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意識は寮、自室のベッドの上で再開した。やわらかいシーツの感触と、体中の痛みを感じた。上げるときしきしと音を立てそうなくらい、腕はかなり硬直していた。あれから随分と時間が経ったのだろう。窓の外は既に暗い。

「――勝ったのか」

 と一人呟く。

「はい」

 頭の上の方で声がした。勢いよく体を向けようとするが痛みに阻まれる。

「本当に、お疲れ様です」君塚は言った。

 彼はゆるやかな動きでベッドサイドまで歩み寄ると、水の入ったコップを僕に手渡した。ゆっくりと起き上がり飲み干すと、体中に伝わっていくような感じがして、変な感覚だった。

「どれくらい寝てた?」

「半日と少しです」

 ということは決闘は昨日の出来事か。時間の変化に頭が混乱する。

「皆は?」と僕は聞いた。「見舞いくらい来てもいいのに……」

「ここは男子寮ですから……」君塚は苦笑した。「純奈さんは真っ青な顔して、小町さんは大泣きしてましたよ。どうにか冷静でいた僕と南後さんで落ち着かせましたけど……。二人とも今は寮に戻っているはずです」

 心配をかけたことは申し訳ないが、心配をかけられるというのはなかなかに嬉しいものだ。

「南後と国光は?」

「佐渡さんも今は部屋で安静にしていると思いますよ。意識ももどってるはずです。お二人の決闘は予想以上の展開でしたからね。近衛さん達も佐渡さんが負けたことに意見を言える感じではありませんでした。それでも南後さんは、深く頭を下げてました。ことは無事に終わりました。一件落着です」

 南後が……。プライドの高い南後が頭を下げること自体想像できない。しかし事件が収束できなその瞬間に気絶しているとは、自分もドジを踏んだものだ。

「南後は泣いていたか?」

「え?」

 君塚は口をぽかんと開けている。別にそれほどこだわるものではないのだが、南後には泣いて欲しくはなかった。彼女の涙は、僕らにモノリスで見せたものだけにして欲しい。せっかく守りとおしたものが、結局泣いてしまったでは締りが悪い気がするのだ。小町の涙はまた別だが……。彼女の涙はもはや癖の域ではないだろうか。

「泣いてはいなかったですよ」

「そうか……」

 良かった。またしても充足感が僕を深く包む。

 不意にドアをノックする音が聞こえた。「どうぞ」

「おう」という声と共にに国光が姿を現した。彼は包帯を巻かれていて、その原因が自分にあると思うと申し訳なかった。「お互いボロボロだな」と彼は笑う。

 国光とこうして再び話せることが僕は嬉しかった。彼は椅子にどしりと座ると「ありがとうな」と僕に言った。

 僕は返答に窮してしまう。国光の本来の計画を壊してしまっただけでなく、傷まで負わせてしまった。かといって僕が謝るのもかえって彼に申し訳がない気がした。

 僕は少し考えて「ありがとう」と返した。

「なんだそれ」彼は笑う。

「南後とはどうなった?」

「あぁ……負けたのは事実出しな。とやかく言うつもりはなかったんだが、あいつなりのケジメなんだろう。俺や近衛にはしっかりと頭を下げた。そもそも俺はあいつを殴る気なんて最初からなかったし、やっぱりどこかであいつを許していたんだと思う」

 彼の表情に迷いは見て取れない。心からの本心だろう。彼の言葉を聞くと、やはり僕はあの時モノリスで自分がした行動が肯定されたようで嬉しい。ありがとう、という僕の言葉もやはり本心に違いなかった。

「『約束』なんてなくたって、俺はこれからもあいつを守ろうと思う」

 彼の恋慕は続いているようだ。『約束』から少しばかり解放されて、普通を取り戻しつつある南後と国光のこれからを、僕は心の端っこで夢想した。そこに障害はあるかもしれないが、その時も僕は友人として手を差し伸べるだろう。いや、次こそは国光が彼女を自分の力だけで守り抜いて見せるだろう。

