①
三月もいよいよ終わりを迎えるというある日、僕は姉さんを失った。
あと少しで出会いの月だったのに――。なんて女々しい言葉を、二度と動かない、美しい彼女の亡骸に、心の中でそっと告げた。
葬式当日、朝からぐずついていた雲たちは、ついに雨を吐き出した。
どうでもよいことばかりが目に付き、大切だったものが霞んで見える。
以前よりずっと白くなってしまった姉さん。その白さに惹きつけられるように、彼女を囲む見知らぬ人たち。彼らの多くは皆、姉さんの同僚だと名乗った。
あぁ、こんな感情を抱えながらずっと生きていかなければいけないのか、いっそ僕も――。
「君が遼次君?」
振り返ると、やたらとガタイのいい男が僕を見下ろしていた。
「はい。あなたは……?」
聞くと彼は、姉さん――卯月響子の上司だと言う。何と呼べばよいのか言葉を詰まらせていると、「大尉で結構」と彼は言った。
一通り姉さんに対する悔やみの言葉を述べた後、
「これからどうするんだ?」
と、大尉は言った。
誰かに言われる予感はしていた。あなたでしたか、大尉。
雨は僕に味方するように、勢いを強めた。この嫌な会話をかき消そうと、精一杯にアスファルトを打つ。大尉の声も負けじと大きくなる。
「響子の仕事を引き継ぐもよし、どちらにしろ我々は君の居場所を作るよう、精一杯の努力をするつもりだ」
「……研究材料として、ですか?」
「響子の……大切な部下の、たった一人の肉親だからだ」
僕が顔を覗くと、大尉は大きな体に似合わない、とても悲しそうな顔をしていた。
でもね、大尉さん。響子は……姉さんは、僕にとってのたった一人の肉親なんですよ――なんて言葉を喉で止める。嫌味の一つくらい言ったってばちは当たらないはずだ。だが、もちろん大尉に非などない。
「すいません」
軽く頭を下げると、大尉は手を振って気にしていないという態度を返してきた。
落ち着いたところで、大尉は本格的にさっきの話題を進めようと、僕を車に入るよう促した。 後部座席に入りドアを閉めると、隣り合うように反対側のドアから大尉が入ってきた。彼はその大きな手で服の水滴を一通り払うと、何気ない調子でさっきの問いを繰り返した。
「これからどうするんだ?」
僕は窓に視線を投げながら、正直に答えた。
「分かりません。何ができるのか、何をするべきなのか、何もかもが」
ふむ、と大尉は首をかしげた。僕の答えは彼の思っている以上にやっかいだったのだろう。
「確かに、君は普通という存在からは少し遠い位置にいる。だがそれは決して異端などではない。常識から外れたものをすぐに異端と捉えるのは早急すぎる。君のそれは特別であり、またかけがえの無い才能なんだよ。それが……」
一拍置き、大尉はしっかりと言い放った。
「それが……特化因子なんだ」
特化因子――。
その言葉につられるように、僕は大尉へと視線を移した。だが僕の意識の大半は、大尉の放った単語――特化因子――へと向けられていた。
遡ると、ESP、サイキック、超能力――。これらが世に認知されてから数十年、人類は平和を求める傍らで、これらの研究をさかんに行ってきた。その中でも研究者の話題をこぞって集めたのが、一人の日本人の少年だった。
突如メディアに現れた彼は、自分の超能力を『念動』と称した。手を触れずに、重さ一キロ程の物を意思だけでで動かせる。というものだった。『念動』と呼ぶ理由は、彼にも分からないそうだ。自分の意識が、力をそう呼ばせているのだと、本人も戸惑いながら答えた。そんな様子も、不確かな『念動』を際立てた。
しかし日本中が沸くと同時に、彼への疑念もまた膨らんでいった。ユリゲラーの再来とも称された彼は、時が経つに連れ、膨らんだ大衆の疑念に押しつぶされた。
そんな時、ある放送局のテレビ番組で彼は友人を紹介した。友人もまた、力を持っているのだと言う。友人として現れた男もまた、少年というにふさわしい外見だった。
今でも度々ニュースで流れる、その時の映像。画質こそ荒いが、そこには確かに目に見えないものを感じずにはいられない。
少年はスタジオだと疑われる、と言い、急遽外での撮影を要求する。慌てるスタジオの空気、やっとのことで場所を移し、局の前へと画面は移動する。
