死体保存・カニバリズム/後輩【ヤミプラス】
本を両手に抱えていたので仕方が無かった。足で脚立を引きずることをやっていたのは去年卒業した先輩だった。去年と続き私は迷わず図書委員に所属した。先輩がよくやっていたとはいっても、自分でやるのは初めてだ。
一度に多くの本を運ぶ点においては確かに効率は良いかもしれない。でも明らかに進む速度が遅くなる。
この学校の本棚がもう少し低くなってくれれば、平均よりも身長の低いわたしでも楽だったかもしれないのに。
よろけそうになった時、脚立が動かなくなった。驚いて振り返ると、脚立を掴んだ一年生の姿が目に入る。
彼は間違いなく、今年入学してからともに図書委員の仕事をやっている牛山君だった。年下ということもあるし、消極的な彼は小動物のイメージがある。
そんな彼ががっしりと脚立を掴んでいるのだ。私は首を傾げた。
「牟田口先輩……何やってるんですか?」
「な、なにって本を戻そうとしてるんだけど」
彼は脇に一冊の本を挟んでいた。
作者の名前は煤木彪。マイナーだが、なかなかに深い恋愛サスペンスを書いている作家だ。煤木の作品は必ずチェックしている私の目に飛び込んできたタイトルは、見たことが無いものだった。
思わず脚立の段に本を下して、牛山君に飛びついた。
「こっ! これ! 新作だ!! 発売前に持ってるってことは牛山君もしかして、握手会に行ったの!?」
彼のわきから無理矢理に本を抜き取って裏返すと、背表紙には間違いなく煤木のサイン。
私の胸が躍った。自分でもわかるくらいに目が輝く。
私と身長が同じくらいの牛山君の顔に接近してしまっていたことに気付いて、顔が赤くなった。間違いなく困惑していたはずの彼は、目を細めて笑った。そして頷く。
私は彼から距離を置いて本をめくった。
面白そうだ。今回も。
「応募したらあたったんですよ。先輩、読みます?」
「えっ!? い、いいの!?」
また身を乗り出してしまう。
牛山君と出会ったころ、彼はあからさまに人を避けていた。他人と多くしゃべることを避けて頷くだけを行った結果、図書委員になったらしい。それを知ったのも最近の話で、彼とまともに会話できるようになったのは多分、私だけなのだと思う。
たまたま一年生の教室を訪ねることになったときに目撃した教室での彼はすごかった。他人に近づかないのだ。まず第一にして、人との接触を拒む。
明らかに孤立して居る彼を見て、可愛そうになった。学校でまともにしゃべらないなんてつまらないんじゃないだろうか。だから私は積極的に彼に話しかけることにした。迷惑だと思われるかと思ったが、意外にも牛山君が私を拒んだことは無い。彼から話しかけてくれることも多くなってきたし。
私はそれが嬉しかった。彼の唯一になれたということだ。変な意味ではなく、彼を私が救っているような気がした。そんな牛山君との話題の中心はこの作家、煤木彪である。
「いいんですよ。俺はもう読み終わりましたし。それに……」
彼が何かを言いかけたので、本から顔を上げる。細めた瞳で私を見る彼の表情は優しかった。柔らかく、まるで何かを愛でるかのような目。
「先輩が嬉しいと、嬉しいんですよ、俺も」
「……へ?」
普段は言わないはずの言葉だ。私と牛山君の会話は、あまり言葉は使わない。なんとなくともにいて、一緒に本を読んで、感想をぼそぼそと言って。その程度なのだ。だから、直接的なその言葉を耳にするのは初めてで。
私は驚いて固まってしまった。
これではまるで、彼が私のことを。
「さてと、続きやりましょうか。危ないし、俺がやりますよ」
普段クラスメイトには全く見せない朗らかな笑顔を浮かべながら、彼は本を抱え上げた。私はようやく動き出して本を小脇に抱えて、彼を追いかけるように脚立を押した。
だんだんと、彼は私に心を開き始めている証拠、なのだろうか。孤立気味の彼の友達、とまではいかなくても、話し相手くらいになれたら。そんな程度の感情だったのだが。
でもまさか、普段委員会でしか言葉を交わさない私に好意を抱くとは思えない。
私の考え事なんて知らずに変な言葉を言った本人である牛山君は気にしていないようで、作業を黙々と続けた。
「牟田口ー、その本何ー?」
昨日牛山君に借りた本を机の上に置くとクラスメイトの土樽が声をかけてきた。
彼は私の机の上に堂々と座り、本を手に取った。ぱらぱらとめくって対して興味もなさそうにしながらも、あとがきのページに視線を落とす。
私は慌てて土樽に腕を伸ばした。
「借りものなんだから返して!」
「はぁ? 誰に借りたわけ?」
眉を顰める彼は私の手から逃れるように本を遠ざける。追いかけるようにして私は身を乗り出す。軽くじゃれあっているようにしていても、周りの人間は気にしない。
「一年の図書委員の子!」
彼は私の言葉に口元までもを歪めて、ついに机の上から飛び降りた。その拍子に彼の肩が私の腕に当たり、バランスを崩してしまう。
「っとぉ!」
非常ではない土樽は私の腕を掴み引き寄せた。たくましい男子の力に体を振り回されて私は息を呑む。
