首無しラビット
7月も中旬になり、来週からは夏休みが始まる。
HRの時間に配られた夏休みの宿題と計画表を見て、私はため息をついた。
「なによ、辛気くさい顔してるわね、湊」
ズバッとひどいことを言ってのけるこの子は、中学からの友達である綾瀬唯理。
蒸し暑いのか手のひらでパタパタと顔を扇ぎながら、首を傾げて私を見つめる。
さら、と揺れた長く綺麗な髪を黒髪を見て、私はさらにうなだれた。
「はぁ・・・」
「失礼じゃない?私の顔を見てその態度は」
「だって唯理、色気あるんだもん・・・」
「はぁ?」
机に突っ伏しながら、頬にかかる自分の髪の毛を指にとる。
人よりも少しだけ色素が薄くて柔らかい印象を与えるが、セクシーだとは言い難い。
私が今求めているのは大人の色気なのだ。そう、ちょうどこの友人のような。
「唯理」
「なに?」
「彼氏にさ、どうやってせまってるの?」
私の唐突な質問に、彼女は目を丸くした。
しかし私はいたって本気だ。じぃっと唯理のあくなく整った顔を見つめる。
すると彼女は何かすっきりとした表情で、ずいっと身を乗り出してきた。
「わ・・・っ」
「水野くんね」
彼氏の名前を出されて、私は面食らった。
ぴくっと私が反応したのを彼女が見逃すはずもなく、にやっと口角をあげて笑う。
「なーに?そんなに欲求不満なの?」
「そうじゃなくて・・・」
私は観念して、唯理に全てを話した。
水野雪也は同じ学年であり、バスケ部に所属しているの私の彼氏である。
底抜けに明るい性格と、一生懸命レギュラーを目指して練習する姿に惹かれ、高校一年生の秋、友達から一つランクアップした。
高校二年生になり、つい先日インターハイの予選が終わった。結果はダメだったみたいで、次は冬の大会を目指すのだと言っていた。
そこで私はあることに気付く。
「水野・・・もしかして、夏休みって」
「んー、部活三昧かなぁ」
「え、毎日?」
「うん、夏休みの最初と最後には合宿があるし、まぁ多分何日かは休みの日があると思うけど・・・」
「・・・疲れてるね。絶対」
「その日は一日中寝てたいなー」
春休みやゴールデンウィークは、一緒にいられなくてもどうってことなかった。
私も毎日一緒にいたい、だなんて思わないから。
でも、インターハイの為と言って、私たちは二年生になってからほとんど二人きりの時間を過ごしていない。
そろそろ私だって寂しくもなってくる。それなのに夏休みまで遊べないって、これってもしかして
「———私のこと、好きじゃなくなったのかなぁって」
付き合って約半年ほど経つが、私たちはキス止まりである。それも片手で数えられるほどだ。
まぁ私も、アイツと楽しく話したり騒いだりする方が楽しいから、今までは何とも思わなかった。
しかし。
「でも、こんなに離れてても平気ってことはさ・・・私に色気がなくて全然ドキドキしなくて、全く襲いたくもねーよってこと?」
「ちょ・・・落ち着け」
「これが落ちついてられるかぁ! じゃあアイツはいっつもどうやって寂しさを紛らわせてるんだよー」
「湊、少しキャラ崩れてきてるから」
パコン、と下敷きで頭をたたかれ、私はやっと落ち着きを取り戻した。
しかし言葉にしてしまうと、さらに寂しさがこみ上げる。
はぁ、と机にペタリと頬を乗せる。
雲一つない空には、直視できないほどの輝きを放つ太陽があった。
「あー・・・溶けちゃいたい」
水野、今なにしてるのかなぁ・・・。
そしてついにやってきました、夏休み。
誰も心待ちになんかしてなかったけど、来てしまったものはしょうがない。
なんだか水野の顔を見ると文句を言ってしまいそうで、結局夏休みの予定を立てることはできなかった。
これじゃあ、いつがお休みなのかもわからない。
「———ま、わかったところでアイツは寝るんだろうけどさ」
「なに、いきなり?」
私の少し前を歩いていた唯理が、独り言に反応して振り返った。
つられて隣りを歩いていた唯理の彼氏も私の顔を見る。彼も中学からの友達だ。