少年は恐ろしいくらいに淡々と、アナウンサーに向かって聞いた。
「何か一つ、ここから見えるもの、なんでもいいから挙げてください」
一瞬戸惑ったアナウンサーは、あからさまな不信感を顔に浮かべながらも、少し離れた所にある街路樹を指差した。
「何番目?」
少年が再度聞くと、
「一番手前で」
と、アナウンサーが答えた。
「わかりました」
次の瞬間、街路樹は火に包まれた。
そのシーンを僕は鮮明に思い出す。
少年は短く、「『発火』です」と言った。そして上がる悲鳴、そのすぐ後にとどろく怒声。
少年は自分の書いた絵がコンクールで賞を取ったみたいに、燃え盛った街路樹を誇らしげに見つめていた。
その後、超能力なんて言葉じゃ収まりのきかなくなったこの事態に、どうにか結論を出そうと世界中の学者達がやっきになった。そんな中一人の遺伝子工学の学者が、その少年二人の遺伝子に、ある共通点を見つける。そしてそれはヒトと呼ばれる種の遺伝子との特異点だった。学者は迷った末、その特異点を――特化因子、と命名した。
意識は再び雨の打つ、車の中へ。
「特化因子……」
改めて呟くと、その存在を嫌でも感じる。「特化」という言葉が意味するように、それは強さであり、種としての優位性を示すものに他ならない。これこそが僕と姉さんを追い込んだ原因であり、今もこうして僕が生きていられる理由でもある。
「もし、劣化因子と名づけられていたらどうなっていたんでしょうか」
ふと気になった疑問が無意識に口からこぼれた。
「変わらないよ」
大尉は眉ひとつ動かさずに答えた。
「特化だろうが劣化だろうが、最初に穿った点からズレれば、それはもう立派な変化だ。進化にしろ退化にしろ、変わるということは、変われない者達からすれば怖くて仕方がないんだ。だからもし君のソレが劣化因子と呼ばれていたとしても、私と君はここでこうして話をすることになったと思う。まぁ、響子という存在が劣化なんて言葉を抱えている時点で、それはそれで大きな矛盾だがね」
大尉はそう言うと、大きな口を開けて豪快に笑った。つられて僕の頬も緩む。
「変化から生じる格差や差別が無くなることは無いだろうが、君は君であるということに変わりはない。君は響子の弟で、卯月遼次なんだ。誇りに思うべきだ。彼女も君の存在こそ誇りだったに違いない」
姉さん……。思えば、完璧という言葉が似合う存在だった。
特化因子の存在で僕らを両親が捨てたとき、姉さんは驚くほどの速さで行動を起こした。世間の目は冷たかったが、同時に世界が僕らを欲した。正確には僕らの因子を。
姉さんはそれを逆手に取り、自分自身を企業や組織に売り込んだ。自分自身の、因子を含めた才能を示し、その有用性を説いた。その後、どういう経緯をたどったか僕には分からないが、この大尉殿の機関についたようだ。
やはり姉さんは完璧だった。ひょっとすると彼女の因子は『完璧』かもしれない。するとどうだろう、ますます僕のは劣化因子ではないか。
重く傾きかけた車内の空気に気づいてか、大尉は明るい声を振り絞った。
「さっき君は今後について、分からないと答えたね。何ができるのか、とも。状況は常に進んでいる。考え方によっては好機とも取れる。これを」
手渡されたのは名刺ほどの大きさのカード。表には見知らぬ電話番号が書かれていた。裏返すと、別の番号と一緒に、懐かしい名前が書き添えられていた。
「なんですか、これ」
「以前、響子と君の話をしたことがあった。その時にこれを預かったんだ。私に何かあった時は、これを遼次に渡してくれ、とね。冗談だと思っていた。だが書かれている名前からして、渡してほしいと言うのは彼女の本意だろう。名前の無いほうの番号は私のだ」
改めて、僕はそこに書かれた名前をじっと見つめた。
――志堂純奈。
姉さんの仕事の手伝いで一時期行動を共にした。志堂グループ現会長の長女であり、彼女もまた特化因子を持っている。
「以前、響子に頼んだ仕事に一応の決着はついた。志堂グループも今や私たちのスポンサーだ。相変わらず親子間の仲は最悪らしいがな。長女の純奈は因子持ちを守る目的で、会長に専用の学園を作らせた。今彼女はそこに通っている」
特化因子を持つものだけの……学園?