「大丈夫か? ってかそれって秀穂のこと?」
「う、うん。そうだけど……?」
土樽が後輩のことを把握していたことに驚く。彼は私の腕から手を離して制服の皺を伸ばしてくれた。私はそれに小さくお礼を言う。
そして土樽が何かを言おうとした時に、強い視線を感じた。驚いてそちらを向くと、廊下に立っている影を見つけた。
小さくて、細い体。
牛山秀穂。
背筋が震えるのを感じる。私は何かを言おうとした。声をかけないと、と思った。使命感だった。
私が何かを言う前に土樽が私の肩を掴んだ。そして、それを見た牛山君は逃げるようにその場を去って行く。
「あいつ、明らかに人を避けてたのになんでお前に本を貸すんだよ」
「私になついてんじゃないのかな。昔から小動物によく好かれるんだよねー」
冗談のつもりで言ったのだが、土樽は反応してくれなかった。いつもの土樽なら笑って冗談で返してくれると思ったのに。
私はじっと廊下を見つめる土樽の手から本を奪い返した。ざっと外見を見て傷がついていないこととページが曲がっていないことを確認する。大丈夫のようだ。
今日も今日で仕事がある。壊れてしまった本の修正だ。
「あ、牛山君。これ、ありがとう」
いつもより少し遅れてやってきた牛山君に駆け寄って彼の目の前に本を差し出した。彼は私を見上げると、本を手に取らずに胸元のリボンを掴んできた。
いきなりのことに驚く暇も無く私の鼻と牛山君の鼻がぶつかる。男の子にしては大きな瞳が視界いっぱいに広がる。
彼が口を開くと、吐息が唇にあたった。
「土樽要平、ですよね?」
私は答えられなかった。
昼間じゃれあったクラスメイトの名前。親しい分類に入る彼とはよくああやってじゃれあう。
その姿を彼に見られた。
「俺、先輩に、牟田口比奈香に本を貸したんですけど」
そう言うと彼は私の手から本を取り上げる。そして床に落とした。彼は本を大切にする人だと思ってたのに。器用に足で扉を閉める。
利用時間ではない図書室に人はいない。距離が近いせいもあって、牛山君の発する音だけが耳を刺した。
「昨日確かに牟田口先輩が嬉しいと俺も嬉しいって言いましたけど、他の男に喜ばされる牟田口先輩を見ているとイライラするんです。この意味、分かりますよね?」
私はかすかに頷いた。
反応が嬉しかったのか、私にだけ見せる笑顔を浮かべる牛山君。そのまま彼は、私の唇を舐めた。突然の接触に驚いて牛山君の薄い胸板を突き飛ばす。掴まれたリボンが引きちぎられて、彼の手の中に納まっている。
急いで唇を袖で拭って床にへたり込んでしまった。
「俺は先輩としかしゃべらないのに、先輩は色んな人としゃべる。ずっと、ずっと我慢してた……」
何度拭っても舐められたときの感触が消えない。
彼は震え始める私にゆっくりと近づきながらブレザーのポケットをまさぐった。
「ご、ごめんね。学校、つまらないんじゃないかって、思って。だから、ちょっと話し相手になれたらって、思っただけなの。だ、だから、私、牛山君に、そういう感情は無くて……」
視線をさまよわせながら、私は必死に言葉をつなげる。
彼に対してそんな感情を持ったことは無い。
ただのかわいい後輩。小動物のような後輩。
好意を抱かれる可能性を考えなかったわけじゃない。
有り得ない。そう思ってきた。
消極的な彼がこんな形で迫ってくるなんて思いもしなかった。
「腕触られたりして、さ。我慢してきたんですよ? でも、そろそろ終わりにする……」
牛山君が取り出したのは注射器だった。片手に握ったまま、近づいてくる。私は必死に床を掻いて後ず去ろうとした。
できなかった。腰が抜けている。経験が無いのに、唇を舐められたからだ。しかも急に。
大した抵抗もできない私の足を掴んで引き寄せながら牛山君は馬乗りになった。
「や、やめて、牛山君、何、何する気……?」
「牟田口先輩、好きです。話しかけてくれてありがとうございました。いつも大して話ができなくてすみませんでした。これからは、」
珍しく饒舌な彼の言葉を最後まで聞くことはできなかった。
首筋に小さな痛みが走る。
+ + + +
ベッドの上に横たわった裸体。この前まで恋焦がれてきた人物だ。
今日も喋らなかったよ。
牟田口先輩以外とは一度も喋ったことないから。だから安心して。
俺は彼女の顔に手をつくと、冷たい唇にキスをした。あの後、きれいに殺すために薬物を摂取させた。
俺、約束したもんね。先輩に最後に言ったもんね。
いっぱい、話しかけてあげるから。俺が、俺だけが。
俺しか先輩に話しかけないから、安心して。俺はキスを深くしていく。
歯を立てて彼女の唇を食いちぎる。片手で包丁を手に取り、血液をなめとりながら彼女の唇から離れる。
たくさん、話しかけてあげるから。
声が必要ない会話をしよう。
そっと彼女の腹に包丁の刃先を入れる。硬い感触が俺の手に伝わる。
大好きな先輩。でも俺を愛してはくれなかった。
たくさん話せば。もっと話せば。
俺を知ってよ。俺の愛を知ってよ。
たくさん囁いてあげるから。
愛を、たくさん。