「頑張れ」

「お前もな」

「僕?」目の前の問題は全て解決したはずだ。「何かあったけ?」と聞かずにはいられなかった。

「志堂と瀬尾……だっけ?」彼はにやにやと嫌らしく笑った。「俺が意識を取り戻したあと、先にお前が運ばれていったんだ。すごかったぞ、あの二人」

「心配するのも無理はないだろ」

「心配……って感じじゃなかったぞ。俺は二人に殺されるかと思った」

 彼の言葉は勿論冗談だろうが、純奈の目は確かに相手に相当なプレッシャーを与える。彼がそう思うのも無理はない。

「よし」国光はそう言ってゆっくりと立ち上がった。「言うべきことは言ったし、俺も自室で休むとするよ」

「筋トレは控えろよ」

「さぁな。いかんせん暇で」彼は笑いながら部屋を出て行った。

「佐渡さんの言ってたこと、あながち間違いじゃなかったかもしれませんよ」今まで黙っていた君塚が口を開いた。

「これ以上強くなってどうするんだ」

「違います」彼は一拍置いて「お嬢様と小町さん、本当に遼次さんのこと心配だったと思いますから。明日には必ず会いに行ってあげてくださいね」と言った。

 優しい言い方だった。彼こそ僕についていてくれたのだ。先に感謝するべきは相手は君塚だ。

「君塚もありがとう」

 決闘を経験して、感謝をするべき相手が増えてしまった。まあ悪くはない。

「いえ」彼は照れるような表情の後、僕に頭を下げた。「僕は戻りますけど、何かあったらすぐに呼んでください」

「うん、ありがとう」

 さて、暇になってしまった。今からは寝れそうにない。体が動かないわけではないが、外を出歩くのは億劫だ。とりあえず夕飯でもたべようか。僕が体を起こすと、扉を開けようとする君塚の背中が見えた。彼は何をしているのか、一向に扉は開かない。

「どうした?」気になって声をかけた。

 彼は背中を僕に向けたままピクリとも動かない。広い場所ではない、僕の声は彼の耳へと確実に届いたはずだ。僕は半身を完全に起こすと体の向きを変え、ベッドの脇に座った。

「君塚……?」

「遼次さん」彼はゆっくりとこちらに体を向けた。「僕にはやっぱり黙っていることなどできません。二つの事件を通して、僕はあなたを真に尊敬できる人だと確信しました。私は純奈さんの付き人としてではなく、あなたの一人の友人として、伝えるべきことがあります」

 彼の真剣な表情に僕は唖然とする。感情を込めることをあまり得意としない彼だが、今の顔には鬼気迫るものがあった。焦りや悲壮感のようなものを感じる。

「どこから話すべきなのか……いや、しかし」彼は珍しく慌ててもいた。身振り手振りを使って何かを僕に話そうとしているのは分かるが、言葉にしてもらわないと僕にはさっぱり分からない。

「とりあえず落ち着けって」僕は彼をいさめると、椅子に座るよう促した。

「はい……すいません。えぇと。僕はお嬢様に気がありません」

 突然の告白。以前君塚と話した話題に触れているのだろう。そして僕は二度目にその話題を出したときの彼の態度を思い出す。思い出したように見せた彼のリアクションに僕は戸惑った覚えがある。

