後編
「どうかしたのかね? アロウス」
どうしても思い出せなかった『もう一人』が黄緑色の瞳で覗き込むようにして僕を見つめながらそう問いかけた。
あれからずっと考えていた。
でも脳裏に引っかかる何かがありながらも、どうしても思い出せなかった。
それはおかしなことであり、当然のことであったのかもしれない。
僕がずっと探していたのはリリィーさんの周囲の人物。そして父とも面識のある黄緑色の瞳の持ち主だったのだから。
まさか今僕の目の前にいる、この国の王であり平民ならばやすやすと近づくことは許されないような方とはどうしても結びつかなかったのだ。
その日、僕は報告書を持って陛下の執務室を訪れた。
近衛によって開け放たれた部屋に足を踏み入れると国王陛下はペンを走らせていた書類から顔を上げ、こちらに視線を向ける。
「やぁ、アロウス。ご苦労だったね」
陛下はいつもの何か面白がっているようで楽しそうな笑みをこちらに向けた。
細められた瞳。
それはずっと僕の脳裏にちらついていた意味ありげな黄緑色の瞳と重なる。
まさか。
「どうしたのかね? アロウス」
いつのまにか部屋の真ん中あたりで歩を止め突っ立ったままだった僕のもとへ、陛下がやってきて少し屈んで僕の顔を覗き込むように見つめてきた。
間近に映るその色はやはりエルサと同じ黄緑色。
僕がずっと探していた色。
何故この色がここにある?
「あの、陛下」
呆然とした僕の口から無意識に言葉が漏れた。
「なんだい?」
「陛下は……、リリィー・カリアスという人物をご存知ですか?」
そんなはずはない、無駄な質問はやめたほうがいい。そう自分自身に強く言い聞かせているというのに口が勝手に動き出すのを止められない。
しかし陛下は別に気を悪くするわけでもなく、むしろ興味深げに
「なぜそう思う?」
と尋ね返してきた。
「陛下と瞳の色が全く同じだったので……」
同じだからなんだというのだろうか?
それはただ、たまたま同じだというだけだろう。
同じ色の理由といえば血縁関係を除外すれば出身地が同じだというくらいだけれど、それは先祖の話であり子孫である僕らの世代は面識がなくて当然なのだ。
僕は先ほどの質問を取り消そうと口を開いた。
しかし、その前に目の前の王から予想外の言葉が発せられる。
「リリィーは私の妹だよ。もう20年以上前に死んでしまった王女のことをしらぬか? それがあれなのだが」
その言葉のあまりの衝撃に、一瞬陛下が言っていることの意味が分からなかった。
今、この人は何と言った?
リリィーさんが陛下の妹君?
「リリィーから手紙が届いているよ。それでそなたはどうしたい? 私に出来ることがあるのなら可愛い妹と姪のために一肌脱いでやってもいいと思っているのだが」
どうしたい、と問われても頭が上手くついてこない。
しかし、ここが重要な局面であることは間違いない。
ここを逃すわけにはいかないのだと僕は固まったままの頭を精一杯動かした。
元はと言えばエルサが平民なのがいけないのだ。
それならば。
そのまましばらく考えて、そして出た答え。
「エルサを陛下の娘にすることは可能ですか?」
陛下は「ふむ」と一つうなずくと
「周りのものを納得させるのは少々骨が折れそうだが、私に異論はない。ただし、すべての準備はそなたが行え」
と納得したような顔でそれだけ言った。
それが執務室でのなされた約束。
それからは大変な日々だった。
まずは王族の養子縁組に関する資料の収集。こんなことは前例がほとんどなく僕は仕事の時以外は王城の資料室に籠り、泊まり込んで寝る間も惜しみ、様々な書類と格闘することとなった。
ようやく書類の作成が終わり、陛下へサインを依頼したころにはそれからひと月ほどたっていた。
いつ以来だろうか。
久々に屋敷へ戻った日の夜、僕の部屋のドアが小さく鳴らされた。
誰か問うと「エルサです」という遠慮がちな声が聞こえてきた。
今日は出迎えもなく一度もエルサの姿を見ていなかったからどうかしたのか気になっていたのだ。
僕はすぐにどうぞ、と返事をする。
するとドアが小さな音を立ててゆっくりと開かれた。そして、その隙間から様子を窺うようにエルサが部屋の中を覗き込んでくる。
そんな遠慮したような姿がなんだかおかしくて、そして可愛らしくて、自然と笑みがこぼれてしまう。
「なにやってるの。早く入っておいでよ」
そう声をかけるとようやくエルサが部屋に入りドアを閉めた。
部屋に入ったのはいいけれど次は僕の顔をじっと見てきて口を開く気配もない。
さすがに僕は居心地が悪くて「どうしたの?」と問いかけた。
こうやって何の柵もなくエルサと向き合うのは一体いつ以来だろうか?