「なんでもないよ、独り言」
「でかい独り言だね。危ないんじゃない?」
そして、私の横を歩くこの男も中学からの友達。
夏休みに入ってすぐに唯理から「どうせ暇なんでしょ」という電話が届き、中学の時に仲の良かったこの四人で遊ぼうという話になった。
「うるさいよ。てか、こんなことしていいの?」
「あぁ、ダブルデート?大丈夫、オレの彼女って心広いから」
「広くならざるをえなかったんだろ・・・そしてデートじゃないし」
端から見れば私たちがデートをしているように見えているだろうが、お互い好きな人がいるということで承諾した。
しかし、映画を見ている時も、みんなで買い物をしている時も、考えるのは水野のことばかりだった。
「唯理から聞いたよ。湊の彼氏って、まだ何回かしかキス、してこないんだって?」
面白がるような口調に私は思わず息をつく。
前を歩く二人は、完璧に彼らだけの世界をつくってしまっていた。
「子どもっぽいヤツなの」
「それでもさ、高校二年生ともなれば色々したくなると思うけどね」
「バスケ馬鹿だから」
「ふうん?」
意味ありげな表情で私の横顔をなめるように見つめてくる。
元気で子どもっぽくて、バスケが大好きで、彼女のことを放っておくようなヤツだけど。
私は大好きなんだよなぁ、としみじみ思う。
不意にすっと手が伸びてきた。くしゃ、と髪を撫でられる。
「・・・なに?」
「確かに、色気はないね」
「・・・なんだ、いきなり」
「でも」
「可愛いとは思うけど」と目を細めて囁いた。
たまにはこうして気の合う友達と出かけるのも悪くないかもしれない。
彼はにっと笑ってまた歩き出した。私を元気づけようとしてくれているのが、伝わってくる。
「ありがとう」
「なにが?」
「ありがとうついでに教えてよ」
「なにを?」
おかげで、少しがんばってみようかなという勇気が湧いてきた。
「色気を出す方法」
あの後、適当に入ったファミレスで、三人にとことん色気の出し方を教えてもらった。
まぁそのどれもが私には難しいもので、これは実践できないなと思うようなものばかりだったのだが。
ばふっとベッドの上に横になる。
その時、携帯が着信を知らせた。
急いで起き上がり、ポケットから携帯を取り出す。サブディスプレイには「水野雪也」と表示されていた。
「もしもし、水野?」
嬉しさのあまり、少し弾んだ声になってしまったかもしれない。
私は彼の返事を待ったが、一向に何かを話す気配はなかった。
「もしもし?」
まさかいたずら?と思いかけたところで『もしもし』と聞こえてきた。
「どうしたの?」
『・・・。』
「・・・今どこ?まだ合宿してるの?」
そう聞くと、僅かな沈黙の後にやっと声を出してくれた。
『今日、終わった』
「そうなんだ、じゃあ家にいるんだ」
『・・・。』
また黙り込んでしまった。
さっきから声の調子が低い。合宿で何かあったのだろうか。
「元気、ないね。どうかした?」
電話の向こうからハッと息をのむ音が聞こえた。小さなものだったけど、確かに聞こえた。
なんだろう、一体どうしたんだろう。
「ね、今からそっちに行ってもいい?」
思わずそう言うと、小さな声で『・・・うん』と答えた。
なんだか、嫌な予感がする。「じゃあすぐ行くから!」と言い、私は電話を切った。
この雰囲気やばいかもなぁ。
本気で、フラれるの覚悟しないとダメかもしれない。
インターホンを鳴らすと、水野のお姉さんが出てきた。
私の顔を見ると嬉しそうに抱きついてくる。
「いやー、久しぶり!最近ウチに来なかったもんね」
「こんにちは、お姉さん」
「ほらほら入って、 ちょうど貰ったお菓子があるから一緒に食べよ!」
ぐいぐい、と腕を引っ張るお姉さんは可愛いのだけれど、今日はそんな気分にはなれなかった。
私は丁寧に断り、「雪也いますか?」と尋ねた。
「そうよね。今日は二人でゆっくりしなさい!」
「二階にいるから」と、今度は私の背中を押し始めた。
私は息を整えて水野の部屋の前に立つ。