「それが言いたいこと?」

「いえ、その。それは、一つの事実であって……」彼の額に汗がにじむのが見えた。もはや彼の動揺は確かなことを通り越し、いささか滑稽にも思えた。

「じゃあさ」話の中心は未だに見えないが、彼が言葉にしずらいのならば導く必要がある。「その事実? とやらをまずは全て教えてよ」

「は、はい。今回の小町さんや南後さんの事件、遼次さんの傍にはいましたが、ずっといたわけではありません。時には離れたところにもいました」

 離れたところ? 確かに僕は常に君塚と行動を共にしていたわけではないが、彼自身も事件の中心にいたことは間違いない。なぜそんなことを言うのだろうか。

「僕がお嬢様を好いているような反応を取ったことを、僕は後から聞きました」

 いよいよ理解が追いつかなくなってきた。彼の話の内容も、それがどこに向かおうとしているかも、もはや僕には判別つかなかった。

「僕は今、言葉を制限されています」

「なぜ? 誰に?」

「すいません」彼は僕の質問には答えずに話を続けた。「僕は『予感』が二分間が限界ということを知りません」

 決闘で意識を失う間際、僕は声を聞いたような気がした。今考えると、あの声は君塚のものではなかっただろうか。しかし彼はそれを知らないと言う。

「あとは……。僕は、僕の名前は君塚詩矢と言います。イニシャルはK.U.です」

 全く理解出来ない。しかもなぜイニシャルまで。それに彼の場合はU.K.ではないのか。しかし欧米式では名を前に姓を後ろに置くが、日本では姓が先に来るので、イニシャルの順番がしばし混合されて使われる。そう考えれば別段間違いではないが、今の話の流れで必要なことなのかは疑問だ。

 僕は首を深くかしげてしまう。もはや彼の言葉が暗号化なにかのようにも思える。ますます理解が出来ないのだ。伝わらない焦燥感が限界に達したのか、君塚は勢いよく立ち上がった。

「遼次さん!」彼は突然ほえた。「先ほども話しましたが、僕はあなたを尊敬しています。それに友人としてあなたの存在が誇らしい。ですから――、ですから」彼は言葉を区切り、「今のあなたにこのまま明日を迎えて欲しくないんです! このまま傷を癒すために眠り、翌日お嬢様や小町さんらに言葉をかけ、また日常に戻っていく……。僕はそんな姿をとてもじゃないけど見られない!」と言い放った。

 部屋中に響いた君塚の言葉。しかしそれを十分に理解出来ないのが悔しかった。彼は僕に何かを伝えようとしている。決してふざけてなどいないだろう。泣きそうな目を向けてくる彼はとにかく必死だった。

「今すぐ『予感』を使ってください」彼は急に突拍子もないことを言った。いままでの発言もそうだったが、これには僕も驚いてしまう。

「なんで?」

「お願いです……。お願いです。じゃないとあなたは後悔する。そしてその後悔を知ることも出来ない。そんなの、僕は許せないんですだから――」

 彼の視線に圧倒される。僕は体が強張るのを感じる。事件は解決したのではなかったのか。僕の知らないところで、もうひとつの事実が終わりを迎えようとしているのだろうか。彼の焦りが僕にも伝わったのだろうか、嫌な汗を背中に感じる。

「『予感』を使ってどうすればいい?」

「感じることのできる、一番大きな『予感』に向かって走ってください」

「二分も持たないんだぞ? あまり遠くには……」

「最初』からこうすればよかった……とにかく急いで!」

 僕は立ち上がると、すぐに集中を始めた。体を変な支配感が包み、頭がぼうっとする。いつもの『予感』だ。しかし――。

「――なんだ、これ」周囲が妙な色彩を放つと同時に、僕にあらゆる『予感』が知覚される。その中に、ひときわ大きなものがあった。それはか細い形を取りながらも強く異彩を放ち、見えない引力で僕を引っ張った。いままでに感じたことのない『予感』に僕の足はすくむ。

「これは……たぐり寄せていいものなのか?」自然と言葉が漏れた。その『予感』の先にあるものが全く見えない。君塚が言うような後悔が潜んでいるように思える。しかしその後悔の色が全く分からない。マイナスのイメージを取りながら、絶対に掴み取らなければいけない希望の光のようなものも見える。

「走って!」

 君塚の言葉に反応した僕は部屋を飛び出した。うねる周囲を気にもせず、ひたすらにその『予感』を目指す。体の痛みも遠いところに消えてしまったように感じる。今僕が感じるものはこの『予感』ただそれだけだった。

 気づくと大通りに出ていた。『予感』を一度切る。ここでまた気絶をしていては意味がない。『予感』が止まると、周囲の景色が落ち着き、薄暗い商業区が色を取り戻した。それでも僕は突き動かされるような感覚を覚え、足を止めようとは思わなかった。見えないなにかに引かれるように、目的も分からずただ歩き続ける。判然としない行く先だったが、しばらくして自分がどこに向かっているのかが徐々に分かってきた。

