中編2
白い漆喰を塗られた煉瓦積みの小さな家。
そう何度も訪れたことはないけれど、不思議とホッとするような温かさを感じるこの家がエルサの実家だった。
――もう、何らかの決着をつけなれば――
そう決意はしたのだけれど、結局僕は何をどうすればいいのか分からず思い悩んだ結果、気が付けばこの家の前に立っていた。
分厚い木を切り取っただけのような玄関のドアを叩くと懐かしい明るい声と共にエルサのお母さんが姿を現した。
久しぶりにやってきた僕の顔を見て、彼女はは嬉しそうに笑ってくれる。
「久しぶりねぇ。 元気でした? さぁ、入って入って」
彼女は僕を家の中へと招き入れ、小さなテーブルの椅子を僕に勧めてくれた。
ただ木を組み合わせただけのような簡素な造りの椅子はあまり慣れなくて、僕はなんだか落ち着かない気持ちになる。
「おばさんは元気そうだね」
キッチンでお茶を入れる彼女の後姿に僕はそう話しかけた。
いつ見ても明るいというか、賑やかな人。母を生まれた瞬間に亡くした僕にとってもこの人は母親のようなものだと僕は勝手に思っている。
紅茶を入れ終わった彼女がそれをトレイに乗せてやってきた。
紅茶から漂う湯気がふわりふわりと宙を舞う。
それをぼんやりと眺めていると、僕の前に大きな音を立てて勢いよくそれが置かれた。
そしておばさんから漂う冷気。
「オバサン?」
それは低い声で、笑っているのに目が突き刺すような鋭さを放つ。
僕はその時になってようやく、先ほど言葉の使い方を間違えたのだと気が付いた。
「あ、ありがとう、『リリィーさん』」
するとリリィーさんはヨシ、とでもいうようにニッコリと笑いながら大きく頷いた。
相変わらずだ、この人は。
彼女は僕の向かいの席に腰を降ろし、テーブルに肘をついてその手の上に顔を乗るとニタリ、とこちらに嫌な笑顔を向ける。
「クリスフォード侯爵令息についての素敵な噂はチラホラ聞こえてくるわよ。楽しそうで何よりですわねぇ、坊や?」
坊やって……、さっきのお返しのつもりなのだろうか。
しかしその内容自体には何も返す言葉はなく。
精一杯の反撃のつもりで「楽しくなんかないですよ」と答えた。
その時、不覚にもふて腐れたような顔になってしまったのがいけなかったのか、リリィーさんがまるで悪戯に成功した子供のように可笑しそうにキャハハハハと笑い出す。
こっちは真剣なのに、あんまりだ。
ひとしきり笑い終えたリリィーさんは目に浮かんだ涙をぬぐいながら少し姿勢を正した。
「それで、エルサは元気?」
僕はその言葉に一瞬言葉が詰まった。
エルサの話をしに来たのにいざその話題になると浮かぶ戸惑い。
4つのあの、乳母としての役目を終えてリリィーさんが屋敷を去るその時、泣き叫ぶ彼女からエルサを奪い取ったのは僕だったのに結局は大事にすることができなかった、そんな後ろめたい気持ちが僕の心を支配する。
何故ここに来たのだろう? と少々逃げ腰になる自分の心を励まして僕は言葉を絞り出す。
「体調が悪くない、という意味では元気だけど……」
暗く曇る僕の言葉と表情にリリィーさんが眉をしかめる。
「……だけど?」
僕は一度彼女から目を逸らし、テーブルの木目に視線を彷徨わせたけれど、リリィーさんと、そして僕自身とちゃんと向き合おうと一度息をついてからもう一度まっすぐ彼女のほうを見た。
リリィーさんの黄緑色の瞳もこちらをじっと見る。
「……ねぇ、リリィーさん。僕はどうしたらいい? 僕はエルサのことが好きなんだ。諦めなきゃいけないってわかっているけれど、それができなくて苦しい。僕が幸せにしてあげられないのならせめて、もうエルサを解放してあげなきゃいけないのに、分かってるのにそれはどうしてもできなくて、かといってエルサを連れて逃げることもできない。中途半端な想いでいるから僕はエルサを傷つけてばかりいる。辛く当たってしまっている。最近ね、エルサは僕の顔を見て表情を強張らせるんだ。このままじゃいけないってわかってるけれど僕はどうしたらいいのか分からないんだっ。リリィーさんからエルサを引き離しておいて、こんな扱いしかできなくてごめんっっ」
