覚するほどだ。その筋肉をもってして、『約束』に抵抗しない佐渡の心情は僕には分からない。佐渡の恋心はまだ完全に失われてないことの証明だろうか。
僕は箸を休めると質問を再会した。
「それからはずっと彼女の下で?」
「南後の因子に気づいたのは去年のことだ。最初は彼女の返答に疑問こそ感じたが、拒絶ではなかったから気にはしなかったんだ。望みアリ、と感じて浮かれたんだな。しか去年……『約束』の話を聞いたんだ。冷や汗が止まらなかったよ。そして南後も正体を現したように性格が変わった。周囲の人間は利用されてると気づき始めた。当時の風紀委員長もあっさりと立場を南後に譲った。俺も南後と距離を置こうと考えたんだ。でも『約束』の内容がいつ俺の知らない所で破られるか分からない。守る、なんて見方次第でどうとでもとれるからな」
「そうか……。ごめん。話してくれてありがとう」
「何とかしてくれとは言わないが、何もしなければ何ともならないと思ったんだ」
佐渡と南後。その間にある『約束』だけではないだろう。他にも『約束』を結んだ人間が大勢いるはずだ。しかし彼のように全ての人間が自分の身に起きた不幸をやすやすと教えてくれるだろうか。
気づくと二人して押し黙ってしまった。周りの生徒が見たらどう感じるだろうか。二人して向かい合いつつ、無言で料理を口に運ぶさまは奇妙でしかないだろう。
初めこそ重いスタートだったが、僕らは友人という間柄なのだ、黙りこくっての食事会は誰も望んでいないはずだ。
「ところで、佐渡は部活には入ってないの?」
「部活ねぇ……」
またもや沈黙へと導いてしまった。気づかないうちに地雷を踏んだだろうか。
「玲瓏で部活をやっても外部と競い合う場がないからな」
「あぁ……」
なるほど。これは佐渡に限られた話ではない、僕にとっての地雷でもある。この閉じられた空間でいくら競い合い磨き合おうと、その力を試す場がないのだ。ではなぜ?
「なんで鍛えてるかって?」
佐渡がニヤリと笑うと、身体を浮かし少しだけ僕に顔を近づける。
「外部では競えない、内部でしか試せない実力の場が玲瓏にはある」
囁き程度に告げられたその内容だが、僕にはピンとこなかった。つい首を傾げてしまう。
理解出来ない僕が可笑しいのか、佐渡はなおも嬉しそうに笑う。
「じゃあ、視点を変えよう。なんで俺らは玲瓏に閉じ込められてるんだ?」
「それは……特化因子を持ってるから?」
「正解だ。つまり外にはなくて、ここにしかない」
「特化因子を、競うのか?」
因子に優劣をつける。純奈が聞いたら血相を変えそうな話だが、僕は自然と引き込まれていた。自然と身体が前へと傾く。
「生徒会長が始めたんだ。決闘と称してな。ここの生徒達は皆特化因子に悩まされてきたやつらだ。それを自分のために使って他人から評価をもらう」
「あまり……聞こえは良くないな」
自分の悩みをあえてさらけ出しているようなものではないのか。
「まぁ、最初は皆眉をひそめてたさ。でもな、今まで世間から白い目で見られてきたやつが注目され、達成感を得られるんだ。息抜きとしては最高だと思うね」
「具体的にはどう競うんだ?」
「名目上は決闘、だからな。一対一だ。ルールは本当に多彩だ。ババ抜きからただの喧嘩まで」
それはまた多彩すぎやしないか。しかし、ただの喧嘩ね……。自分の因子が上手く使える場でふさわしい相手とするってことか。
僕は今まで怯えてばかりで、特化因子に価値を見出したことなんてない。でも姉さんは自分の因子の有用性を説き、上り詰めたというからそれは決して間違った考え方ではないのだろう。
「佐渡はどんな種目を?」
そんなこと聞くまでもないだろ、という具合に彼は右腕を折り曲げてコブシを作ってみせた。因子なんてなくたって、佐渡がただの喧嘩とやらにに負ける姿など想像できない。
「どうだぁ、遼次も!」
「遠慮しよう」
興奮気味の佐渡を手で制すと、僕は最後の肉の一切れを口に運んだ。佐渡はつまらなそうな目でこちらを見やる。少しは空気が軽くなっただろうか。
「ご馳走様」
僕らは食べ終わった食器を手に席を立った。
「という、佐渡じゃなくて国光でいいぞ」
前を歩く佐渡が肩越しに言った。
「佐渡って言われるのあまり好きじゃないんだ」
「なぜ?」
「別に佐渡じゃないからな」
僕は今日彼との会話中に何度首を傾げた? 佐渡じゃない……いや、佐渡だろう。
「佐渡だろうお前は」