 目の前には巨大な門。玲瓏から出る唯一の門は開け放たれていた。僕は深く考えることもせずに門をくぐる。数日前に見た光景が広がっていた、守衛室に明かりはついていたが、そこには人影はなかった。そして自分を玲瓏へと送り届けたいつかの船の姿があった。音を立てずに波に揺られる船をぼうっと見ていると、一瞬動く影が視界に入った。

 目を凝らすと――いた。僕はの心臓は律動を早め、頭がくらくらとする。緊張とも驚きとも判別できない複雑な感覚が体中を満たす。僕はなるべく音を立てないように気をつけながら、その人影へとそっと近づいた。

 しかし相手はすぐに僕の接近に気づいた。ゆるやかな動きでこちらを振り返ると、彼女は一瞬目を見開き、驚いた表情を見せた。僕は彼女のそんな表情を見たことがなかったのんで、堪えきれずに笑ってしまった。

「何がおかしい」彼女は不満そうに眉をひそめ、「……やっぱり君塚か」と小さく呟いた。この出会いを知らずに明日を迎えることは、確かに僕の人生にとって最大の後悔になるだろう。心の中で君塚に感謝をする。

「何も言わずに行く気だったの?」僕は我慢できずに聞いた。

「……うん」彼女は悲しそうな顔で答えた。「仕事の都合でな。こういう形でしかお前とと関われなかった。すまん」悲しいのはこっちだ。なぜ騙すような行動を取ったのだ。言葉にしてくれれば済む話ではないのか。僕は頭の中に次々と沸いてくる彼女への不満を精一杯飲み込んだ。文句を言ったところでどうしようもないことも理解していた。

 もやもやとした自分自身の感情を押しつぶすのに一生懸命だった僕は、次の言葉がなかなか出てこなかった。僕は彼女に何を求めているのだろうか。僕は彼女になんと言って欲しいのだろうか。

「この数日で随分成長したな。誇らしいぞ」

「やっぱりずっと見てたの?」

「あぁ、君塚には借りが出来た。私の因子にも条件があるからな、お前の近くでは君塚くらいしか使えなかった。何よりも隠す必要があった」

「別に……僕は誰かに告げたりなんかする気はない」

 は君塚がイニシャルをわざわざ告げたことを思い出す。目の前の彼女のものと合わせてみると、方法は分からないが条件に関しては合点がいった。

「違う、そうじゃない。お前ひとりの姿を見る必要があった。私が傍にいると知っているお前ではない。お前自身の行動をな」

 反論をする気も起きなかった。一度決めた彼女の意思を、他人の言葉では曲げることなんてできない。それは僕の言葉も例外ではなく、当然意味のない口出しになってしまう。僕が仕方ない、と思うのも彼女が傍にいることが何よりの原因かもしれない。

「どうだった?」僕は彼女の行動に納得は出来ないが、この際それは気にしても無駄だ。理由を糾弾しても意味がないのなら、彼女の行き着いた結論や成果に耳を傾けることにしよう。「玲瓏での僕は」

 彼女は少し考える素振りを見せた後、「相変わらす卑屈さが駄々漏れだ。だが以前よりも決断や行動に迷いがなくなったように思える。まだまだ幼稚な行動原理につき動かされる瞬間もあるみたいだが、行動を起こそうという考え方は悪くはない。成長したな、遼次」

 彼女は屈託なく笑う。僕もつられて笑う。怒るべき理由もどこかに消えてしまった。

「なんでこの時期なのさ」

「仕事の都合で一度死んでおく必要があった……。それに私だってお前が心配なんだ。傍でお前を見ておきたかった。今までが過保護過ぎたかもしれない。嬉しいが、少し寂しいな」

 またしても彼女は笑った。乾いたような彼女の笑いに、僕は合わせることが出来なかった。急に芽生えた悲壮感にどんな表情をすればいいのか戸惑ってしまう。

「そんな顔をするな。大丈夫だ」

 彼女の言う大丈夫という言葉は、他の誰の言葉よりも僕を安心させる。今までだったそうだった。しかし僕は笑うことは出来ない。悔しかった。僕はまたしても彼女の手を借りなければ一人で戦えない。二度目の別れを経験した僕は、今までのようにまた笑えるだろうか。