ふいに嫌なイメージが頭に沸いてくる。それは冷たい檻、見えない枷――。
不安が表情に表れてしまったのか、大尉は僕の顔をじっと見つめる。
「会長の側からすれば特化因子を一つに集められるんだ、相互の意識のズレはあるが合理的な折衷案だ。だが安心してほしい。中で非人道的な研究は行われていない。あくまで観察が目的のようだ」
観察。その言葉にさらなる嫌悪感を抱く。遺伝子上のミクロな差異が発見されるだけで、僕らは観察される対象へと成り代わる。
「動物園となんら変わりはないじゃないですか。ライオンと象の間に、因子持ちって看板を立てたようなもんですよ」
「そう卑屈になるな」
大尉は僕をなだめ、ぐっと顔を近づけてきた。内緒話でもするように声を絞り、囁くように僕に告げた。
「これは響子の提案だ」
そうだ。志堂純奈の名が書かれたカードは、姉さんが大尉を通して僕に与えてくれたもの。僕自身、今まで姉さんの後ろをついてきて、間違った方向へ進んだことは一度だって無いのだ。
「それに」
大尉は再び座席に深く座り直すと、
「学生の本分は学業だ」
と、実に年寄りらしいことを言った。勿論、彼自身の意見だろう。姉さんの口からそんな言葉が出る様を、僕は想像出来なかった。
「施設もかなり揃っている。学園が一つの街だ。娘と企業発展のためとはいえ、志堂の会長も随分な決断をしたもんだ」
大尉の話を聞いて、幾分か気持ちは前向きになれたが、僕には一つ抱える問題があった。
「僕は、学校に通ったことがありません」
「そういえば勉強は響子が教えいてたんだったな」
「はい。そもそも学校以下の規模での集団行動にも、馴染みがありません。いつも、姉さんと二人だったから」
別に僕は姉さんのもとにいたからといって、スタンドアローンな状況下で暮らしてきたわけではない。パソコンもテレビも本もあった。学校という存在についても人並みの知識は持ち合わせている。
問題は、この年で初めてそういった環境に身を置いた場合、僕自身がそれに耐えられるのか、ということ。
「大丈夫だ。志堂の長女からも直接連絡があった。ぜひ君の力を借りたいとね」
僕の力? だとしたら、正直純奈は僕を見誤っている。卯月響子の弟はそこまで優秀ではない。僕が一番よく知っている。
「力を貸してほしいって、機関に向けてのメッセージなんじゃないですか? 生憎、僕は人に貸せる程の力なんて持ち合わせていないです」
しかし自分の感覚を裏切ってまで僕に自信を持たせる理由が一つある。
「……それでも、姉さんが示してくれた道なら」
大尉は一つ頷くと、僕の顔をじっと見つめた。
「決心はついたな。手配はこちらに任せなさい。困ったときはいつでも電話してきなさい」
大尉の力強い言葉を聞き、僕はなんとなく父親のことを思い出していた。同時に、姉さんが最終的にこの人の下に収まった理由も分かった気がした。
「ありがとうございます」
僕はしっかりと、素直に頭を下げることができた。僕の中の不安は、いつのまにかどこかへ行ってしまったようだ。
「響子は逆境を転機と考えていた。ただ前向きなだけではない、そう思えるのは強いからだ。君にもその素質があるはずだ。彼女はよく言っていた」
「悔いるな、切り替えろ。ですよね」
うむ、ともう一度しっかりと大尉は頷いた。
姉さんはたくさんのことを僕に教えてくれた。本当にたくさんのことを。当時は真に受けなかった彼女の言葉が、今では妙に僕の心にしっくりとくる。
「ところで……」
大尉は思いついたように再び話し始めた。
「君の因子は……兄弟で同じ因子を持つことは多いからもしかして……あぁ、すまん、悪い意味じゃない。響子を通じてとはいえ君とは遠からぬ関係だと自分自身思っている。響子とも君の話を何度かした。彼女はその度に嬉しそうだったが……因子については耳にしたことがなかったからな。興味ついでだ、謝るよ」
姉さんが、僕の話を……。
僕は大尉の謝罪を手で制し、自信を持って質問に答えた。
「僕の特化因子は、『予感』です」