心臓が嫌なくらいドキドキしていた。アイツに会いに来るのに、ここまで緊張したことなんてない。
静かに、ドアをノックする。
中から「いいよ、入って来て」という声が聞こえた。
「おじゃましまーす・・・」
部屋に入ると、ベッドの前の座椅子に座っている水野が目に入った。
私を見ることなく、右手でバスケットボールをいじり続ける。
やっぱり、これは別れ話の雰囲気だ。
私はいつも座る場所ではなく、テーブルを挟んだ水野の向かいの床に座った。
彼は目を伏せて、私の顔を見ないようにしているようだった。
「水野・・・」
声をかけても、何の反応も見せない。
私はふと、あることに気付いた。
「なんか、顔赤くない?」
水野の顔が、少しだけ赤いような気がした。
ゆっくりと視線を上げ、やっと私と視線を合わせる。そこにはいつもよりも少しだけ、とろんとした目があった。
私は恐る恐る水野のおでこに手をあてる。彼は体をずらして避けようとしたけど、私は構わずそのままくっつけた。
「あっつ・・・ちょ、熱あるよ 水野」
「・・・」
「お姉さん呼んでくる・・・」
部屋を出て行こうと立ち上がると、ガバッと腕を掴まれた。
その手のひらさえも熱かった。
「湊ちゃん・・・」
「・・・あの、とりあえずベッドに寝て・・・」
女一人の力で男を抱き上げることはできないので、脇に手を入れて手伝ってあげながらベッドに寝てもらう。
元々彼はラフな格好をしていたので、着替える必要は無かった。
私はベッドの横に座り、心配そうな瞳で見つめてくる水野の頭を撫でた。
「心配しなくても、ここにいるよ」
私の冷たい手をあてると、彼は気持ち良さそうに目を瞑った。
それを暫く眺めた後、水とタオルをもらいに一階へ降りて行こうをした、が、またもや引き止められる。
「水野?」
「湊ちゃん、は・・・さ」
「うん?」
耳を寄せて彼の言葉を聞く。
少しかすれていて、なんだかドキっとする。
しかしそれはすぐに打ち消された。
「オレよりも好きな人、できた?」
「・・・え?」
冗談かと思って水野の顔を見るが、彼は試合の時のような真剣な目をしていた。
腕を掴む手に、少しずつ力がこもっていく。
「な、に・・・いきなり?そんなわけないじゃん」
「でも、今日・・・楽しそうに、誰かと歩いてなかった?」
やっとわかった。
水野の様子がどこかおかしかった理由。
今日のダブルデート、ではないが、四人で一緒にいるところを見られていたのだ。
中学からの付き合いなのだから、楽しかったのは事実だった。
「見てたんだ」
「・・・」
くるりと体勢を変えて、彼は私に背を向けた。同時に腕も離される。
ずるいよ、そんなの。
自分はいつも私を放っておくくせに、そうやってヤキモチを妬くなんて。
私だって怒ってたのに、寂しかったのに、また私の負けじゃないか。
色気を出して迫って、今回こそは水野の方から私に迫ってもらおうと思ってたのに。
「雪也」
布団の中に入り、するりと背中から腕を回す。
ぴったりと体をくっつけて、その広い背中に抱きついた。熱のせいであったかい体からは、久しぶりに雪也の温もりを感じた。
「あれは、中学の時の友達だよ」
「・・・」
「唯理もいたの、気付かなかった?」
そう言えば、ぴくりと体を震わせた。
「私が雪也に放っておかれて、寂しいんじゃないかって誘ってくれたんだ」
きゅうっと抱きしめる腕に力を込めてみる。
さみしかった。ずっと、こうしたかった。
服から柔軟剤の香りがして、不意に泣きそうになった。
「———湊」
名前を呼ばれた、ただそれだけなのに切なくなる。
だって雪也が私のことを呼び捨てで呼ぶのは、初めてだったから。
すごく優しい声で、呼んでくるから。
雪也のお腹あたりに回した私の手に、静かに手を重ねてきた。
ぎゅっと握っていた指が、ひとつずつほどかれていく。
指を絡めて私の手を握ると、雪也はごろんと寝返りをうった。熱い吐息がおでこにかかる。
「なんで、泣いてるの」