「……ずるい」僕は彼女の目を見てしっかりと言ってやった。「いつもずるいんだ。あんたみたいのが傍にいたら、僕は強さを忘れてしまう。変われない、これからも同じ場所に立ち続ける事しかできない」目頭が熱くなる。

「……すまん」

 だから謝るな。僕は謝罪が欲しいわけじゃない。かといって彼女からどんな言葉を引き出したって、僕の心は満たされることはない。これが別れの感情か。僕は自分がまだこんな感情を残していたことに驚いた。

「お前は変わりたいのか?」

「分からない……」

 彼女との再会で僕はひどく混乱していた。いままでの自分自身に対する認識や見解も崩れかけていた。正しいと思っていていた行動に、今も強く頷けるだろうか。

「私はな、遼次。お前が変化を望むことには大いに賛成だ。だが同時にお前は勘違いもしている。お前変わりゆく他人を見ることに焦りを覚えるだろうが、その他人がお前を見たときどんな感情を浮かべると思う?」

 涙はとうに流れていた。喉が詰まって言葉が上手く出ない。彼女の質問に、僕は仕方なく首を振るしかなかった。

「羨ましい、と思うはずだ。普遍性はいかなる変化よりも手に入れるのが難しい。お前はその卑屈な精神で同じ場所に立ち続けている。でもそれは決して悪いことじゃない。むしろお前しか持ち合わせていない一つの才能だ。私だってお前が羨ましいと感じることもある。同時に誇らしくもある。同じ場所に立ち続けることの難しさは私もよく知っている」

 僕は南後が普通を強く求めたことを思い出した。物事に普通という評価を下せることは、僕が思っている以上に幸せなことかもしれない。

「僕だって純奈達が羨ましい」

「それも当然だ。だから人は個性を持つし、才能も異なる。特化因子は何も特化しているわけではない。勿論劣化だってしていない。自分らしさを示す一つのツールでしかないんだよ。それにお前が成長しようと躍起になる心理は理解できなくもない。私にだって責任がある。でもな遼次、成長を求めるのは人間の常だが、成長に悩むのは若さの常だ。お前は悩む前に、足を踏み出そうとしている。どうしてそこで卑屈さを発揮しないんだ。悩めよ、もっと。ここには悩むための環境が揃っているだろう」

「悩んだって答えがでるかどうか……」

「その感情も立派な悩みだ。答えなんてすぐには出ない」

 僕は自分の全てが肯定されている感覚だった。彼女の優しさなのか、僕が良いほうへ考えているだけなのか。とにかく現状を悩み考えることは、停滞ではないのだと、僕はそう理解した。

