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消火器。
学校には設置が義務付けられている物の一つ。赤い円筒型の容器に消化薬剤が入っている。現在最も普及されている物はリン酸二酸素アンモニウムを用いたABC粉末消火器だ。
消火方法は、放射された粉末が空中に舞っている状態で、火元を粉末で覆うようにすると消火しやすい。放射時間は短いがそれは大量の粉末を放射する方が効果的であるためである。
またこの種類の消火器は火炎を急激に減衰させる点では数ある消火器の中で最も優れている。しかしデメリットもある。放射が止まると一部でも火種があればまた元通りに炎上してしまうこと。
ーーそして屋内では視界が悪くなることーー
「今回は俺らは海斗の護衛みたいなもんだ。ほぼ全部海斗に殺ってもらう。まぁ簡単に言えばあの消火器をまず撃て。そうすると圧力によって中に入っている粉末が飛び散ってあいつらの視界を隠してくれるはずだ。海斗は煙幕の中の蝙蝠を狙撃してくれ。けど恐らくあの蝙蝠は暴れるだろうからな。運良く俺達に突っ込んできたのは俺が叩き落す。その他で煙幕から抜けて来たのを明日香と沙智で撃ち落としてくれ。いいか?」
全員了承する。
この作戦は実際僕にかなりの責任がかかっている。本当に簡単に言ってくれたがまず消火器を撃ち損ねたら駄目。さらに最低でも三匹は殺さなくちゃいけない。煙幕からあまり多くを出さないように早く仕留める必要もある。
けど僕はこんな僕が誰かの役に立てることが嬉しかった。しかも今回は要が僕を頼ってくれたのである。期待には答えたい。
両手で銃を構える。消火器と銃口を直線で結び、少し銃口を下方に調整。皆は信頼してくれているのか僕の方を見ずにただ蝙蝠だけを見ていた。
撃とう。外す気がしない。
そして僕の銃口から銃が放たれる。まるでスローモーションのように銃が消火器の中央部を突き破るのが見て取れた。
ーーバンッ!!ーー
消火器から圧力が漏れそれと同時に煙が蝙蝠達を覆う。煙幕は上手く拡がった。中の様子は全く見えない。良かった。これなら安心して狙える。
音楽室の扉にぶつかってよろめいている物がいる。僕はそこに向かって銃を撃つ。蝙蝠の音が消えたのを確認し、他の蝙蝠に意識を向ける。僕達の方向に直進してくる奴がいた。けれど僕は気にしない。要がナイフを目玉に突き刺し殺す。肘まで頭に刺さっていたがそんな事気にする事無く、腕を振り下に捨てていた。
天井近くまで舞い上がっている奴がいる。逃げ場は少ない。蝙蝠が天井にぶつかる寸前で銃を撃つ。そして丁度蝙蝠が天井にぶつかり動きが止まった所に銃が当たって死んだ。他のへ。
上手く廊下を進み、逃げられそうな奴がいた。慌てて二発撃つ。片方が羽に当たり、もう片方は中央からは少し外れたが、しかし致命傷を与えれた。
あと二匹。あと二匹だ。
二匹はお互いぶつかりよろけながら無理矢理こちらに飛んでくる。流石に銃声は大きくいくら耳が悪くても方向程度は把握されてしまったらしい。片方は僕達の上に。そしてもう片方は僕達に向かって突っ込んできた。僕は上に向けて銃を放つ。けれど蝙蝠がよろけていたせいか二発撃ったがどちらも羽に当たってしまった。動きが遅くなった蝙蝠に向けて明日香が銃を二発撃つ。どちらも蝙蝠の目に当たり飛んだ勢いで後ろの壁に当たってずるずると落ちている。
残りの一匹。ここは要の担当の範囲である。心配無いーーそのはずだった。しかし時間経過と共に煙幕はさらに広く拡がり既に煙は要の目の前まで覆い隠してしまっていた。このままでは要は反応する事は出来ない。無理矢理撃つか?……けど要と敵が近過ぎた。しっかり狙わないと要へと誤射してしまう可能性がある。
クソ!なんでこっちを先に撃たなかった!
自分を責めても間に合わない。あと要と一メートルもない所でやっと目玉が見えた。要は驚いた表情で固まっている。
あぁやっぱり僕はダメなのか…………ッ!
