前編
一体いつからだったのだろうか?
気が付いたときにはもう彼女は僕の特別だった。
彼女は僕の全てで、彼女がいなければ僕は僕でなくなってしまう。
波打つ金の長い髪。くるりとした大きな黄緑色した瞳は表情豊かで、いつも僕自身をまっすぐに見つめてくれていた。
ずっと、ずっと一緒にいられればいいと思っていたあの頃。
気が付けば僕はもうすっかり成人してしまって、今年23歳になった。
年の近い友人たちは次々と結婚して身を固め、幸せそうなその顔を見るたびに僕の心には苦い何かが流れ込んでくるような気がした。
「なぁ、アロウスが今付き合ってる女、すっごい美人だよな。付き合いも珍しく長いほうだし、やっぱりもうあの娘で決めるのか?」
興味深げにそう聞いてきたのは伯爵家のアントニーだった。
あの女? 誰の事だかしばし考える。
フランク子爵家の令嬢とはこの間別れたし、ポスロニア男爵家の令嬢とはその少し前に別れた。
他に誰かいただろうか?
そんな考えを巡らせているとアントニーとの会話の中に勝手に入ってきた女がいた。
「あら? アロウス様も今日来ていたの?」
そう言いながら女は僕の腕に自分の腕をからませる。
そこで「ほかの誰か」がこの女だったことにようやく思い至った。
「ヴィエラも今日の社交界に呼ばれていたんだね」
とりあえずそう話しかけるとヴィエラは「そうよ。こんなところで会えて嬉しいわ」と言いながら僕の腕に体を擦り付けるようにしな垂れかかり、周りの人間に見せつけるような笑みを見せた。
あぁ、最悪だ。この女が来ていることを知っていたら早々と退散していたのに。
僕は誰にもわからないように小さく息を吐いた。
ウィルソン男爵家のヴィエラと付き合ったのは失敗だったとしか言いようがない。
プライドばかりが高くて気難しい。
今まで散々男たちにちやほやされてきたらしく僕もその中の一人だと思われているから余計に性質が悪かったりする。
もうそろそろ終わらせたほうがいいだろう。
僕は善は急げといった気持ちでアンソニーに断ってからヴィエラを連れて、今日の会場であるお屋敷の庭へと出た。
ヴィエラは何を期待しているのだろう? 顔を赤らめながら何やら潤んだ瞳で僕を見つめてくる。
そんな彼女の未だに僕に巻きついたままの腕を外しながら僕はいつも「冷たい」と表現されるこの一言を彼女に言い放った。
「君は、もういいよ」と。
訳が分からない、というようにヴィエラが小さく「え?」と呟く。
どうやら彼女はこの言葉に聞き覚えがあったらしい。
僕を見つめ、口を開いたまま固まってしまった。
このまま立ち去ろうか? それともそれではさすがにあんまりだろうか?
少しだけ時は経ったけれど、そう迷っている間に彼女はやっとすべての意味を理解してくれたらしく、先ほど折角自由にした僕の腕を再び両手でつかんできた。
「どういうことなの? アロウス様! ねぇ答えて!!」
やけに高くて耳障りなその声で彼女が喚きだした。
「もう、君と僕は終わりってことだよ。もう僕の傍に寄ってこないでね」
にっこりと笑顔でそれだけ。
そしてもう一度彼女を腕から無理やり引き離して立ち去った。
そこには悔しそうな顔をした女だけが取り残された。
今までいろんな女性と付き合った。
僕はこんなだけれど僕は僕なりにいつも本気で。
だけど誰と付き合ってもピンとくる女性はいつまでたっても現れない。
それどころか女性たちの嫌な部分を見るにつれて、どんどん女性というものに嫌気がさしてくる。
僕のそばに寄ってくる女性たちは2通りに分かれる。
まずは自分自身のステイタス、もしくは家のためというタイプ。
侯爵家の跡取りという身分、若干恵まれているらしいこの容姿、そして国王陛下から何故だか気にかけてもらっている点。
これは女性たち、そしてその後ろにいる父親たちを満足させるものらしい。
そして、もう一つは純粋に僕に惹かれてくれたタイプ。
僕は一見物腰が柔らからしく、そんな普段の僕の姿をみて好きだと言ってくれる。
それは嬉しいのだけれど、実際には僕はそんなに優しい人間ではなく、それを思い知った彼女たちは「ひどい」とか「そんなこと言うなんてアロウス様らしくない」とか好き勝手言って泣き出してしまう。
そして、僕の心はどんどん離れていく。
分かっている。
そんな事は些細なことだということは。
ちゃんとして向き合えば素直で優しい、いい娘たちもいた。
友人たちだってそうやってそういう中から適当な相手を選んで結婚して、それでも幸せそうな顔をしている。
でも、と思う。
いいな、と思う娘が現れるたびに僕の頭によぎる金の髪に縁どられた笑顔。
黄緑色の瞳がまっすぐと僕を見つめる。
そして僕の心が叫ぶ。
違う。この娘じゃないよ、と。
分かっている。
分かっているけれど、僕は彼女を選べない。
「エルサ……」
揺れる馬車に乗って自分の屋敷へと戻りながら、僕の口からその愛おしい名が零れ落ちた。