そう言われて、初めて自分が泣いていることに気付いた。
俯いて涙を拭う。雪也は私の頭に頬をすりよせ、背中に腕をまわして抱きしめてきた。
頬に手のひらが添う。
俯いていた顔を上に向かせられた。
ちゅ、と目元に唇があたる。
「ゆき、や・・・」
「・・・」
続けて額、ほっぺたにも口づけされる。
くすぐったくなり雪也の胸を押すが、さすがは運動部員、びくともしない。
「・・・っ、雪也、ちょっと待・・・」
「ちょっと待って」そう言おうとしたが、その前に唇が塞がれた。
触れるようなキスの後、何度もついばむように角度を変えてくる。
かさかさに乾いた自分の唇をぺろっと舐め、そして私の唇も舐めた。
「湊・・・」
「ん・・・」
口を割って入ってきた温かな感触に、今度は私の意識がとろんとしてくる。
こんなに深いキスをしたのは、初めてかもしれない。
「は・・・」
瞼を閉じ、このまま眠ってしまいそうになった時、唇が離された。
雪也は嬉しそうに私の額にキスをして、もう一度ぎゅっと抱きしめてきた。
「寂しい思い、させてごめんね」
いつもと同じ優しい口調なのに、声はかすれていて低かった。
耳元で囁くものだから、ふるりと体が震えてしまう。
「雪也」
「ん?」
「私って・・・魅力、ないかなぁ・・・?」
「・・・え」
ドキドキと悲しさとで泣きそうになりながら、雪也の顔を見上げる。
彼は顔をますます赤くして、目をそらした。
幾分かしゅんとして雪也の胸にすがりつく。強く、強く抱きしめる。
「湊、ちゃん」
「んー・・・」
「あの、えっと・・・それって・・・」
ゆっくりと顔を上げる。
顔が近付いてきたかと思うと、また唇を塞がれた。徐々に体がベッドに沈んでいく。
髪を撫でられ、口を離して私の顔の横に肘をついた。
いつの間にか、雪也は私に覆い被さっていた。
「雪也・・・?」
「こういうことしても、いいってこと?」
私の返事を聞く前に、すっと私の首元に顔を埋めた。
ちゅ、ちゅと首筋に唇を這わせ、時々舌を出して舐めてくる。
「ゆ、雪也・・・っ、待っ・・・」
雪也は申し訳なさそうに顔を上げて、何かを我慢するように私をきつく抱きしめた。
こうされることを望んでいたはずなのに、いざこういう状況になると、どうしていいかわからなくなった。
「・・・ごめん」
「いやっ、私こそ・・・」
「オレ、怖くて・・・」
とさり、と私の隣りに寝転がる。
「湊ちゃんに、嫌われたらどうしよう・・・とか、考えちゃって」
私を抱きしめる腕が緩む。
さっきの、嫌がったことになっちゃうのかな。
「だ、大丈夫・・・だよ。 ごめん、今のはびっくりしただけ・・・」
「・・・」
「雪也だったら・・・」
もう何度目かわからないキスをする。
今度は、大丈夫だ。
そっと雪也の頬に触れる。こくり、と喉が上下した。
困ったような顔をして私を見下ろす。
「湊ちゃん・・・」
「・・・ドキドキしてるね、雪也」
「だって、初めてだから」
「私もだよ」
刹那の静寂。
雪也の手が肩に降りた。着ていたカーディガンとワンピースが一緒にずり下げられる。
肌が露になり、雪也は肩に吸い付いた。
そしてそのまま動かなくなった。
「・・・雪也?」
「湊ちゃん、震えてる」
「え・・・だ、大丈夫だって」
焦りながらそう言うと、雪也はぽんぽん、と頭を撫でてきた。
「オレ、風邪ひいちゃったみたいだし、また今度でいいよ」
「だから今日は、一緒にいて?」と髪に唇を落とされる。
もう、どうしようもないくらいに、好きだ。
その全てが愛しくて、私はまた苦しくなった。
どうしたらいい?どうしたら、この気持ちを伝えられる?
もどかしい思いになりながら雪也を見上げる。
私の視線に気付いた彼は、穏やかな目で笑って前髪を梳いてくる。
どうしたの?と聞かれているようで、私はたまらず口を開いた。
「好きだよ」
雪也は目を見開く。
そしてそっと笑って、嬉しそうに呟いた。
「 オレも好き 」
首無しラビット
やさしい君が、大好きです