突然後ろから風が吹く。僕以外反応出来る筈が無かった化物に向けて。それは周囲の風を全て推進力に変えているのかの如く速く、そしてその速さに反比例して静かな矢だった。
沙智は勿論煙幕の中の蝙蝠が見えていたわけでは無い。なので本来気付ける筈が無かった。しかし今回は僕がいた。蝙蝠を知覚している僕が。目は口ほどにものを言う、と言うがまさにそれで、沙智は僕の視線と表情から蝙蝠が要の近くにまで来ていることを悟った。
そして咄嗟に矢を煙幕の方へ向け、一瞬目玉の先が見えただけでそこに狙いを定め放ったのである。その精度もさることながら、沙智の一挙手一投足の速さと状況把握能力は驚異的だった。
最後の一匹に矢が突き刺さり、そしてその勢いのまま後ろに吹っ飛び絶命する。こうして蝙蝠六匹は全滅した。
僕が銃を下ろすと皆も戦闘の終息を悟り、次第に心が歓喜でいっぱいになる。今までは化物は僕達より数は少なかった。しかし今回は違う。僕達よりも数の多い敵を倒したのだ。それは僕達一人一人があの化物よりは強いという証明であり何よりも自信に繋がった事は確かだった。
レベルアップするには十分な数の化物を倒したはずなのにまたもやレベルは上がらなかった。その事に対して要はレベルアップなんて本当は無く、このゲームは全員参加してるようだが、もしかしたら生身で化物を倒せてやっとこのゲームの挑戦権を得れるのかもしれないと言っていた。要するにやっと冒険者になれた、それのボーナスという事だ。今まではレベルアップを少しは意識していたが今後はあまり考えない方が良いのかもしれない。
煙幕が晴れるのをしばらく待ってから僕達は音楽室の扉をノックした。周りには化物はいない。
「すみませーん。生存者です。俺達もいれてもらえませんか?」
要の言葉には何の反応も返って来なかった。
「あの!生徒会の八重です。一度中へいれてお話させてもらえないでしょうか?」
「……え?八重って……八重明日香さんですか?」
「はい!そうです!」
明日香にはきっちり返事が来た。要は落ち込んでいるが、この差は要がいけないのではなく、明日香の人気や知名度から来ている。
「あの……そこに化物がさっきまでいたはずなんですが……もういなくなってます……?さっき凄い音がするまでは何匹かがずっと扉を破ろうとしている音が聞こえて来てたんですけど……」
「大丈夫です。今はもういませんから」
明日香は断言する。少し誇らしげだ。
しばらくの沈黙のあと何かを退かすような音がし、そしてゆっくりと扉が開き女子生徒が体を少しだけ出した。スカーフが青色なので二年生だ。もしかしたら部長だろうか。
「ど、どうぞ…」
僕達は明日香を先頭に音楽室の中に入らせてもらった。流石に沙智以外は皆に恐怖を与えてしまう可能性があるので武器を服の内ポケットに隠す。
扉の前には横たわったタンスが二つとその上に机や椅子が無駄の無いように積まれている。これをバリケード代りにしていたのだろう。直すのを手伝ってからざっと中を見渡す。カーテンは全て閉じてあり、電気も付いてない。中は真っ暗だが、カーテンの隙間から日が漏れており目が慣れれば問題無く行動できる。生徒は十一人。すべて女子生徒だ。
「俺はこの人達と現状の確認をしてくるわ。この逃げ場があるから助ける必要は無いけど何かしらの情報を得れるかもしれない。明日香は俺と一緒に来るのは確定として……二人はどうする?」
明日香の参加は当然相手に安心感を持たせるために必要である。そして要がいれば僕は必要無い。手に入った情報はあとで要から聞けば良いだろう。
「僕は別にいいや」
「なら私も今回は辞退します。」
沙智も同じ考えなのか引き下がる事に。要と明日香は吹奏楽部の人達に説明をしに行き、僕達は少し離れた所でそれを眺める形になった。
「海斗くん……今回の件どう思いますか?」
沙智は僕にだけ聞こえるような声で聞いてきた。
「まぁ、夢みたいだよ。区別としては悪夢だけど……。それにまだまだ分からない事がたくさんあって不安かな……」
「いえ、そういう事ではなく……でもまぁいいです。あながち私が聞きたいのとはあまり離れていない答えが帰ってきたので」
「どういうこと?」
「私が聞きたかったのはその分からない事についてです。海斗くんは何がまず分からないんですか?」
「時間が止まったり、化物がいたりとか物理法則の外にあるみたいだし……あとはルールもよく分からないよ」
「まぁそれもありますね。でも他にも。例えば職員室の件とか」
「ん?確かに酷かったけど分からないところとかあった?」
えぇ、と沙智は答える
「あれは誰が殺したんでしょうね……」
「え⁉勿論化物でしょ?狼か蝙蝠か……」
「そうでしょうか?それにしてはあの首の切断面などは刃物を使ったように綺麗でしたし、胸の穴は威力の高い拳銃で撃ったようでした」
ッ!僕もあの死体を見て確かに綺麗な切断面と評価していた!
「でも……じゃあどういうこと?」
「恐らくあの先生方は化物では無く人間に殺されたという事です」
「そんな!それはあり得ないよ!」
「どうしてあり得ないと?そもそもあの狼が来たのは私達が職員室を見た後だったではありませんか?」
確かにそうだった!
僕も血の着いた体操服を来ている人を見て、ここにも化物が来ると悟ったのだ。裏を返せばその人が来るまでは化物が来ていないと判断していた。
「でも……それじゃおかしい。十何人もの人を一人も逃がさず殺すなんて化物でも無ければ到底出来ないよ」
「そうですね。それでは化物並みの力を持った人間だったとしたら?」
そんなものいるはずが無いーーそう言おうとした。しかし現段階でも心当たりはある。
「僕達のように身体能力が上がった人ってことか……」
「そうです。恐らくこのゲームの主催者。時間不足の関係から恐らくこのゲームが始まる前からその主催者は私達と同等かそれ以上の身体能力を手に入れ、そして殺害したのでしょう。」
沙智の言っている事に穴が一つも見当たらなかった。先生達が殺されたのはゲームが始まる前。そう考えるとあの放送は職員室のマイクからだったのかもしれない。
「……じゃあその主催者は今どうしてるの?」
「死んで無い事は確実です。それでは本末転倒ですからね。このゲームを見るためにまだこの学校にいるのではないでしょうか?」
それは最も最悪な答えだ。先生達全員を殺すような人間がまだこの学校内にいるのだ。もしかしたら今も人を殺しているかもしれない。
けれどそれよりも僕を戦慄させたものがあった。沙智がこのような状況でクスクスと笑っていたのである。命を晒しているのが楽しくて笑っているのか、滑稽な事をしている主催者がおかしくて笑っているのか僕には分からない。僕にわかる事と言えば沙智は常軌を逸している事ぐらいだった。