「純奈を守れよ、遼次」

 彼女は語りかけるように優しく言った。

「あいつも強くはない。お前の普遍性であいつを支えてやれ」

「うん。味方でいるつもりだ」

「味方の意味を履き違えるなよ」

「うん」

 僕は弱弱しく頷いた。彼女の指摘には思い当たることがある。僕は記憶を手繰り寄せ、彼女の言葉の一つを思い出した。

「味方でいるってのはそいつと同じ場所に立ち続けてやるってことじゃない、そいつを同じ場所に立たせ続けてやるってことだ」

 彼女の言葉と、記憶の中の言葉がシンクロする。僕は再び、今度こそ強く頷いた。

「あとは……お前好きなやつは? やっぱり純奈か?」

 突拍子もない彼女の言葉に、僕は目を丸くした。

「どういうこと……?」

「お前を焦らそうと思って、アドリブまで入れたんだ」

 僕は数秒考えた後、ある光景が頭を掠めた。君塚に純奈が好きかと質問したときの慌てよう。そして二度目に聞いた際に生じた違和感。

「君塚はすべて知ってたのか」

「あいつも悩んでたな。お前との友情に心を痛めていた。いや、申し訳ない。でも知人の因子を使って条件付きで言葉を封じたからな、簡単に吐かれては私も困る」

 船が振動し、僕は終わりが見えてきたことを悟る。

「行かなきゃ」

 彼女はそっと呟き、僕から視線を逸らした。

「また、会えるよね?」

 彼女はくすりと笑った。「お前次第だ」

 それでも不安はなかった。生きていれば、二度と会えないことなんてない。僕は二度目の再会を密かに『予感』した。

「最後に!」

 僕は彼女の背に言った。

「姉さんの特化因子は!」

 彼女は一瞬だけこちらに振り向くと、短く「『擬態』だよ」と言った。

 それからは一度も振り返ることなく、船へのタラップを進んでいった。彼女との再会は僕に悩みの種を多く植えつけた。それでいい、彼女の言葉と自分を信じ、精一杯悩み続けてやろう。 すでに見えなくなった卯月響子の姿を思い浮かべながら、僕は深く深く頭を下げた。涙はとうに止まっていた。



 人気のない商業区を歩くと、そこには見知った顔がいた。「こんばんは」純奈は僕の姿を見つけると、照れたような表情を浮かべた。

「何してるの?」

「散歩よ」

「こんな時間に?」

「こんな時間だからよ……ごめん嘘。君塚に聞いたらここにいれば会えるって」彼女ははにかんだような笑みを浮かべた。

「話したいことがある」

 僕は姉さんとの話をするなら、まずは純奈に聞いてもらいたかった。

「モノリス、行く?」

「いや、ここでいい」

 近くのベンチに腰を下ろし、僕は先ほど自分に起きたことを話した。勿論涙を流したことと、純奈に関することは恥ずかしいので伏せた。最後まで真剣な表情で聞くと、彼女は笑った。

「響子さんらしい……本当に遼次のことが心配だったんだと思う」

 そう言われると、僕はあの再会に後悔などはなかった。

「他には、何かある? アドバイスでもいいけど」

「アドバイスってのは、なんか偉そうだしやめとく」

 見上げると、空にはうっすらと三日月が見えた。僕の視線に気づいた純奈もそれを見上げる。

「満月と三日月どっちが好き?」僕の唐突な質問に彼女は首を傾げた。「満月を見てると、姉さんのことが浮かぶ。完璧で、綺麗で、全力で輝いてる」

「じゃあ遼次は満月が好きなの?」

「……分からないな」

 自分から聞いておきながら、僕は質問の答えを用意していなかった。満月の輝きには強く惹かれるが、同時にその姿には引け目のようなものを感じてしまう。自分にはない輝きには、僕を不安にさせる要素も当然あった。

 月の明かりをうっすらと受けた純奈の姿は、消えてしまいそうな危うさを持ちながら、純粋な美しさを持っていた。彼女は困った表情を浮かべると、「私は三日月かな」と言った。

「なぜ?」

「これは遼次の質問に対する答えになってないかもしれないけど、満月と三日月って同じ月じゃない? 見え方の違いであって、その本質は何も変わらない」僕は話の先を促すように、黙って頷いた。「三日月は本当は完璧でいられるのに、見えない部分を持ってる。そういう不完全な美しさに、私は惹かれているんだと思う」

「月の話だよな?」

「知ってるわよ」

 彼女は顔を赤くしてうつむいてしまった。

 人は人間という種族で、ひとつの形を持っている。しかしそこには性格や顔、特化因子が存在し、それが個を示している。だが僕らが人間であるという事実は変わらないし、それは足りないものじゃないのかもしれない。足りなく見せる必要があるから、僕らは悩み成長する必要があるのかもしれない。ひょっとしたら、姉さんを満月と例えることも間違っているのではないだろうか。見えない部分がある以上、三日月の輪郭はなぞれない。それは僕らも同じだろう。次に会うときの話題として取っておこう。

「遼次も私も、皆満月なのよ、きっと。でも見えないだけ。見えないほうが綺麗だもの。足りないくらいが丁度いいのよ。だからお互いを知ろうと思うし、自分にないものを見たいと思うから、人を好きになるんだと思うわ」

「詩的だな」

「素敵でしょ」

 彼女は笑う。つられて僕も笑った。何が楽しいんだってくらい、僕らは笑った。夜風に髪をなびかせる彼女は、月になんかに引けを取らないくらいに綺麗だった。

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