どうやってもエルサを選ぶことができないのだと悟ったその時からずっと、エルサと接するときは深い霧のような背徳感がいつも僕を苛んだ。
だけど今はそんな霧はどこにも存在せずすっきりとしていて、僕の心は今までにないくらいに軽い。
目に写すのが苦しいばかりであったあの時が嘘であったかのように愛おしい気持ちでエルサを見つめられる。
こんな日が訪れるなんて夢にも思わなかった。
しかし、エルサは曇らせた顔で僕を見る。
「あの、噂でアロウス様がご結婚されるってきいて……。それは本当なのですか?」
思い切ったような声でそれだけ言うとエルサは視線を床に落とした。
結婚のことは内密に進めていたのにどこから漏れたのだろうか?
驚いたけれど嘘をついてごまかすわけにはいかず僕はそれを肯定した。
「本当だよ」
相手は君だけどね。
でもそれはまだ言わない。
折角エルサを手に入れることができそうなのに、彼女から拒否されたら元も子もない。
昔、エルサも僕とずっと一緒に居たいと言ってくれた。
だからこの結婚をエルサが拒むことはないはずだ。
だけど、もしかすると。そう考えるとエルサが嫌がってもどうしようもなくなるくらい、ギリギリまで待ってから追いつめて、本当のことを言うのはそれからがいいだろう。
このことによってもしもエルサが傷つくようなことになっても、その分、後でたっぷりと優しくすればいい。
本当だ、という僕の言葉を聞いたエルサはハッと顔を上げ、それから決意を秘めたような瞳でこちらを見つめてきた。
そして口元にだけ笑みの形を見せてこう言ってきた。
「それはよかったですね。おめでとうございます」
「ありがとう。エルサには必ず式に参加してほしい」
主役の一人が来なければ意味がないのだから。
「はい、是非。アロウス様は私にとってとっても大切な方ですもの。勿論ですわ」
それはよかった。
エルサは約束を破ったりしない。これで一安心だ。
「ところでアロウス様。先日私の元に母から手紙が来て戻ってきてほしいという内容でした。アロウス様も結婚されて奥様がこのお屋敷にいらっしゃるのなら客人としての私はもう不要でしょう? だから私は明日にでもうちへ帰ろうと思うのですけどよろしいでしょうか」
その言葉に僕は驚き目を見開いた。
確かにリリィーさんから一時的に実家のほうにエルサを返してもらうとは聞いていた。あの、僕が作成した養子縁組に関する書類にサインをして貰わなければならないのだから。
ここでは人目に付きすぎるし、あちらのほうがいいだろうという話になったのだ。
しかし、エルサの口調ではもうこの屋敷に戻ってくる気がなさそうだ。
客人としてのエルサは不要。エルサはそう言った。
確かに“客人”はもう要らない。
必要なのは僕の“妻”としてのエルサなのだから。
しかし、このままエルサが実家へ帰って、僕の目の届かないところに行くのだと思うと一気に不安が押し寄せる。
でも、仕方がない。しばらくの辛抱だ。
しっかり見張りを付けておけば大丈夫だろう。
しばらく迷ってから僕は「わかった」と返事をした。
「では、そういうことでよろしくお願いします」
エルサはそれだけ言い頭を下げて部屋を飛び出すように出て行ってしまった。
久しぶりだったのに、またしばらく会えないのにこんな別れ方で残念だ。
でも、僕の顔は笑顔に変わる。
待っていてね、エルサ。
君はもうすぐ僕のものになるのだから。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
中途半端な終わりですがこれでアロウス編終了です。
アロウス氏どこまでも自己中になってしまいました。
エルサの意思はどこへ?
こんなので本当にごめんなさい。
この後、その後の番外編を2つほど(予定)書いてから完結としたいと思います。
だらだらとなりますがそちらもお付き合いいただけると嬉しいです。
只今こちらに乗せるまでもなかったその後SSをweb拍手にて掲載しています。
ポチリとしていただければ喜びます。どうぞよろしくお願いします。
菊花