僕はそう訴えながらなんだか出口の見えない迷路に迷い込んだような気持ちになって思わず頭を抱えた。
そんな僕をリリィーさんがじっと見ている。
その黄緑色の瞳は僕が予想していた驚きとか怒りとかそういった表情を一切見せず静かに揺れた。
辺りに立ち込める沈黙。
その沈黙はとても居心地の悪い重たさがあって、僕がいよいよ耐えきれなくなって何か言わなければと口を開きかけたとき、「はぁ」というリリィーさんの小さなため息が聞こえた。
そしてゆっくりと語りだした。
「いつかは、……こんな日も来るかもしれないと思っていたのよ。あの娘はおボケさんだから全く自覚がなさそうだけれど」
そして彼女は考えるように一度目を伏せてから小さな微笑みを湛えて僕を見た。
それはどこか悲しそうな、でも何かを決意したようなしっかりとした表情で、まるで謎かけのような言葉を放った。
「あなたは私と同じ色をしたエルサの瞳を見て何も思ったことはなぁい?」
「……瞳の色?」
何の事だかわからない。
「そう。私から出せるヒントはこれだけ。もしも答えが見つかったならあなたにエルサをあげてもいいわよ」
「でも……」
あげてもいいとかダメだとかそういう問題ではないし、だからこそ今日ここに来てリリィーさんに先ほど胸の内をこぼしたというのに。
そんな戸惑いを見せる僕にリリィーさんは確信犯のようなニタリとした笑みを見せて「大丈夫、大丈夫」と手を振りながら明るく断言した。
瞳の色……?
僕はエルサの実家から帰る道すがら考えた。
この国には色々な瞳の色が存在する。
僕と同じブラウン系、青に緑、そして黒。
その中で一番多いのはブラウン系だろうか。
エルサの色である黄緑は……いない……??
そういえばあの色はエルサとその母親であるリリィーさんとその他に見たことがない気がする。
いや、ちょっと待て。もう一人、もう一人誰かいた。
でも、こんな時に限ってそのもう一人がどうしても出てこない。
何だかとても大きなカギを握っているような気がするそのもう一人。
僕の脳裏では、黄緑色の瞳が意味ありげな表情を宿して見つめてくるのにその全体像が分からない。
なんとも引っかかるような気持ちの悪さが僕の胸を詰まらせる。
それは、誰だっただろうか??
その日、もしかしたら父ならそのもう一人に心当たりがあるのではないかと、僕は父の部屋を訪れた。
「久しぶりだね、アロウス」
父が目じりの皺を一層深くして笑みを見せた。
最近ますます年をとったように見える。
仕事の一部を僕に任せだしてから前ほど忙しくはなくなったとはいえ、それでも忙しいことには変わりなく、そろそろ隠居したいと最近こぼすようになっていた。
「で? どうかしたのかい?」
椅子に腰かけたままの父を見下ろすような形で、そこに立ったまま、さっそく本題を父に問う。
「父上は、エルサと同じ黄緑の瞳を持つ人物に心当たりはありませんか?」
すると父はサッと表情を変え、勢いよく立ち上がった。
父が腰かけていた椅子が揺れて大きな音を立てた。
「お前は、何を知った?」
まるで警戒するようなその声音。
その瞳は驚きに満ち、大きく見開かれている。
何か、ある?
「……僕は、何も。しかしリリィーさんから、エルサのお母さんからエルサの瞳の色に関する何らかの答えを見つけたらエルサをあげてもいいと言われて。もう一人、誰かがいたと思うんですがどうしてもそれが分からないんです。でも、『知った』ってどういうことです?」
しばらく息を詰まらせた後、父は大きく息を吐くとまるで崩れ落ちるかのように再び椅子に腰を降ろして頭に手を添えた。
「そうか、リリィー殿、か。なら、それならいいんだ。
……もう一人、私はその人物を知っている。だが、どうやらリリィー殿はお前に答えを探させたいようだから私からは何も、言うまい。ただ、周りをよく見てみるといい。そうすれば自ずと分かる」
僕の周り??
もう一人とは、誰だろう?
後編をお届けするつもりでしたが、だらだら長くなってしまい中編2へ変更に。
混乱させてしまってすみません。
次回こそ完結ですっ!!