「違う、サドじゃないだ。サディスティックじゃない」
「あぁ」
あまりのしょうもなさに苦笑してしまう。
「なんなんだよ、じゃあ」
「ソフトマゾだ」
知りたくもなかったが知ってしまった以上、これからは佐渡とは呼べない。国光がソフトマゾであるならば、彼が南後に惹かれる理由もなんとなく分かる気がした。
「また明日」
「明日は土曜だぞ」
「あぁ、そっか。じゃまた来週」
そうか、玲瓏に来て最初の休日だ。予定などあるはずもない。読み途中の小説が二冊あったはずだ、モノリスにでも行って続きを読もうか。純奈の場所に踏み込むことには抵抗があるが、残念そのひとつはミステリーなのだ。カフェの力を借りなければ読破は難しいだろう。
しかしそんな考えは一瞬で泡と消えた。自室のドアを開けた瞬間、僕の目に飛び込んできたのは純奈から課された例の宿題だった。会室で目にしたときよりも控えめでこそあれ、それをただ一人黙々と消化するのは決して楽ではない。かといってそれを明日に持ち込む気もなかった。寝起きの目にそれはあまりにも毒だろう。
机を前にさっそく資料を一枚持ち上げた瞬間、ベッドに投げ出した携帯電話が音を上げた。着信は――純奈だ。
資料をヒラヒラと弄びながら通話ボタンをプッシュ。
「なんだー」
情けなく放たれた僕の言葉に対し、電話口から聞こえた声は悲痛さをともなっていた。
「りょー、じ、ごめん、おねがい」
ただ事じゃない純奈の状況に声が詰まる。
「ッ、どした?」
「ごめん、わたし、つかっちゃた」
使った?
純奈の荒々しい息遣いで、僕は彼女の状況を悟った。
「純奈! 因子を使ったのか?」
気づくと座っていた椅子を跳ね除けるように僕は立ち上がっていた。先ほど手にしていた資料も床へと舞い落ちる。
純奈に特化因子を使わせないための資料調査ではなかったのか。
「あせっちゃって……りょーじが、いんし、つかうまえ、に、わたしが、みつけなきゃ、って」
僕が純奈に言った言葉を思い出す。僕と音のない場所の主のために、純奈は因子を使ったというのか。
胸がぎゅう、と締め付けられる。僕は純奈という存在を楽観視しすぎていたようだ。彼女は自分に向けられている心配を理解した上で、あえて真っ向から行動を起こしてきた。これは自分の落ち度だ。姉さんが生きていてこれを知ったら、僕はきっとぶちのめされる。
「今は無理するな。大丈夫だから、落ち着いたら話そう」
「ごめん、でも、どうしてもつたえなきゃ、みつけたよ、おんなのこ、あしたのあさ、よあけくらい、たぶん、おんがく、しつ」
女の子。音楽室、夜明け。どういった方法で純奈がそれを『予知』したかは分からないが、場所と大体の時間が分かれば確保ができる。
「分かった。明日の明朝だな? 大丈夫、俺が行く。純奈は休め」
「うん、ありがと、そのこ、ないてるから、おねがい、りょーじ」
プツリという音で通話は途切れた。泣いている――。純奈は自分の涙にも気づいているのだろうか。人の心配より先に、自分の心配をするべきだ。つい強く言ってしまうところだったが、寸でのところで堪えることが出来た。しかし自分への責任もまた大きい。気づくと僕の手は手は異常な強さで携帯電話を握り締めていた。
とりあえずその子に悪意が無いことは分かった。確保から保護へ、これから向かうことになる自分の心配ごとは一つ減った。ふぅ、とため息がこぼれる。手汗まみれになってしまった携帯電話を再びベッドへと投げ、落ちた資料を拾う。
羅列された個人の痕跡。これらも一瞬で意味をなくしてしまった。明日は純奈を問い詰めなければ。そして僕自身も。
明朝、夜明け……。もう少し詳しく聞いておくべきだったか、いやそれはダメだ。今度は僕が頑張る番だ。
明日は早い、今のうちに体力を温存しておこう。そう思ってベッドへと向かう。寝よう、という意思が強くなるほど人は寝れない。なんて考えが僕の頭をより一層睡眠から遠ざける。
埒が明かない。そう思った僕は鞄から小説を引っ張り出した。勿論ここは自室なのでミステリーの類ではない。
ファンタジー小説の主人公は運命を義務づけられていた。生を受けたときから愛され敬われることを約束されていた。周囲の声を受け、自分が旅をすることに主人公は何一つとして迷わない。もしかしたら従順だからこそ運命なんて大きなものに目をつけられたのかもしれない。主人公に勇気と純粋さは必要だ。ただもっと皆、卑屈になってもいいんじゃないだろうか。